第7話

文字数 2,849文字

「うぅううううう」
 馬の頭に乗っているリマが蒼褪めた顔で唸る。
 一度馬を降りた私は、手綱を引きながら歩いていた。
「あんなに速いなら一言あっても良いじゃないですかぁ…」
「ごめんごめん」
 苦笑して謝る私に、リマが睨んで「本当に悪いと思っているんですか?」と訊いた後、小さく「う」と唸って鬣に顔を埋めた。
 本当なら一週間は掛かる、上り下りの有る道を十時間ほどで駆け抜けたのだ。
 酔わない方がおかしい。
「どうしてアメリア様は平気なんですか?」
 顔を埋めたままリマが問う。
「慣れてるからね~」
「初めて乗る身になって下さい…」
「あははは…」
 笑って誤魔化すしかない。
「でもね?私だって慣れるまで時間が掛かったんだよ?」
 そう話すと、リマが顔を上げた。
 具合は悪くても話は聞いてくれるらしい。
「風圧で息が出来なくなるから、息が出来るようにしないとならないし、周りの状況も見ないとならないから大変だったよ」
「そういえば…私も息が出来てました。どうやっているんですか?」
「……前の…この子の相方だった人に教えて貰ったの」
 当時、私はこの馬の相方ではなかった。
 風圧で息が出来ない私に、手綱を握るその人が落ち着かせてくれた。
 その時私も、今のリマ同様に具合を悪くして、その人に文句を言っていた。
 何度乗ってもなかなか慣れる事が出来なかったけれど、慣れるまでの間に喧嘩した事だって忘れていない。
「この子は…前の相方の人に…私と一緒にいてやれっていう約束を守っているだけ」
 精霊や妖精との契約は、契約者が死んでしまった場合、新たな契約を結ぶまで有効となる。
 私はこの子と契約をしていない。
 この子が契約をしてくれないのだ。
 それだけあの人の事を気に入っていたという事…。
「そう…ですか」
 何かを察してリマはそれ以上問わないでいてくれた。
「さてと、そろそろかな。…リマ。こっちに来て」
「何ですか?」
 少し顔色の良くなったリマがゆっくりと起き上がり、手を伸ばすので、そっと抱き上げて肩に乗せる。
「ありがとう…。またね」
 言って馬の頭を撫でる。
 馬は小さく唸ると私の周りを一周し、疾風の如く姿を消した。
「どうして返したんですか?」
 リマが問う。
「そろそろウィゼットだからね」
 私の答えにリマは「連れて行けないんですか?」と訊き返す。
「前に〝ウィゼットには魔師がいる〟って話したよね?」
「はい」
「その魔師の中には、あの子が普通の馬ではないと解る人間がいるかもしれない。その場合厄介な事になりかねないから帰したの」
 私の言葉に、リマが少し考えてから「優しい人ばかりではないと言っていた事と関係が?」と問う。
「そう」
 答えてポーチから小さな実を出してリマに渡す。
 それを受け取り、一口食べたリマが顔をしかめ「酸っぱい!」と叫んだ。
「あははは!」
 笑う私にリマが不貞腐れながら「酷いです」と言って睨む。
「ごめん。でも、気持ち悪さは無くなったでしょ?」
「…はい」
「船酔いとかにも使える果物でね。香辛料とか、色んな使い道が有るの。まぁ、大抵の人は料理の材料にしか使わないけど」
「ですよね。こんな酸っぱいのそのまま食べるなんて…。それならどうしてそのまま食べさせたんですか!」
「いやぁ~。今はそれしか無くて」
 苦笑する私を睨みつつ、リマが酸っぱさを我慢して実を食べる。
 何口か食べると酸っぱさに慣れたらしく、食べきれない分は返して貰い、ポーチのケースに仕舞った。
 暫く進むと、山間に築かれた関所が見えた。
 関所というよりも城壁に見える。
 昔は向かって来るモノを阻むために使用されていた。
 中央に設けられた大きな扉が3つと、その横の小さい扉には、ウィゼット国のシンボルとなっているモノが描かれている。
 壁は分厚く、窓や通路が設けられている。
 入った事は無いが、中には寝られる場所や、食堂まで在るらしい。
 こんな場所でどうやって生活するのか。
 そんな事を考えながら人が通る為の扉の前に立つと、直ぐに中から青いマントを羽織った女性が出て来た。
 胸元には騎士団員を示すバッチが付いている。
 腰には細い刀身の剣。
 剣格(刀身と持つ部分の間)には青と緑の石が填めてあるのが一瞬見えた。
「旅の方ですか?」
 女性が笑みを浮かべて言う。
「はい」
 答えた私の肩を見た女性が「その妖精は貴女の?」と質問を続ける。
「そうです」
 私が答えるよりも先にリマが言った。
「……そう。大事にされているのね」
 言って女性が扉を開ける。
「最近、狂暴化した魔物の目撃情報が増えています。道中、気を付けて下さいね」
「解りました」
 そうとだけ答えた扉を潜る。
 まるでトンネルだ。
 少しだけ速足で抜けると、左右には木々が生え、前方に町が見えた。
「どうして、私と契約している事にしたの?」
 問い掛けにリマが「駄目でしたか?」と不安げに訊き返す。
「ダメではないけど、もしそれで契約の証を見せて欲しいって言われたらどうしていたの?」
「その時は本当に契約をしますよ!私、アメリア様の事大好きですから♪」
「そんな簡単に…」
 もしかしてこの子は誰かと契約をした事が無いのだろうか。
「私は契約なんてしたくないな」
「どうしてですか?もしかして、私の事が嫌い…ですか?」
 落ち込むリマの頭をそっと撫で「そうじゃない」と言うと、リマは今にも泣きそうな顔で見上げて来た。
「契約をすると、私は君の力を使う事が出来る。その代わり、君の寿命を削ってしまう事にもなるんだよ。例え人より何百年も生きられる存在だとしても、私は…君の寿命を削ってまで力が欲しいと思わない。それよりも、こうして話をしている方がずっと良い。契約で繋がれた関係より、このままの方が嬉しいの」
 そう話すとリマは驚いたように目を丸くしたけれど、嬉しそうに頬を緩ませ「大好きです」と言って首に抱き付いた。

「先程の妖精。嘘を吐きましたね」
 2人の歩いて行くのを見据えていた女に、騎士団の鎧を纏った男が言う。
「そうね。でも、言わされている訳では無さそう」
 女はそう言うと壁の内側に作られた木製のドアに向かって歩き出した。
「旅の者にしては軽装すぎます」
 男が何を言いたいのか察し、女はドアに掛けた手を止めた。
「精霊が契約もせずに一緒にいるのよ?警戒する必要は無いわ。それより、交代の時間でしょう。仕事に集中しなさい」
 言って女はドアを開けた。
 2人並んで歩ける程度の通路を天井から下がるランタンが照らす。
 狭い通路を進み、廊下を上ると少し広くなる。
 通路の端に並べられた椅子には鎧を纏った者達と、女のように軽装の者達が座っている。
 奥へ向かい歩いていると「お疲れさん」と中年の男に声を掛けられた。
「今日はこれで上がりか?」
 男の問い掛けに「えぇ」と短く返す。
「ほらよ」
 言って男がテーブルに置いていた物を差し出す。
「例の件の報告書だ」
「ありがとう」
 受け取って歩き出した女に、男が「ちゃんとアイツにも報告しろよー」と叫ぶ。
 その声に女は片手を上げて応えた。

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