ひとりの時間

文字数 1,427文字

おひとりさま。
この言葉、多用されるようになりましたね。

その意味は、一人時間を楽しむ傾向にある方や、特定のパートナーはいない方というのが一般的でしょうか。
一人でも行ける焼肉、カラオケ、カフェ。充実していますね。

それはそれで良いとして、なぜ「おひとり」と「そうでない」区分けをするのか、不思議なんですよね。

また出くわしました、ゆうりの疑問のツボにハマってくれる現象。考えすぎとも言いますが。へへへ。

今回は「おひとりさま」について掘り下げます。

***

単純に仕分けてしまえば、市場的需要があるから在る概念でしょう。
個人的には十月のハロウィンに同じ。いつの間にかそこにあって、馴染んでいるかんじ。必要に応じて(かぼちゃ味のプリンなど)楽しみ、進んでのめり込むことはない。……まあ、とある過去に職業柄盛り上げ役の立場にいたこともありますが、それもまたいい思い出。

さて、話を戻して。

一人でいるのも、誰かといるのも、選択の自由だと思います。
どちらの状態が気楽でいられるかは個人個人で感覚が違いますし、どちらか一方にメリットが集中しているものでもないはずです。

おひとりさま向け商品やサービスもありがたいことです(例:プチッと鍋。発明した人天才ですよねだって以下省略)。選択肢が多いことは、消費者目線ではありがたい。

私が気になるのは、たまに見かける「おひとりで寂しくないのか」、そういった視線です。
「残念な人なんだな」、そういった空気感です。


多くの大人は、二人の時間や、大勢の楽しみを、知っているでしょう。
一人でいるのは、自分の時間を自分で充実させたいからではないでしょうか。

おひとりさま上手は、自分の楽しませ方を知っている人。
緩ませたり、満たしたり、笑わせたり、静かに目を閉じたり。今のバランスに合わせて好きなものを取り入れ、または流し出す。

自然と、感情のコントロールや周囲との距離の取り方がお手のものではないかな。
私にはそう見えます。

もちろん全て一人で完璧にこなすのは難易度エベレスト級。だから、周りに人がいるんじゃないのかな。実際に隣に居なくとも、SNSの向こうの友達だったり、憧れの人だったり、推しだったり、本の中の一節だったり。様々な形で、味方がいます。



人を幸せするには、まず自分を幸せにすることから。
よくこんなフレーズを目にします。
最近は、その通りかもしれないと思う私がいます。

気を配ることと、自己犠牲は別物です。
「私は楽しい。あなたは?」と「私はともかく、あなたは楽しい?」は響きが違う感じがしませんか。

どちらも相手を重んじる気持ちは伝わりますが、前者の方が余裕があって、お相手もきっと、本音で答えられる。

遠慮と手を繋いだ自己犠牲は、お相手との間に分厚い壁を作る。そのきらいがある。
(……ということを実は身を持って学んだことは秘密。ふふ)

気を配るとは、相手がいることで、つまり二人分(或いはそれ以上)の思いやりエネルギーが要るので、余裕が必要。余裕とは、ニュートラルな状態。グラグラ、ボロボロ、せかせかやファイト一発でない(崖っぷちでないという意味)状態、それはきっと穏やかで幸せ。

人を幸せするには、まず自分を幸せにすることから。
それを叶えるのは、一人の時間の充実度。
たぶんね。


(状況によっては、一人の時間を持ちにくいですという方もいらっしゃるかもしれませんね。ですがごめんなさい、その状況下の心境は推測の域を出ないため、意見や提案は割愛させていただきます)


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