【2】人間の姿

文字数 4,287文字

 気分を一度リセットするために深呼吸、そして見上げた薄紫が沁み込む青空に、小さな赤が降ってきた。
「危ない!」
「えっ⁉」
 龍麗君が私の視界に割り込んで飛び蹴りを放つと、急接近してきた赤い竜燐の剣が弾かれ、転がって石床を熱した。
「きゃあ!」
 トネルムちゃんが、すぐ上空で発生した音に驚く。その時には既に龍麗君は格闘の構えを解き、呑気に会話していた私達女性陣に振り向いていた。
「け、怪我は無い……? 咄嗟に出した俺の闘気にぶたれたりとか、ないよな……?」
 その発言に反応して、回復魔法が使える私が彼も含めて全員の状態を確認。安心して頷いた。
 そしてアルンも空を見上げ、追撃が来ない事を確認すると、小さく笑って龍麗君に歩み寄った。
「その小さな王子は、蹴り一発で複数の竜姫を同時に守ったぞ。自信を持って最後まで堂々と喋れ。そうすればブライダルフェスタが始まる」
「ぅなぁっ」
 低い位置にある彼の頭を強めに撫でながら、アルンは通り過ぎて剣を拾った。
「姫を守った王子、確かにそうですね。龍麗君、かっこよかったですよ」
 イオラさんがそう言って微笑んだ。
「うん、おかげで助かったよ。ありがとうね」
 私も続いてお礼を言った。普段の性格や直近の会話から、私にとってのアルンは姫というより、王子様っぽいんだけどね。なんて事を思ったけど、それは心の中に留めて。
「あたしも……あ、ありがとう……」
 トネルムちゃんのその小さな声は、ちゃんと彼に届いたようだ。
「い、いや俺はただ、咄嗟に身体が動いただけで……王子とかじゃないんだ……」
 恥ずかしそうに両手と首を振る龍麗君。トネルムちゃんがそっぽを向く。
「うん……彼には、香蘭ちゃんがいるから……」
 その小さな声は、私にしか聞こえなかった。そしてそんな私は、その子の言葉の意味があまり分からなかった。
 アルンが、降ってきた剣を吸収し終え、マナリングを着けた左腕を掲げ、拳を握った。いつも剣を吸収すると光るリングだったけど、今回はそれほど変化はなかった。
「だがこの剣を止める役割は、私が担うべきだったな――ん?」
 握った左手を右手で抑えるアルン。マナリングが光り、アルンの瞳も連動して少し光った気がした。
「呼んでいる……近いぞ!」
 そう言って一人で走っていく。
「アルン、待って!」
 困惑するみんなを置き去りにして、咄嗟に私も続いて走った。


 街道を駆け、ノルキンガム国境に近い場所まで。空から見た感じだと、ここら一帯には毒霧があった気がしたが、アバドンが去った事で範囲の外側なら既に消え始めているようだ。ネーデルラントはもう安全と言っていいかもしれない。
 私はアルンの目的地と思われる場所がうっすら見えたあたりから、足の速度は極限まで落ちていた。
「ん……っ……」
 何か反応したくなった自身の口を手で覆い、声を出さないようにする。
 その地に刺さっていた、竜燐の剣。それは私達が来た時には既に、女の子と老父の体を貫いて、鱗とは別の赤を刃に沁み込ませていた。焚火のように弱い炎を宿し、二人の服の元の色は分からなくなっていた。
 女の子の虚ろな目がこちらに向けられ、口と指先を少しだけ震わせたが、何も音を出す事は無く、そのまま動かなくなった。マナリングだけが、その光景を見て怪しく光っていた。
 口を押さえたまま、膝から崩れた私。俯きながら歩いたアルンはその剣を左手で強く握ると、炎の火力を上げた。
「火葬をご所望のようだ。私はそれに応えよう」
「……」
 何を言えばいいか分からなかった。いつものように、思った事を伝えようにも、感情が複雑で困難だ。
 結局、そうして静かに、二人の体が消し炭となるのを見続けた。その間にイオラさん達も到着していたが、同じくみんな何もしなかった。
 静かな街道。そこに閉じていた周囲の家の扉が開き、人間の方々がわらわらと出てきた。
「火が見えたな。もう毒は収まったようだ」
「少し前に外を調べに行った、近所の子はどうしたのかしら」
「ん、おい見ろよ、あの竜人族ってまさか……」
 一人の男性が、剣を吸収するアルンを指差した。そうして注目は集まり、アルンの足元に燻る灰を気にした人もいる。
 そして呟くように繰り返された単語を、耳に聞き入れる。
「災悪の……絶望の竜……」
 目を見開いた私は杖を支えに、崩れていた膝を上げ、周囲を見回した。街の人々みんなの視線の矢が、アルンに向けられていた。
「この国やノルキンガムで襲撃を何度も行った竜じゃないか。隣の地獄からは悠々と抜け出し、高みの見物をしているのか!」
「え……?」
 私は言われた事を理解するまで時間がかかった。
「……へぇ」
 アルンが剣を完全に吸収し終えた。地面に虚しく横たわる灰から、指さす人間に視線を移す。
「私の剣と似た物が、別の場所にもあったのか?」
 アルンは冷静に問う。すると今度は別の男の人が声を荒げた。
「剣による襲撃だけじゃない! ノルキンガムの王子相手に戦闘を仕掛け、その後彼らは態度を急変させて戦を始めた。お前らが刺激しなければ、きっと隣国の王と落ち着いた話し合いが行われただろう!」
 確証は無い、だから否定は出来ない。けど、アルンが責められる事でもないと思いたい。
 アルンは表情を変えないまま、淡々と答える。
「剣は私に関係があるだろう、それに関連する罪は全て負うつもりだ。しかし、それ以降はただの推測だ。ノルキンガムの今の統治者が、この国の王子である事を知らないような口ぶりだしな」
 怯んで足を下げる男性。しかしそのまま口を閉ざしたりはしなかった。
「その場しのぎの嘘でやり過ごす気だな! 見ろ、背後に広がる毒を! お前達がこうして実際に戦いによって被害を与えたというなら、もう法による裁きの対象だ!」
 私達の正面の奥に広がる、ノルキンガムの蝕まれた空。しかし、毒が私達のせいだなんて事は全くの誤解だ。言いがかりとも思える。
 他の人々は男性の発言に便乗するようにして、言いがかりを浴びせ始めた。
 私の隣にいたイオラさんが、片手でフードをさらに深く被った。
「この国が竜族と敵対してきた歴史は長いです。竜王子に憑依したのが欲深き悪竜である事も、よく思わない人もいます。なのでこの国にはほとんど竜人はいませんし、労働力として数体存在するらしい竜族も、酷い扱いだとか」
 そんな事で、そんな集団の意識のせいで、イオラさんが剣の被害に遭った時、誰も助けてくれなかったっていうのか。そんなの、酷すぎる。
「あの消えた剣に刺さっていた灰、あれもひょっとして、様子を見に行ったっきり帰ってこない子供だったりして……なあ、そうなのか、そうなんだろう……⁉」
 アルンが歯を食いしばり、頷く。
「……恐らく、そうだ。この剣の事件は未だ解決出来ていない。本当にすまない」
「そうよ! 突然現れたノルキンガムの塔から南へ飛んだ暴虐の暗黒竜も、多分あの子達が呼んだんだわ!」
「北の岩山方面に消えた復讐の女神だってそうだ! 俺、こいつらが同じ塔から降りてくるのが見えたぜ⁉ 今度は何人殺す気なんだ、黒の大地の凶悪竜め!」
 人々の発言はヒートアップし、あらゆる責任をなすりつけてくる。悲鳴も混じるようになり、私には耐え難い罵詈雑言が投石のように降り注いだ。
 先ほどの焼死体を見た時とは別の悲しみに怒りが混ざる。
「どうして……どうしてそんな事を平気で言えるの……!」
「ちょっと、レクシアさん――」
 前に出ようとする私にイオラさんの声がかかったが、構わず進む。
「レクシア……?」
 少しばかり元気のない声を出した、アルンの前に立つ。皆を見渡すと、私の苦手な視線の矢がこちらに移る。まだ何も言われていないのに喉の水分が枯れそうだが、それを上回る感情が攻撃を弾いた。
「もうやめてよ。アルンは被害者が増えないように努力してたんだよ。国の治安職でも天軍でもないのに、みんなのために一生懸命戦ってくれたアルンやみんなを、どうしてそんなに責められるの!」
 困惑する人々の中から、数人が動く。
「あなたは竜族じゃないでしょ。そちら側に就くことなんてないわよ」
「戦ってたって正しいかどうか分からないだろ。この国につっかかろうなんて竜族に、良い奴がいた試しがない」
 片足を踏み込んで即答。
「それはそうでしょ、みんなで言いがかりつけて、来る人を毎回悪人にしてるんだから! 人間ってだけで、竜族ってだけで決めつけないで!」
 私はそろそろ完全に怒ってきている。杖を握る力が強まる。
「みんなは武装したローランさんの隊列に対して何か言わなかったの? 戦いが始まった時鎮圧に動いたり、それが出来なくても避難誘導とかはしなかったの? 毒が広がり始めた時、近所のノルキンガムの人を少しくらい自分の家とかに入れてあげたりする余裕は無かったの⁉」
 少し俯いて、もう一度、負けずに顔を上げて。
「アルンは頑張ったよ。みんなより、ずっと偉いよ」
「レクシア……」
 呼ばれて振り返った私。普段の彼女の真似をするように、堂々と得意気に頷いてみせる。
「ふっ」
 アルンは少し笑ってから、いつもの表情に戻ってくれた。
「――人間とは面白いものだ。純粋な筋力や魔力の無さを、先人のように技術力や発想力、そして志を持って他種族と拮抗する力を持つ者がいる。しかし、それらに縋ってのうのうと生き、集団の力で気に入らない者を叩くだけの連中もいるようだな」
 アルンは私の前に出るようにして歩き、短く強めのため息をついて、続ける。
「天使も悪魔も竜族も、潜在能力を生まれた時から完璧に扱いきれるわけじゃない。私も竜としての力をつけた。だが今は人間の戦士と同じ武器を握り、人間の剣士と同じ修練をして、そして騎士の精神を学びながら、魔界を去ってこの場にいる。貴様らを守っている天軍だって、国が持つ人間の軍だって、個々が強いから集ってさらに強くなるのだ。貴様らは、今の状態でも弱者だ。私達を恨みながら行動には移さない、それが出来るほど強くないんだろ」
 そして彼女は吠えた。人の声ではあったが、その咆哮と呼ぶべき激烈な響きは、彼女が竜族である事を知らしめる。
「私は強い。だから責任を押し付けたりしない。今から私は貴様ら人間のために、この剣によって起こった被害者の仇を討ち、これ以上の被害は出さないと誓おう」
 剣を握り、炎を宿し、人々の並ぶ正面に向けて構える。
「だが忘れるな。私が立場を捨てて騎士となるほどに興味を抱き、憧れ、愛した人間の姿は――貴様らのような弱者では無い!」
 勢いよく振り下ろされた剣から、熱き竜の炎が撃ち出された。
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登場人物紹介

レクシア 

物語の主人公、語り手。神の事象顕現、竜の異能の双方の力を持った魔法を扱う蒼竜騎士。特殊な境遇から自分の種族が簡単に説明出来ないため、混血種族の代表たる人間として、異種族交流問題に積極的に関わっていく。

アルン

レクシアと共に旅をする、もう一人の主人公。自身の竜鱗を使った剣から炎を出して戦う赤竜騎士。実際は竜族だが、外見を竜人に変え、興味のある人間達に竜の文化で交流していく。

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