04

文字数 1,588文字

 金澤(かなさわ)裕海(ゆうみ)は、四年制の大学に通っている男子学生だ。普段は勿論大学に通っているわけだが、ほぼ週に一度はこの病院に、八歳の少年、福山(ふくやま)暁人(あきと)のお見舞いで訪れている。しかし裕海は一人っ子のため、彼は弟ではない。さらに言えば、例えば従兄弟のような血縁関係ですらない。
 それなのに何故、“他人”である裕海がそこまで頻繁に暁人のお見舞いに行くのかというと、その理由の一つには裕海の過去が関係していた。

 *

 裕海は二年前、大怪我とまではいかないがそれなりの程度の負傷によって、この病院に入院していたことがあった。その負傷した部分が足だったため、入院した当初は自力では歩くことが出来ない状態だった。暫くは車椅子での生活を余儀なくされていた。
 体を動かすことが好きな裕海にとって、自分の思うように動けないということはかなりのストレスと化した。やりたいことが出来ない恐ろしい空白のような時間が、自分のことを文字通りに襲ってくるような気さえした。そんな空虚をなんとかして埋めようと考えた結果、裕海は思い立って絵を描き始めた。
 それは元々、絵を描くのが好きだったこともあった。ただ、今までの描く頻度はそこまで日常的に何かを描いていたというほどでもなかった。そのため、思い立ったその時はかなり久々に絵を描くこととなった。そうして描き始めると段々と楽しくなっていき、過去に描いていた時以上にのめり込むようになっていった。
 しかしその後、脳裏に浮かんだイメージを紙に描き写すだけでは足りなくなってしまった。病棟の上方に位置する食堂へ車椅子で向かった。その食堂は壁の一方位だけ大きな窓ガラスとなっていてこの辺り一帯を眺望出来る。そこから中々な景色が見られることに定評があった。
 裕海はそこから見下ろした風景を写生するようになった。高校の選択科目で美術を選んでいたこともあって、写生するのは嫌いではなかった。しかし流石に一度の短い自由時間で全てを描き上げるのは不可能だったため、数日に分けて一つの絵を描き上げることにした。
 一つの出会いが生まれたのは、それを続けていた時だった。
『お兄ちゃん、何描いてるの?』
 写生し始めてから三枚目に取りかかっていた時だっただろうか。その完成が大分見えてきた頃、一人の見知らぬ小さな男の子が裕海に声をかけてきた。外見だけで推測すると、年齢は恐らく小学校に入ったか入ってないかくらいだろう。子どもらしい丸みを帯びた瞳の中には恐れなど微塵もなく、その代わりに好奇心のみを伴っていた。
『ん? ほら、この風景だよ。スケッチしてたんだ』
 そう答えながら、眼下の景色を軽く指さした。少年はそちらを見てから再び車椅子の膝元にあるスケッチブックを覗き込む。そしてすぐさま「わぁ!」と驚いた。
『すごい、写真みたい! これほんとにお兄ちゃんが描いたの!?
 少年が目をとてもキラキラ輝かせながらそう言うので、まずまずの反応が返ってくることを予想していた裕海は一瞬面食らってしまった。しかしすぐに立て直して、次の言葉を繋ぐ。
『そうだよ、数日前からちょっとずつ描いてったんだよ』
『そーなんだ! どうやったらこんなに上手に描けるんだろう……』
 真剣にスケッチブックを覗く少年に対して思わず笑みがこぼれた時、少し遠くから「あっ、暁人!」という女性の声がした。
『暁人! すぐ戻るから座って待っててって言ったでしょ! すみません、この子が……』
『あ……いえ、大丈夫ですよ。横から絵を見ていただけなので』
 母親が元の席に戻らせようと少年、暁人の手を引いたが、彼の足は動かなかった。母親が「ほら、暁人」と急かしたのとほぼ同時に彼が「お兄ちゃん」と口を開いた。
『お兄ちゃん、またここに来る? お兄ちゃんの絵、また見てみたい』
 再び一瞬だけポカンとしたが、すぐにフッと笑って頷いた。
『うん。俺は明日もまた、ここに来るよ』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み