第2話 おたつの告発
文字数 2,586文字
「私も、あのお方が、何をなさっているのか存じ上げないんです。
母上からは、とにかく、お人好しの世話焼きで、
困っている方を見ると、放っておく事が出来ず、
己の身を削ってまでも、助太刀なさるのだと聞いています」
おたつはしきりに、瞬きしながら答えた。
「その人は、後棒を担ごうとするが、
その内、てめえだけでは、手に負えなくなり、
挙句の果ては、周りの者にまで、迷惑かけたりはしちゃいませんか?
わしの知人にも、年がら年中、他人様に、
お節介ばかり焼いている貧乏神みてぇな野郎が、一人います」
賢三郎は、湯飲み茶椀を片手に力説した。
ノブは、隣で、相槌を打っていたが、
賢三郎が、誰の事を言っているのかが分かり、思わず、苦笑した。
「あの、お二人に、お見せしたいモノがあるので御座いますが」
おたつは、おもむろに、懐から、絵師の斉藤十が描いた
「仮名手本忠臣蔵」の時の月方平七郎の役者絵を取り出すと二人に見せた。
「これは、仮名手本忠臣蔵の時の月方平七郎を描いた役者絵ですね」
ノブは、その役者絵を一目見ただけで、
役者絵に描かれている歌舞伎役者を言いあてた。
「へえ。この人は、月方平七郎というお方なのですか? 」
おたつは、役者絵に描かれた歌舞伎役者を食い入る様に見つめた。
「おやまあ。誰の画かも知らないで、
後生大事に、懐に、忍ばせておられたのですか? 」
ノブが目を丸くした。
「これは、父上が、死に際に、懐に入れていた形見の品なんです。
父上が亡くなって以来、母上が、肌身離さず持っていたのですが、
江戸に帰ってすぐに、母上が、私に持っていて欲しいと託されました」
おたつが俯きがちに答えた。
「その役者絵が、どうかしたのかい? 」
賢三郎は、役者絵をチラ見しながら訊いた。
「少し前、その画に描かれている役者が出ている芝居が、
中村座であると聞いて、母上を喜ばそうと、
芝居見物に連れ出したのですが、
その帰り道、母上が、あの人と瓜二つの役者が出ていたと
申した事を思い出したもので、母上を捜す手がかりにならないかと、
この役者絵をお二人にお見せ致しました。
ひょっとすると、母上は、たった一人で、
あの人に会いに行ったのかも知れません」
おたつが、懐に役者絵をしまうと答えた。
「お母上は、武術の心得がおありなのかい?
さもなければ、女子ひとりで、人殺しかも知れねえ野郎に、
会いに行こうとはなさらねえだろ」
賢三郎は、おたつの母上は、ずいぶんと無茶な事をなさると思った。
「母上は、父上から贈られた守り刀を肌身離さず持ち歩いております。
いざという時は、それで身を守る様にと、
安治さんから、護身術の手ほどきを受けました故、心配には及びません」
おたつがきっぱりと告げた。
「今、安治と申したか? この度の一件に、あいつが、絡んでいやがるのか? 」
賢三郎は、安治と聞いて険しい顔をした。
「左様に御座います。それが何か? 」
おたつは、怪訝な表情で賢三郎を見つめた。
「するってえと、お嬢さんは、あいつの口車に乗せられて、
わしを訪ねて来たってわけですか? 」
賢三郎が不機嫌気に言った。
「口車に乗せられたわけでは御座いません。
こちらには、私の意志で参りました」
おたつは、毅然とした態度で告げた。
「相分かった。とりあえず、委細を聞かせてもらおう。
助太刀するかどうかは、話を聞いた上で決める」
賢三郎が姿勢を正すと告げた。
「私どもは、評定所が、辻番がここ数年、
辻斬りに依る事件は起きていないと証言した事や、
橋の近くを通りかかった町人が、
編笠を被った浪人が立ち去るのを見たと証言した事を無視して、
よく、吟味せず、検屍の結果だけで、
父上の死因を辻斬りとした事を知り、
評定所の裁許に、疑念を抱きました。
評定所は、父上の亡骸に、刀傷があったとする検屍の結果を真に受け、
少し前まで、父上が死体となって見つかった
二之橋の辺りで、辻斬りが横行していた事を理由にあげて、
父上の死因を辻斬りと処したそうな。
私どもは、神道無念流の道場で、
剣術指南役を務めた父上が、
刀を抜く間もなく討たれたという事が、
何をおいても信じられませんでした。
近しい者が、不意打ちに、
父上を討ったとしか考えられなかったもので、
評定所に、再吟味を直訴したわけです。
なれど、評定所は、私どもの直訴を受理しませんでした。
それでも、私どもは、諦める事が出来ず、
父上の上役や同輩の方々を訪ね、
父上を怨んでいる者はいなかったかどうか、聞いて廻りました。
五十川伊三郎人と近しかったお方から、
あの人が、以前、父上から叱咤された事を根に持ち、
恨み事を口にしていたと聞き、あの人が、
父上を殺害したとの考えに至りました。
それからというもの、私どもは、あの人を見つけ出し、
父上の仇を討つ信念を支えに生きて参った次第に御座います」
おたつがしっかりとした口調で経緯を語った。
「解っているとは思うが、ひと度、結果裁許が
出た事件を再吟味する事は、かなりの難技だ。
もし、お嬢さんが、五十川伊三郎を見つけて、
あいつが、お父上を殺害した証を評定所に突き出したとしても、
その証を立証出来るか判らねえ。
わりいが、力にはなれそうもねえ。他をあたってくんないか? 」
賢三郎の言葉を聞いた途端、おたつが打ち泣いた。
「あんた。それでは、あまりにも、お嬢さんが気の毒だ。
何とかして差し上げられないのかい? 」
ノブは、おたつの背中を優しくさすりながら賢三郎を責めた。
「弱ったねえ」
賢三郎も、おたつの涙にほだされた。
「あの、安治さんは、井坂様のお知恵をお借りして、
かくたる証を掴んだ上で、越訴に踏み切るしか他にないとおっしゃっておいでです」
おたつは、顔をがばっと上げると告げた。
「安治の野郎。手荒な手段をお嬢さんに、入れ知恵しやがったみてぇだな」
賢三郎が舌打ちした。
「安治も、なかなか、やるじゃないか」
ノブが感心した気に言った。
「ノブ。二度と、その名を、口にしねぇでくんないか? 」
賢三郎が鼻息荒くした。
「何があったか知らないけど、意地を張っているのは、
あんたの方ではないのかい」
ノブが呆れ顔をした。
「うるせえ」
賢三郎は、そっぽを向いた。
「ちは。安治です」
気がつくと、岡っ引きの安治が、申しわけなさそうに、戸口に立っていた。
「そんなところに、突っ立っていないで、おあがりな」
ノブが遠慮する安治を手招きした。
母上からは、とにかく、お人好しの世話焼きで、
困っている方を見ると、放っておく事が出来ず、
己の身を削ってまでも、助太刀なさるのだと聞いています」
おたつはしきりに、瞬きしながら答えた。
「その人は、後棒を担ごうとするが、
その内、てめえだけでは、手に負えなくなり、
挙句の果ては、周りの者にまで、迷惑かけたりはしちゃいませんか?
わしの知人にも、年がら年中、他人様に、
お節介ばかり焼いている貧乏神みてぇな野郎が、一人います」
賢三郎は、湯飲み茶椀を片手に力説した。
ノブは、隣で、相槌を打っていたが、
賢三郎が、誰の事を言っているのかが分かり、思わず、苦笑した。
「あの、お二人に、お見せしたいモノがあるので御座いますが」
おたつは、おもむろに、懐から、絵師の斉藤十が描いた
「仮名手本忠臣蔵」の時の月方平七郎の役者絵を取り出すと二人に見せた。
「これは、仮名手本忠臣蔵の時の月方平七郎を描いた役者絵ですね」
ノブは、その役者絵を一目見ただけで、
役者絵に描かれている歌舞伎役者を言いあてた。
「へえ。この人は、月方平七郎というお方なのですか? 」
おたつは、役者絵に描かれた歌舞伎役者を食い入る様に見つめた。
「おやまあ。誰の画かも知らないで、
後生大事に、懐に、忍ばせておられたのですか? 」
ノブが目を丸くした。
「これは、父上が、死に際に、懐に入れていた形見の品なんです。
父上が亡くなって以来、母上が、肌身離さず持っていたのですが、
江戸に帰ってすぐに、母上が、私に持っていて欲しいと託されました」
おたつが俯きがちに答えた。
「その役者絵が、どうかしたのかい? 」
賢三郎は、役者絵をチラ見しながら訊いた。
「少し前、その画に描かれている役者が出ている芝居が、
中村座であると聞いて、母上を喜ばそうと、
芝居見物に連れ出したのですが、
その帰り道、母上が、あの人と瓜二つの役者が出ていたと
申した事を思い出したもので、母上を捜す手がかりにならないかと、
この役者絵をお二人にお見せ致しました。
ひょっとすると、母上は、たった一人で、
あの人に会いに行ったのかも知れません」
おたつが、懐に役者絵をしまうと答えた。
「お母上は、武術の心得がおありなのかい?
さもなければ、女子ひとりで、人殺しかも知れねえ野郎に、
会いに行こうとはなさらねえだろ」
賢三郎は、おたつの母上は、ずいぶんと無茶な事をなさると思った。
「母上は、父上から贈られた守り刀を肌身離さず持ち歩いております。
いざという時は、それで身を守る様にと、
安治さんから、護身術の手ほどきを受けました故、心配には及びません」
おたつがきっぱりと告げた。
「今、安治と申したか? この度の一件に、あいつが、絡んでいやがるのか? 」
賢三郎は、安治と聞いて険しい顔をした。
「左様に御座います。それが何か? 」
おたつは、怪訝な表情で賢三郎を見つめた。
「するってえと、お嬢さんは、あいつの口車に乗せられて、
わしを訪ねて来たってわけですか? 」
賢三郎が不機嫌気に言った。
「口車に乗せられたわけでは御座いません。
こちらには、私の意志で参りました」
おたつは、毅然とした態度で告げた。
「相分かった。とりあえず、委細を聞かせてもらおう。
助太刀するかどうかは、話を聞いた上で決める」
賢三郎が姿勢を正すと告げた。
「私どもは、評定所が、辻番がここ数年、
辻斬りに依る事件は起きていないと証言した事や、
橋の近くを通りかかった町人が、
編笠を被った浪人が立ち去るのを見たと証言した事を無視して、
よく、吟味せず、検屍の結果だけで、
父上の死因を辻斬りとした事を知り、
評定所の裁許に、疑念を抱きました。
評定所は、父上の亡骸に、刀傷があったとする検屍の結果を真に受け、
少し前まで、父上が死体となって見つかった
二之橋の辺りで、辻斬りが横行していた事を理由にあげて、
父上の死因を辻斬りと処したそうな。
私どもは、神道無念流の道場で、
剣術指南役を務めた父上が、
刀を抜く間もなく討たれたという事が、
何をおいても信じられませんでした。
近しい者が、不意打ちに、
父上を討ったとしか考えられなかったもので、
評定所に、再吟味を直訴したわけです。
なれど、評定所は、私どもの直訴を受理しませんでした。
それでも、私どもは、諦める事が出来ず、
父上の上役や同輩の方々を訪ね、
父上を怨んでいる者はいなかったかどうか、聞いて廻りました。
五十川伊三郎人と近しかったお方から、
あの人が、以前、父上から叱咤された事を根に持ち、
恨み事を口にしていたと聞き、あの人が、
父上を殺害したとの考えに至りました。
それからというもの、私どもは、あの人を見つけ出し、
父上の仇を討つ信念を支えに生きて参った次第に御座います」
おたつがしっかりとした口調で経緯を語った。
「解っているとは思うが、ひと度、結果裁許が
出た事件を再吟味する事は、かなりの難技だ。
もし、お嬢さんが、五十川伊三郎を見つけて、
あいつが、お父上を殺害した証を評定所に突き出したとしても、
その証を立証出来るか判らねえ。
わりいが、力にはなれそうもねえ。他をあたってくんないか? 」
賢三郎の言葉を聞いた途端、おたつが打ち泣いた。
「あんた。それでは、あまりにも、お嬢さんが気の毒だ。
何とかして差し上げられないのかい? 」
ノブは、おたつの背中を優しくさすりながら賢三郎を責めた。
「弱ったねえ」
賢三郎も、おたつの涙にほだされた。
「あの、安治さんは、井坂様のお知恵をお借りして、
かくたる証を掴んだ上で、越訴に踏み切るしか他にないとおっしゃっておいでです」
おたつは、顔をがばっと上げると告げた。
「安治の野郎。手荒な手段をお嬢さんに、入れ知恵しやがったみてぇだな」
賢三郎が舌打ちした。
「安治も、なかなか、やるじゃないか」
ノブが感心した気に言った。
「ノブ。二度と、その名を、口にしねぇでくんないか? 」
賢三郎が鼻息荒くした。
「何があったか知らないけど、意地を張っているのは、
あんたの方ではないのかい」
ノブが呆れ顔をした。
「うるせえ」
賢三郎は、そっぽを向いた。
「ちは。安治です」
気がつくと、岡っ引きの安治が、申しわけなさそうに、戸口に立っていた。
「そんなところに、突っ立っていないで、おあがりな」
ノブが遠慮する安治を手招きした。
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