第7話 2つの事件
文字数 2,901文字
「そうでもありませんぜ。御鷹の死因は、不明となっています」
賢三郎は、捕物帖の中身を帳面に書き取りながらつぶやいた。
「不明だって? そんなはずあるめえ」
町田は、捕物帖を賢三郎の手から奪うと読み出した。
「日高様は、御鷹の怪死事件の後に起きた佐野様の
辻斬り事件の検屍も務めておられる。
実は、佐野様の家人が、佐野様が亡くなったのは、
辻斬りに遭ったからではなく、伊三郎の仕業だと疑っていて、
わしに、再吟味を相談に来たんですよ」
賢三郎が冷静に告げた。
「何故、佐野鷹介の家人は、五十川伊三郎を疑っておるのだ? 」
町田が眼鏡をかけなおした。
「何某が、佐野様の家人に、伊三郎が、
佐野様に対する恨み言を申していたとたきつけたみてぇです」
賢三郎が、帳面を懐にしまうと言った。
「拙者は、辻斬りが、妥当だと思うがな」
町田がぼそりと言った。
「御鷹の死因が定まる前に、鷹匠の九里様が自害され、
佐野様も、辻斬りに遭い亡くなったというのは、
偶然にしては、出来過ぎだ。
何か、やばい事を知り過ぎちまって、
二人は、消されたとは、かんげえられませんか? 」
賢三郎は、二つの事件は、繋がっているとにらんでいた。
「御鷹の怪死事件の捜査を任された徒目付の小出長八だが、
事件後、遠国御用に赴いている。
事件の捜査を早々に、切り上げさせて、
体よく、遠国に追いやったとも考えられねぇ事もないぜ」
町田が、捕物帖を読み返しながら言った。
調べれば調べる程、謎は深まるばかりだった。
賢三郎達が蔵で、捕物帖を捜していた頃、安治が吉原に来ていた。
大門をくぐると、そこは、男たちにとっては、
非日常を忘れて、夢と自由を謳歌する事が出来る聖域であるが、
貧窮した親に身売りされた女たちにとっては、
借金を返すまで出る事の出来ない苦界とされている。
卯の刻に、馴染み客を見送ると、
若衆は、妓楼内の掃除に取り掛かり、
吉原の中にある店は商いを始める。
辰の刻、起床した遊女達は、朝風呂を浴びた後、
部屋持ち以外は、広間で朝食を取る。
安治が「近江屋」の前に来た時はちょうど、
朝食を済ませた遊女たちが、
昼見世に向けて身繕いを始めた頃だった。
安治は、「近江屋」の格子の前で、客引きをしていた
牛の島蔵を捉まえると、としを呼んでもらった。
「二軒先の茶屋で待っている様にとの事です」
島蔵は、安治に耳打ちすると、何食わぬ顔で持ち場に戻った。
安治は、視線を感じて、向かいの妓楼を見上げた。
すると、あだっぽい遊女が窓辺に坐り、外を眺めているのが見えた。
その遊女は、安治の視線に気づくと立ち去った。
「あちきをお呼びだと聞きいしたが、どちら様でおざいますか? 」
安治が、二軒先の茶屋でしばらく待っていると、
越後縮の浴衣を着た遊女が、安治の目の前の席に坐った。
白いうなじが眩しくて、安治は思わず釘づけになった。
「おいらは、安治と申す。姉さんが、近江屋のとしさんかい?
平七の兄貴から、姉さんならば、
助太刀してくれると聞いて来たのだが、
まことに、助太刀してくれるのかい? 」
安治が、としの顔をジッと見つめた。
吉原に売られて来る女子は、田舎出身が多いと聞くが、
としが、垢ぬけた雰囲気を漂わせていた。
「近江屋のとしとは、あちきの事でありんす。
平七兄さんが、おまはんに、あちきの事を、
左様に申しいしたのでしたら、
お引き受けしないわけには参りません。
それで、何をお知りになりたいのござんす? 」
としが涼し気な笑みを浮かべた。
「昨夜、お武家の奥様が、
五十茨と云う遊客を捜しに来なかったかい? 」
安治が何気に、としのうなじを盗み見た。
「五十茨おすか」
としが考える仕草をした。
「五十茨っていうのは異名だ。本名は、五十川伊三郎という。
捜しているお武家の奥様は、元御鳥見組頭、佐野鷹介様の奥様で、
名は、おたえというのだが、おたえさんは、
五十茨の事を、夫の命を奪った仇と疑い、
三年もの間、江戸の外を逃げているあいつを捜している。
五十茨の事で、何か、聞いた事はねぇかい? 」
安治が簡単に経緯を話した。
「五十茨さんなら、たしか、山城屋の小勝という遊女の馴染みの客ですよ。
先つ頃、宝来屋の御隠居から、身請けしたいという
お話があったっていうのに、あの娘ったら、
あろう事か、昨夜、逃げ出したのですよ。
今頃、吉原総出で、江戸市中を手分けして、
あの娘の行方を捜している事でしょうよ」
としが、小勝の話に、さほど興味無さそうに見えた。
「身請けの話をけってまで逃げるとは、
いってえ、どういうわけだい? 」
安治が首を傾げた。
吉原では、年季を終える前に、若くして病死する遊女も少なくない。
客に身請けされれば、年季の途中でも、吉原を出る事が出来る。
小勝は、吉原の中でも、一握りしかいないと言われている
僥倖を得た遊女となったにも関わらず、
あえて、危険な道を選んだ事になる。
安治には、小勝の気持ちが、どうも理解出来なかった。
「山城屋のふえさんと小勝は、三年前のちょうど、
同じ日に、山城屋に来ましてね、
年が近い事もあり、すぐ、姉妹みたいに、仲良くなったそうな。
ふえさんの方は、山城屋に身売りされた時には既に、
三味線や和歌が出来、所作もしっかり、身に着いているし、
気立てが良くて、べっぴんだてんで、
山城屋のお主は、それはもう、ふえさんを、寵愛して、
花魁の馴染みの客に、水揚げして頂いたそうな。
それからというもの、ふえさんの御指名は、
うなぎのぼりで、一気に、部屋を与えられるまでに出世したのでありんす。
それにひきかえ、小勝の方は、ぶきのくせに、
客を色好みする悪い癖があったもので、
なかなか、馴染みの客がつかなかったのでおざいます。
前、ふえさんの馴染みの客の五十茨さんが、
吉原では、客は一旦、遊女を買うと、
同じ廓で、他の遊女を買う事は出来ない事に
なっているのを知ってか否や、小勝を指名したそうな。
五十茨さんの裏切りを知ったふえさんが、
同衾中の二人の元に、乗り込んで、大騒ぎになったのでおざいます。
その後、小勝は、鞍替えをされないばかりか、
今では、五十茨さんは、小勝の馴染みの客だっていうじゃ御座んせんか。
考えられますか? 」
としは、ふえの馴染みの客を寝取った小勝には、良い印象を持てないが、
馴染みの客を取られたふえには、同情の気持ちがあるらしい。
「ふえさんにとっちゃあ、小勝って遊女は、
馴染みの客を寝取った憎い女子だ。
身請けの話を蹴って、逃げる様な真似をされて、
今度ばかりは、黙っちゃあいねぇじゃねぇのか? 」
安治の言葉に、としが含み笑いした。
「ふえさんは、騒ぎを起こして以来、
客を取っていないと聞いていす。小勝は、鞍替えになっても、
おかしくはなかったのですが、ちょうど、身請け話が持ち上がり、
吉原を出る事が決まって、あの娘は、命拾いしたのでおざいます」
としがつまらなそうに言った。
「裏切り者から、僥倖を得た女に、見事、へんげしたわけか」
安治が大きく相槌を打った。
「五十茨さんをお捜しなら、遊女が隠れていそうな場所を捜したらどうです?
小勝は、五十茨さんと添い遂げたくて、逃げたに違いありませんよ」
としが自信があり気に言い切った。
賢三郎は、捕物帖の中身を帳面に書き取りながらつぶやいた。
「不明だって? そんなはずあるめえ」
町田は、捕物帖を賢三郎の手から奪うと読み出した。
「日高様は、御鷹の怪死事件の後に起きた佐野様の
辻斬り事件の検屍も務めておられる。
実は、佐野様の家人が、佐野様が亡くなったのは、
辻斬りに遭ったからではなく、伊三郎の仕業だと疑っていて、
わしに、再吟味を相談に来たんですよ」
賢三郎が冷静に告げた。
「何故、佐野鷹介の家人は、五十川伊三郎を疑っておるのだ? 」
町田が眼鏡をかけなおした。
「何某が、佐野様の家人に、伊三郎が、
佐野様に対する恨み言を申していたとたきつけたみてぇです」
賢三郎が、帳面を懐にしまうと言った。
「拙者は、辻斬りが、妥当だと思うがな」
町田がぼそりと言った。
「御鷹の死因が定まる前に、鷹匠の九里様が自害され、
佐野様も、辻斬りに遭い亡くなったというのは、
偶然にしては、出来過ぎだ。
何か、やばい事を知り過ぎちまって、
二人は、消されたとは、かんげえられませんか? 」
賢三郎は、二つの事件は、繋がっているとにらんでいた。
「御鷹の怪死事件の捜査を任された徒目付の小出長八だが、
事件後、遠国御用に赴いている。
事件の捜査を早々に、切り上げさせて、
体よく、遠国に追いやったとも考えられねぇ事もないぜ」
町田が、捕物帖を読み返しながら言った。
調べれば調べる程、謎は深まるばかりだった。
賢三郎達が蔵で、捕物帖を捜していた頃、安治が吉原に来ていた。
大門をくぐると、そこは、男たちにとっては、
非日常を忘れて、夢と自由を謳歌する事が出来る聖域であるが、
貧窮した親に身売りされた女たちにとっては、
借金を返すまで出る事の出来ない苦界とされている。
卯の刻に、馴染み客を見送ると、
若衆は、妓楼内の掃除に取り掛かり、
吉原の中にある店は商いを始める。
辰の刻、起床した遊女達は、朝風呂を浴びた後、
部屋持ち以外は、広間で朝食を取る。
安治が「近江屋」の前に来た時はちょうど、
朝食を済ませた遊女たちが、
昼見世に向けて身繕いを始めた頃だった。
安治は、「近江屋」の格子の前で、客引きをしていた
牛の島蔵を捉まえると、としを呼んでもらった。
「二軒先の茶屋で待っている様にとの事です」
島蔵は、安治に耳打ちすると、何食わぬ顔で持ち場に戻った。
安治は、視線を感じて、向かいの妓楼を見上げた。
すると、あだっぽい遊女が窓辺に坐り、外を眺めているのが見えた。
その遊女は、安治の視線に気づくと立ち去った。
「あちきをお呼びだと聞きいしたが、どちら様でおざいますか? 」
安治が、二軒先の茶屋でしばらく待っていると、
越後縮の浴衣を着た遊女が、安治の目の前の席に坐った。
白いうなじが眩しくて、安治は思わず釘づけになった。
「おいらは、安治と申す。姉さんが、近江屋のとしさんかい?
平七の兄貴から、姉さんならば、
助太刀してくれると聞いて来たのだが、
まことに、助太刀してくれるのかい? 」
安治が、としの顔をジッと見つめた。
吉原に売られて来る女子は、田舎出身が多いと聞くが、
としが、垢ぬけた雰囲気を漂わせていた。
「近江屋のとしとは、あちきの事でありんす。
平七兄さんが、おまはんに、あちきの事を、
左様に申しいしたのでしたら、
お引き受けしないわけには参りません。
それで、何をお知りになりたいのござんす? 」
としが涼し気な笑みを浮かべた。
「昨夜、お武家の奥様が、
五十茨と云う遊客を捜しに来なかったかい? 」
安治が何気に、としのうなじを盗み見た。
「五十茨おすか」
としが考える仕草をした。
「五十茨っていうのは異名だ。本名は、五十川伊三郎という。
捜しているお武家の奥様は、元御鳥見組頭、佐野鷹介様の奥様で、
名は、おたえというのだが、おたえさんは、
五十茨の事を、夫の命を奪った仇と疑い、
三年もの間、江戸の外を逃げているあいつを捜している。
五十茨の事で、何か、聞いた事はねぇかい? 」
安治が簡単に経緯を話した。
「五十茨さんなら、たしか、山城屋の小勝という遊女の馴染みの客ですよ。
先つ頃、宝来屋の御隠居から、身請けしたいという
お話があったっていうのに、あの娘ったら、
あろう事か、昨夜、逃げ出したのですよ。
今頃、吉原総出で、江戸市中を手分けして、
あの娘の行方を捜している事でしょうよ」
としが、小勝の話に、さほど興味無さそうに見えた。
「身請けの話をけってまで逃げるとは、
いってえ、どういうわけだい? 」
安治が首を傾げた。
吉原では、年季を終える前に、若くして病死する遊女も少なくない。
客に身請けされれば、年季の途中でも、吉原を出る事が出来る。
小勝は、吉原の中でも、一握りしかいないと言われている
僥倖を得た遊女となったにも関わらず、
あえて、危険な道を選んだ事になる。
安治には、小勝の気持ちが、どうも理解出来なかった。
「山城屋のふえさんと小勝は、三年前のちょうど、
同じ日に、山城屋に来ましてね、
年が近い事もあり、すぐ、姉妹みたいに、仲良くなったそうな。
ふえさんの方は、山城屋に身売りされた時には既に、
三味線や和歌が出来、所作もしっかり、身に着いているし、
気立てが良くて、べっぴんだてんで、
山城屋のお主は、それはもう、ふえさんを、寵愛して、
花魁の馴染みの客に、水揚げして頂いたそうな。
それからというもの、ふえさんの御指名は、
うなぎのぼりで、一気に、部屋を与えられるまでに出世したのでありんす。
それにひきかえ、小勝の方は、ぶきのくせに、
客を色好みする悪い癖があったもので、
なかなか、馴染みの客がつかなかったのでおざいます。
前、ふえさんの馴染みの客の五十茨さんが、
吉原では、客は一旦、遊女を買うと、
同じ廓で、他の遊女を買う事は出来ない事に
なっているのを知ってか否や、小勝を指名したそうな。
五十茨さんの裏切りを知ったふえさんが、
同衾中の二人の元に、乗り込んで、大騒ぎになったのでおざいます。
その後、小勝は、鞍替えをされないばかりか、
今では、五十茨さんは、小勝の馴染みの客だっていうじゃ御座んせんか。
考えられますか? 」
としは、ふえの馴染みの客を寝取った小勝には、良い印象を持てないが、
馴染みの客を取られたふえには、同情の気持ちがあるらしい。
「ふえさんにとっちゃあ、小勝って遊女は、
馴染みの客を寝取った憎い女子だ。
身請けの話を蹴って、逃げる様な真似をされて、
今度ばかりは、黙っちゃあいねぇじゃねぇのか? 」
安治の言葉に、としが含み笑いした。
「ふえさんは、騒ぎを起こして以来、
客を取っていないと聞いていす。小勝は、鞍替えになっても、
おかしくはなかったのですが、ちょうど、身請け話が持ち上がり、
吉原を出る事が決まって、あの娘は、命拾いしたのでおざいます」
としがつまらなそうに言った。
「裏切り者から、僥倖を得た女に、見事、へんげしたわけか」
安治が大きく相槌を打った。
「五十茨さんをお捜しなら、遊女が隠れていそうな場所を捜したらどうです?
小勝は、五十茨さんと添い遂げたくて、逃げたに違いありませんよ」
としが自信があり気に言い切った。
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