第1章 第3話

文字数 975文字

 恩師との再会は意外に早く訪れる。コイツら地元密着人間なので、実に『話が早い』。先日の話から数日後の、金曜日の夜には先生を『居酒屋 しまだ』に連れて来ることになった、と健太から連絡が入る。

 そのせっかち振りは下町気質なのだが、それにしても早い。こちらはまだ心の準備ができていないと言うのに…

 あっという間にその金曜日は訪れる。心の準備はやはり間に合わなかった。楽しみよりも怖さの方がやはり大きい。

 定時に仕事を終え、急ぎ足で店に向かう。何年ぶりだろう。約三十年ぶりになるのか。俺は先生に胸を張れる人生を過ごして来ただろうか。否。なまじあの頃は出来が良く優等生だった俺のこの凋落ぶりに、先生をガッカリさせてしまうのがとても残念だ。

「おう軍司。お前はその能力を必ず世の中の為に使え。神様はその為にお前にその能力を与えたんだからな」

 今でもよく覚えている。卒業式の後の先生の『贈ってくれた言葉』だ。
 俺は先生の期待とは違う自分本位な生き方を選んでしまった。国立大学を卒業後、大手銀行で出世の虜となり、先輩、同期を叩き落とし、後輩を足蹴にし。家庭を持つも、妻子を顧みず仕事仕事、時々オンナ。支店長となりこれから更なる高みへ、という時に妻の急逝、小指訴訟問題、そして非上場の小さな会社への転籍。

 どんな顔で先生に会えば良いのだろうか。こんな俺を先生は許してくれるのだろうか。それとも昔のように真剣に叱ってくれるのだろうか…

 店の前に立つ。中から昔懐かしい先生の声が聞こえてくる。暖簾をくぐる勇気がない。笑い声が聞こえてくる。その中に加わる荒肝がない。どうしても足が前に進まない。あれ程期待してくれた先生の落胆する顔が見たくない。

 踵を返そうとしたその時、肩に温もりを感じる。
「どした? 中入ろうぜ、一緒に」
 金色のポニーテール。白のTシャツ。細身のジーンズ。そして、いつもの真っ直ぐな瞳。肩に置かれた手から、そしてこの瞳から温かい力が俺に伝わってくる。今までの俺に無かったもの、そしてずっと欲しかったもの。

「ああ。行こうか、一緒に…」

「おっ! キングとクイーン、同伴かっ」
「ヒュー、ヒュー」
「ビミョーにお似合いだぞっ」

 そんな冷やかしの声の中、中肉中背の、あの頃と変わらない先生がスッと立ち上がる。

「軍司? 軍司か。それに… 島田!」

 周りの声が鎮まっていく。
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