第20話 太客

文字数 2,151文字

「商人にしては、薄汚ねぇ恰好をしていると思っていたところだ。

その恰好は、聞き込みをしやすくする為なのかい? 」

 幸吉が感心した様子で言った。

「まっ、そんなところだ。さるにても、

おいらが、八丁堀の旦那に、おまえの事を伝えれば、

おまえは、間違いなく、疑いの目をかけられる。

おまえには、御挙場に於いて捕えた雀を売った疑いもある」

 安治が溜息交じりに言った。

「三年も前の話だぜ。御鷹の怪死事件は、鷹匠の自害で落着したはずだ」

 幸吉は、焦った様子で言った。

「とにかく、御鷹が、おまえが拾って来た

雀を食って死んだのではないという証がない限り、

おまえは、疑われたままというわけさ。

伊三郎の野郎も、真っ先に、おまえに、濡れ衣を着せたではないか」

 安治が、幸吉を焦らせた。

「伊三郎さんが、おらを陥れるはずがねえ。

御鷹が死んだのは、まことに、雀を食ったせいなのか? 」

 幸吉が眉間にしわを寄せた。

「せめて、御鷹の屍があれば、再検屍出来るのだが、

三年も経った今では、無理な話だな」

 安治が深い溜息をついた。

「御鷹の屍ならあります。伊藤の旦那から、

御鷹部屋に、御鷹の剥製が置いてあると聞いた覚えがある」

 幸吉は、鳥屋の主人、伊藤久兵衛の話になると嬉しそうに語った。

「怪死した御鷹を剥製にするなんぞ、

よくもまあ、おぞましい事が出来るねえ」

 安治は、しかめ面をした。

怪死した御鷹を剥製にするとは、悪趣味だと思った。

「家基様が薨去して以来、上様は、家基様の名をつけた

御鷹を寵愛なさっておられたが、その御鷹が死んじまって、

寝食を忘れるほど、哀しまれておられるてんで、

おなぐさみにして頂こうと、何某が、

御鷹を剥製にして献上されたと聞いている。

なれど、その御鷹のせいで、上様の持病が悪化したと申す御医師がいて、

千駄木の御鷹部屋に引き下げられたそうな」

 幸吉が神妙な面持ちで言った。

翌朝、安治が、旅支度をしていると、幸吉がすり寄って来た。

「兄貴。江戸に帰るなら、おらも、連れて行ってくんないか」

「何だって? 」

 安治がわざと聞き返した。

「疑われたままでは、胸くそわりいしさ。

あんたに、出くわしたのも、何かの縁だ。この際、ケリをつけてやるさ」

 帰路は、連れがいた事もあり、あっという間に江戸に着いた。

夕暮れに着いて、安治は、その足で、「亀弥」に向かった。

数日、来ない間に、「亀弥」は、あの月方平七郎が通う店として有名になり、

開店前から、店の前に行列が出来ていた。

「平七と気安く呼んでいたが、平七郎様と呼ばねばなるまい。

平七郎様の興行の折は、酒樽でも差し入れするかね」

 安治は、盛況ぶりに機嫌を良くした。

「平七郎さんには、御贔屓にして頂いてありがてぇが、

歌舞伎役者の人気にあやかるみてぇで、何だか、気が引けやす」

 板長の長八が、一人、暗い顔をしていた。

「長八。おまえは、何でも、真面目に考え過ぎる。

この機を利用して、おまえの腕を世間に知らしめれば、

おのずと、おまえがこしらえた料理の味を求めて、

お客が押し寄せる様になるさ」

 安治は、長八の不安を笑い飛ばした。

「菊之間のお客様が、旦那様と板長をお呼びです」

 月方平七郎の居る座敷を担当している軽子のおそのが、板場に顔を出した。

「早速、おいでなすった。では参ろう」

 安治は、張り切って、月方とその連れの客が待つ菊之間に向かった。

「ひょっとして、料理に対する苦言ではねぇですか? 」

 長八は、調子に乗って、味が落ちたと言われるのではないかと不安らしい。

「もっと、自信を持てよ。大方、新しい客でも連れて来たのだろ。ただの顔見せだ」

 安治が、長八を勇気づけた。

「失礼つかまつります。お二人をお連れしました」

 おそのが、緊張した面持ちで中に声をかけた。

「どうぞ」
 中から、月方の声が聞こえた。

おそのが、障子を開けると、恰幅の良い商人と並んで坐る月方の姿が見えた。

「亀弥の主、安治で御座います。本日は、お越し頂きありがとう御座います」

 安治が丁寧に挨拶した。長八もつられて頭を下げた。

「固苦しい挨拶は抜きだ。旦那と板長に頼みたい事があり呼んだわけさ。

こちらは、吉原の一の妓楼、山城屋の主、山城屋金右衛門殿だ」

 月方が赤ら顔で告げた。

「山城屋金右衛門と申します。お見知り置きを」

 金右衛門が深々と頭を下げた。

「山城屋の旦那様が、直々に、手前どもに頼みたい御用件とは、何で御座いますか? 」

 安治は、一瞬、身構えた。「山城屋」といえば、小勝がいる妓楼だ。

「八朔の日に、この度、めでたく花魁となったふえの

御披露目を兼ねた酒宴を催す事にしたのだが、

是非とも、亀弥の料理で、お客様のおもてなしをしたいとお願いにあがった次第です」

 金右衛門が朗らかに言った。

「こいつは驚いた。吉原一の妓楼と謳われる山城屋から、御指名を受けるとはねえ」

 安治は、吉原通いをしている連中が嫌いだった。

皮肉を言ったつもりが、金右衛門には、謙遜していると取られたらしい。

「お招きするのは、吉原の穿ちを知る大尽ばかりでして、

きのじやの料理では、御満足頂けないと存じます。

平清と、一二を争う大盛況ぶりの亀弥さんの料理であれば、

充分なおもてなしが出来ると期待しております。

是非とも、お考え頂けませんか? 」

 金右衛門が、安治の手を強く握ると懇願した。
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