第44話 かけひき

文字数 2,270文字

一方、弥兵衛から、「亀弥」の沽券と引き換えに、

「宝来屋」が、作事奉行と取り交わした証文を

渡すと言われた長八だが考えた末、弥兵衛を信用しない事にした。

「亀弥」は、安治が、弥兵衛が作った借金を

肩代わりして手に入れた店なのだ。

安治に頼んだとしても、すんなり、沽券を渡してくれるとは思えない。

何かと引き換えに、欲しい物を手にするというのは、

相手がよっぽど、信用出来る人物でない限り、

危険を伴う事だと、長八は経験上、知っていた。

そこで、自らの手で、証文を手に入れる事に決めた。

長八は、一度、おかめと弥兵衛が住む屋敷を偵察したが、

留守の様だったため、近所を捜し歩いた。

何気に、門前町にある飯屋をのぞくと、酔いつぶれているおかめを見つけた。

「姉さん。何時から、呑んでいるのだい? 

そろそろ、帰らねぇと家人が、心配するぜ」

 長八は、おかめの隣に坐るとおかめの手から銚子を奪った。

「お兄いさん。ひょっとして、この人の連れかい? 

店に来てから、ずっと、この調子で、酔いつぶれていて、

困っていたのだよ。連れ帰っておくれ」

 軽子がやって来て、いかにも、迷惑そうに言った。

「勘弁してくんねえし。釣りはいらねぇからよ」

 長八が御代を多めに支払うと、一人で歩けない程、

酔いつぶれたおかめを背負って店を出た。

屋敷の前に着くと、おかめが急に、降りたがった。

「おまはんは、何者だい? 」

 おかめが眠気眼で聞いた。

「通りすがりの者だ。おまえさんが、酔いつぶれて動けないでいた故、

家まで送り届けたわけさ」

 長八が言った。

「送ってくれてありがとう、あとは、一人で平気だよ」

 おかめはふらつきながら、戸を開けると玄関に倒れ込んだ。

「まことに、一人で平気なのかい? 布団まで、運んでやろうか? 」

 長八が勝手に上がり込むと、おかめのからだを抱き起した。

「おまはん。よく、見ると、いい男だねえ」

 おかめは、長八に抱き着くと、長八の耳元に、息を吹きかけた。

「家人は、中におるのかい? 」

 長八が注意深く、中の様子をうかがった。

ここで、弥兵衛が現れでもしたら、せっかくの計画が、台無しになる。

「いんにゃ、まだ、帰っていないよ。何なら、寄って行くかい? 」

 おかめは、長八に色仕掛けで迫った。

長八が軽々と、おかめを抱きかかえると、寝間まで運んだ。

寝間に入ると、布団が敷いてあった。

長八は、おかめのからだを静かに、

布団の上に降ろすと、その傍らに胡坐をかいた。

「わたいが、寝つくまで、傍に居ておくれな」

 おかめが誘う様に、帯をとくと、柔肌をこれ見よがしに見せつけた。

一方、長八は、おかめに構う事なく部屋を見渡した。

「どうしたえ? 」

 おかめは、長八が何もして来ないので我慢出来ずに聞いた。

「裸で寝たら、風邪を引くぜ」

 長八がぶっきらぼうに言うと、脱ぎ捨てられた着物をおかめの上にかけた。

「何為に、わたいに近づいたのさ? 」

 おかめがからだをくねらせた。

「寝つくまで、傍におれと申したのは、おまえさんの方ではないか」

 長八は、何気なく、部屋の中を歩いた。

妾の部屋にしては、行灯と寝具があるだけの質素な部屋だ。

壁には、質素な着物が一枚かかっていた。

「おまはん。八幡宮で会った亀弥の板長でしょ? 」

 おかめは、長八の横顔を見つめた。

よく、見ると、歌舞伎役者の佐野川市松に似た男前である。

「左様だ。あれだけ、拒んでいたのに、心変わりしたのは、何故だい? 」

 長八が、おかめを見た。

「ふえ姉さんの元亭主が、何者なのか知りたかったのさ」

 おかめが、長八を見つめ返した。

「証文は、この部屋にあるのだろ? 」

 長八が真顔で聞いた。

「大事なモノを妾の元に置くはずがないじゃないか? 」

 おかめが口を尖らせた。

「御隠居は、用心深い年寄りだ。

子や使用人ですら、信用していねえ。

その用心深い御隠居が、何故か、心を開いたのが、おまえさんだ。

おまえさんの傍ならば安全だと、まず、考えたにちげぇねえ」

 長八は、おかめが枕の代わりにしている

布を巻きつけた道具箱に目に留めた。

「ちょいまて」

 長八は、おかめの頭を片手で持ち上げると顔を近づけた。

「何をしておる? 」

 長八が素早く、おかめの頭の下から、道具箱を抜き取ると、

目を閉じて口をすぼめているおかめに聞いた。

「え? 」

 おかめが目を開けると、頭の下を両手でまさぐった。

長八は、道具箱に巻いてあった布を外した。

すると、蒔絵を施した螺鈿細工の道具箱が姿を現した。

「証文なんぞ、入っているはずないじゃないか? 返しておくれな」

 おかめはあわてて、長八の手から、道具箱を奪い取った。

「中をたしかめさせてくんないか」

 長八が頭を下げた。

「御隠居を陥れる事を、わたいがするとでも思っているのかい? 」

 おかめは、長八をにらんだ。長八が隙を見て、

おかめの手から、道具箱を奪い返すと蓋を開けた。

道具箱の中には、櫛や簪などの装飾品が入っていた。

どれも、鼈甲、つげ、黒檀といった高価な材質であった。

「廓の中にいる間、お客から頂戴した品さ。

金が要り様になった時、質に売れるだろ」

 おかめが顔を赤らめた。

長八は何を思ったか、装飾品を根こそぎつかみ取ると、

布団の上に、投げ捨てた。

「何するのさ」

 おかめははいつくばる様にして、

必死に、布団の上に散らばった装飾品をかき集めた。

長八は、おかめにかまう事なく道具箱の底を探った、

叩いたり、押したり、爪を立てたり、色々、手を尽くした末に、

やっとの事で、底の板が外れた。底板を慎重に取り外すと、

中から、書状の束が出て来た。

長八は、早速、書状を広げて内容を確認した。

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