第24話  酒を出さない屋台

文字数 2,978文字

「おい、板長。おまえに、折り入って話がある。ちっと、来い」

 安治は、おゆうには、心の広いところをみせたが、怒りは収まらなかった。

おゆうを諫める訳でもなく、安治を無視して、勝手な事をした長八に、

一言、言わねば、気がすまないと、板場に向かった。

長八は裏口から、颯爽と、外に出て行った安治をあわてて追いかけた。

「おゆうが出過ぎた事をする前に、引き留めるのが、

おまえの役目ではないのか? 」

 安治が低い声で諫めた。

「申し訳御座いません。手前の中にも、まことの味が判るお方に、

ノドグロを召し上がって頂きたいという

思い上がりがあったと反省していやす。

この通り、お詫び致します」

 長八は、その場に這いつくばる様にして詫びた。

「赤井様が、のどぐろは、

腹黒に似ているとおっしゃった時は、冷や汗かいたぜ」

 安治が薄ら笑いを浮かべた。

「おゆうは、赤井様に、

敬意を示したかったのでは御座いませんか? 」

 長八が顔を上げると言った。

「ひょっとして、おゆうの奴、

赤井様に惚れているのではなかろうな? 」

 安治が冗談を言った。

「おゆうも、悪気はなかったと存じます。

おゆうは、礼儀をわきまえております。

よほどのわけがあったのではないでしょうか」

 長八が真顔で言った。

「そう云えば、作事方の役人の屋敷に奉公していたと言っていた。

あいつに、お武家に奉公していた時代があったとは驚いたぜ」

 安治は、思い出した様に言った。

安治はふと、作業台の隅に置かれた大皿に目を向けた。

「その皿の事で御座いますが、

まことに、山城屋の宴で使ってもよろしいのですか? 

これは、たしか、柿右衛門様式の高級品でしたよね? 」

 長八は、安治の視線に気づくと聞いた。

実は、これは、土産用に、大量生産された有田焼の大皿だったが、

皆には、高級品と言い含めていた。

「いや、その。あれだ。虫干しをしようと思いついて、

納戸から出したわけだ。酒宴に、使いたければ使いなさい。

箱にしまったままでは、宝の持ち腐れになる」

 安治が苦笑いした。

「旦那様。わりいですが、この度の酒宴には、相応しくねえと存じます」

 長八がきっぱりと告げた。

「そうかね。お客も少なくなってきた事だし、

今夜はこのへんで、店しまいに致す。板場も、そのつもりで頼みますよ」

 安治が心身共に疲れを感じていた。

「旦那様」

 板場に戻った時、長八が、安治に目配せした。

安治が、長八に促されて、何気なく、入口付近に目を向けると、

見慣れぬ大柄な武士が立っていた。

「板場に、何か、御用で御座いますか? 」

 安治は、板場をのぞき見している大柄な武士に、

薄ら笑いを浮かべながら歩み寄った。

「板長はどの者だ? 」

 大柄な武士が振り返ると、ぶっきらぼうに聞いた。

「板長に、何か、御用で御座いますか? 」

 安治が穏やかに言った。

「お主から、板長の面を拝んで来いと命ぜられたのだ」

 大柄な武士が無愛想に答えた。

「板長でしたら、あすこにおります」

 安治は、流しの前に居る長八を指し示した。

「あの者の名は、何と申すのだ? 」

 大柄な武士が、長八を食い入る様に見つめた。

「長八といいます。ところで、

どちら様が、うちの板長を御探しですか? 」

 安治が上目遣いで聞いた。

「今しがた、おぬしが、会ったお方だよ」

 大柄な武士が似非笑いをした。

「ひょっとして、お武家様のお主は、赤井様で御座いますか? 」

 安治がわざと真顔で念を押した。

「左様だ。拙者は、赤井様にお仕えする小姓の佐平次と申す」

 大柄な武士が、えへん面で名を名乗った。

「つかぬ事をお伺いしますが、

何故、赤井様は、板長をお気になさるのですか? 」

 安治がいかにもあやしいと考えた。

「知らぬ。拙者はお命に従ったに過ぎぬ」

 大柄な武士が足早に去って行った。

安治は、最後の客を見送り、店じまいした後、帰路に着いた。

三之橋の近くに来た時、誰かが、後をつけている事に気づいた。

安治の脳裏に、「辻斬り」の三文字がよぎった。

安治は、後をつけてくる相手に、

気づいている事を悟られない様に、

細心の注意を払いながら、あくまでも、自然を装い、

三之橋の袂にある屋台に、素早く逃げ込んだ。

「いらっしゃい」

 屋台の店主、弥兵衛は顔がしわくちゃで、口を開けると、前歯が、二本なかった。

「酒だ。酒を頼む」

 安治は、やれやれと、出されたおしぼりで額の汗を拭いた。

「わりいが、お客さん。うちは、酒は、おいていねぇんだよ」

 弥兵衛がしゃがれ声で詫びた。

「いまどき、酒を出さねえ屋台なんぞ、あるのかい? 」

 安治は、弥兵衛を見やった。

「お嫌なら、他へどうぞ」

 弥兵衛が似非笑いをした。

「弱ったねえ」

 安治がいつもなら、ここで、引き下がる所だが、

追手から逃れる為に逃げ込んだ手前、思いとどまった。

「ところで、兄さん。腹の空き具合はいかがですか? 」

 弥兵衛は、煮えたぎった鍋の中から、お玉で蒟蒻をすくうと聞いた。

「そういえば、昼から何も、食っていねぇな」

 安治は、思い出した様に告げた。すると、腹の虫が、勢い良く鳴った。

「すきっ腹に、酒は、毒ですぜ」

 弥兵衛は、蒟蒻と里芋の煮込みを載せた皿を安治の前に置いた。

「言われてみればそうだ」

 安治は、里芋を、箸で食べやすい大きさに切り分けると、一片を口に運んだ。

「兄さん。どっかで、見た顔だが、ひょっとして、料理人かい? 」

 弥兵衛が上目遣いで聞いた。

「料理人ではないが、この先で、料理屋を営んでおる」

 安治が何気なく答えた。

「ひょっとして、亀弥かい? 」

 弥兵衛の声に、幾分、とげを感じた。

「おいいのとおりだ」

 安治は、ハッとして弥兵衛の顔を見た。

「御代はいらねぇから、とっとと、けえりやがれ」

 安治の返事を聞いた次の瞬間、弥兵衛は、

安治を屋台の外へ追い立てると、これ見よがしに、安治に向けて塩を撒いた。

「おい、いきなり、なんだよ」

 安治は、追い出された挙句、塩を浴びせられた事に怒り狂った。

「亀弥の元主が、どこに消えたか、知っているか? 」

 弥兵衛は、安治の目の前に、仁王立ちすると低い声で聞いた。

「借金踏み倒して、とんずらしやがった野郎だろ」

 安治は、弥兵衛をにらみつけると言い返した。

「亀弥の主は、借金を踏み倒したわけじゃねえ。

甘い言葉で近づいて来た悪党に、まんまと騙されたわけさ。

おかげで、一家は離散。手塩にかけて育てた一人娘は、

吉原へ行く事になっちまった」

 弥兵衛が忌々し気に言い放った。

「ひょっとして、亀弥の元主っていうのは、旦那の事かい? 」

 安治が恐る恐る聞いた。

「いかにも。亀弥は、あっしにとっちゃあ、我が子同然だった。

それを、おめえが、横から、かっさらいやがった。

このまま、しまいにはせん。いつか、また、取りかえしてやるさ」

 弥兵衛がやるせない様子で言った。

「旦那の場合は、雨降りの太鼓ってわけさ」

 安治がフッと笑った。

「雨降りの太鼓だと? 馬鹿にしやがって」

 弥兵衛は、首に巻いていた手拭を地面に叩きつけた。

「お代は、きっちり、払わせてもらうぜ。食い物に失礼だ」

 安治は、代金を支払うと、串刺しにした蒟蒻を手に取った。

「二度と来るな」

 弥兵衛が、安治の背中に向かって大声でがなった。

「串に刺せば、歩きながらでも食える。おかげで、良い事を思いついたぜ」

 安治は、後をつけられている事を忘れて、

軽やかな足取りで、屋台を後にした。

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