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文字数 1,439文字

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「で、それ以来暁人くんには会いに行ってないと?」
 奏は何を思っているのか読み取れない表情を崩すことなくそう言った。入った居酒屋はまだそれなりに空いていて、裕海と奏は二人掛けのテーブルに向かい合って座っていた。頼んだ飲み物も料理も既にちらほらと来ていたが、まだお互いに全く手をつけていない。
 裕海が立ち昇る湯気の向こう側で小さく頷くと、奏はようやく目を軽く閉じた。そして「なるほどなぁ……」と呟く。
「……裕海」
「ん?」
「最初に一言、はっきり言っていいか」
「……うん」
「俺、今すっげぇ悲しい」
「えっ、悲しい……?」
 強い前置きが最初に来たのでてっきり怒られるか責められるかすることを予想していた裕海は、予想外の言葉が目の前で出てきたので拍子抜けしてしまった。
「だってさ……んー、どっから言ったらいいかな。取り敢えず順番に言ってく」
 奏は頭を軽く掻き、再び裕海に向き直る。
「まず初めに訊いておくけど、自分が暁人くんから逃げたっていう自覚はあるんだろ?」
「……うん、ある」
「裕海は逃げた、それは傍目から見てもその通りだ。ただ、裕海はきっと理由を勘違いしているんじゃないのか」
 裕海は首を傾げて言った。
「勘違い?」
「そう、勘違い。じゃあ、自分では何で逃げたから悪いんだと思ってる?」
 悪いことをしたという自覚はあった。しかし、それをいざ口に出そうとすると上手く表現出来なくて詰まってしまった。裕海は俯き、頭の中で必死に言葉を探す。
「……俺の言ったことで、暁人を追い詰めさせてしまったから」
「それって本当に、暁人くんは裕海の言葉で追い詰められたんだと思う?」
「それって、どういう……?」
「だって裕海が会いに行った時、暁人くんは寝ていたんだろ? お母さんだって特に裕海がどうこうだとも言っていないんだろ? だったら暁人くんが裕海の言葉で追い詰められたと考えるのは、それはあまりにも短絡的じゃないのか。本人がどう思っているかだって分かんないだろ」
「……そうかもしれない、けど」
 奏の言うことが正しいと片隅では理解出来ても、それを素直に受け入れて認めることは難しかった。やはり否定しようとする裕海を見て、奏ははぁ、と溜息をついた。
「……裕海。俺が悲しいって言ったのはそこなんだよ」
「えっ?」
「お前が暁人くんのことを信じられていないんだよ。弟みたいだって、あんだけ好きだって言ってたのに、どうして暁人くんの気持ちを信じてやれないんだよ」
 裕海は絶句した。そのハッと息を呑んだ様子を見ながら、奏は発言を続ける。
「俺は裕海の話を介してしか暁人くんのことは分からないけど、そんな俺でもこれくらいは推測出来るよ。きっとあの子はそんなこと一切思っていない。寧ろお前の言葉に勇気づけられているはずだよ、今でも。確かに裕海は暁人くんから逃げた。でもそれは酷いことを言ったことから逃げたんじゃなくて、暁人くんを信じることから逃げたんだ。俺の言ってること、分かるか?」
 言葉が全く出てこなかった。自覚すらもしていなかった。確かに裕海は高三のあの時を境に、他人に信頼を置くことが難しくはなっていた。しかし、暁人に対しても同じことが起きていたとは全く思っていなかったのだ。そんな自分自身に対しても軽くショックを受け、暁人に対してもひたすら申し訳なさが募った。
 立て続けに言っても仕方ないと思い、奏も一旦口を閉じた。だが何も言えなくなってしまった裕海の言葉を待つ方が酷だとそこで思い直し、少ししてから再び言葉を紡いだ。
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