第38話 自首

文字数 3,813文字

「何ともなくて、良かった」

 弥兵衛が安堵の息を漏らした。

おそのが、生姜湯を運んで来ると同時に、

賢三郎が「菊之間」にやって来た。

賢三郎の出現に、庭の茂みに隠れて、

中の様子を窺っていた太兵衛はあわてて、

座敷に滑り込むと、弥兵衛を取り押さえた。

「井坂の旦那。御苦労様です」

 小者二人が、取ってつけた様に挨拶すると、

賢三郎が、二人をギロリとにらんだ。

「この者は? 」

 賢三郎が、太兵衛に聞いた。

「宝来屋の御隠居です」

 太兵衛が答えた。

「わしを呼び出したという事は、事件かい? 」

 賢三郎が、小勝に聞いた。

「井坂の旦那。お話があって、お呼び立てしました。

まずは、わたいをお縄にしておくんなし」

 小勝は、思い詰めた表情で両手を差し出した。

「いくらなんでも、何もやってねぇ者を捕える事は、わしには出来ねえ」

 賢三郎がキッパリと告げた。

「実を言いますと、亀弥の旦那を密告したのは、このわたいです。

申し訳御座いません」

 小勝が深々と頭を下げて詫びた。

「おかめ。何を言っているのだい? 」

 弥兵衛は、娘の突然の告白に狼狽えた。

「おとっつぁん。わたいは、ずっと、悔しかったのさ。

おとっつぁんの店をあの人が

乗っ取ったみたいで見てられなかった。

なれど、おいらが、間違っていた。

あの人は、何も悪くなかった。

おとっつぁん、何故、おいらに、

あんな嘘をついたのだい? ひどいじゃないか」

 小勝が、弥兵衛を責めた。

「弥兵衛。娘を追い詰めたおめえも悪い。わかっているな? 」

 賢三郎は、弥兵衛をにらみつけた。

弥兵衛は、決り悪そうに俯いた。

その後、賢三郎は、小勝に、自訴を勧め、

小勝は自ら奉行所に出頭した。

小勝は吟味を受けるまで、伝馬町の牢屋敷に送られた。

その頃、利根川上流域の村に赴いていた幸吉が、貴重な史料を手に戻った。

それは、村民の一人が、凄惨な状況を記録し、

後世に伝えようと、病鳥の様子を詳細に書き留めた書状であった。

その書状を読んだ伊藤は、御鷹の死因と一致すると太鼓判を押した。

その書状は、すぐに、賢三郎の元に届けられた。

 疑いが晴れ、無事、溜から出て来た安治は、

賢三郎から話したい事があると、

開店前の「亀弥」に呼び出された。

安治が、牡丹之間に入ると、

賢三郎と長八が、神妙な面持ちで坐っていた。

「井坂の旦那。溜から、無事戻りました」

 安治が、賢三郎に挨拶をした。

「おつとめ御苦労。おめえを呼んだのは言うまでもない。

この度の事で、お互い、聞きたい事や話したい事があると思う。

わしが、立ち会ってやる故、とことん、話し合え」

 賢三郎が咳払いした。

「旦那様。とにかく、御無事に、お帰りになられて良かったです」

 長八が微笑した。

「長八。おまえが居てくれた故、何も案ずる事はなかった。礼を申す」

 安治が頭を下げた。

「滅相も御座いません。旦那様が危うい目に遭ったのは、

そもそも、手前が、大事な事を旦那様に黙っていたせいです。

もっと、早く、お話しするべきでした。申し訳御座いません」

 長八は、その場に土下座して許しを乞うた。

「頭を上げてくんねえ。親分のおいいのとおりだ。

この際、互いに、考えている事を話し合おうではないか」

 安治が穏やかに告げた。

「三年前、入札に参加する商人と入札を取り仕切る作事方との間で、

まいないが横行しているという風聞が、城内で広まりました。

あの頃、手前は、初めて、常御用に任ぜられ、

手柄を挙げて出世するなんぞと張り切っておりました。

手前は、上役に命ぜられるまま、商人が役人に、

たてものやつけ届けを渡しているという証をつかむ為、

女衒になりすまし、人買いの一味に潜り込みました。

あの頃、手前には、妻がおりました。

妻の父にあたるのが、御鷹の怪死事件で自害した

鷹匠の九里翫之介です。後に、手前は、上役から、

不正事件の内偵を中止し、御鷹の怪死事件の探索を命ぜられました。

義父は、手前が、御鷹の怪死事件の探索をする事が決まると、

手前と、妻を離縁させようとしました。

評定所は、何故か、御鷹の怪死事件の探索を打ち切る命を下し、

御鷹の死の責めを義父一人に負わせる事で、事件を終わらせました。

手前は、評定所の裁許に納得が行かず、思い悩んだ末、

行方をくらます事にして、奥とは、無理矢理、離縁しました。

奥とは、それきり、会っていませんでしたが、

先つ頃、思いもせぬ場で再会しました。

奥は今、重い病にかかっております。

奥が、苦界に身を落とし、病を患う事になったのは、

手前のせいで御座います。妻だけでなく、

恩人である旦那様にも、御迷惑をおかけしてしまいました。

これ以上、手前が、お傍におれば、

更なる災いに、旦那様を巻き込んでしまうかもしれません。

故に、これをもって、板長を辞す覚悟に御座います」

 長八が苦渋の決断をした。

「するてえと、おめえが、徒目付の小出長八というわけかい? 」

 賢三郎が身を乗り出して訊いた。

「左様に御座います」

 長八は、神妙な面持ちで返事をした。

「旦那様。旦那様が襲われた日の夜、

日高様とお会いになっていた作事奉行の家来が、

板場に来た事を覚えておいでですか? 」

 長八は、安治に向かって訊いた。

「ああ。嫌な奴だったが、あいつが、どうかしたのか? 」

 安治は、何となく、佐平次の事が気になっていた。

「今、考えると、佐平次は、手前に、気づいたのかもしれません」

 長八が言った。

「おまえではなく、手前を狙ったのは、何故なんだい? 」

 安治が瞬きすると訊いた。

「手前ではなく、旦那様を襲ったのは、何かおかしなマネをしたら、

大切な者を危うい目に遭わせるという脅しでしょうよ。

とどめを刺さなかったのは、はなっから、

旦那様を殺めるつもりはなかったからです」

 長八が眉間にしわを寄せた。

「おめえは、佐平次をつけていたわけか? 」

 賢三郎は、長八を見据えた。

「はい」

 長八が、一間置くと返事をした。

「おかげで、手前は、命びろいしたのだ。

おまえのせいで、手前が、危うい目に遭ったというのは、違うと思うぜ」

 安治が穏やかに告げた。

「旦那様。弥兵衛には、用心なすって下さい。

あの者は、とんだくわせものだ。

旦那様を地獄入させたのも、あの者の娘だっていうじゃないですか。

あの親子は、旦那様を逆恨みしているだけではない。

弥兵衛の娘を身請けしたのは、宝来屋の御隠居だ。

宝来屋の御隠居は、あの夜、御鳥見組頭の佐野鷹介様と亀弥で密会した。

旦那様は、佐野様の家人から、

佐野様の事件の再吟味を頼まれたと聞きましたが、

お断りなさった方がよろしいかと存じます」

 長八が強い口調で訴えた。

「それを聞いて、ますます、やる気になったぜ」

 安治が似非笑いした。

「おめえは、どこまで調べたのだい? 」

 賢三郎が、長八に訊いた。

「入札が行われる前日、宝来屋の御隠居が、

作事奉行に取り入っている事を突き止めた。

手前は、女衒の仙吉として、宝来屋に赴き、

借金のカタに買い取った娘を京人形に仕立てて、

作事奉行に贈る計画を持ちかけた。

宝来屋の御隠居は、手前の計画に乗り、

宝来屋の手代どもに、長持の中に、

その娘を入れて、作事奉行の屋敷に運び込ませた。

京人形を作事奉行に受け取らせなければ、

まいないの証を得て捕縛に持ち込む事は出来ない。

手前は、心を鬼にしてやったのだが、

あろう事か、京人形として、屋敷に送り込まれた娘が逃げ出したのだ。

赤井家の中間が、寸前のところで、

娘を捕えたが、作事奉行は、その娘を拒んだ。

娘の扱いに困った宝来屋の御隠居は、

その娘を山城屋に身売りしたそうな。

宝来屋の御隠居が、山城屋に売ったその娘が、

弥兵衛の娘のおかめだったというわけです」

 賢三郎と安治は、長八の告白で、

おかめが、安治は、女衒の仙吉とつるんで、

人買いに手を染めていると、密告した理由が、ようやく解った。

「おめえが、安治がしょっぴかれた時、

真っ先に、弥兵衛を疑ったのは、

安治が、亀弥を買い取っただけではなかったわけだな」

 賢三郎が言った。

「そうか、わかったぞ。

伊三郎が見たのは、宝来屋の手代どもが、

作事奉行の屋敷に、京人形に仕立てられた

小勝を届けたところだなんだよ。

伊三郎から、作事奉行の不正を聞き知った佐野様は、九里様に報告した。

九里様は、佐野様に、宝来屋の御隠居に近づかせて、

作事奉行の不正を調べさせた。

九里様の動きに勘づいた作事奉行が、

御鷹の怪死を利用し、九里様を自害に追い込み、

佐野様には、刺客を送り、辻斬りと見せかけ消した。

長八、おまえが、証言してくれさえすれば、

事件は、一気に落着するではないか」

 安治が明るい声で言った。

「手前が証言したところで、

はたして、作事奉行の不正が明るみに出るでしょうか? 」

 長八が浮かない顔で告げた。

「九里様が、西の丸の普請の折にあった不正を上訴しようとして、

御上にあがる前に、何某により、

阻止された事をかんげえるに、この度も、難しいだろ」

 賢三郎も難しい顔をした。

「こっちには、御鷹の死が、病死だという証もあるのだ。

言い逃れなんぞさせやしねえ」

 安治は、幕府の圧力にも応じない覚悟だった。

「長八。おめえの身に何かあれば、何もかも台無しだ。

おめえは、再吟味が出来る様になるまで、

しばしの間、身を隠した方が良かろう」

 賢三郎は、隠れ家を用意すると、長八に告げた。

「いずれにしろ、旦那様の元を去るつもりでした。

旦那様には申し訳ないが、

これ以上、己を偽り生きて行く事は出来ません」

 長八が沈んだ声で告げた。

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