第6話 お蔵入り

文字数 2,143文字

「お手数おかけ致しやす」

 賢三郎は、蔵を管理している内与力の町田慶次郎に、

ガラにもなくおべっかを使った。

これも、すんなりと、蔵を開けてもらう為だ。

「三年前の捕物帖が見てぇとは、おぬしも、モノ好きだよな」

 町田は、蔵の錠前に鍵を差し込みながら言った。

間もなくして、重厚な扉が開いた。

「おお、こいつはすげえ」

 賢三郎が感嘆の声を挙げた。

噂には聞いていたが、捕物帖等の捜査に関する

史料の山が、蔵の中に幾つも見えた。

「巡回まで、間があるのだろ? 

茶でも飲んで、休んでいくといいさ」

 町田は、入口付近に設けられた詰所に、賢三郎を招き入れた。

中には、誰もおらず、中央に、机と椅子、火鉢が

置かれているだけの殺風景な部屋だった。

「かっちけねえ」

 賢三郎は、その場にあった木箱に腰を降ろした。

「この中から、見つけ出すのは、容易い事じゃないぜ」

 町田は、お茶を入れた湯呑み茶碗を賢三郎に手渡すと、

自分は、長崎の出島から取り寄せたという

コーヒーを淹れたティカップ片手に、ゆったりと椅子にもたれかけた。

「大事ありません。あいつらは、必ず、見つけ出します。

お近づきの印に、お一つどうぞ」

 賢三郎は、後で食べようと、こっそり持ち込んだ饅頭を町田に手渡した。

「そう云えば、さきしがた、おぬしが、

与力の日高五郎と話しているのを見かけたが、

いってえ、何の話をしておったのだ? 」

 町田は、饅頭を食べずに懐にしまうと聞いた。

「吉原の話で御座いますよ。

山城屋の遊女が逃げて、大騒ぎになったそうな」

 賢三郎が美味そうに饅頭を頬張った。

「山城屋って云えば、ふえと小勝という二人の遊女が、

馴染みの客を取り合って、大騒ぎになった事件があった。

二人は、同じ頃に、山城屋に身売りされて来た事もあり、

仲が良かったそうだが、先に、部屋持ちになったふえの馴染みの客が、

小勝を買った事を知ったふえが、同衾中の二人の元に乗り込んで、

その客に馬乗りになると、その客のアレを持っていた守り刀で、

斬り落とそうとしたわけさ。あれは、見物であった」

 町田が面白おかしく語った。

「遊女同士の喧嘩沙汰をよく、御存じですね? 」

 賢三郎は、町田の話を怪しんだ。

廓で起きた遊女同士の諍いは、外には洩らさないとする遊郭が多い。

吉原で、一、二を争う格式高い「山城屋」で起きてしまった遊女が、

馴染みの客に襲いかかるというあってはならない不祥事は、

門外不出になったに違いない。

「拙者は、転役になる前は、吉原の番所におったのだ」

 町田がえへん面で言った。

「するってえと、町田殿は以前は、

吉原の番所詰の与力だったわけですか。

何故、番所詰をなさっておられたお方が、

御番所の蔵なんぞにおるのですか? 」

 賢三郎が怪訝な表情で聞いた。

「御番所に、人が足りねえてんで、転役になったのだ。

いざ、参ったら、このザマだ。

四六時中、書物に囲まれて、息がつまりそうだぜ」

 左遷された身であるにも関わらず、

今の町田の様子は、悠々自適に見えた。

「人生、色々というわけですな」

 二人が同時に、大きな溜息をこぼした。 
 
「井坂の旦那。ちっと、来てくんないか」

 気まずい雰囲気を打ち破るかの様に、

太兵衛が、詰所に飛び込んで来た。

「あいよ」

「どれどれ」

 賢三郎と町田は、我先に詰所を飛び出した。

「これじゃあ、ねぇですか? 」

 忠蔵が、古びた書物を差し出した。

賢三郎は、表紙を確認すると、急いで、ページをめくった。

三年前のちょうど、今頃であった。

朝一番に、家治公の御鷹の飼育を任されていた

鷹匠の九里翫之介が、下役達を引きつれて、

庭子内を巡回した際、既に、冷たくなっていた御鷹の怪死体を発見する。

九里はすぐさま、検屍を担う与力の日高五郎を呼び、御鷹の死因を調べさせた。

御鷹の屍の周りには、御鷹の餌である雀の肉が散乱していた。

状況から判断して、御鷹は、雀を食べた後に死んだと結論づけられた。

その御鷹は、若くして、急死した家治公の世子、家基様が、

生前、寵愛していた御鷹の子にあたる御鷹であった為、

家治公は、御鷹の死を嘆き悲しみ、

しばらくの間、床に臥せったという。

御側用人や老中達は、話し合いの末、

事件の捜査を徒目付の小出長八に命じた。

御鳥見組頭の佐野鷹介が、前日、宿直だった事から、

吟味を受けるが、佐野は、叱に処されて釈放となる。

捜査を任された小出は、餌を捕ったのは、

佐野ではなく、御鳥見役の五十川伊三郎である事を突き止め、

伊三郎の身辺の聞き込みを行うが、

吟味に持ち込む前に、伊三郎が出奔した為、捜査は行き詰まる。

一方、捜査の進展も見ないまま、評定所は早々に、

九里に、御鷹を死なせた責任を追及して切腹を命じる。

九里が自害した後、佐野が、本所二之橋に於いて、

死んでいるのを橋の近くを通りかかった町人が見つける。

佐野の死は、状況から判断して、辻斬りの仕業とされた。

その後、評定所は、小出に、探索の打ち切りを命じ、

この事件は、多くの謎を残しながら落着となった。

「どうかしたのか? 」

 町田が脇から覗き込んだ。

「それが、日高様が、御鷹の検屍をやった事になっておりまして」

 賢三郎が妙な偶然に息を飲んだ。

「日高五郎の事は、昔から、知っておる。

五郎の検屍ならば、抜かりはねぇはずだ」

 町田が、日高に信頼を寄せている様に見えた。
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