第42話 僥倖

文字数 2,052文字

翌日。おかめは、三ノ輪の浄閑寺を訪れた。

寺に、お布施を施入する事で過料を払う為だ。

住職に会い、お布施を渡した後、ふえをはじめ、

多くの病死した遊女達が埋葬されている場所に立ち寄った。

墓といっても、塚の上に、墓標が立てられているだけなので、

注意して見なければ、見逃しそうであった。

病死した遊女が、近じか、埋葬される予定らしく、

一か所だけ、穴が空けられている所があった。

おかめがこわいもの見たさで、

その穴の傍まで近づくと、穴の底をのぞいた。

すると、その穴に、吸い込まれそうな感覚を覚えた。

「何をなさっておられるのですか? 」

 声に驚き、振り返ると、同じ年頃の娘が、

険しい顔つきをしておかめを見つめていた。

「穴の底を覗いてみただけですよ」

 おかめが決り悪そうに言った。

「あ、ひょっとして、小勝さんですか? 私は、おたつと申します」

 おたつは、穴の底を覗いていた娘が、

おかめだと一目でわかった。安治から聞いた特徴が一致していたからだ。

「何処ぞのお嬢様ですか? 」

 おかめが怪訝な表情で、おたつを見つめた。

「御鳥見組頭の岡沢鷹介の娘です。

その節は、五十川伊三郎を捜して、

母上が、妓楼にまで押しかけてしまい、ご迷惑をおかけしました」

 おたつが平謝りした。

「ああ、あの時のお嬢様かい? 何故、ここにいるのだい? 」

 おかめが、おたつを怪しんだ。

病死した遊女の投げ込み寺と異名を持つこの寺に、

参拝する人は、吉原に縁がある者と限られている。

「お鍈さんが、お亡くなりになられたと聞いて墓参りに来ました。

病死した遊女が埋葬されている墓があると聞いて来たのですが、

何処にあるのか、御存じですか? 」

 おたつは、墓に供える花を手にしていた。

「墓なんぞ、ありませんよ。

病死した遊女は皆、菰に包まれて、

あらかじめ空けられた穴の中に、放り込まれて、

その上から土をかけられ埋葬されます。

お参りなさりたければ、本堂に行かれてはいかがですか? 」

 おかめが素っ気ない口調で告げた。

「あの、お鍈さんの事をお聞きしてもよろしいですか? 

お鍈さんは生前、ふえという遊女だったそうですよね? 

花魁にまでなられたそうですが、どんなお方でしたか? 」

 おたつが率直に聞いた。

「ふえ姉さんは、穏やかで優しくて、菩薩みたいな女子でした」

 おかめは、ふえの事を語った瞬間、自然と涙がこぼれた。

「遊女の境遇を苦界と呼ぶと聞いた覚えが御座います。

小勝さんは、身請けされた一握りの僥倖を得た女子なのでしょう? 」

 おたつには悪気がなかったが、僥倖を得た女子と聞いて、

おかめが表情を険しくした。

「何も知らないくせに、僥倖の女子なんぞと決めつけないでおくれな。

ここを何処だと思っているのだい? 

お嬢様が、今、お立ちになられている横にある塚には、

年季の途中で、無念にも死んで行った女子らが眠っているのだよ。

失礼な事を言っているのがわからないのかい? 」

「すいません」

 おたつが深々と頭を下げた。

「元お武家の子女かどうか知らないけれど、無知にも程があるさ。

ふえ姉さんが、生きておられたら、

貴女みたいな女子とは、口も聞きたくなかっただろ。

気安く、わたいに、声をかけないでおくれな」

 おかめが肩を怒らせながら言った。

「怒らせるつもりはなかったのです。申し訳御座いません。

あの、安治さんから聞いたのですが、

貴女は、元亀弥の主の娘さんなのですよね? 」

 おたつが急に真顔になった。

「左様ですけど。安治さんとやらに聞いたという事は、

わたいが、あの人を陥れる密告をして

地獄入した事は、承知しているのでしょう? 」

 おかめが、おたつを横目でにらんだ。

「私の父上は、辻斬りに遭い死んだ事になっています。

なれど、私どもは、父上は、何かの事件に巻き込まれて、

口封じの為に、消されたと考えています。

何か、知っている事がありましたら、

教えて下さい。お願いします」

 おたつがただ、墓参りに来たわけではなかった。

おかめが牢から出て来たと聞いて、

話を聞こうと、屋敷から、後をつけて来たのだ。

「先つ頃、長八さんが、お嬢様と同じく、

証言を頼みに来たけれど、わたいは、貴女方と違って、

来し方には、未練はないわけさ。

三年前の事件を再吟味したとして何になるのだい? 

お嬢様のお父上は、もう、帰って来ないのだよ。

それに、ふえ姉さんのお父上の名誉を回復しても、

二人は、もう、この世にはいないのだし、

お家も断絶しているそうだし、喜ぶ者なんぞ、いないじゃないか」

 おかめが早口でまくしたてた。

「小勝さんのお父上がもし、貴女が知らない所で亡くなってしまって、

その死因が疑わしかったら、まことの事を知りたいとは思いませんか? 

私は、父上の死をうやむやにはしたくありません。

故に、三年前の事件を再吟味したいと願っています」

 おたつがきっぱりと告げた。

「お嬢様は、そうかも知れないけれど、

わたいは、一日も早く、忘れたいのだよ。

お願いだから、もう、かまわないでおくれな」

 おかめが声を荒げた。

「小勝さん」

 おたつが何も言えなくなった。
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