第2章 第1話

文字数 2,255文字

 定時をちょっと過ぎた頃、俺は席を立ち山本くんの席へ行き、
「さ、そろそろ行こうか」
 と声がけをすると、周りの女子社員達が、俺を愛する妹を刺し殺した凶悪犯のように睨み付ける。それ以外の男子社員達は「珍しい組み合わせっすね」と思っているようだ。

「へへ。部長、これから専務に行きつけの人気の飲み屋に連れて行ってもらうんっす。えへへ」
 企画部長の迫田はへえと頷き、
「専務、次の企画の作戦会議ですか? また頼みますよ、凄いやつ」
 と容赦無くプレッシャーをかけてくるので、
「違う違う、彼に失礼な物言いをしてしまったお詫びの酒だよ。あ、迫田くんも一緒にどうだい?」

 ギョッとした迫田の顔が面白い、葵風に言えば、ウケるー、である。
「あ… いや… ぜひ、また今度…」
 正直、ぜひ一緒にと言われても困るので、
「ああ。また誘うな、それじゃお先に」
 と言って山本くんと社を出た。

 地下鉄有楽町駅までの道すがら。
「全く専務、誘う相手間違ってますって。村上さんとか田所さん? 女子社員を誘わなくっちゃ。専務は彼女達と上手くいってないんですから、もっと積極的にコミュニケーションを取らなきゃダメですよ」

 と説教されてしまう。こいつ分かってんだか分かってないんだか、微妙な奴だな。
 俺は前職のあらぬ噂(まあ、半分は当たっているのだが)を信じ切って、俺を徹底的に無視しているこの会社の女子社員達と、無理矢理仲良くなろうなどと微塵も思っていないし、その気持ちも全くない。

 こっちが指示した仕事はそこそこやってくれるし、出されるお茶にゴキブリや蜘蛛の死骸が入っていたこともない。前職での俺のやらかしを弁明する気もないし、理解して欲しいとも思わない。そう、今の状態のままでも仕事は走るし業務に差し支えることは何もない。
 
 それを彼に伝える気もないのだが、あまりにしつこく女子社員と仲良くしろしろとうるさいので、
「実はさ、今付き合っている彼女が、会社の若い女子に嫉妬しててな。だからあまりこっちから積極的に仲良くできないんだよ」
「はあ? 専務らしくない。元天下のメガバンクの支店長を張ってらした方のお言葉とは思えない。何ですかその彼女? 仕事に口出すな、位言ってやりなさいな。あ、何なら僕が言いましょうか?」

 俺は腹筋が崩壊するほど痛くなり、
「そっか。実は今から行く店さ、俺の彼女の店なんだよ。じゃあ一つ、ビシッと言ってやってくれるかい? なんか済まないね、プライベートまで世話になっちゃってさ」
 山本くんはふんぞり帰って、
「任せてくださいよ、ビシッと言ってやりますよ、ビシッと!」

 家族以外の人を初めて『居酒屋 しまだ』に連れて行くが、今から彼がどうなってしまうのか、楽しみで仕方のない俺は、早歩きで門前仲町の駅の階段を駆け上がるのだった。

「へーーー 思っていたのと感じ違いますね」
『居酒屋 しまだ』の外見を眺めながら、彼はボソッと呟いた。
「ははは。どう思ってたのさ?」
「金光さんってもっとオシャレで高級な割烹とか料亭を行き着けにしているかと。こんなザ・居酒屋みたいな店とは思ってませんでしたよ」

『居酒屋 しまだ』の暖簾の前で実に大胆な発言だ。若さって恐ろしい… と思っていると後ろから殺気を感じたのでスッと横にズレる。
 山本くんの後ろ髪が鷲掴みにされ鋭利なナイフ… ではなく、家の鍵が彼の喉元にあてがわれる。

「悪かったな、オシャレじゃなくてただの居酒屋で。コロすぞ」
「ヒーーーーーーーー」

 彼は今まで聞いたことのない悲痛な叫び声を上げる。
「って、キング誰だコイツ?」
 鍵を喉にグリグリするのだから、山本くんは激しく咳き込む。

「会社の部下の山本くん。ほら、『あおば』とか持って来てくれた優秀な部下だよ」
「おーーーーー、よく来たなテメエ。そーかそーか、キングの部下、な。よしよし。入れ入れ、おーい忍ー、生三つ! 一つはアタシの奢りなー」

 首根っこを掴まれながら山本くんはクイーンに店内に拉致連行される。バックパッカーだった彼も、この様な恐怖体験は流石にあるまい。その姿はさながらアマミノクロウサギに咥えられたヤンバルクイナの様である。知らんけど。

「何何何ですかあの人… 僕、殺されそうになりましたよね、一体…」
 予約席、と言うかいつものカウンター席で彼は喉を押さえつつ慄いている。

「この店の主人、通称クイーンこと、島田光子。詳しくは『深川 クイーン』でググってみ」
「クイーンって… えーと。深川、クイーン。………」

 真剣にググりだす彼を放置し、
「忍ちゃーん。ビールお代わり二つねー」
「ほーい。いーなー修学旅行」
「一緒に来ればいいじゃん」
「いやあ、流石に中学も学年もチゲーから」

 え? そうなの? てっきり深川西中学校の二つか三つ下だと思っていた。
「そっか、忍ちゃん何中だったっけ?」
「東中っす。それにニコ下っすから。」

 なんだ。全然違う学校じゃん。東中は住宅地にあるから、我が西中よりも遥かにお行儀も良いし進学率も良かったものだ。
「そっか。そーいえば、忍ちゃんとクイーンって、どうやって知り合ったの?」
「へ? 話してなかったっけ? レディース一緒だったんすよ」
 女子限定暴走族、な。

「ああ、あの、何つったっけ、」

「深川メデューサ」

 突如ググっている山本くんが口を挟む。

「知れば知るほど… 恐ろしい女ですよ。何ですかこの事件、『お台場の乱』って…」
「何じゃそれ?」

 忍は懐かしげな表情で
「それそれ。その事件以来っすかねえ、アタシと姐さんの付き合いは……」
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