02 女神の目的

文字数 3,770文字

「ポセイドン!? オリオンの仇討ちなのか? 何よりポセイドンはもうここに居ないぞ?」「居なければ引っ張り出せばいいの」
 ソファーで見上げるアポローに詰め寄ったアルテミスは冷たく言葉を返した。息遣いがはっきりと感じられる距離で二人はしばらく見つめ合い、アポローはやがて肩を落とすと俯いて語りかけた。
「誰かに復讐なんてもう止めてくれ……あれは、ポセイドンと結託して俺がキミを騙した事が全てだ。キミが呪う相手は俺だろうに」
「ねえ弟ちゃん? 私はオリオンが野心家だったことも、私の力を目当てにしていたことも全部承知の上だったのよ? ポセイドンは自らの子が私と結ばれて自身を脅かす力を持つ事を嫌がった。だからといって誰かを殺すことは無いでしょう!? ゼウスもヘラも同類よ? いつも自分の子供たちに脅かされることに怯えていた。都合良く子供たちや人間を殺すこと、私はそれがずっと許せなかったの」
「だからって」「抗えないの。これは私の本質なの弟ちゃん」

——かつて、二人の狩猟の神は深い恋に落ちた。
 ポセイドンの子オリオンとゼウスの子であるアルテミスは神々からも祝福を受けるほどの幸福な恋仲だった。しかしながらニュクスと等しく神々にすら死を与える力を持つアルテミスにポセイドンは眉をしかめた。
 かつてのアポロー。アポロンは、そんなポセイドンの動きを察すると最初にオリオンではなくアルテミスへ警告を発した。
『キミはポセイドンに討たれるだろう。この恋は悲劇になる』と。
 ところが初めて身を焦がす恋に夢中のアルテミスにとって、そんなアポロンの言葉は全く届かなかった。ポセイドンの動きが自らの子オリオンではなくアルテミスに向く事をアポロンは強く確信して訴え、それからアルテミスとオリオンの恋仲解消へ多くの嫌がらせや介入を行った。
 そんなアポロンは多くの神々からシスコン扱いされもしたが、その想いは姉を守りたいという一心、それだけだった。

「弟ちゃんは悪くないの。あのとき私たちは未熟だったのよ。私は恋の熱に浮かれていた……弟ちゃんは私がオリオンの野心に利用されないよう手を尽くして、最後にポセイドンを騙して私の手でオリオンを討たせた。それが顛末——うふふっ。見事だったわよ弟ちゃん? あのときのポセイドンの顔ったら無かったわよねえ?」
「……ああ」
「私ね、分かってはいたのよ? オリオンが力の渇望に本質を持っていたことも、ポセイドンが私を海の底に沈めようとしていたこともね。あの場所で私はオリオンに討たれると覚悟していた。それを覆したのは弟ちゃん? あなたなの。全てが一つに私たちを導いた。その結果に抗う事なんて神々にすら許されなかったのよ」
 アポローは返す言葉が見当たらなかった。自らが数千年を経て今ここで何を姉に語れば良いのか、それすら分からなかった。
「先生ってシスコン属性だったの?」
「なっ……なんだってカサンドラ!?
 アポローの膝に飛び乗り、カサンドラは瞳孔を開いてそう言った。正しくはその首輪から発声した。
「姉の恋仲を引き裂こうとするのは最低男の嫉妬です」
「いや、待てパラス、この流れは良くないだろ」
「うふふっ。女の子はやっぱり味方よね♪ 弟ちゃんってば大サソリまで仕向けて嫌がらせしたのよ? あ、でもでも、一番笑ったセリフはね? キミは処女の女神なんだから路線を崩したらダメだー、とかなんとかの……」
「えーっ! 先生ってば処女信仰の人だったのー?」「最低ですねアポロー」
「くっ! 男キャラの増員を俺は強く望むぞっ!」
 メタ発言で過去をぼやかすアポローにアルテミスは満面の笑みを見せた。それからもう一度室内を見渡し、パラスのシステムへ向けて問いかけた。
「ねえパラス? トリトンはまだここに居るのかしら?」
「え? あ、あの方は既に所在を確認することはできません。海の底に自らを拡散してしまった……と。姉さまから聞いています」
「ふーん。じゃあその眷属を狩っていけば誰かに行き当たるかもしれないわよね?」
「アルテミス様? 海洋神族は現在、海の生物全てに影響を残しています。サーチは困難です」
「ねえパラス。私を手伝ってくれないかしら? あなたの記憶はとっても役立つと思うの」
「何をお手伝いすれば良いのでしょう……」
「何をって、あなた、私が漁業をするとでも思っているの? ポセイドンたちがこの海に残した影響力はあなたより熟知しているわ? 私は海獣にあたりをつけて既に狩りをしているの。あなたにはそこからデルピスたちが集っているエリアを分析してほしいの」
「ダメだ。止めてくれ。頼む」
「頼まれないわよ弟ちゃん」
 振り返ったアルテミスは毅然とアポローにそう言い放った。
「眷属を狩っていればポセイドンでなくとも神々の残滓に必ず行き当たるわ。そしていずれはポセイドン自らが残した何かに辿り着く。彼はそれが破壊されることを望まない。たとえこの星に戻って来なくても兆候さえ掴めれば私はいつでも星空へ帰って彼を射るわ。今度こそね」
「——海洋生物を狩るって言ったって、そんなこといつまで続ければいいのか分からないだろ?」
「だから手伝ってほしいのよ弟ちゃん。この国は海獣を捕獲しているわ? よそでやるより都合がいいのよ」
「……どうしてもポセイドンを討つ気なのか?」
「誰よりも分かってるでしょ? 私は目を付けたら絶対に逃さないわ」
「言うだけ無駄か」
 やや諦めたようにアポローは頭を掻いた。そして脱ぎ捨てた上着からタバコを取り出したが、ボックスの中は空だった。
「弟ちゃんこそタバコなんて止めなさい? 前はハーブですら嫌がってたくせに、どこで悪いこと覚えたのかしら?」
 アポローはソファーから立ち上がり、棚の引き出しから買い置きのタバコを取り出してその場で火を付けた。そしてしばらくパラスのシステムを眺めアルテミスに向き合った。
「うちのミュケナイには生体サンプルを収集するチームがある。海洋調査もだ。世界中のサンプルから神族の痕跡を探るのは俺がやるから、キミは狩りをしないでくれ」
「あらあらそれはラッキーよ弟ちゃん! 合衆国のバックアップがあるとはいえ、私一人でやるのは大変だったのよ♪ 頼むわね?」
 アポローの提案にアルテミスは歓喜し、ハグを返すことでその提案に答えた。アポローは自らが何かをすべきであるという想いのトゲが他の提案をモヤにしたまま離れず、それはアルテミスへの贖罪として導いた結果だった。
「それじゃ私、ここのホテルに滞在してるからよろしく。そうそう、あの佐藤って人、面白いわね? 海の香りがしたわ」
「サーフィンやってるからな。つか、おいそれと手を出すんじゃないぞ? あの人は一途なタイプだからな?」
「ふーん。そうなんだ……ねえ? これが日本で文化になっているアニメキャラクターの人形なの? 弟ちゃんは昔からこういう細々した細工のあるものが好きよね」
「あーっ! それをケースから出すんじゃないっ!」
「あら?」
 アルテミスがクリアケースから一体のフィギュアを取り出すと、その手足はポロっと外れて床に転がった。
「ビンテージ品だから脆いんだってば! ああっ! アンドロメダ、なんてことに……」
「アンドロメダ? これが? あのカシオペアの娘の?」
「いいから元の場所に戻してくれ……これだから物の価値が分からない身内ってやつは……」

——アルテミスが部屋を出てからしばらく、アポローはフィギュアの修復に時間を費やした。
「アポロー? 私は……」
「いいって気にするなパラス。アレが言ってたことは俺がやるから」
「そうではないのです。アルテミス様が仰せになっていることは確かに混沌としています。でも、私へ向けるその言葉には……ある種の敵意が感じられました」
「ポセイドンへの復讐心は海洋神族全てに向けられているかもしれない。それにアレが言うほどミネルヴァとは仲が良くなかった。だからだよ。気にするなパラス」
「そ、そうであれば良いのですが、少しだけ寂しい気がしました。アポローの姉君に良く思われないのは、とても……」
「俺はそれ以上にアレが合衆国の中に居たことの方が驚きだ。ミュケナイも散々あっちと付き合いはあるが、全く考えもしなかった」
「私たちは何者かの存在を借りている以上、実際に触れなければその存在を認識することはありません。それは仕方の無いことでしょう」
「それにしたってどんだけ有名人になってるんだよ。自分で『ルナ・アルテミス』とかいうブランドまで立ち上げてるし……」
 PC端末でネットサーチしながらアポローは溜息を漏らした。海外のニュースサイトやブログではルナ・コリンズを大きく注目した記事がトップに並び、その人気については深く掘り下げるまでもない様相だった。
「合衆国のバックアップとか言ってたな……何をだ? 少し調べておくか……」
「ルナ・コリンズを調査しますかアポロー? お役に立てると良いのですが……」
「いや、今のところはいい。本人に接触可能な訳だし、聞ける話がまず優先だろう。ありがとうな」
「はい。了解しました」
 カサンドラはいつの間にかソファーで穏やかな寝息を立てていた。防音壁の外からは外壁工事を行う作業の音がわずかに聞こえてくる。
 アルテミスとの再会は、そんな一日の中で過ぎていった。
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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