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文字数 1,494文字

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「……裕海の方が遅く来るなんて珍しいなって言おうと思ったんだけど、そんなことより大丈夫か? 物凄い顔死んでんぞ」
 あの後も結局そこまで眠れなかったので、寝不足による頭痛で重い頭を引き摺って裕海が教室に向かうと、いつもの席の隣には既に奏が座っていた。そういえば今日は普段乗る時間の電車を逃し、その一つ後の電車に乗ったのだった。幸いにも通学距離が短いため、電車を少し逃しても授業の開始時間には間に合う。裕海を視界に捉えた奏が「おはよう」と言おうと笑いかけたが、その顔色を見て拍子抜けしたような表情に変わった。そして頭の台詞に至るわけだ。
「……ん、多分。昨日バイトで怒られて、その上に今朝の夢見悪くて、それで」
「あー……そういや前にもそんなことあったよな。あんま無理すんなよ」
「うん、ありがと……」
 鞄から授業に必要な諸々を探り出していると、隣の奏の元に同じクラスの女子が寄ってきた。
「ねぇねぇ、近藤くん」
「ん? どーしたの立川(たちかわ)さん」
「近藤くんさ、中間レポートの題材ってもう決めた? 私まだ悩んでてさぁ……」
「あー、それならね……」
 横で二人が話しているのは、これとはまた別の授業だった。裕海は履修していないが、噂によると単位を取るのがそれなりに大変な授業であることは聞いたことがあった。だからそのやり取りを「噂通り大変そうだなぁ」とどこか遠いところで何となく聞いていた。腕時計を見ると、授業が始まるまであと五分ほど。
「――あ、そうだ。そういや金澤くんってさ」
 自分には関係のない話をしに来ていた人物から急に自分の名前が飛び出してきて、裕海は思わず、声も発さずに勢いよく彼女の方に顔を向けてしまった。いつの間にかレポートについての話にはカタがついていたらしい。多少大仰な裕海の反応を特に気にする様子もなく、彼女は発言を続ける。
「昨日たまたま、仲間内で金澤くんの話があがってね? なんか前からずっと、どこかで聞いたことある名前だなって思ってて。“かなさわゆうみ”って、あんま聞かない響きだから余計にそう感じててさ」
 何で影の薄い自分の話なんか、と思うよりも先に“どこかで聞いたことある名前”という言葉が心にガッと鋭く引っかかった。そこから黒い影がじわりじわりと広がってゆく。とてつもなく嫌な予感がした。元々重い裕海の頭に向かって心臓が直接打ち付けてくるような感覚がした。壊れたテレビのような音が脳内に微かに響き、頭の奥に押しやられていた映像が勝手にゆらりと引き摺り出される。
 待って。何で。どうして。
 夢裡の槍が、現実でも裕海に矛先を向けてくる。心臓の音が大きくなる。痛みが、蘇る。
「金澤くんって、もしかして――」
 ――やめて。
「ストップ、立川さん」
 悪気のない言葉の連なりが、聞き慣れた声によって遮られる。そのことによる安心感からか、裕海は無意識のうちに俯いて目を強く瞑ってしまっていたことに気づいた。慌てて瞼から力を抜く。その開かれた視界の中には少し戸惑ったように奏を見る立川の姿があった。
「ごめん。裕海、今日具合悪そうだからさ、話しかけるのまた今度にしてあげてくれると助かるかな。ちょっと、割と辛そうだからさ」
 奏が少し申し訳なさそうな顔をしてそう付け足すと、彼女は「気付かなくてごめんね、金澤くん大丈夫?」と一言かけた。裕海が小さく頷いたのを確認すると、彼女は自分がついていた席に戻っていった。
「本当に大丈夫? なんなら後でノート送るからどこかで休んでたらどうだ?」
「あぁ……無理だったら、その時点で寝ることにする。寝てたら後でノート見せてくれると助かる……。ごめん、ありがとう。奏」
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