第48話 妾の屋敷
文字数 3,925文字
賢三郎は、「宝来屋」の御隠居の妾の屋敷の家宅捜索を命ぜられた。
「宝来屋」の御隠居が、捕縛され、
さぞかし、弥兵衛とおかめ親子はあわてているかと思いきや、
弥兵衛は、今回の事で、心を入れ替えると言い、
知人が経営する飯屋で、料理人として働き始め、
おかめは予定通り、商家の御嬢様たちを集めて、手習いを始めたという。
「お好きにどうぞ。ただし、今日中に、終わらせて下さいよ。
明日は、生徒さんが来る日なんですよ。
八丁堀の旦那に、屋敷の中をうろつかれては、
皆が、怖がって来たがりませんからねえ」
おかめはすっかり、手習いの師匠の貫録を身に着けていた。
「井坂の旦那。御鳥見組頭の佐野鷹介様の事件の再吟味が始まったら、
あっしらも、お白洲に呼ばれるのですか? 」
弥兵衛が、賢三郎を捉まえると聞いた。
「佐野様は、亀弥を出た後、何某に襲われて殺められたのだ。
しかも、おかめは、宝来屋がたてものを
作事奉行に贈った生き証人でもある。
当然、証人として、お白洲に立たねばならねぇだろ」
賢三郎は念の為、二人に監視をつけていた。
「井坂の旦那。弥兵衛の部屋から、こんな物が出て来ました」
弥兵衛の部屋を捜索していた太兵衛がニヤニヤしながら、
蒔絵を施した螺鈿細工の道具箱を胸に抱えてやって来た。
「いかにも、金目の物が入っていそうな箱ではないか」
賢三郎が仏丁面で言った。
「あの、それは」
弥兵衛はあわてて、道具箱を取り返そうとした。
「開けてみろ」
賢三郎は、太兵衛に、道具箱を開ける様に命じた。
太兵衛が慎重に、道具箱を開けた。
すると、白い和紙の包みが入っていた。
太兵衛は、白い和紙の包みを広げた。
「何ですか、これは? 」
太兵衛は、顔を歪めながら、誰のモノなのかわからない、
白い紐で結わえられた長い黒髪を手に取ると賢三郎に見せた。
「うわぁ。気味がわりい。誰のモノだ」
賢三郎が顔をしかめた。
「あっしのモノでは御座いません」
弥兵衛がおずおずと答えた。
「そんならば、誰のモノなのだ? ひょっとして、盗んで来たのか? 」
賢三郎が、弥兵衛を問い詰めた。
「井坂の旦那。おとっつぁんを責めないでおくれな。
それは、わたいが、御隠居から預かった品なんです」
おかめが、弥兵衛を庇った。
「誰の髪と爪だ? 」
賢三郎が、おかめに訊いた。
「知りません。おとっつぁんは、
わたいが、気味がるものだから、代わりに、預かってくれただけです」
おかめは必死に取り繕った。
「伊三郎が、宝来屋から、盗んだ品にちげぇねえ。
宝来屋は、何も盗まれていねぇと証言したが、
伊三郎は、おめえに、命ぜられて盗んだのだ」
賢三郎は言った。
「長八に、亀弥の沽券をちらつかされて、
つい、出来心でやっちまいました。
長八は、おかめから、証文を受け取ったおかげで、
上訴が上手く行ったと聞きやした。
おかめの手柄に免じて、何卒、お見逃し下せえ」
弥兵衛がその場に土下座すると、罪を見逃す様に懇願した。
「おとっつぁん。それは、ないだろ」
おかめが呆れ顔で言った。
「亀弥の沽券を渡せと申したのは、おめえだろ。
伊三郎の弱みにつけ込んで、盗みをやらせるとは不逞野郎だ。
宝来屋は、窃盗の届けは出していねぇが、
切羽詰まれば、宝来屋の御隠居は、
おめえを陥れる為、盗人として、おめえを訴えるかもしれねえ。
道連れにされたくなければ、三年前の事件の再吟味に応じろ」
賢三郎が、弥兵衛を脅し賺した。
「ははあ。参りやした」
弥兵衛は、参ったとばかりに平伏した。
「井坂の旦那。おとっつぁんが、御迷惑おかけしました」
おかめも深々と頭を下げた。
賢三郎は、太兵衛に、
誰のモノなのか知らない髪の毛と爪を三ノ輪の浄閑寺に納めさせた。
伝馬町の牢屋敷にぶちこまれた「宝来屋」の御隠居は、
吟味の際の厳しい拷問に耐えかねて、
少しずつだが、罪を自白し始めたという。
おたつは、伊三郎から、巡業に参加する為、
しばらくの間、江戸を離れる旨の書状を受け取り、
伊三郎が暮らす浅草の長屋に急いだ。
書状には、三年前、伊三郎が、
佐野が殺められる所を目撃したにも関わらず黙って、
江戸を去った事への謝罪も記されていた。
おたつが、長屋の近くに来た時、
伊三郎がちょうど、長屋から出て来た。
「伊三郎さん。また、お逃げになるので御座いますか? 」
おたつが、伊三郎に駆け寄ると問い詰めた。
「巡業が始まったのだ。逃げるわけではない」
伊三郎には、悪びれた様子は、微塵も感じられなかった。
「父上の事件の再吟味が、間もなく、始まります。
伊三郎さんも、吟味に応じて下さい」
おたつが頭を下げた。
「そうしたいのは、山々なんだが、
再吟味に応じていたら、巡業に参加出来なくなる。
宝来屋の御隠居の悪事が暴かれれば、
お父上を殺害した張本人も捕縛されるだろ。
見たと言っても、暗がりだったし、
三年も前の事で、よく、覚えていないのだ。
わりいが、吟味に応じたとしても、大した証言は出来ねえ」
伊三郎が面倒くさそうに言った。
「貴方は、父上に、散々、世話になったのではないですか?
貴方が残した借金のせいで、私どもは、屋敷を手放したのですよ。
父上だけでなく、私どもにも迷惑をかけておいて、
私どもの切なる頼みを拒むと申すのですか? 」
おたつが声を荒げた。
「借金は、いつか、返す。役者として、
今が、正念場なんだ。許してくんないか」
伊三郎は、おたつを振り切ると木戸を出た。
「伊三郎さん。お待ちなさいよ」
木戸を出た伊三郎を通せんぼするかの様に、
おかめが仁王立ちしていた。
「おかめ。そこをどいてくんないか? 」
伊三郎が低い声で言った。
「行かせやしないよ。いつまで、逃げるんだい? 」
おかめが、伊三郎を突き飛ばした。
「おかめさん。どうかなさったのですか? 」
おたつは、二人に駆け寄った。
「おたつさん。わたいは、直訴する事にしたよ」
おかめが、おたつに微笑みかけた。
「おかめ。おまえは、それで、良いのかい?
新たな人生に、水をさす事になるんだぜ」
伊三郎は、おかめを思いとどまらせようとした。
「負い目を感じて生きるよりマシさ。
おまはんが、時より、悪夢にうなされているのは、罪の意識があるからだ」
おかめは、伊三郎に手を差し伸べた。
伊三郎は、おかめの手をつかむと立ち上がった。
「何があったのか、話して頂けませんか? 」
おたつは、真摯に訴えた。
伊三郎は、観念した様に、二人を二之橋に連れて行った。
「ここに連れて来たという事は、決心が着いたんだね? 」
おかめが、伊三郎を問いただした。
「あの日、おやじさんから、話があるからとこの橋の上に呼び出された。
約束の刻に、二之橋の袂に着くと、
おやじさんが、編笠を被った浪人と橋の真ん中で対峙しているのが見えた。
おやじさんは、酒に酔っているのか、だいぶ、ふらついていた。
おやじさんが、橋の欄干によろけたその時、
編笠を被った浪人は、おやじさんを斬りつけた。
鈍い音がして、おやじさんが倒れたのが見えた。
わしは、怖ろしくなり、その場を立ち去ったが、
逃げるところを、その刺客に見られたと案じて、
そのまま、江戸を離れた。いつ、その刺客が口封じの為、
殺しにやって来るかと気が気でなく、
わしは、旅篭屋で出会った旅まわりの一座に加わり、
各地を巡業しながら、逃亡生活を送る事にした。
江戸に帰って来たのは、一座の座長だった平七兄さんが、
中村座の興行に招かれた故の事だ」
伊三郎が覚え語った。
「何故、私どもと再会した折、
話して下さらなかったので御座いますか? 」
おたつが責める様に訊いた。
「井坂の旦那から、おまえらが、
わしがおやじさんを殺めたと疑っていると聞いて怖くなったわけさ。
それに、おやじさんを殺害した刺客の捜査が始めれば、
わしは口封じの為、命を狙われる事になるだろ」
伊三郎は顔を強張らせた。
「おまはんという人は、困った人だねえ。
呆れすぎて返す言葉もないよ」
おかめは大きな溜息をついた。
「自訴して下さい。さすれば、身の安全は、保障されると存じます」
おたつは、伊三郎に自首を勧めた。
「自訴すれば、わしも、何だかの罪に問われるだろ」
伊三郎は、踏ん切りがつかない様子であった。
おかめは懐から書状を取り出すと、二人に見せた。
「わたいは、この申し状を持って、
御番所にわたいが三年前、宝来屋により、京人形に仕立てられ、
作事奉行の屋敷に贈られた事を直訴しに行くつもりさ。
一人が怖いならば、おまはんも、わたいについて来なよ」
おかめが、伊三郎を促した。
「自訴するよ。すれば良いのだろ」
伊三郎は、半ば、投げやりになっておかめの誘いに応じた。
しかし、そう上手い具合には行かなかった。
二人が、おたつと別れて、奉行所に向けて歩いていると、
火附盗賊改同心の西田春五郎が、
小者の松太郎を随えて二人を追いかけて来たのだ。
「しんみょうにしろい。
浅草山川町浪人、五十川伊三郎。
三年前、御鳥見組頭の佐野鷹介が、辻斬りにより殺害された折、
証言を偽装し出奔した罪によりひっ捕える」
西田は、罪状を読み上げると、松太郎に命じて、伊三郎を捕縛した。
「一体、何の罪で、伊三郎さんにお縄をかけるのさ? 」
おかめは、突然の捕縛に抵抗した。
「さきしがた、こいつの長屋の近所で、
おまえらが、こいつと話しているのを聞かせてもらったぜ。
こいつは三年前、わしらが、聞き込みを行った折、
何も知らねえと証言した後に出奔しやがった。
佐野様を殺めた張本人は未だ、捕縛されていねえ。
わしらは、ずっと、辻斬りの張本人の行方を探索していたわけさ」
西田は、事情を一通り話し終えると、伊三郎をしょっぴいた。
おかめはすぐさま、伊三郎が捕縛された事を賢三郎に伝えに走った。
その頃、賢三郎は、奉行所にいた。
「宝来屋」の御隠居が、捕縛され、
さぞかし、弥兵衛とおかめ親子はあわてているかと思いきや、
弥兵衛は、今回の事で、心を入れ替えると言い、
知人が経営する飯屋で、料理人として働き始め、
おかめは予定通り、商家の御嬢様たちを集めて、手習いを始めたという。
「お好きにどうぞ。ただし、今日中に、終わらせて下さいよ。
明日は、生徒さんが来る日なんですよ。
八丁堀の旦那に、屋敷の中をうろつかれては、
皆が、怖がって来たがりませんからねえ」
おかめはすっかり、手習いの師匠の貫録を身に着けていた。
「井坂の旦那。御鳥見組頭の佐野鷹介様の事件の再吟味が始まったら、
あっしらも、お白洲に呼ばれるのですか? 」
弥兵衛が、賢三郎を捉まえると聞いた。
「佐野様は、亀弥を出た後、何某に襲われて殺められたのだ。
しかも、おかめは、宝来屋がたてものを
作事奉行に贈った生き証人でもある。
当然、証人として、お白洲に立たねばならねぇだろ」
賢三郎は念の為、二人に監視をつけていた。
「井坂の旦那。弥兵衛の部屋から、こんな物が出て来ました」
弥兵衛の部屋を捜索していた太兵衛がニヤニヤしながら、
蒔絵を施した螺鈿細工の道具箱を胸に抱えてやって来た。
「いかにも、金目の物が入っていそうな箱ではないか」
賢三郎が仏丁面で言った。
「あの、それは」
弥兵衛はあわてて、道具箱を取り返そうとした。
「開けてみろ」
賢三郎は、太兵衛に、道具箱を開ける様に命じた。
太兵衛が慎重に、道具箱を開けた。
すると、白い和紙の包みが入っていた。
太兵衛は、白い和紙の包みを広げた。
「何ですか、これは? 」
太兵衛は、顔を歪めながら、誰のモノなのかわからない、
白い紐で結わえられた長い黒髪を手に取ると賢三郎に見せた。
「うわぁ。気味がわりい。誰のモノだ」
賢三郎が顔をしかめた。
「あっしのモノでは御座いません」
弥兵衛がおずおずと答えた。
「そんならば、誰のモノなのだ? ひょっとして、盗んで来たのか? 」
賢三郎が、弥兵衛を問い詰めた。
「井坂の旦那。おとっつぁんを責めないでおくれな。
それは、わたいが、御隠居から預かった品なんです」
おかめが、弥兵衛を庇った。
「誰の髪と爪だ? 」
賢三郎が、おかめに訊いた。
「知りません。おとっつぁんは、
わたいが、気味がるものだから、代わりに、預かってくれただけです」
おかめは必死に取り繕った。
「伊三郎が、宝来屋から、盗んだ品にちげぇねえ。
宝来屋は、何も盗まれていねぇと証言したが、
伊三郎は、おめえに、命ぜられて盗んだのだ」
賢三郎は言った。
「長八に、亀弥の沽券をちらつかされて、
つい、出来心でやっちまいました。
長八は、おかめから、証文を受け取ったおかげで、
上訴が上手く行ったと聞きやした。
おかめの手柄に免じて、何卒、お見逃し下せえ」
弥兵衛がその場に土下座すると、罪を見逃す様に懇願した。
「おとっつぁん。それは、ないだろ」
おかめが呆れ顔で言った。
「亀弥の沽券を渡せと申したのは、おめえだろ。
伊三郎の弱みにつけ込んで、盗みをやらせるとは不逞野郎だ。
宝来屋は、窃盗の届けは出していねぇが、
切羽詰まれば、宝来屋の御隠居は、
おめえを陥れる為、盗人として、おめえを訴えるかもしれねえ。
道連れにされたくなければ、三年前の事件の再吟味に応じろ」
賢三郎が、弥兵衛を脅し賺した。
「ははあ。参りやした」
弥兵衛は、参ったとばかりに平伏した。
「井坂の旦那。おとっつぁんが、御迷惑おかけしました」
おかめも深々と頭を下げた。
賢三郎は、太兵衛に、
誰のモノなのか知らない髪の毛と爪を三ノ輪の浄閑寺に納めさせた。
伝馬町の牢屋敷にぶちこまれた「宝来屋」の御隠居は、
吟味の際の厳しい拷問に耐えかねて、
少しずつだが、罪を自白し始めたという。
おたつは、伊三郎から、巡業に参加する為、
しばらくの間、江戸を離れる旨の書状を受け取り、
伊三郎が暮らす浅草の長屋に急いだ。
書状には、三年前、伊三郎が、
佐野が殺められる所を目撃したにも関わらず黙って、
江戸を去った事への謝罪も記されていた。
おたつが、長屋の近くに来た時、
伊三郎がちょうど、長屋から出て来た。
「伊三郎さん。また、お逃げになるので御座いますか? 」
おたつが、伊三郎に駆け寄ると問い詰めた。
「巡業が始まったのだ。逃げるわけではない」
伊三郎には、悪びれた様子は、微塵も感じられなかった。
「父上の事件の再吟味が、間もなく、始まります。
伊三郎さんも、吟味に応じて下さい」
おたつが頭を下げた。
「そうしたいのは、山々なんだが、
再吟味に応じていたら、巡業に参加出来なくなる。
宝来屋の御隠居の悪事が暴かれれば、
お父上を殺害した張本人も捕縛されるだろ。
見たと言っても、暗がりだったし、
三年も前の事で、よく、覚えていないのだ。
わりいが、吟味に応じたとしても、大した証言は出来ねえ」
伊三郎が面倒くさそうに言った。
「貴方は、父上に、散々、世話になったのではないですか?
貴方が残した借金のせいで、私どもは、屋敷を手放したのですよ。
父上だけでなく、私どもにも迷惑をかけておいて、
私どもの切なる頼みを拒むと申すのですか? 」
おたつが声を荒げた。
「借金は、いつか、返す。役者として、
今が、正念場なんだ。許してくんないか」
伊三郎は、おたつを振り切ると木戸を出た。
「伊三郎さん。お待ちなさいよ」
木戸を出た伊三郎を通せんぼするかの様に、
おかめが仁王立ちしていた。
「おかめ。そこをどいてくんないか? 」
伊三郎が低い声で言った。
「行かせやしないよ。いつまで、逃げるんだい? 」
おかめが、伊三郎を突き飛ばした。
「おかめさん。どうかなさったのですか? 」
おたつは、二人に駆け寄った。
「おたつさん。わたいは、直訴する事にしたよ」
おかめが、おたつに微笑みかけた。
「おかめ。おまえは、それで、良いのかい?
新たな人生に、水をさす事になるんだぜ」
伊三郎は、おかめを思いとどまらせようとした。
「負い目を感じて生きるよりマシさ。
おまはんが、時より、悪夢にうなされているのは、罪の意識があるからだ」
おかめは、伊三郎に手を差し伸べた。
伊三郎は、おかめの手をつかむと立ち上がった。
「何があったのか、話して頂けませんか? 」
おたつは、真摯に訴えた。
伊三郎は、観念した様に、二人を二之橋に連れて行った。
「ここに連れて来たという事は、決心が着いたんだね? 」
おかめが、伊三郎を問いただした。
「あの日、おやじさんから、話があるからとこの橋の上に呼び出された。
約束の刻に、二之橋の袂に着くと、
おやじさんが、編笠を被った浪人と橋の真ん中で対峙しているのが見えた。
おやじさんは、酒に酔っているのか、だいぶ、ふらついていた。
おやじさんが、橋の欄干によろけたその時、
編笠を被った浪人は、おやじさんを斬りつけた。
鈍い音がして、おやじさんが倒れたのが見えた。
わしは、怖ろしくなり、その場を立ち去ったが、
逃げるところを、その刺客に見られたと案じて、
そのまま、江戸を離れた。いつ、その刺客が口封じの為、
殺しにやって来るかと気が気でなく、
わしは、旅篭屋で出会った旅まわりの一座に加わり、
各地を巡業しながら、逃亡生活を送る事にした。
江戸に帰って来たのは、一座の座長だった平七兄さんが、
中村座の興行に招かれた故の事だ」
伊三郎が覚え語った。
「何故、私どもと再会した折、
話して下さらなかったので御座いますか? 」
おたつが責める様に訊いた。
「井坂の旦那から、おまえらが、
わしがおやじさんを殺めたと疑っていると聞いて怖くなったわけさ。
それに、おやじさんを殺害した刺客の捜査が始めれば、
わしは口封じの為、命を狙われる事になるだろ」
伊三郎は顔を強張らせた。
「おまはんという人は、困った人だねえ。
呆れすぎて返す言葉もないよ」
おかめは大きな溜息をついた。
「自訴して下さい。さすれば、身の安全は、保障されると存じます」
おたつは、伊三郎に自首を勧めた。
「自訴すれば、わしも、何だかの罪に問われるだろ」
伊三郎は、踏ん切りがつかない様子であった。
おかめは懐から書状を取り出すと、二人に見せた。
「わたいは、この申し状を持って、
御番所にわたいが三年前、宝来屋により、京人形に仕立てられ、
作事奉行の屋敷に贈られた事を直訴しに行くつもりさ。
一人が怖いならば、おまはんも、わたいについて来なよ」
おかめが、伊三郎を促した。
「自訴するよ。すれば良いのだろ」
伊三郎は、半ば、投げやりになっておかめの誘いに応じた。
しかし、そう上手い具合には行かなかった。
二人が、おたつと別れて、奉行所に向けて歩いていると、
火附盗賊改同心の西田春五郎が、
小者の松太郎を随えて二人を追いかけて来たのだ。
「しんみょうにしろい。
浅草山川町浪人、五十川伊三郎。
三年前、御鳥見組頭の佐野鷹介が、辻斬りにより殺害された折、
証言を偽装し出奔した罪によりひっ捕える」
西田は、罪状を読み上げると、松太郎に命じて、伊三郎を捕縛した。
「一体、何の罪で、伊三郎さんにお縄をかけるのさ? 」
おかめは、突然の捕縛に抵抗した。
「さきしがた、こいつの長屋の近所で、
おまえらが、こいつと話しているのを聞かせてもらったぜ。
こいつは三年前、わしらが、聞き込みを行った折、
何も知らねえと証言した後に出奔しやがった。
佐野様を殺めた張本人は未だ、捕縛されていねえ。
わしらは、ずっと、辻斬りの張本人の行方を探索していたわけさ」
西田は、事情を一通り話し終えると、伊三郎をしょっぴいた。
おかめはすぐさま、伊三郎が捕縛された事を賢三郎に伝えに走った。
その頃、賢三郎は、奉行所にいた。
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