第59話

文字数 3,532文字

 涼しい夜風の中、アルドの言っていた場所へと向かう。
 湖面に月明かりが反射して煌めいている。
 待ち合わせの場所に近付くと、1人佇んでいたアルドが振り向いた。
「本当にいい場所だね。落ち着く…」
 言いながらアルドの隣に立ち泉を見詰める。
「此処は…僕等にとって特別な場所なんだ」
 アルドの〝僕等〟という言葉が気になり「僕等?」と訊き返してアルドを見ると、彼は真っ直ぐアメリアを見詰めていた。
 エメラルド色の瞳が月明かりによってか、いつもよりも神秘的な、魅入ってしまうほど美しく輝いているように見える。
「アメリア…」
 真剣な眼差しと声に心臓が跳ねた。
「どうして君を此処に誘ったか解る?」
 そんなの解る訳がない。
「休憩するのに丁度良いからじゃないの?」
 アメリアの問いにアルドが笑みを浮かべ「さすがの君でも解らないか」と言って一歩近付いた。
「俺を見て」
 囁くような声。
 見詰められ恥ずかしくて目を逸らしたいのに逸らせない。
 そんなアメリアを見てアルドが妖艶な笑みを浮かべ頬に触れる。
「俺は君が…本当に好きだ。君はあいつの事が好きなんだって解ってるけど…」
「あいつ…って?」
 心臓が早鐘を打ち、声は震え、それでも訊き返したアメリアにアルドが小さく笑い「無自覚?それても解っていて俺に言わせるつもり?」と問う。
「レオン…。あいつの事が好きなんだろ?見ていれば解る。君があいつを助けようとする姿は、仲間を助けたい気持ちだけでは無かった」
「あれは…その…。もう…大切な人達を失いたくなかったからで…。好きとか…そういうのではないというか…その…」
 口籠り、目を泳がせるアメリアの顔が微かに赤く染まるのを見て、アルドの胸は締め付けられたように苦しくなった。
「もしあいつより先に俺と出会っていたら、俺を好きになってくれたか?」
 囁くように言ったアルドがまた近付き、そっと背中に手が回されて抱き寄せられた。
 アメリアは離れたいのに体が言う事を聞かず、アルドの心臓の音が胸に当てた耳から聞こえて来る。
「俺を見て」
 言われるがまま体が勝手にアルドの言葉に従う。
『離さないと』
 そう心の中で思い、手に力を込めても指一本動かない。
『どうして』
 顔が勝手に上を向き、アルドと目が合った瞬間、先程までの高鳴りが一瞬にして収まり、その代わりに背筋が凍った。
 アルドの笑みを見て初めて〝怖い〟と思ってしまった。
「この場所は…俺達にとって特別な場所…」
 また囁いてアルドがアメリアの耳元に顔を近付ける。
「昔、女神が地上に降臨した話は知っているよね」
 囁くアルドの言葉に答えようとしても口が動かない。
 女神が降臨した話は知っている。
 その女神が残した遺産によってあの戦いが起きたのだから。
「けどね、本当は少し違うんだ」
 話すアルドの息が首に当たり体が震える。
「人間に男と女がいるように、神にも女と男がいる。それと同じだ。降臨したのは女神と男神だった」
 背に回された腕が力を強め、そっと背筋をなぞられる。
「昔、女神と共に地上へやって来た男神は人間の女に恋をした。そして天界へは還らず、寿命を人間と同じにする事で神という立場を捨て女と一生を全うしたんだ。けれど、その男神の一部だけは血という形で受け継がれた」
 言ってアルドが顔を離してアメリアの顔を見る。
「それがこの目。そして、君の体が言う事を聞かないのは俺が少し本気で力を使っているから」
『どういう事?男神と人の子孫?そんな話…聞いた事が無い…。男神の力って…何?』
 意味が解らず困惑するアメリアにアルドが「はは」と短く笑った。
「かつて神々はドラゴン族を従者として従えていた。大抵の神々は信頼関係を築いて従えていたけれど、中には強制的に従わせる酷い神々もいたんだ。つまり」
 それだけでアメリアは理解した。
 今アメリアの中にはドラゴン族、アーレンの心臓が有る。
 その心臓がアルドの力の影響を受けているのだ。
「神々とドラゴン族の盟約。いかなる時も友を助け、死が迫ろうと臆せず戦い、分かたれる時は死した時のみ。血と魂によって盟約は永久に続く」
 アルドが頬に触れる。
 今までにも何度が触れられた事は有るが、恐怖を感じた事など無かった。
 体が恐怖によって震えている。
 それはアルドにも伝わっている筈だが、彼の手は頬から首筋、更に下へと体をなぞっていく。
「この場所は…いつもは弱い男神の力を強めてくれる特別な場所…。だから俺達にとって特別な場所なんだ」
 言ってアルドがまたアメリアを抱き締める。
「ごめんね。本当はこんな事…したくないんだ。けど…君が悪いんだよ。いや…俺が悪いのかな
。君がレオンの事を好きなんだって解っていても…諦めきれない…俺が悪いんだ。こんな方法で君を手に入れようとしてるんだから」
 ふと辺りが明るくなり、何とか動く目で見渡すと、2人の周りを淡い緑の光が漂っていた。
「なぁ…。俺と二人で旅をしよう。君の目的を果たす邪魔はしない。だから…」
 言いながらアルドが顔を上げ、ゆっくりと近付き、吐息が唇にかかる。
「俺の事だけ見て」
 目を閉じ、唇を噛み締めようとしても体に力が入らない。
『ダメ!止めて!』
 心の中で叫んでもアルドには届きはしない。
 唇が重なりそうになった時だった。
―パァァアアン!
 何かが弾けるような甲高い音と共に体の自由が戻り、アルドが飛退きアメリアから離れる。
 全身から力が抜けて座り込んだアメリアの前に2つの人影が現れ、1人がアメリアを抱き締めた。
 抱き締めた相手は何も言わないが、顔を見ずとも誰なのか解る。
 ゆっくりと顔を上げたアメリアに、相手は安堵したように小さく息を吐いた。
「だからお前は愚弟なのだ」
 もう1人が言う。
 見るとそれはロードだった。
「あ…」
 我に返ったのか、自分が何をしたのか理解したらしいアルドが動揺を露わにし、震える両手を見詰め、今にも泣きそうな目でアメリアを見た。
「ごめん…。ごめん!こんな事…。でも…俺は…僕は…」
「アルドさん…」
 そっと近付いたリマが触れようとしたが、その手をアルドは後退って拒んだ。
「ごめん…。僕は…君と一緒にいたら駄目だ…」
「アルドさん!」
 顔を覆うアルドの手にリマが触れた瞬間、リマの体が光り変化したその姿は、アメリアの力の影響を受けた時と違っていた。
 長い髪が金色に煌めいて風に揺れ、額には淡い緑色の宝石が中央に収められ輝くヘッドドレス、純白のドレスは袖とスカート部分が何枚か重なっているもののふわりと風になびいている。
 ドレスは腰の辺りに帯が巻かれ、それには薄い赤色で花弁が描かれており、それが風に揺れる様はまるで散り行くよう。
 その姿は精霊というよりも女神そのものだ。
 アルドの両手を顔から離してリマが「アルドさん」と優しく呼ぶ。
 呼ばれてゆっくりと顔を上げたアルドが目を丸くして固まった。
 リマの淡い緑の瞳がアルドを見詰め、頬に触れて優しい笑みを浮かべる。
「大丈夫です。大丈夫。もし皆さんが貴方を咎め離れても、私は貴方の傍にいます」
「君は…アメリアの…」
 アルドの呟きにリマが「ふふ」と笑った。
「私は確かにアメリア様と共に旅をしていますが、従者の契約をしていません。だから、誰と一緒にいるかは私の自由…。貴方の心が落ち着くまで、私が傍にいます。貴方が歩き出せるまで」
 言ってリマがアルドを抱き締めてアメリア達の方を見る。
「すみませんアメリア様…」
 リマの言葉の意味がアメリアには直ぐ理解する事は出来なかった。
「暫く私はアルドさんと一緒にいます。お二人は朝になったら先に出発して下さい。私とアルドさんは後から合流しますから」
 その言葉にアメリアはただ頷き返した。
 それを見てリマが笑みを浮かべ、抱き締めているアルドを見る。
「部屋へもど―」
「あぁ。良い匂いがすると思ったらそういう事かぁ」
 知らない声がし、一瞬にして緊張が走った。
 声のした方へ視線を向け、座り込んでいたアメリアも咄嗟に立ち上がり、右手に光を集め円を描き、そこからナイフを取り出した。
 泉の上に誰か立っている。
 離れている筈なのに声は近くで聞こえた。
「酷いなぁ。そんな警戒しなくても良いじゃない」
 言いながら人影が泉の上を歩いて来る。
 歩いているというのに波紋が無い。
 月明かりに照らされた漆黒のマントが風に揺れる。
 俯いているのか、フードで口元から上は見えない。
 かろうじて見えている口元が怪しく笑っている。
 声からしてまだ若そうな男だ。
 一歩近付いて来るだけで本能が〝逃げろ〟と訴え掛けて来る。
「良い匂いがしているのは…そっちかぁ」
 言って男が僅かに顔を上げた時、それを見てアメリアだけが息を呑んだ。
『何…あれ…』

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