【6】絶望の中で

文字数 6,479文字

 振り下ろされた巨大な剣を走って避け、その先にあった二本目の剣を、魔法で押し返す。その最中に襲い掛かる三本目は既に、アルンの剣が防いでいる。
「甘いぞアルマグエラ! もっと激しく攻撃できないのか⁉」
 アルンが煽りながら炎を飛ばす。しかし同じように炎を纏う巨大な剣は、軽くあしらうように炎を掻き消す。
「剣が俺の鱗に届いていない貴様が言うではないか。四本目を出す必要も無いぞ」
 その四本目を握るはずの右上の腕は、常に剣の腕より後ろに引かれている。私はアルンが奴の気を引く度に、左に回り込みながら呼びかけていく。
「セメレーさん、一緒に帰りましょう! あの美しい聖域を、また見たいんです――!」
 悲しい顔で私を見下ろすセメレーさん。そんな顔をさせないために、ずっと宿っているその思いを癒すために、私は何が出来るだろう。
 その口が僅かに開くと、小さな声が、耳に直接届く。
「いいんです、と。自由に生きてと、言いました。貴女は争いを求めないのでしょう……この竜と関わらずとも、術師達さえ止めれば、この場は収められますから……」
 だから、見捨てていいって言うの? どうしてあなたは、助けられることを拒むの?
「私は自由です、自由に選んで、ここに来ました。儚く美しい女神を、助けられなかった人を、私の母親かもしれないあなたを!」
「ッ……!」
 その単語に強く反応したあなたは、凄く辛そうだけど――やっぱり確認したい。
 視界端、足元を振り払う剣を跳んで避け、再びあの姿を見上げて。
「セメレーさん――あなたは、私を産んだ神族なんですか?」
「……私は――」
 言いかけたその時、術師の放った火球がアルマグエラに命中し、セメレーさんが揺れる。
「何を苦戦しているアルマグエラ! もういい、女神を開放して本気を出せ!」
「苦戦などせぬ、俺の闘争に口出しをする……な……」
 アルマグエラが上空を見上げて声を止めた。ようやく休めた私とアルンが、その視線を追う。
 巨大な隕石のようなものが、術師やその仲間たちの上空から落下して来ている。私は思わず叫んだ。
「危ない、逃げてっ!」
「何を言うか神族の小娘――」
 術師は聞く様子が無い。アルンがそれを見ながら、淡々と呟く。
「さらに他のミスを挙げるなら――」
「危機に瀕しているのは貴様らのォァアア――!」
 叫んだ術師や竜の姿は隕石に隠れ、着弾したそれは熱風を吹かせ、私達の肌を焼いた。
「泣き叫べ、のたうち回れェ! 俺の名はダウスタラニス。お前らの絶望が、形を成したモノよォ!」
 アルンは乱入者の歪な声に動じる事なく言葉を紡いだ。
「――黒の大地の竜族は、自分より弱い者に従うはずがない」
 隕石の次に現れたその乱入者は、ノルキンガムで見たあの暗黒竜。
「アルマグエラが共闘していた理由も、術師の力ではなく、背後にコイツがいたからだろう」
 アルンの考察が済むと、ダウスタラニスは隕石を両足で踏みつけて破壊し、その下に沈む竜達を見下ろした。まだ少し動いていたが、立ち上がる事は出来なさそうだ。
「メテオ・フォール。絶望を喰らう最初の標的は、最初からお前達と決めてたゼェ」
 絶望の竜の、歪に響く声。片手で術師を引っ張り上げて、顔の前に持っていく。
「どうダ、気分は? 優位と思っていた状況を裏切りによって逆転され、さっきまで見下していた同族の目の前で吊るされてイル!」 
 涙と汗に血が混じり、怯えた顔で震え、細々と口を動かす少年の術師。ダウスタラニスはその彼を持つ手を振り回し、私達に見せつけてくる。誰も動かない、誰もこの圧倒的な威圧感と紫にうねる邪気を前に動けない。
「どうだそこの神族の娘、今からこの手を少しづつ握っていくゼェ、どうだ耐えられるか、コイツはどこまで耐えられるかァ!」
 早口でまくし立てるダウスタラニス。奴の指の隙間から血が流れる。術師の目が見開かれ、苦悶の叫びを上げる。
「酷い……うっ……おえっ……」
 私は不快感に口を押さえて膝を着く。その後両手で耳を塞いだが、全く音は消えない。
「どうだ、痛いか、苦しいか、ギャハハァ‼ 良いぜ、見えるぜ、満足に足る絶望が!」
 私の閉じていた目がさらに覆われた。そして立たされ、数歩後ろに下げられる。
「ウマかったぜ、お前の絶望はヨォ~ッ――オラァッ!」
 ダウスタラニスの声と共に、言い表したくない不快な音が、さっきまでうずくまっていたであろう場所で鳴った。まさか術師が、もう動かなくなった彼が。その場所に投げられたのか。
「嫌……いやああああぁっ‼」
 忘れられない光景と、今も耳に鮮明に残る音を掻き消したくて。
 目を閉じ叫んで暴れる私を、アルンが力強く抱きすくめて抑える。
「レクシア、奴の力の源であり、この世に存在し続けるための概念は間違いなく絶望だ。このままでは際限なく強化され、手に負えなくなる」
「ぐすっ……そんな事言われでも、言われてもぅっ……!」
 抑えても漏れる感情の波に流され首を振るが、アルンがその身体と体温で押しとどめてくれる。
「すまん。酷な事を言うが、目的を果たすために、今は気持ちを前に向け続けるよう努力してくれ。――私が本当に辛いのは、このまま敗北する事だ」
 ――強いよ。アルンは強すぎるよ。
 歯を食いしばり、守るべき人々を思い浮かべる。その中にイリオスの姿が浮かぶと、さらに力が強まった。選択の末にここにいるのに、こんな無様に沈んじゃ駄目だ!
「見物人が来るまで待った甲斐があったか。もうリングが無くても俺の具現化は続くじゃねぇか。サア、残りの竜はまとめて遊んでやるぜェ!」
 ダウスタラニスの笑い声。竜族達の足音と咆哮が聞こえる。これ以上続けさせちゃいけない。これは放置するといずれ白の大地に及ぶ。絶対に防がなければならない。
 アルンの肩を借りて、傾けていた上半身を上げ、涙に溺れた目を救い出す。乾ききった喉を震わせ、口をこじ開ける。
「許さない。私は戦う、絶対にみんなを守る!」
 その時には既に、術師の仲間の竜は軒並み隕石に潰され、死体をダウスタラニスに弄ばれていた。私が動けなかったせいだ。アルンも、同族が襲われている最中に私を優先して助けてくれた。もう失敗は出来ない。
「くっ……!」
 悔やむのは後。状況を把握して、今見るべき場所を見る。
 セメレーさんを未だに握って放さないアルマグエラが、こちらを見下ろしていた。
「ようやく続きが出来るか。何が起きようとも、俺の目的は強者との闘争のみ! さあ、どこからでもかかってこい!」
「随分と待たせたな。私も続きを楽しみにしていたぞ」
 アルンがいつも通りの笑みを見せながら、取り落としていた私の杖を差し出してくる。受け取って体を離し、アルマグエラと対峙する。
「セメレーさんを放して」
 私の要求に対し、アルマグエラは表情を変えずに剣を構える。
「貴様はこの女神を目的とする。開放した後に闘争を続ける事は無い。ならばこうして保持する事が、貴様ら二人との闘争を続ける上で必要なのだ」
 バレバレみたいだ。なら、仕方ない。
 でも、私は戦うんじゃない。ただ、セメレーさんを助ける。それだけだ。
「手加減はしないから」
 冷たく言い放って、杖の先端に刃を舞わせる。相手が強いかどうかなんて関係ない。勝って倒して、あの人を助けて、次に進まなきゃいけないんだ。
 アルンと息を合わせ、攻撃を始めようとしたが、上空に異変が発生する。高熱と共に生成される、巨大な落石。
「ギャハハハァ! お前らだけで盛り上がるなよ、俺と遊ぼうぜェ⁉」
 メテオ・フォール。ダウスタラニスが、私達の行動を黙って見ているはずがなかった。
「爆炎斬!」
 アルマグエラが剣に炎を纏わせ、上空の隕石を粉砕した。
「セルリアンルーセント!」
 そして飛び散る大きな落石達を、私の光で消し飛ばす。
 しかしその魔法の隙を、まさかのアルマグエラに狙われる。
「熱風斬!」
「焔の逆鱗!」
 アルンがその剣を迎撃。重低音から時間差で炎の燃え上がる音が広がる。
「私の炎は図体関係なく通用するぞ」
「遊ぼうぜって言ったじゃねぇカ!」
 ダウスタラニスが両手を広げて飛び込んでくる。アルンがそれに気付いたが、間に合わない。
「トワイライトクロス!」
「絶望には勝てねェ!」
「きゃっ!」
 私達の絶望を取り込んで成長した竜鱗の腕は、希望を含んだ事象顕現を容易く打ち砕く。ガラスのように割れた愛情の黄昏は、生み出していた杖や私にもエネルギーの破片を飛ばしてくる。
「俺の闘争を遮るな!」
「闇に沈みなァ!」
 アルマグエラが、ダウスタラニスのもう片方の手を攻撃したが、手から放たれる闇の手甲によって剣が腐り落ちた。
「捕まえたァ!」
「この――!」
 そしてダウスタラニスはアルンを頭突きで吹き飛ばし、そのまま追撃に入る。
 私がもう一度別の魔法を試そうと構えたが、アルマグエラが待ってはくれない。
「バラバラにしてくれるわ!」
 腐っていない別の剣で私に斬りかかるアルマグエラ。具現化していた蒼の刃で迎え撃つが、相手の剣は二本だ。
「うっ」
 振り下ろしに対して、なんとか杖を構えたが、押し返せずに倒れる。
 まだまだ来る追撃。転がって回避するが、視界の外から来たダウスタラニスの熱風によって怯み、二本目の剣の薙ぎ払いに対応できない。
「そんなものか!」
 強く飛ばされ、私がそれを意識する前に大岩にぶつかり、停止した。
「がっ、げほっ……!」
 斬られた腹と、岩にぶつかった背の痛み。血を吐きながらでも、前を見る。
 ダウスタラニスは、体制を立て直して退避するアルンを追いかける。アルマグエラは、腐らせた剣を捨て、本来四本目となるはずだった剣を握ってこちらに斬りかかる。それは駆けつけたアルンが弾いてくれた。
 すぐには動いてくれない体、傷によって焦点が定まりにくい視界で最初に映るのは、この混沌とした戦場の中で唯一輝く女神。
「セメレーさん――んっ!」
 どうにか転がって剣を避け、後ろで壊れた岩の音に負けないくらいに声を張り上げる。
「諦めない――私は諦めないから。あなたもどうか、負けないで!」
 アルンでもこの竜達を一人で相手できない。お互いに別々の竜を攻撃したりして、常に相手の狙いを分散させるように動く。
「危ない!」
 アルンの見せた隙を誤魔化すために、私がダウスタラニスに魔法を撃ち込む。
「行くぜ行くぜェッ!」
 ダウスタラニスが狙い通り、私に手を広げてくる。
「ぐぅぁっ!」
 私が全力で打ち込んでも、悠々と押し込まれて体を握られる。
 セメレーさんはもう泣きそうな顔になって、私に身体を傾けようとしてくる。
「どうして、どうして――こんなになってまで……! 術師はいません、今貴女方がこの場を離れれば、戦竜と暗黒竜が戦うのみです。その後私がこの身を賭して力を放てば、手負いの暗黒竜の絶望もきっと消し去る事が出来ます。どうか、逃げて――」
「母を――うぐっ――お母さんを見捨てるなんて、出来ませんから――! いけっ!」
 光魔法をダウスタラニスに撃ち込むと、拘束が解かれる。
「なんだこりャァ⁉ 何故、何故こんな状況で、お前の顔からは希望が消えないッ⁉」
「今度は私だ、ダウスタラニス!」
 アルンがその隙を狙って、狙いを分散させる。アルマグエラがこちらに向かってくる。
 しかしボロボロの体だと、相手の剣の三本目を防ぐ手段がない。三回に一回、一歩づつ私の死が近付く。
 俯いたセメレーさんが、再び顔を上げて語りだす。
「――確かに私は、母とも呼べる者です。長男デュオニューソスを産んだ後、テュオーネーの仮名を使い始めた時に産んだのが貴女……しかし私と息子は、必然的な運命に苦しめられた過去を持つ親子です。貴女に私の娘として神族の生活をさせ、同じような苦しみを与えるのは酷と思った。そうして、歴史の表舞台に出ない隠し子として、神族の管理外にあった北の岩山に置いていきました」
 初めて明かされる話に、動きの鈍る私。そこに攻撃をしないほど、アルマグエラに情けは無い。
「ぐ、うっ……」
 再び岩に打ち付けられ、それでも私は、話をしてくれた女神に視線を向ける。言葉を待ってみる。
「私はただ、産んだだけです。神族とはいえ無力な赤子を、無責任に放棄した非道な女神です。これをどうして、母と呼べましょう。過酷な世を生き続け、私と再会した貴女は、私を非難し、いっそ恨みを籠めて消してしまっても――」
「責めたりなんかしない!」
「っ⁉」
 会話の最中。もう逃がさないつもりか、アルマグエラが二本の剣で回避先を潰し、最後の剣を真っ直ぐ突き出してくる。そんな事しなくても、もう避けられるほど体は動かせない。アルンもちょうどこっちにはこれない。
「茶番は終わりだ!」
「セイクリッド――シールド!」
 もう普段の技が通用しない領域に来たので、杖を突き出し、なけなしのコンバートで聖なる盾を具現化させる。拮抗しているが、時間の問題だろう。
「セメレーさん! ようやく教えてくれましたね。私は、私を産んだ人に会ったら、伝えたい事があったんです」
 閃光を発し、地を震わせながらぶつかり合う剣と盾。そこから発せられた私の叫びに、セメレーさんはきつく目を閉じた。その目に涙がある事は分かった。
 あれからセメレーさんは、過去に苦しませた二人の子の事を考え続け、ずっと寂しさをたたえた顔をしていたんだ。悪意で捨てたわけじゃないなら、もう私は安心している。あとはただ、伝えるだけ。
「あなたのおかげで、種族を超えて家族が出来ました。旅を通じて、色んな経験をして、アルンと絆を深めて、ここまで一緒に戦ってこれました」
 目を開いたセメレーさんに、この状況でも、どうにか笑顔を向けて。
「――どうか、感謝させてください。この世界に産んでくれて、ありがとうって!」
 ひび割れた聖なる盾がついに砕け、私の身長を超える刃が顔面に迫る。
 咄嗟に出来るのは目を瞑る事のみ。
「風よ――」
「正義執行」
「アル、ビレオ」
 そして響く暴風、金属、炎の音。
「え……?」
 そっと目を開けると、狙いをズラされて私のすぐ横の地面に刺さる剣。そして追撃を弾かれたのか、大きくのけぞる追加二本の剣。
 大きな隙を晒すアルマグエラに飛び込む蛇の骸骨が、セメレーさんを腕から開放。落下するが、下で待機していたデネヴが受け止めた。
「デネヴ、どうして……⁉」
 驚く私に、指で挨拶してくるデネヴは、すぐに彼方へ走っていった。セメレーさんはよろめきながらもこちらに歩み寄り、手を伸ばしてくる。
「ありがとうございます。おかげで、目が覚めました」
 私が手を取って立ち上がると、セメレーさんは真横に視線を移す。
「――今まで、見ていたんですね」
 私もそちらを見ると、戦竜に向かって手を伸ばし、鎖で拘束するガ・シャンブリの姿があった。彼は顔だけをこちらに向け、牙を隠すことなく口を開いた。
「術師の独断により混沌とした戦場。果たして義はどちらにあるか、見定めていたに過ぎない」
 アルンが駆けつけてくるのが見えたので、ダウスタラニスを探してみる。すると暗黒竜は、突如現れた暴風竜アイレ・ストルムの妨害によって足止めを喰らっていた。
 アルンが剣をガ・シャンブリに向ける。
「これは一体どういう状況だ。貴様はこれから何をする気だ」
 鼻で笑ったガ・シャンブリが、さらにアルマグエラの妨害を強める。
「無礼な竜騎士め。私は正義を執行するため、戦竜と暗黒竜に粛清をしなければならない。貴様も正義を掲げるならば、邪魔はするな」
「ふっ、お前こそ邪魔はするなよ? あと、私はそんな大層なものは掲げていないさ」
 剣の向きを変えたアルンと私に、復帰したセメレーさんが回復を行う。流石に完治はしてくれないけど、なんとか手足は動かせる。
 アイレの妨害を乗り越えて、突進してくるダウスタラニス。気付いて全員回避し、混戦の準備を整える。
 ――見えてきた、希望――!
 私はセメレーさんに目を向け、頷く。相手も同じように返したのを確認し、思いを合わせた。
「「セレスティアルレイン!」」
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登場人物紹介

レクシア 

物語の主人公、語り手。神の事象顕現、竜の異能の双方の力を持った魔法を扱う蒼竜騎士。特殊な境遇から自分の種族が簡単に説明出来ないため、混血種族の代表たる人間として、異種族交流問題に積極的に関わっていく。

アルン

レクシアと共に旅をする、もう一人の主人公。自身の竜鱗を使った剣から炎を出して戦う赤竜騎士。実際は竜族だが、外見を竜人に変え、興味のある人間達に竜の文化で交流していく。

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