第9話 歌舞伎役者
文字数 1,382文字
「ああ。遠慮せんと、たんと食え」
賢三郎は、手下の安治が営む店を選んだのには理由がある。
代金を払わずとも良いという二人の間の暗黙の了解があるからだ。
安治の店だからこそ、気兼ねなく、小者たちに奢る事が出来るのだ。
「しからば、御言葉に甘えて、頂戴致します」
小者二人がおずおずと、酒を口にした。
「そろそろ、向付をお出ししても、よろしいですか? 」
おゆうと入れ替わりに、安治が姿を見せた。
「ちょいまち。連れがもうじき、来るはずだ」
賢三郎が、ここに来て待ったをかけた。
「お連れ様が、おつきです」
その時、障子の向こうで、おゆうの声が響いた。
与力の日高五郎が、おゆうの背後に立っていた。
「お邪魔でしたら、遠慮致しますよ」
安治が、日高の鋭い視線に気づき苦笑いした。
「そうさね」
賢三郎が曖昧に微笑んだ。
「今宵は、おぬしとサシで酒が呑めると楽しみに来たが、
どうも違うみてぇだな」
日高が、不穏な気配を察した様子だ。
「日高様は、鰹の刺身は、お好きで御座いますか? 」
安治が上目遣いで、日高に聞いた。
「好きかと聞かれれば、好きだが」
日高が無愛想に答えた。
「よろしければ、新鮮な鰹の刺身のお造りをお持ち致します」
安治が愛想良く告げた。
「左様か」
日高が咳払いした。安治が一礼すると席を立った。
安治は、板場に向かう道すがら、軽子たちが廊下の隅で、
顔を寄せ合い、ひそひそ話をしているところに出くわした。
「何だか、楽しそうではないか。どうかしたのか? 」
安治が注意するどころか話に加わった。
「旦那様。あの月方平七郎が、菊之間にお越し下さっているのですよ」
軽子のひとり、おそのが、安治にすり寄って来た。
「今宵は、歌舞伎役者からの予約は、受けていねぇぜ。
他人のそら似ではないのか? 」
安治が、おそのの言葉を鼻であしらった。
「ひょっとしたら、他の名で、予約したかも知れません。
人気役者が、お忍びで来るとは、うちの店も、有名になったものですねえ」
軽子たちが浮足立った。
「まことに、月方平七郎かどうか、しかと、この眼で見定めねばならねえ」
安治は、軽子たちと連れだって、
月方平七郎が居るという菊之間を覗きに行った。
おそのの言う通り、菊之間に、どこか花のある伊達男が、
若い男女と向かい合い、神妙な面持ちで坐っているのが見えた。
「こいつは、驚いた」
安治は、一大事とばかり、賢三郎たちが居る牡丹之間に引き返した。
「井坂の旦那。ちっと、来てくんねえし」
安治は、料理屋の主人である事を、
すっかり忘れて、舞い上がっていた。
「何だ? 」
賢三郎が面倒くさそうに席を立った。
「聞いて驚くなかれ。何と、菊之間に、
おはすお方は、二枚目の月方平七郎で御座いますぜ」
安治は、賢三郎を障子の前に押し出した。
「月方平七郎? 誰だい、そいつは? 」
賢三郎は、歌舞伎役者の事は、ちんぷんかんぷんだった。
「親分も、会った事がある役者ですよ。
姿を拝めば、嫌でも、思い出すはずだ」
安治が上機嫌で言った。
賢三郎は、慎重に、障子の隙間に顔を近づけた。
安治の言った通り、見覚えのある伊達男が坐っていた。
声がくぐもっていて、よく、聞き取れないが、和やかな雰囲気だった。
「旦那様。そろそろ、鉢肴の焼物をお出ししてよろしいですか? 」
気がつくと、おそのが、
鉢肴の焼物を載せたお盆を両手に持ち、二人の背後に立っていた。
賢三郎は、手下の安治が営む店を選んだのには理由がある。
代金を払わずとも良いという二人の間の暗黙の了解があるからだ。
安治の店だからこそ、気兼ねなく、小者たちに奢る事が出来るのだ。
「しからば、御言葉に甘えて、頂戴致します」
小者二人がおずおずと、酒を口にした。
「そろそろ、向付をお出ししても、よろしいですか? 」
おゆうと入れ替わりに、安治が姿を見せた。
「ちょいまち。連れがもうじき、来るはずだ」
賢三郎が、ここに来て待ったをかけた。
「お連れ様が、おつきです」
その時、障子の向こうで、おゆうの声が響いた。
与力の日高五郎が、おゆうの背後に立っていた。
「お邪魔でしたら、遠慮致しますよ」
安治が、日高の鋭い視線に気づき苦笑いした。
「そうさね」
賢三郎が曖昧に微笑んだ。
「今宵は、おぬしとサシで酒が呑めると楽しみに来たが、
どうも違うみてぇだな」
日高が、不穏な気配を察した様子だ。
「日高様は、鰹の刺身は、お好きで御座いますか? 」
安治が上目遣いで、日高に聞いた。
「好きかと聞かれれば、好きだが」
日高が無愛想に答えた。
「よろしければ、新鮮な鰹の刺身のお造りをお持ち致します」
安治が愛想良く告げた。
「左様か」
日高が咳払いした。安治が一礼すると席を立った。
安治は、板場に向かう道すがら、軽子たちが廊下の隅で、
顔を寄せ合い、ひそひそ話をしているところに出くわした。
「何だか、楽しそうではないか。どうかしたのか? 」
安治が注意するどころか話に加わった。
「旦那様。あの月方平七郎が、菊之間にお越し下さっているのですよ」
軽子のひとり、おそのが、安治にすり寄って来た。
「今宵は、歌舞伎役者からの予約は、受けていねぇぜ。
他人のそら似ではないのか? 」
安治が、おそのの言葉を鼻であしらった。
「ひょっとしたら、他の名で、予約したかも知れません。
人気役者が、お忍びで来るとは、うちの店も、有名になったものですねえ」
軽子たちが浮足立った。
「まことに、月方平七郎かどうか、しかと、この眼で見定めねばならねえ」
安治は、軽子たちと連れだって、
月方平七郎が居るという菊之間を覗きに行った。
おそのの言う通り、菊之間に、どこか花のある伊達男が、
若い男女と向かい合い、神妙な面持ちで坐っているのが見えた。
「こいつは、驚いた」
安治は、一大事とばかり、賢三郎たちが居る牡丹之間に引き返した。
「井坂の旦那。ちっと、来てくんねえし」
安治は、料理屋の主人である事を、
すっかり忘れて、舞い上がっていた。
「何だ? 」
賢三郎が面倒くさそうに席を立った。
「聞いて驚くなかれ。何と、菊之間に、
おはすお方は、二枚目の月方平七郎で御座いますぜ」
安治は、賢三郎を障子の前に押し出した。
「月方平七郎? 誰だい、そいつは? 」
賢三郎は、歌舞伎役者の事は、ちんぷんかんぷんだった。
「親分も、会った事がある役者ですよ。
姿を拝めば、嫌でも、思い出すはずだ」
安治が上機嫌で言った。
賢三郎は、慎重に、障子の隙間に顔を近づけた。
安治の言った通り、見覚えのある伊達男が坐っていた。
声がくぐもっていて、よく、聞き取れないが、和やかな雰囲気だった。
「旦那様。そろそろ、鉢肴の焼物をお出ししてよろしいですか? 」
気がつくと、おそのが、
鉢肴の焼物を載せたお盆を両手に持ち、二人の背後に立っていた。
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