09

文字数 1,167文字

 運ばれてきて味わうのも束の間、二人はあっという間に、それなりの量があったはずの定食を全て食べてしまった。空腹の男子学生がご飯を食べ終えるのはそれこそ瞬間的だ。少しの間水を飲んでゆっくりしてから、代金を支払って外に出る。
 扉を潜る際に「ごちそうさまでした」とおばあちゃんに告げると、彼女は笑顔で「またいつでもどうぞ」と穏やかに返してくれた。
「あー、腹いっぱいだわ。あの量であの値段は本当にありがたい」
「だな。奏、連れてきてくれてありがと」
「いーえー。こちらこそ付き合ってくれてありがとな。また絶対行くわ。後でリョウさんにTwitterでお礼言おう」
「あ、そのアーティストの人? ってかアーティストにそんな気軽に話しにいけるもんなの? 俺そんなイメージ全くないんだけど」
「そうそう。んー、かなり有名になった人だとリプ送るだけで精いっぱいだけど、あ、リプ自体は割と見てくれてるみたいなんだけどね。比較的最近になって活動始めた人とか、これから活躍が大きくなっていきそうな人とかだとリプ送ったら反応くれることもしばしばあるんだよ。リョウさんはほぼ毎回返事くれる」
「へぇ……凄ぇなそれ」
「裕海が思ってる以上に、バンドとかシンガーソングライターとかってたくさんいるんだぞ。隙あらば布教したい」
「普段何事においても飄々としている奏から“布教”って言葉が出てくると、なんかそのギャップが面白いわ」
 音楽の話をしている時の奏はとても楽しそうで、裕海は思わず横でクスリと笑ってしまう。歩いているうちに、今までの数十分間遠ざかっていた賑やかさが段々と戻ってきた。「そろそろ食堂空いてきてるはずだし、続きは戻って話すか」と奏が言うので、裕海はそれに頷いた。
「……――っ、」
 頷いてからふと顔をあげたその時に目に入ったものを捉えた瞬間、裕海の足は停止してしまった。それは『テレビで話題のボーカル&ダンスユニット、ついにデビュー!』と謳われた宣伝の看板だった。男女が二人ずつ交互に並び、お揃いの衣装を着て、正面を向いて笑っている。裕海が特に目を離せなくなっていたのは、端の方にいた男子だった。
 ――そうか。あぁ、こんなところで見てしまったなぁ……。
「……裕海? どうかした?」
 名前を呼ばれ、ハッとする。慌てて声の方向を見ると、怪訝そうな顔をした奏が裕海より前の位置からこちらを振り返っていた。裕海が立ち止まっていることに気付かずに、少し先に歩いてしまっていたらしい。
「あ、ごめん。何でもない。行こうか」
 裕海は速足で奏の元へ駆け寄った。駅に戻る横断歩道を渡る時、奏は裕海が見ていた看板をちらりと見上げた。裕海がこれを見ていたのは分かっていたが、敢えて気付かないふりをしていたのだ。
 これを見上げていた時、奏が少しやるせない表情を浮かべたことを、裕海は知らない。
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