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文字数 1,089文字

「あ……そういや、昨日暁人に会いに行ったんだけど」
 居心地の悪い沈黙を破ろうとして裕海はなんとか喉の奥から言葉を引っ張り出す。ただ沈黙を破るだけなら、どうってことない意味のない一言だけでもよかった。何を言っても奏にはそういうものを流さずきちんと受け止めて返せる力はあるし、裕海もそれは十分に分かっていた。しかし、それを完全に破ろうとするには何か実体のあるような話題にするしかないと思ったのだ。
 要するに不安で、怖かったのだ。いつまでも自分の深奥部を誰かに触れられていることが。
「あー、そうか。昨日火曜日だもんな?」
「うん。なんか、暁人と同じくずっと入院してる同い歳の美希ちゃんっていう女の子と仲いいみたいでさ」
「ほぉ」
「ガールフレンドってからかってみたら、顔赤くして照れてやんの。あれ絶対好きなんだよな、美希ちゃんのこと」
「ははは! 小学生で既に恋してるとは中々やるなぁ暁人くんも」
 出会ったあの日と同じように笑っている奏を見て、裕海は思わず小さく息を吐いた。安心した。これ以上余計に奏を巻き込まなくて済むと思い直した。無駄に自分のことを他人に背負わせるような真似はしたくない。苦しいのは、自分だけでいい。
「また会いに行くのか?」
「うん。今週はもう行ったから来週になるけど」
「いや、毎週行くってだけでも結構凄ぇからな……」
「俺が暁人に会いたいだけだよ」
 暁人のことを話す時、裕海は控えめにだが必ず笑う。それを見て奏もまた、密かに安心していた。
 ――あぁ、よかった。こいつなんとか笑えてる。
 裕海が暁人に会いに行く理由のもう一つは彼と話している時が一番落ち着くからだ。大学でも家でも裕海が本当に落ち着ける場所はなかった。どこにいても慢性的に漂うぼんやりとした不安と不信感が、常に裕海の周りを覆っていた。
 しかし暁人と話している間だけは、裕海は素直に話せて素直に笑えている。それを自分でも分かっているから、裕海は暁人に会いに行っているのだ。
 そうして会いに行くようになってから、裕海は奏の前でも少しだけだが明るさを見せるようになった。怪我をしてから何もかもを失って抜け殻になってしまっている彼が、前のような表情を取り戻せる唯一の方法だった。いくら大抵は隣にいる奏でも、裕海を本当に笑わせることは出来なかった。
「そんな風に思われてる暁人くん、幸せだろうな」
「暁人が俺のこと慕ってくれるから、お前の言葉を借りるなら俺も幸せなんだよ」
 自分のことしか見えていない裕海と、逆に他人のことしか見えていない奏。
 本音を何気ない“日常”で被せて沈めた二人は、そうしていつも通りの会話を続けていく。
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