第4章 第14話

文字数 1,639文字

 騒がしい二人が出てゆくと急に病室が静かになる。椅子を引き寄せそれに座り、クイーンがベッドに頬杖をつく。二人きりで向かい合いこんなに顔が近い距離は初めてかもしれない。

 首を固定されているので俺は彼女を見つめることができない。だがその時折りつく溜め息から、彼女の不安を感じ取ることができる。

「で。俺の足、何だって?」
「ん、複雑骨折。靭帯も切れてるかもって。東京戻ったらでっかい病院で再手術」
「そか。もう走れないかもな」
「ん。医者、その可能性もあるって言ってた」
「一生、びっこかもな」
「ん。それも言ってた」
「ははは… 情けない。それより、お前は怪我とか無かったか?」
「大丈夫。ここ擦りむいただけ」

 そう言って絆創膏が貼られた左の肘を俺に見せる。
「そか。なら良かった」
「ん」
「……」

 それからしばらくの間俺は天井を見続ける。目の前で轢き殺されそうだった彼女を擦り傷程度で救えた。その代わり左足の自由を失った。以前の俺なら左足の不自由を悲しみ恨んだことだろう。なんなら怒鳴り散らしモノを放り投げたりしていたかも知れない。

 だが今は違う。愛する女が生きていること。側にいてくれること。この喜びを凌駕する自身の不幸は考えられない。
 ただ少し不安なのが、光子が己の責任を感じ過ぎること。そしてそれを全力で背負ってしまうこと。放っておくと『アタシの左足を移植してくれ』とか平気で言い出しそうだ。

「あの、さ…」
「何?」
「許せねえよな、アタシのこと」
 ほら来た。

「ああ。絶対許さない」
「ごめん… ごめんなさい… アタシ、どうやって償えば?」
 大粒の涙をポロポロこぼしながら、俺の左腕を両手で握りしめての全力謝罪だ。痛えっつうの。
「おい。俺がお前の何を許さねえか、わかってるか?」
「…もう、走れねえこと?」
「違う。」
「じゃあ、一生びっこ引いて歩くこと?」
「違ーう」
「ヒック。ええと、心臓マッサージの時に途中で回数わからんくなったこと?」
「そ、そうなのか… でも違――う」
「そ、そんじゃあ、職員室の壁に貼ってあった修学旅行の写真、アンタの写ってるやつギッたこと?」
「何十年前の話だよ… 全くもって違―――う」
「わかんねえよ、ヒック、アタシ馬鹿だからわかんねえよ…」
「知ってる。だから、今から答えを言う」
「お、おう…」
「お前が俺の目の前から、消えそうになったこと」
「え……?」

 彼女が俺の顔を覗き込む。泣き腫らした赤い目力は非常に弱々しい…
「だから。お前が自分勝手に俺より先に死にそうになったこと。絶対、許さない」
 下唇を噛みながら、
「ご、ごめんなさい…」
「もし逆の立場だったらどう思うよ? 俺がお前の目の前で死にかけたら?」
「即、アタシも死ぬ」
「おい。死ぬな」
「お、おう」

 俺はゆっくりと大きく息を吐き出しながら、
「もう二度と… あんなことすんな。お陰で天国行きかけたじゃねーか」
「ヒック。ヒック…」
「死んだ女房に… 里子に会ってきたわ…」
「ヒック…」
「里子が、こっち来んなって。お袋とさ、葵とさ、」
「…ん?」
「オマエのために、こっち来んなって。帰れって。ここに」

 彼女は怯えたような顔で、
「…… アンタ…」
「ん?」
「頭、おかしくなったのか? 頭打ってバカになったんか、やっぱ…」
「へ? な、なんてこと言うんだよ怪我人に…」
「だってよ、そんなこと言うわけねーだろ… アンタの… 奥さんが… アタシなんかのために… なんて…」

 鼻水を垂らしながら吐き捨てるように言うクイーンに、
「だから、戻ってきたんだって」
「…え?」
「オマエのために、戻ってきたんだって」
「……」
 頭に思いっきりはてなマークが浮かんでいやがる。俺の話を全く理解していないな。
「クイー… いや、光子」
「は、はい…?」
「中学生の時は、ゴメンな。オマエの気持ちに気づけなくて」
 彼女は苦笑いし、大きく手を振り
「それ… そんな昔のこと… いいって… 全然…」
「そんでさ、スッゲー、今更何だけどさ…」
「ん?」

「側に居てくんね? この先… ずっと」
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