第4話 必死の思い

文字数 2,349文字

「くそっ。同時に、飛び出す馬鹿がいるかよ」

 賢三郎が顔をしかめながら、ぶつけた肩をさすった。

「親分、勘弁してくんねえし」

 安治が平謝りした。

「いいか、覚えておけ。わしは、おたつを助太刀するのであって、

てめえを助太刀するわけではねえ」

 賢三郎が、安治に詰め寄った。

「合戦承知の助」

 安治がから元気で返事した。 

 二人は、堺町にある「中村座」の近くまでやって来た。

「中村座」は、年の初めに発生した神田旅篭町の火事で、

「桐座」と共に焼失したが、五月になり、

ようやく再築して、興行を再興したが、

不あたりが続き、活気が感じられなかった。

おたつは、安治が思った通り、雨が降りしきる中、

「中村座」の前に立ち尽くしていた。

「おたつちゃん」

 安治が優しく、おたつに声を掛けた。

「安治さん、井坂様」

 おたつは、二人に気づくと気まずそうな顔をした。

「あいにく、今日は、休みのようです。

楽屋にも、どなたもいませんでしょうよ」

 おたつが楽屋の方を見た。

「諦めるのはまだ、早いぜ。念の為、楽屋に、まわってみようぜ」

 安治が率先して、芝居小屋の裏手にある楽屋入口に向かった。

賢三郎とおたつも、安治の後に続いた。

「御免下さい」

 安治が楽屋入口の戸を乱暴に叩いた。

「しばしの間、芝居は休みだよ」

少しして、戸の向こう側から、か細い声が聞こえた。

「町方同心の井坂様がお見えだ。それでも、開けねえつもりかい? 」

 安治がドスの利いた声でがなった。

「八丁堀の旦那が、いってえ、何の用ですか? 」

 戸が静かに開き、姿を見せたのは、

小柄で、背の低い気の弱そうな手代だった。

「この者に、見覚えはねえかい? 」

 安治は、おたつの証言をもとに、

絵師を志す子分に描かせた五十川伊三郎の人相書きを、

手代の鼻先に突き出した。

「あ、五十茨さんではないか。

とうとう、八丁堀の旦那のお世話になる事をやらかしましたか」

 手代は、人相書きを眺めると言った。

「とにかく、入らせてもらうぜ」

 賢三郎達は、手代を押し退けると、楽屋に上がり込んだ。

「よお、兄い連。五十茨を見なかったかい? 」

 安治は、前を歩いていた若衆に追いつくと威勢良く聞いた。

「五十茨さんなら、稽古場じゃねぇですか」

 その内のひとりが大声で答えた。

「そんならば、稽古場まで、我々を案内してくんないか」

 安治は、ニヤリと笑った。

若衆が突然、やって来た珍客を面白がって、

三人を取り囲む様にして、稽古場兼大部屋まで誘導した。

廊下の突き当りに、その稽古場兼大部屋はあった。

「ここが、そうか」

 安治は、入口に立つと、部屋の中をざっと見渡した。

五十茨の姿を目で捜したが、

とにかく、似たような背格好の若者ばかりが、大勢集まっていたため、

誰が誰だか、判別不可能であった。賢三郎もおたつも、

若い男の熱気に圧倒されている様子であった。

「おい、五十茨は、どいつだ? 」

 安治は、部屋を出て行こうとする若者を捉まえて聞いた。

「五十茨さんなら、今日は来ていませんよ」

 その若者は、安治を一瞥すると素っ気なく答えた。

「お師匠様が、お着きになったぞ」

 どこからともなく、声が聞こえたと思えば、

たった今まで、賑やかに騒いでいた

若衆が静かになり、整然と横三列に並んだ。

「いってえ、何を、おっ始めようてんだい? 」

 賢三郎は整然と並んだ浴衣姿の若者たちの姿に、ただならぬ気配を感じた。

「踊りの稽古が始まるのさ」

 気がつくと、おたつの傍らに、どこか花のある伊達男が立っていた。

その男は、五代目市川團十郎を師事し、

「月方平七郎」と名乗る売り出し中の役者だ。

間もなくして、廊下が、一段と賑やかになった。

現れたのは、踊りで培ったしなやかな細身の体つきと、

人生の酸いも甘いも味わった気骨さとが融合した

独特な雰囲気を醸し出している初老の役者であった。

その初老の役者は、若衆の前に進み出ると、

おもむろに、扇子を手にした。

それと同時に、三味線が鳴り、

若衆が一心不乱に、師匠と同じ様にして舞い始めた。

「五十茨に会いに来たというお武家の女子がいたが、

ひょっとして、お嬢さんは、あのお武家の女子の娘か何かかい? 」

 月方が、おたつの耳元でささやいた。

「左様で御座います。五十茨さんに会いに参ったお武家の女子とは、

恐らく、私の母上です。母上は、

五十茨さんと会えたので御座いましょうか? 」

 おたつは、興奮気味に聞き返した。

「ここでは、何ですから、二階にどうぞ」

 月方は、三人を二階にある部屋に案内した。

間もなくして、弟子が、お茶を運んで来た。

「あの、母上は、どちらにおりますか? 」

 おたつがたまらず話を切り出した。

「ここにはもう、いませんよ」

 月方があっさりと答えた。

「おい、兄さん。部屋にまで招いておいて、それはねぇだろ」

 賢三郎が苛々し気に言った。

「いやなに、八丁堀の旦那に、楽屋をうろつかれては、

何かと、厄介だってんで、お連れしたわけさ」

 月方は、すました顔で言った。

「井坂様。ひょっとすると、母上は、あの人の行方を捜している間に、

何かの事件に巻き込まれたのかもしれません」

 おたつが、賢三郎に耳打ちした。

「兄さん。五十茨の居所を知っているなら、教えてくんないか」

 賢三郎が丁重に頼んだ。

「五十茨は、この頃、吉原に入り浸り、稽古には来ていませんよ。

どうやら、小勝とかいう遊女に、相当入れ込んでいるみてぇだ」

 月方が素っ気なく語った。

「奥様が、いくら、仇を捜す為とは云え、

悪所の一つにあたる吉原なんぞに、

自ら乗り込むなんぞ、あるはずがねえ」

 安治が独り言の様につぶやいた。

「今の母上ならば、武家のたしなみなんぞ、頭に御座いません」

 おたつがきっぱりと断言した。

「お嬢さん。奥様の事は、ひとまず、わしらに預けてくんないか? 」

 賢三郎がやんわりと伺い立てた。
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