第13話 てがかり

文字数 4,174文字

吉原に連れ戻された小勝は、番所の牢屋に押し込まれた。

小勝と入れ替えにして、佐野鷹介の妻のおたえが釈放された。

「この御恩は、一生、忘れません」

 おたえは、自分を牢から出す事に尽力した月方に礼を告げた。

「いいって事よ。今夜は遅ぇから、近江屋に泊りな。

わしが、近江屋のお主に、話をつけておいた」

 月方は、「近江屋」から迎えに来た若衆に、

おたえを託すと、その夜は、「山城屋」花魁のふえと一夜を共にした。

一方、吉原の番所の牢屋で一晩、

過ごす事になった小勝は、明かり窓から見える月に、感銘を受けていた。

あの夜も、同じ様に、漆黒の夜空に、月が、光輝いていた。

心細い自分を照らし、寄り添ってくれている気がした。

小勝が見つかったと報せを受けて駆けつけた

「山城屋」の楼主、山城屋金右衛門は、意外にも冷静だった。

ふえが、金右衛門に託したおむすびを差し出すと、

一晩、頭を冷やせとしか言わなかった。

そのおむすびは、懐かしい母のぬくもりを思い出させ、

気がつくと、地面に突っ伏して号泣していた。

ふえは、いつも優しく見守ってくれていた。

何故だか知らないが、身の上話をすると、

これからは、姉と思ってくれるようにと、優しく言われた。

吉原は、怖い所だと聞かされていたが、

ふえだけは、「山城屋」に身売りされて来た日から

変わらず、親身になってくれる。

これまで、生きてこられたのも、ふえのおかげだ。

他人の前では、強がっているが、遊女である己が、

どんなに、嫌だったかしれない。何度も、死のうとしたが出来なかった。

深川界隈に店を開構える料理屋の主人だった実父の出奔により、

小勝は、大きく運命を狂わされた。大奥に奉公するはずが、

実父の出奔を理由に、養子縁組するはずだった武家から断られた。

養子縁組を断られた後、実父が、借金のカタに店を売った事を知った。

借金をチャラにすると騙されて、吉原に身売りされた時には、

己の運命を呪い自暴自棄になった。

年季が明ければ、吉原を出られると言い聞かされたが、

借金は、いっこうに減る気配はなく、気だけが焦り空回りしていた。

その内、羽振りの良い遊客に、馴染みになってもらい、

身請けしてもらうしかないと考えついた。

その矢先、身売りされて以来、ずっと、心の支えとなってくれていた

ふえの実父の死の原因を作った五十川伊三郎が「山城屋」にやって来た。

伊三郎は、ふえが、御鷹の死の責めを受け自害させられた

鷹匠の九里翫之介の実の娘だとは気つかず、ふえに夢中になった。

ふえが、伊三郎が、実父の死に関わっていると知り、

自害するまで思い悩んでいる事を知った小勝は、

伊三郎をそそのかして、吉原の掟を破らせたのだ。

伊三郎から、吉原から逃げる話を持ちかけられた時は、

三年前に起きた御鷹の怪死事件を調べる絶好の機会だと考えた。

なれど、そう簡単には、事は進まないものだ。

すぐまた、吉原に戻されてしまった。しかし、収穫はあった。

八丁堀の町方同心、井坂賢三郎と岡っ引きの安治が、

その事件を再吟味する為に、探索している事が分かったからだ。

 賢三郎が、伊三郎を連れ帰ると、おたつが、暗い顔で待っていた。

「この人は、どなたで御座いますか? 母上は、いかがなさいましたか? 」

 おたつが、伊三郎を怪しがった。

「お母上は、明日にはお帰りになられる。

こいつは、お嬢さんが、ずっと、追っていた野郎ですよ」

 賢三郎は、伊三郎をおたつの目の前に押し出した。

伊三郎は、気まずそうに俯いた。

「何ですって? この人が、あの五十川伊三郎ですか? 」

 おたつが、伊三郎を凝視した。驚くのも無理はない。

目の前にいる伊三郎は、ひどい顔をしていた。

おたつの記憶の中の男前の凛々しい顔立ちは、見る影もなかった。

「おたつ。久方ぶりだな。達者でおったかい? 」

 伊三郎が微笑した。

「おかげさまで、元気です。母上とは、もう、お会いになったのですか? 」

 おたつは、冷たい口調で言った。

「ああ。あんまりにも変わっちまって、すぐには、気づかなかった。

奥様も、あれから、ずいぶんと、苦労なさったみてぇだな」

 伊三郎が決り悪そうに言った。

その後、賢三郎は、おたつを長屋まで送り届けた。

「あの、わしも、そろそろ、帰らせてもらうぜ」

 伊三郎も帰ろうとした。

「いんにゃ、おめえは、まだだ」

 賢三郎は、伊三郎を一之橋の袂にある

煮売り屋「一井」に連れて行った。

この煮売り屋は、深夜まで営業しているので便利だ。

賢三郎は、ここの常連で、家に帰れない日は、

朝まで居座る事もあり、賢三郎が、夜遅くまで、

家に帰らない時は、小者のどちらかが、

「一井」に呼びに行く事になっている。

「おたつは、わしの事が嫌いみてぇだ」

 席に着くなり、伊三郎が、思い余った様子で告げた。

「佐野様は、剣豪だったそうだな? 

わしも、その剣豪が、何の抵抗もせず、

黙って斬られたなんぞ、おかしいと思う」

 賢三郎は、煮卵と蒟蒻を注文すると言った。

「おやじさんは、人に恨まれる様なお方ではなかったが、

一つだけ、思い当たる事がある」

 伊三郎がぽつりとつぶやいた。

「まあ、呑め」

 賢三郎は、伊三郎の猪口に、あふれんばかりに酒を注いだ。

「三年前の初秋の事だ。わしは、御鷹部屋からの帰り道、

作事奉行の屋敷の前を通りかかった。

ふと、裏門の方を見た時、深川の材木問屋、宝来屋の手代どもが、

長持を屋敷に運び込むところだった。

長持の中身が、妙に気になって、

悪い事と思いつつも、塀を飛び越えて、庭に忍び込んだ。

縁側の下に身を潜め、屋敷の中を窺っていると、

手代どもが、長持を奥の座敷へ運び込んでいるのが見えた。

手代どもが、奥の座敷に、長持を運び入れて出ると間もなく、行灯の灯りが消えた。

長持が運び込まれた後、灯りを消すなんぞ、

何とも怪しいと思ったまさに、その時だった。

奥の座敷の障子が、勢い良く開き、

京人形に似た身なりの若い娘が現れた。

おやじさんに、作事奉行の屋敷で見ちまった事を話したら、

むやみに、口外するなと言われた」

 伊三郎が淡々とした口調で経緯を語った。

「ようするに、おめえは、やばいモノを見ちまったてんで、

後先、かんげえず逃げたわけか? 」

 賢三郎が、煮卵を箸で突き刺すと言った。

「出奔した事は、悪かったと思ってはいるが、

奥様やおたつが、わしの事を疑うのは、お門違いですぜ。

わしは、親分さんから聞くまで、

おやじさんが死んだ事すら知らなかったんだ」

 伊三郎が俯き加減で告げた。

「そいつは、おかしいぜ。捕物帖には、おめえは、

佐野様が、辻斬りに遭った翌日、長屋に居た事になっておるぞ」

 賢三郎が懐から帳面を取り出すと、

事件をメモしたページを出してみせた。

「そいつはおかしいじゃないか」

 伊三郎が強く否定した。

「ひょっとして、九里様も、宝来屋が作事奉行に

たてものを贈った事を御存じだったのではないか? 」

 賢三郎が何気に訊いた。

賢三郎は、鷹匠の九里翫之介とは、

個人的に親しい仲ではなかったが、

九里が、正義感が強い性格だという話を以前、耳にした事があった。

「おやじさんは、九里様に、話したかも知れねえ」

 伊三郎がハッとした顔で告げた。

「何故、そう思うのだ? 」

 賢三郎が、伊三郎を見返した。

「実は、以前、おやじさんから、

九里様が、勘定所詰から、鷹匠に転役となったのには、

相容れない事情があると聞いた覚えが御座います。

九里様は、勘定だった時分、西の丸の普請に於いて、

作事方の役人が、棟梁から、

普請費用の多寡に相当する返し金を受け取り、

普請に手加減を加えた旨を告発する

上訴文を御上に提出しようとしたが、

御上に上がる寸前、何者かに諌止され、

その後は、同役との間も上手く行かなくなり、

それを見兼ねた勘定奉行が、転役を命ぜられたそうな。

九里様は、相当、その事を根に持っていたみてぇです」

 伊三郎が神妙な面持ちで覚え語った。

「これはしたり。御鷹の死の責めを受け、

切腹を申し渡されたと聞いて、

このお命には、何か裏があるとは思っていたのだ」

 賢三郎が、伊三郎が当時、作事奉行であった赤井忠好の屋敷で目撃した

「たてもの」の受け渡し現場を九里が知ったとすれば、

黙っていられないだろうと考えた。

「それに、あの雀を捕まえたのは、わしではない。

あれは、幸吉という百姓から手に入れた雀だ。

何故か、あの日に限って、幸吉は、御鷹部屋にまで押しかけて来た。

いつもは、用心して、御鷹部屋の外で会っていたが、

わしの方も、一羽も捕えられず、

焦っていたもので、つい、買っちまったわけさ」

 伊三郎が興奮気味に訴えた。

「その幸吉とかいう百姓とは、いってえ、何処で、知り合ったのだい? 」

 賢三郎は、伊三郎の軽率な行為を諫めた。

「行徳の船場の近くにある茶屋だ。

幸吉は、舟場辺りにある塩問屋で、丁稚奉公をしていたが、

よく、仕事をサボっては、茶屋で働く姉に会いに来ていた。

二人は、仲の良い姉弟だったが、

姉の方は、浅間山が噴火した翌年、疫病で死んた。

あいつが、塩屋を辞めて、江戸に来たのは、その後の事だ」

伊三郎は、行徳の話になると、穏やかな表情になった。

「行徳と云えば、御用塩で有名だ。

それに、正月や大祭の時期になると、

成田山の信心参りの参拝客で賑わう事でも知られている。

いってえ、おめえは、江戸から、

川路三里八町先の行徳まで、何為に、行っていたのだ? 」

 賢三郎は、行徳には行った事はなかったが、

ノブから落ち着いたら、成田参りがしたいとせつかれていた。

「行徳の町の川筋に、良い釣り場があるてんで、

おやじさんについて、よく、釣りに行ったものさ。

行徳に着いたその足で、常宿の旅籠屋に預け置いた釣り道具を受け取ると、

宿の主に聞いた穴場に繰り出す。

日が暮れるまで、釣り三昧だ。

釣れた魚は、旅篭屋に持ち帰り、

さばいてお造りにしてもらう。

活きの良い新鮮な刺身とおやじさんと

酌み交わす酒は何よりも御馳走だった。

黄昏の行徳浜の眺めながら、湯船につかる。これまた至福の時だ」

 伊三郎が懐かしそうに覚え語った。

「幸吉は今も、行徳におるのか? 」

 賢三郎は、幸吉から、事情を聞かねばならないと考えた。

「あいつなら、今は、下谷の鳥屋で働いているぜ」

 伊三郎は一瞬、目を泳がせた。

「下谷の鳥屋か」

 賢三郎がつぶやいた。

「あいつは、何も知らねえ。聞くだけ、無駄ってモノだせ」

 伊三郎は明らかに、動揺が見られた。

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