【1】行動の理由
文字数 3,259文字
背中を向けて伸ばされた両手。私とアルンはその手を片方づつ握ると、フードの子は首だけこちらに振り向いて笑みを向けた。落下の風圧でフードが外れ、いつか見た青の角が見えた。
「イオラさん……」
「こっちです!」
私が名を呼ぶ間にも、落下は続く。イオラさんは空気を蹴るようにして空中で方向転換して跳んだ。
「へぇ、闘気で作った足場か」
アルンが関心気味に言って、イオラさんが踏んだ空気と同じ場所を蹴って続く。私は二人に引っ張られたままだったが、二歩目のステップは真似して跳べた。
そんな空中走行をしばらく続けて、毒霧の濃いノルキンガムの領空を超え、ネーデルラントの街に降り立つ事に成功した。
「ふぅ」
私達から手を離し、一息ついて服装を整えたイオラさん。また角や尻尾が見えなくなってしまった。
「ありがとうイオラさん。どうして私達の場所が分かったの?」
聞くと、イオラさんは微笑んで小さく口を開いた。
「あんなに高くなった塔で派手にやってたら、外にいる人は誰でも気付きますよ。竜鱗を纏い、聖なる大翼で飛び立つ蒼き火竜。あんなの、召喚された災悪と同じくらい忘れられません」
外から見れば、私達の連携は一体の大きな竜に見えるようだ。まあ、イリオスから受け継いだ力を私のイメージで顕現すれば、そう見えた方がむしろ成功なんだろうけど。
アルンが鎧から熱を放出する。憑依が剥がれるかのように、黒鎧が外に向かって変質。普段の赤の竜鱗鎧の姿に戻り、口から火を吹いてから話した。
「最初は私をあのまま落としに来たのかと思ったぞ。それとも真剣勝負を望むか?」
私はアルンが何を言っているのか分からなかった。イオラさんは首を横に振った。
「戦う気なんて無いですよ。確かにあれから、身を守るために剣は練習しました。しかし、それは降ってきた剣と同じ物を持つアルンさんに恨みを持ったわけじゃないです」
なるほど、アルンは自分と同じ剣でイオラさんを危険な目に遭わせた事に責任を感じていたんだ。私としては、アルンが考えすぎる事は無いと思っていたんだけど。
「剣を練習したのに、戦ってくれないのか? それは残念だな。気が向いたらいつでもやろう」
――そう言って笑うアルンを見ていると、真意が読めない。ただ戦いたいだけかもしれない。
そうして話していると、二人の少年少女がこちらに歩いてきた。見覚えがある二人だ。
「なんとかなったな、トネルム、イオラ姉さん」
「弾いて傷つけるだけの力と思ってたけど……この世界なら使い道はある、のかな」
イオラさんが、龍麗君とトネルムちゃんの身長に合わせて膝を曲げ、頭を撫でた。トネルムちゃんの静電気を受けて片腕が痙攣してたけど、笑っていた。
「我慢してるの、分かりますよ……あたしには、触らない方がいい……」
トネルムちゃんが悲痛な小声を発する。まだ電撃の改善には至っていないようで、一歩間違えると彼女を傷つける事になるだろう。
「自分だけの力なんですから、誇ってください。闘気障壁の床と静電気の接着、土壇場だったけど上手く出来ました。ありがとうございます」
イオラさんは笑みを崩さず、子供達を優しく褒めていた。
「二人とも久しぶり、こっちの国に来てたんだね。イオラさんとは知り合いだったんだ?」
私が軽く手を振って再会を喜ぶ。龍麗君はこちらを見ると礼儀正しく会釈した。
「イオラ姉さんとはつい最近街で会ったばかり。レクシアさん達が別の国で大変な事になってるのが分かって、姉さんに案内してもらったんだ」
イオラさんは旅人だそうで、私達と会ってから龍麗君達の街に行って、その後色々あって戻ってきたという事だそう。
トネルムちゃんは私を見上げて、小さく拳を握った。
「行く先々で事件に遭って、身を危険に晒して……そうまでしてやりたい人助けって、一体何なんですか……ちょっと、心配で……」
彼女の言いたい事は、分からなくもない。だけど、私自身で自分の気持ちを振り返ると、人のためだけに動いているわけじゃないと気付いてきた。
心配してくれる女の子を真っ直ぐ見る。杖を立て、左手を胸の前に当てる。
「私は、自分のために動いてるんだと思う。お父さんの教えを守る子でいたいって思うから。見て見ぬふりをしたら、そんな自分が嫌になるし。今この国で頑張ってたのも、未熟な私のせいで苦しんでる神様や、その不在で苦しむ人達のためだよ。ただの、罪の意識だよ」
最初は堂々と言えた。しかし途中から、未だにセメレーさんを助けられていない事、守りたかった自然は毒に侵されている事、自分だけのうのうとこの場に立っている事の罪悪感で、表情も声も沈んでしまっていた。
そんなに弱音は吐けない。私も子供だけど――子供達の前だから。そして自分の未熟を嘆くなら、それに費やす時間で戦い続けろ。全てが解決するまで立ち止まるな。アルンなら、きっとそう言うだろうから。そんな風に自分に言い聞かせて、強い意思を持とうと思った。
でも。
ふと横目で見たアルンの表情は、普段の勢いは少し薄れていて。
「また私に言わずに、そんな責任を感じていたのか。聖域の森からこの国に向かうあたりの時期から言えた事だろう……せっかく私がいるんだ。お前は弱いんだから、もっと前みたいに私にぶつけろ。その責任、半分くらいは背負わせろ。――私は信頼出来ないか?」
言われてはっとした。アルンが考えて悩む問題じゃないと思って、迷惑をかけないように、自分の心中にだけ考えを留めているなんて、以前の私はしていなかったかもしれない。
私は全力で首を横に振る。
「信頼してるよ! でも、そう感じさせちゃったって事だよね。ごめん」
そう言って俯くと、すぐにアルンに額を掴まれ、顔を上げさせられる。そうして頭を撫でるアルンはの顔は、微笑んでいた。
「今後そうしてくれればいいだけだ、落ち込むな。――それに、レクシアが私の事を考えた上でそうしたって事くらいは、分かるからな。判断の理由、思考の根本を否定する事は出来ない。それはお前の美点でもあるから」
髪から伝わる、アルンの手の優しい熱を感じる。そんな中で、言葉を沁み込ませてくる。
「……うん」
本当、アルンには敵わない。一言、相槌のように貧弱な返答しか出来なかった。
イオラさんが近くに歩いてきて、状況を再確認した。いけない、今さっきまでアルンしか見えてなかった。恥ずかしい。
「詳しい事は分かりませんけど、国の人々が苦しんでいるのは、レクシアさんが悪いなんて事無いと思いますよ。自分で毒を撒いた、ってわけじゃないんでしょう?」
アルンが頷いて、続けた。
「ああ。さらに女神の不在も、レクシアではなく、攫ったガ・シャンブリが悪いのは当然だ。しかもこのレクシアの考えが成立してしまうなら、同じ場に居合わせて水に沈んだだけの私の方が、よっぽど責められるべきだろう」
うーん、その通りだ。客観的に見れていなかった。やっぱり抱え込みすぎたかもしれない。
トネルムちゃんがイオラさんの隣まで歩いてきて、私を見上げた。
「そんなに自分を、悪く言わないでください。例え自分のためだったとしても、人の為に動けるって凄い事だと……思います。人を傷つけないために、動かない事を、関わらない事を続けていたあたしとは、まるで真逆で……だ、だから……!」
続く言葉は出されなかったけど。なんとなく、元気出して、みたいな感じで受け取る事にした。
強くあろうと思ってたのに、やっぱり私はまだ弱かった。けどこうして、助けてくれる人がいる。焦って一人で苦しんでないで、いつか強くなれる時まで、アルン達に助けて貰おうか、なんて、甘い事を考えてしまう。
また、謝りそうになった。違う違う。今言うべき言葉は――
「みんな……ありがとう」
他の誰でもなく、自分自身が与えていた苦しみ。その棘を引き抜くと、世界の見え方はだいぶ違っていた。
斬り裂かれ、背中で痛ましく垂れていた聖なる翼。それは最後に強く輝いて消滅し、残された蒼竜の羽は髪飾りの一部となった。
「イオラさん……」
「こっちです!」
私が名を呼ぶ間にも、落下は続く。イオラさんは空気を蹴るようにして空中で方向転換して跳んだ。
「へぇ、闘気で作った足場か」
アルンが関心気味に言って、イオラさんが踏んだ空気と同じ場所を蹴って続く。私は二人に引っ張られたままだったが、二歩目のステップは真似して跳べた。
そんな空中走行をしばらく続けて、毒霧の濃いノルキンガムの領空を超え、ネーデルラントの街に降り立つ事に成功した。
「ふぅ」
私達から手を離し、一息ついて服装を整えたイオラさん。また角や尻尾が見えなくなってしまった。
「ありがとうイオラさん。どうして私達の場所が分かったの?」
聞くと、イオラさんは微笑んで小さく口を開いた。
「あんなに高くなった塔で派手にやってたら、外にいる人は誰でも気付きますよ。竜鱗を纏い、聖なる大翼で飛び立つ蒼き火竜。あんなの、召喚された災悪と同じくらい忘れられません」
外から見れば、私達の連携は一体の大きな竜に見えるようだ。まあ、イリオスから受け継いだ力を私のイメージで顕現すれば、そう見えた方がむしろ成功なんだろうけど。
アルンが鎧から熱を放出する。憑依が剥がれるかのように、黒鎧が外に向かって変質。普段の赤の竜鱗鎧の姿に戻り、口から火を吹いてから話した。
「最初は私をあのまま落としに来たのかと思ったぞ。それとも真剣勝負を望むか?」
私はアルンが何を言っているのか分からなかった。イオラさんは首を横に振った。
「戦う気なんて無いですよ。確かにあれから、身を守るために剣は練習しました。しかし、それは降ってきた剣と同じ物を持つアルンさんに恨みを持ったわけじゃないです」
なるほど、アルンは自分と同じ剣でイオラさんを危険な目に遭わせた事に責任を感じていたんだ。私としては、アルンが考えすぎる事は無いと思っていたんだけど。
「剣を練習したのに、戦ってくれないのか? それは残念だな。気が向いたらいつでもやろう」
――そう言って笑うアルンを見ていると、真意が読めない。ただ戦いたいだけかもしれない。
そうして話していると、二人の少年少女がこちらに歩いてきた。見覚えがある二人だ。
「なんとかなったな、トネルム、イオラ姉さん」
「弾いて傷つけるだけの力と思ってたけど……この世界なら使い道はある、のかな」
イオラさんが、龍麗君とトネルムちゃんの身長に合わせて膝を曲げ、頭を撫でた。トネルムちゃんの静電気を受けて片腕が痙攣してたけど、笑っていた。
「我慢してるの、分かりますよ……あたしには、触らない方がいい……」
トネルムちゃんが悲痛な小声を発する。まだ電撃の改善には至っていないようで、一歩間違えると彼女を傷つける事になるだろう。
「自分だけの力なんですから、誇ってください。闘気障壁の床と静電気の接着、土壇場だったけど上手く出来ました。ありがとうございます」
イオラさんは笑みを崩さず、子供達を優しく褒めていた。
「二人とも久しぶり、こっちの国に来てたんだね。イオラさんとは知り合いだったんだ?」
私が軽く手を振って再会を喜ぶ。龍麗君はこちらを見ると礼儀正しく会釈した。
「イオラ姉さんとはつい最近街で会ったばかり。レクシアさん達が別の国で大変な事になってるのが分かって、姉さんに案内してもらったんだ」
イオラさんは旅人だそうで、私達と会ってから龍麗君達の街に行って、その後色々あって戻ってきたという事だそう。
トネルムちゃんは私を見上げて、小さく拳を握った。
「行く先々で事件に遭って、身を危険に晒して……そうまでしてやりたい人助けって、一体何なんですか……ちょっと、心配で……」
彼女の言いたい事は、分からなくもない。だけど、私自身で自分の気持ちを振り返ると、人のためだけに動いているわけじゃないと気付いてきた。
心配してくれる女の子を真っ直ぐ見る。杖を立て、左手を胸の前に当てる。
「私は、自分のために動いてるんだと思う。お父さんの教えを守る子でいたいって思うから。見て見ぬふりをしたら、そんな自分が嫌になるし。今この国で頑張ってたのも、未熟な私のせいで苦しんでる神様や、その不在で苦しむ人達のためだよ。ただの、罪の意識だよ」
最初は堂々と言えた。しかし途中から、未だにセメレーさんを助けられていない事、守りたかった自然は毒に侵されている事、自分だけのうのうとこの場に立っている事の罪悪感で、表情も声も沈んでしまっていた。
そんなに弱音は吐けない。私も子供だけど――子供達の前だから。そして自分の未熟を嘆くなら、それに費やす時間で戦い続けろ。全てが解決するまで立ち止まるな。アルンなら、きっとそう言うだろうから。そんな風に自分に言い聞かせて、強い意思を持とうと思った。
でも。
ふと横目で見たアルンの表情は、普段の勢いは少し薄れていて。
「また私に言わずに、そんな責任を感じていたのか。聖域の森からこの国に向かうあたりの時期から言えた事だろう……せっかく私がいるんだ。お前は弱いんだから、もっと前みたいに私にぶつけろ。その責任、半分くらいは背負わせろ。――私は信頼出来ないか?」
言われてはっとした。アルンが考えて悩む問題じゃないと思って、迷惑をかけないように、自分の心中にだけ考えを留めているなんて、以前の私はしていなかったかもしれない。
私は全力で首を横に振る。
「信頼してるよ! でも、そう感じさせちゃったって事だよね。ごめん」
そう言って俯くと、すぐにアルンに額を掴まれ、顔を上げさせられる。そうして頭を撫でるアルンはの顔は、微笑んでいた。
「今後そうしてくれればいいだけだ、落ち込むな。――それに、レクシアが私の事を考えた上でそうしたって事くらいは、分かるからな。判断の理由、思考の根本を否定する事は出来ない。それはお前の美点でもあるから」
髪から伝わる、アルンの手の優しい熱を感じる。そんな中で、言葉を沁み込ませてくる。
「……うん」
本当、アルンには敵わない。一言、相槌のように貧弱な返答しか出来なかった。
イオラさんが近くに歩いてきて、状況を再確認した。いけない、今さっきまでアルンしか見えてなかった。恥ずかしい。
「詳しい事は分かりませんけど、国の人々が苦しんでいるのは、レクシアさんが悪いなんて事無いと思いますよ。自分で毒を撒いた、ってわけじゃないんでしょう?」
アルンが頷いて、続けた。
「ああ。さらに女神の不在も、レクシアではなく、攫ったガ・シャンブリが悪いのは当然だ。しかもこのレクシアの考えが成立してしまうなら、同じ場に居合わせて水に沈んだだけの私の方が、よっぽど責められるべきだろう」
うーん、その通りだ。客観的に見れていなかった。やっぱり抱え込みすぎたかもしれない。
トネルムちゃんがイオラさんの隣まで歩いてきて、私を見上げた。
「そんなに自分を、悪く言わないでください。例え自分のためだったとしても、人の為に動けるって凄い事だと……思います。人を傷つけないために、動かない事を、関わらない事を続けていたあたしとは、まるで真逆で……だ、だから……!」
続く言葉は出されなかったけど。なんとなく、元気出して、みたいな感じで受け取る事にした。
強くあろうと思ってたのに、やっぱり私はまだ弱かった。けどこうして、助けてくれる人がいる。焦って一人で苦しんでないで、いつか強くなれる時まで、アルン達に助けて貰おうか、なんて、甘い事を考えてしまう。
また、謝りそうになった。違う違う。今言うべき言葉は――
「みんな……ありがとう」
他の誰でもなく、自分自身が与えていた苦しみ。その棘を引き抜くと、世界の見え方はだいぶ違っていた。
斬り裂かれ、背中で痛ましく垂れていた聖なる翼。それは最後に強く輝いて消滅し、残された蒼竜の羽は髪飾りの一部となった。