第49話 吟味

文字数 3,904文字

「宝来屋」の御隠居が自白を始めたというので、

出て来た吟味方の与力に、事の詳細を聞き出そうと

吟味部屋を見張っていたのだ。

「井坂の旦那。あんたに、会いたいという女子が来ているぜ」

 門番の吉蔵が、賢三郎を呼びに来た。

賢三郎は急いで、門の脇で待つおかめに会いに行った。

「おかめ。どうかしたのか? 」

 賢三郎は、おかめに駆け寄ると聞いた。

「井坂の旦那。伊三郎さんが自訴する前に、

火盗改の西田の旦那と松太郎が来てしょっぴかれました。

西田の旦那が言うには、あの方々も、

佐野様を殺害した辻斬りの行方を捜していたそうな。

わたいとおたつさんが、伊三郎さんを

問い詰めているのを立ち聞きしていたみたいです」

 おかめが落ち着かない様子で言った。

「左様か。相分かった。あとの事は、わしらに任せろ。

伊三郎に、自訴を勧めたのは、ひょっとして、おめえか? 」

 賢三郎が慎重に告げた。

「はい。わたいも、三年前の事を直訴するつもりでいました。

今からでも遅くは、御座いませんか? 」

 おかめが緊張した面持ちで告げた。

「よく、決心したな。宝来屋の御隠居が、自白を始めたところだ。

おめえが、直訴すれば、宝来屋の御隠居も、言い逃れは出来ねぇだろ。

今から、行くなら、付き添ってやろうか? 一人では不安だろ? 」

 賢三郎が優しく言った。

「一人で参ります。伊三郎さんをお頼み申します」

 おかめは、颯爽と奉行所の中に歩いて行った。

おかめを見送ると、賢三郎は、太兵衛を奉行所に残し、

引き続き、「宝来屋」の御隠居の吟味を見張らせ、

忠蔵を随え、西田の後を追った。

伝馬町の牢屋敷の前に、先回りして待ち構えていると、

伊三郎を連れた西田と松太郎がやって来た。

「そこで、何をしておる? 」

 西田が、賢三郎を目ざとく見つけた。

「相変わらず、手荒な真似をしやがるな」

 賢三郎が、西田に詰め寄った。

「こいつは、罪人を庇っている疑いがある。

しょっぴいて当然ではないか。

何故、こいつの罪を知りながら、見逃したのだ? 」

 西田がすごんでみせた。

「こいつが、わしらにまだ、

何か、隠していたとでも言いたいか? そんなはずあるめえ」

 賢三郎は、伊三郎を信じようと努めていた。

「こいつは、三年前、御鳥見組頭の

佐野鷹介様が辻斬りに遭ったところを見ておきながら、

何も知らねえと証言した上に、出奔しやがった不届き者だ。

おかげで、三年もの間、こっちは、辻斬りを

探索する羽目になったのだ。こいつが、江戸に帰ったと聞いて、

こいつの身辺を手先に見張らせていたが、遂に、尻尾を出しやがったわけさ」

 西田が得意顔で言った。

「井坂の旦那。すいやせん」

 伊三郎は、すまなそうに頭を下げた。

「放してやれ。おめえがしょっぴかなくても、

伊三郎は、自訴しようとしていたのだ」

 賢三郎が、伊三郎を庇った。

「井坂の旦那。こいつは、自訴したとしても、

死体を遺棄し証言を偽った罪は消えない。

あんたも、そのぐれえの事は、わかっているはずだ。

悪人を庇うなんぞ、町廻り同心がやってもいいのかい? 」

 松太郎が脇から口を挟んだ。 

「罪を憎んで、人を憎まずだ。

悪人にも心がある。情けをかけて何が悪い」

 賢三郎が言い返した。

「偽善者に、用はねえ、邪魔だ。どけよ」

 西田は、賢三郎を押し退けると牢屋敷に入った。

続いて、松太郎は、伊三郎を中に押し入れた後、賢三郎の鼻先で扉を閉めた。

「西田。覚えていやがれ、この野郎」

 賢三郎は、堅く閉じられた扉に向かって負け惜しみを言った。

 長八が上訴した「宝来屋」と作事奉行の悪事をきっかけとして、

御用請負を決定する入札に際し、作事方と入札に参加する

一部の材木商との間に、「まいない」(賄賂)が

横行しているという驚愕の事実が明るみに出る。

入札制度というのは、そもそも、複数の商人が競り合い、

見積もり金額の最も安い商人が、

御用請負や普請を落札する仕組みになっているが、

御用請負を決定する入札の場に於いては、

一部の商人が、入札前に、作事方に、

「たてもの」(保証金)と称する「まいない」を贈り、

「礼物」と称する「まいない」の額を申告し、

入札する前から、「たてもの」と「礼物」の

申告額の多い少ないの差により、

御用賄を内定する裏工作があるという。

また、普請請負を決定する場に於いては、

入札前に、「たてもの」と称する「まいない」を

普請の担当になった役人に贈り、

作事奉行には、「付け届け」と称する

小判を詰めた酒樽や菓子折などの手土産を持参して、

普請費用を聞き出し、入札の際は、

普請費用の上限額に近い値で入札する談合が、

一部商人の間であらかじめ、口裏を合わせて持ち回りでなされているという。

以前から、幕府にも、「まいない」が

横行しているという噂は、漏れ伝わっていたが、

事実かどうかの確証はなく、「宝来屋」が罪を認めるかどうかにかかっていた。

「おぬしが、深川の料理屋、亀弥の元主、弥兵衛の娘、おかめを女衒から買い、

京人形に仕立てて、作事奉行の赤井忠好に贈った事は、

おかめの証言により明らかだ。

おぬしが、天明元年からこれまで、赤井様に贈った

まいないの額と品を記した証文も既に押収済だ。

もう、言い逃れは出来ぬぞ」

 吟味方与力の朝井健彦は、神妙な面持ちで述べた。

「手前は、おかめを身請けしてやったのですよ。

謂わば、恩人同然だ。その恩人を

おかめが陥れる様な事をするはずがない。

その証文も、何某が、手前を陥れる為に作った物にちげぇねえ」

 「宝来屋」の御隠居は、突きつけられた証文におののいた。

「何が、恩人だ。聞いて呆れるわい。

おかめを赤井様に渡す事が惜しくなり、

妓楼に、おかめを身売りし、善人ずらして、おかめに近づき、

弱みを握った挙句、身請けする事で、

我がものとしようと企んだおぬしこそ、

色欲の悪人と呼ぶに相応しい。

まいないの他にも、この事実を知り上訴しようとした

勇敢な者を赤井の家来とつるんで亡き者とした疑いがある」

 朝井が厳しい口調で言い放った。

「お待ち下され。赤井様の家来とつるんで、

何某を亡き者とした覚えは御座いません」

 「宝来屋」の御隠居は、白を通した。

「三年前、亀弥で、おぬしは、

勘定の倉地愛助と御鳥見組頭の佐野鷹介と密会しただろ? 

その帰りに、佐野様は、辻斬りに遭い、亡くなったのだ。

佐野様は、先に、自害なされた九里様に、

おぬしが、赤井様に、まいないを贈った事を話した。

九里様は、御上に上訴する為、佐野様に、

おぬしに近づき探る事を命じた。

その事を知ったおぬしは、佐野様に、馬酔木の毒を飲ませて、

手足の自由を奪った。手足が痺れ、

思う様に、動かせなくなった佐野様を赤井様が送った

刺客が斬り捨てたのではないか? 」

 朝井は、馬酔木から採った粉を見せると神妙な面持ちで述べた。

「これを、何処で、手に入れたので御座いますか? 」

 「宝来屋」の御隠居は、馬酔木の粉に目を見張った。

「おぬしが、おかめに預けた道具箱の中にあったのだ。

おかめに聞いたら、入っていた事すら知らなかった。

さすれば、おぬしが隠したとしか考えられまい」

 朝井の言葉に、「宝来屋」の御隠居は、言葉を失った。

馬酔木の粉は、おかめが、父の弥兵衛の部屋で見つけた物だが、

弥兵衛に、罪が及ばない為に、道具箱に入れておいたのだ。

「宝来屋」の御隠居は、馬酔木の粉の始末を弥兵衛に命じていただけに、

言い逃れは出来なかった。

 今日、明日にも、屋敷の家宅捜索が行われるという時に、

作事奉行の赤井忠好は、賄賂と御鳥見組頭の

佐野鷹介殺害の首謀者を小姓の佐平次に仕立てて、

屋敷内で、切腹を命じるという隠蔽工作を行う暴挙に出た。

火附盗賊改同心の西田春五郎に捕縛された五十川伊三郎は、

偽りの証言をした事を認めたが、

火附盗賊改頭の堀秀隆は、伊三郎を釈放しなかった。

佐平次が自害したという報せが届いた日の夜、

賢三郎の屋敷には、小者二人、安治、長八が集まった。

「作事奉行は、佐平次を自害させた事で、

事件は、落着したと安堵している事だろ」

 賢三郎は、鷹匠の九里翫之介、御鳥見組頭の佐野鷹介に続いて、

口封じの為なら、家来まで、亡き者とする赤井に、嫌悪感を覚えた。

「評定所からの再三の呼び出しにも、応じないと聞きますし、

あくまでも、家来が乱心の末に

しでかした不祥事として片付けるつもりでしょうか? 」

 長八も、捜査の進展が遅い事に、苛立ちを隠し切れなかった。

「何故、火盗改頭は、伊三郎を釈放なさらないのでしょうか? 」

 安治は、伊三郎が、おかめに説得されて

自訴しようとした事を聞いて、見直したところだった。

「井坂の旦那。お指図通り、松太郎を見張っておりますが、

あいつが、近頃、堺町をうろついているのが目につくのですが、

どうやら、芝居小屋の者どもに聞き込みを行っているみてえです」

 太兵衛は、賢三郎から命じられ、松太郎を尾行していた。

「芝居小屋の者どもに、何を聞いているのだ? 」

 賢三郎は、松太郎の行動には、必ず、意味があるとにらんでいた。

「それが、月方平七郎の事や、月方の元に出入りしている

薬売りの三条屋三四郎の事を聞いているみてえです。

念の為、三条屋三四郎の素性を調べたのですが、

越後から来た薬売りとしか解りませんでした。

三条屋三四郎が、月方の身辺に現れる様になったのは、

三年前からで、一時、月方が、巡業で江戸を離れていた期間は、

足取りが途切れましたが、月方が、江戸に帰国した頃、

再び、姿を見る様になったそうな」

 太兵衛が気になる事を報告した。

「ここに来て、平七の兄貴が浮上するとは驚いた。

伊三郎が釈放されない事をかんげえても、

平七の兄貴は、何だかの疑いをもたれているわけだな」

 安治が腕を組んで思案した。

 
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