第4章 第6話

文字数 2,925文字

 バスが東北道に入る頃には、あちこちから鼾が聞こえてくる。先生は大口を開けて安らかな眠りについている。あ、大丈夫、生きてる。ちゃんと。

 色々なことがあり過ぎて、とても出発してからまだ丸一日経過したとは思えない、濃密な時間を過ごしている気がする。

 この旅行で自覚したこと。

 俺は大昔の中学生時代から、パワハラ体質であったこと。あの頃から悪ガキどもを怒鳴り散らし、銀行員時代も役立たずの後輩や寝言を言ってくる顧客に怒鳴りまくっていた。あ、今の会社ではそんなことないよ。今の所ね。

 俺はあの頃、ちっとも周りを見てこなかったこと。まさかあの(出来の悪い方の)健太がクイーンに恋心を持っていたとは。今朝の今朝まで全く気づかず、知らなかった。きっと今でも仄かな淡い気持ちをクイーンに対して持っているのだろう、これからは十分気をつけて行こう。

 それに加えて。まさか、まさかのクイーンがかつて俺に惚れていたことを全く知らなかったこと。なんと周囲の奴らは全員知っていたらしい、知らぬは仏と俺ばかり、なのであった。あの頃の俺は、どんだけ自己中心的な思考回路しか有していなかったのか。

 そして、今回最も悟ったこと。

 俺が今、どれほど深くクイーンに惚れているか、と言うこと。どれだけ反社会的言動を行うも、どれ程暴力的かつ子どもじみていようとも、彼女の喜ぶ顔、姿、そして美声を見聞きするだけでここまでの苦労は全て吹き飛び、胸いっぱいにじわっと温かい炭火が満ちていくのだ。真夏だけに若干暑苦しいが、それでも数十年ぶりの確固とした恋心。

 それにしてもタイムギャップが凄すぎる、35年ほど前に好かれていた相手を今好きになる、相手はきっと、いや間違いなく、遅いよ遅過ぎ、と大笑いすることだろう。なので当分は言わないでおこうと決心する。

 ふと視線を感じ後ろを振り返ると、クイーンと目が合う。目で合図し、俺の横の席に誘う。満足そうな顔で俺の隣にチョンと座る。その顔が、その仕草が一々愛おしい。心が温まる。
 ふと、昨夜のもう一つの話が気になって、周りを眺めると皆爆睡中。丁度良い機会なので聞いておこうと思い、

「なあ、クイーン」
「ん?」
「あの時、お前が修学旅行来なかったのって、ひょっとして俺が原因なのか?」
 クイーンはギョッとした顔で斜め上を見上げ、
「あ、ああ… もう忘れた、そんな昔の話」
「嘘つけ。あれって、俺が…」
「………」
「俺がお前に、来るなって言ったのか?」

 クイーンが俺の目線を外す。俺越しに車窓を遠く眺めている。どれぐらい黙り込んだだろう。やがて意を決したように、徐に呟き始める。
「…『髪』…」
「ああ、お前、黒く染めたんだったよな、髪」
「うん… で、『髪は黒くなったが、お前が来ると』…」
「えっ…?」
「『お前が来ると、皆が迷惑するから来るな』って…」

 ちょっと待てよ… そんな傲慢かつ非道なことを俺が?
「そんな… 俺は… なんてことを… 取り返しのつかないことを…」
 思わず頭を抱えてしまう。吐き気を催す。自分を、あの頃の過去の自分を怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
「でもー。まあ、そうだよなあ、アタシが行ってたら他の学校と揉めたりしてな… あー、結局揉めたんだわな、ギャハハ」
「……」
「ま、仕方ねえよ。アンタ生徒会長だったし。アタシが行かなかったから、そこそこ大人しかったろ、みんな…」

「なんてことを…」
 してしまったのか。俺は髪をくしゃくしゃにかき乱す。当時十五才とはいえ、たとえ生徒会長だったといえ、生徒一人の一生の思い出を潰すなど、なんてことを俺はして、そして平気でいられたのだろうか。そして、そんな人としてあり得ないことをしておきながら、すっかり忘れてしまっているなんて…

 自分の本性の浅ましさ、卑しさに本当に吐き気を催してくる。俺は目の前の女性の少女時代の貴重な体験、思い出を奪っておきながら、この歳になって恋心を持つという身勝手さ、図々しさに、走行中のバスから飛び降りたくなる。

 そして。そんな思いをさせた俺をどうして彼女は恨まないのだろうか。どうしてこうも優しく接してくれるのだろうか。

「あん時さあ。マジでアンタに… 惚れてて… だから、貴方の言うことなら何でも… それで貴方が救われるなら…」

 もはや彼女のモード変更を突っ込む余裕もなく、
「何であの時、そう言ってくれなかったんだよ?」
 クイーンは俺の目を寂しそうに見つめながら、
「言ったら、聞いてくれた? 私のこと相手にしてくれた? 付き合ってくれた?」
「いや… それは…」
「でしょう。貴方みたいなスポーツ万能の優等生が、私みたいな社会のクズと付き合うはずないわよね…」
「……お、俺…」
「初恋ってヤツ。っかーーー、恥ずかしいっつーの」

 キャラが戻ってきた。俺は恐る恐る彼女の目を覗き込み、
「…俺、オマエに何て詫びれば…」
「詫び? そんなん要らねえよ。だって…」
「だって?」
 これまで見た中で、一番幸せそうな表情で、
「こうして今、一緒にいられてるじゃない」
「……」
「私の願い、叶っているし…」

 クイーンの嬉しそうな真っ直ぐな視線が眩しい。そこに嘘偽りは微塵も見られない。彼女は本当に今、俺と再会しこうして出かけたり飯食ったり飲んだりしているのが、嬉しいと言ってくれているのだ。

 余りの眩しさに目が眩みそうだ。もうこれ以上、あれこれ考えるのはよそう。過去の事を反省し悔やむよりも、明日の事を共に考え楽しく過ごしていこう。
明日の事、これからの事… それってつまり、これから俺たちは真剣に付き合うってこと?

 ちょっと待て。ちょ、待て。
 クイーンも今、俺のことを?

 嘘だろう、あれから数十年経つのだぞ、それでも俺のことを?
「お前、俺のこと…」
 聞こうとすると、クイーンは既に夢の中。眠れる森の美魔女である。閉じた口角が少し上がり、穏やかで幸せそうな寝顔。俺の肩に寄りかかり、静かな寝息を規則正しく繰り返している。
俺は彼女の左手をそっと握る。すると無意識的にギュッと握り返してくる。

 そんな些細なことで、俺は耳まで赤くなってしまう。

 この旅行を企画し参加し、本当に良かった。ひょっとしたら今後の俺の人生を大きく変えてしまう旅行だったのかも知れない。今後の彼女の人生も大きく変えてしまう旅行だったのかも知れない。俺と彼女だけでなく、それぞれの家族や友人達まで、大きく変えてしまう旅行であったのかも知れない、この『修学旅行』は。

 肩に乗っかっている彼女の頭にそっと口づけをする。先月からか、紙巻きタバコをやめて電子タバコにしてから、ヤニ臭さがなくなっている。彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、目の眩むほどの喜びと幸せが胸に頭に満ちてくる。

 真剣に考えよう。
 コイツとのこれからの人生を。

 コイツと歩む、これからの人生のロードマップを少しずつ描いていこう。
 取り敢えず、今夜にでも『居酒屋 しまだ』で告白するか。葵風に言うなら、『告る』か。あっさり断られたりしてな、だが俺たち昭和のバブル男はしつこいのだ、いいよと言うまで、何度でもアタックしてやるからな、覚えておけよ。

 ふと尿意を覚えた時、バスは丁度休憩のため蓮田SAに入る。
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