第34話 安治を救え!

文字数 2,229文字

「火盗改は、手荒な吟味をするという風聞が御座います。

拷問に耐え切れず、やってもいねぇ罪を認めちまう者もいるとか」
 
 長八が言った。

「まずは、密告者を見つけねばならねえ。

あいつに、怨みを持つ奴に、心当たりはねぇかい? 」

 賢三郎が帳面を手に訊いた。

「旦那様が、襲われたあの日の夜、出くわしたという

あの亀弥の元主であれば、旦那様を逆恨みして、

陥れる密告をしてもおかしくはないでしょう」

 長八が冷静に答えた。

「亀弥の元主か。安治は何処で、

そいつに出くわしたか聞いているかい? 」

 賢三郎がメモを取りながら言った。

「三之橋の袂に、屋台が御座いまして、

その屋台の主が、元亀弥の主だったそうな」

 長八が覚え語った。

「三之橋の袂か。今夜、行ってみるか」

 賢三郎は、傍らにいた太兵衛に言った。

「考えによっては、牢に入っている間は、

命を狙われないという事にもなりますね」

 長八が真顔で言った。

「いんにゃ、そうとも言えねぇぜ。

刺客が、牢に送り込まれている事もあり得るわけさ。

牢の役人の中には、袖の下さえ受け取れば、

牢内で起きた事を見逃す不逞野郎もおるそうな」

 賢三郎が冷めた口調で言った。

「手前にも、何か、旦那様の為に出来やせんか? 」

 長八が身を乗り出して聞いた。

「おめえは、あいつから、店を任されたのだろ? 

安治の事は、わしらに任せて、

おめえは、あいつが帰るまで、店を守れ」

 賢三郎が強く言った。

「何卒、旦那様をお願い致します。

旦那様が、どうにかなっちまったら、

手前は、死んでも死に切れません」

 長八が思い詰めた様子で言った。

その夜。賢三郎は、小者二人を随えて、

三之橋の袂にある屋台に向かった。

「あの屋台です」

 太兵衛が、三之橋の袂にある屋台の近くまで来ると言った。

「まずは、あちらの出方を待つとするか」

 賢三郎は、外に、小者二人を残すと、

お客を装い、屋台の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい」

 屋台の主、弥兵衛がしゃがれ声で言った。

「蒟蒻一つに、大根一つ。それと、酒をくんねえし」

 賢三郎は、注文すると、何気なく周囲を見回した。

駕籠かきの若者二人が、肩を寄せ合い、

何やら、ヒソヒソ話をしながらおでんを食べていた。

「お客さん。酒はありやせんが、

冷汁でしたら、おつくり出来ますよ」

 弥兵衛は、蒟蒻一つと、大根一つを盛った皿を差し出すと言った。

「酒の代わりに、冷汁を出すとは、粋な事をするねえ」

 賢三郎が、弥兵衛をおだてた。

「暑いと、まんまが、食いたくなくなるでしょ。

冷汁ならば、喉の渇きを潤す事が出来る上に、腹も満たせる。

一石二鳥というわけさ」

 弥兵衛が薄ら笑いを浮かべた。

「ここは、長いのかい? 」

 賢三郎がさり気なく、探りを入れた。

「おかげ様で、屋台を始めてから、三年になりやす。

お客さんは、八丁堀の旦那でしょ? 

まだ、あの事件をお調べになっているのかい? 」

 弥兵衛は、時雨蛤を持った小鉢を賢三郎の目の前に置くと聞いた。

「いかにも」

 賢三郎は、時雨蛤に箸をつけた。

「うちに来た後、辻斬りに遭ったと聞いて驚きましたぜ」

 弥兵衛が言った。

「大将。美味かったぜ」

 駕籠かき二人が、代金を支払い出て行った。

「まいど」

 弥兵衛は、愛想良く、客を見送ると、素早く、暖簾をしまった。

「何だ、終いか? 」

 賢三郎が聞くと、弥兵衛は、賢三郎の横に腰を降ろした。

「旦那は、あっしを疑っていなさるのかい? 」

 弥兵衛が、賢三郎にジワジワとねじり寄った。

「長八は、安治を襲った野郎を見ていないと証言したそうな。

なれど、わしは、おめえが、怪しいとかんげぇている」

 賢三郎がまっすぐ、弥兵衛を見つめると告げた。

「あいつは、あっしの店を奪ったてんで、天罰をくらったわけさ。

あっしは、料理人だ。庖丁は使えるが、

刀の扱い方は知らねえ。あっしを疑うなんぞ、お門違いだぜ」

 弥兵衛は、隠し持っていた包丁を賢三郎の鼻の前に突きつけた。

「それで、脅したつもりか? 

わしは何も、おめえを刺客だとは疑っちゃあいない。

安治は今、あらぬ罪を疑われて、牢に入っている。

あいつが、牢にぶちこまれる様に仕向けたのは、おめえだろ。

おめえは、己が犯した罪をあいつになすりつけただろ」

 賢三郎は、庖丁を握る弥兵衛の手首をつかむとひねった。

弥兵衛はとっさに、手首を庇い、

そのはずみで握っていた庖丁を落とした。

落とした庖丁は、あろうことか、弥兵衛自身の左足の甲に突き刺さった。

「うわぁ」

 弥兵衛が片足立ちで悶絶した。

「突き刺さった庖丁は、抜かずに、

お医者の元に行った方が良いぞ。

無理に抜けば、傷口から、血が噴き出すだろ」

 賢三郎が冷静に告げた。

「助けてくんないか。頼む」

 弥兵衛が、男の悲鳴を聞きつけて駆けつけた小者二人に訴えた。

「村居先生の所まで、運んでやれ」

 賢三郎が、二人に命じた。

「かっちけねえ」

 弥兵衛が涙目で言った。

「うあああああ」

 その後、弥兵衛は、村居の元に担ぎ込まれた。

村居は、弥兵衛の左足の甲に突き刺さった庖丁を慎重に抜いた。

弥兵衛は、額に、脂汗をかきながらじっと耐えた。

「てめえの足に、庖丁を突き刺すとは、

親分を脅した罰があたったのさ」

 横で見ていた太兵衛は、弥兵衛の情けない顔が、おかしくて笑いを堪えた。

「笑ってねぇで、兄貴も、しっかり、

こいつが動かねぇ様に、腰を押さえていろよ」

 弥兵衛の肩を押さえていた忠蔵が、不真面目な太兵衛を咎めた。

「いてえ、いてぇよ。何て日だ。厄日にちげぇねえ」

 弥兵衛が天井を仰ぎ嘆いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み