第21話 山城屋
文字数 2,142文字
「亀弥にとっても、このお話は、またとない好機と存じますが、
板長の代わりとなる者がおりません。せっかくですが、お断り致します」
安治がきっぱりと断った。
「そこを何とかなりませんか? 板長を半日、借りるわけですから、
手間賃は、そちらの希望の額でけっこうだ」
金右衛門が更に押した。
「よわりましたな」
安治が苦笑いした。
「板長、あんたは、どうなんだい? 山城屋の旦那が直々に、
あんたに、頼んでいるわけだ。わりい気はしねぇと思うがね」
月方が話を長八にふった。
「手前は、旦那様のお許しを得る事が出来れば、
お引き受けしたいと存じます」
長八の思わぬ返事に、安治は、長八をちらりと見やった。
「判りました。板長も、やる気の様ですし、お引き受け致します」
安治は渋々承諾した。
「そんならば、そちらの御都合がよろしい時分に、
一度、お越し頂けませんでしょうか?
料理の打ち合せも兼ねまして、宴を開かせて頂きたいと存じます」
金右衛門がにこやかに告げた。
「あの、打ち合せに、旦那様をお連れしてもかまいませんか? 」
長八が上目遣いで聞いた。
「歓迎致します。是非とも、お二人でお越し下さい」
金右衛門は、安治の方を見ながら言った。
安治は、平七郎と金右衛門を門の前まで、見送った後、
一足先に、板場に戻っていた長八を、裏庭に呼びつけた。
「何故、妓楼なんぞの宴に、うちの店の料理を出さねばならんのだ? 」
安治はいつになく苛立っていた。
「出過ぎたマネをしてしまい、すいません」
長八が平謝りした。
「長八。山城屋のお客の中には、とんだくわせものだっているわけさ。
せっかく、ここまで、評判を得たていうのに、
酒宴でしくじったりしたら、深川で、店をやってゆけなくなるぞ」
安治が一応、承諾したものの、まだ、断る理由を捜していた。
「山城屋に出入りする遊客といえば、
そんじゃそこらのお客とはわけが違います。
手前は、まことの味が判るお方に、料理を食わして、
美味いと唸らせてみてえんです」
長八がいつになく力説した。
「大した自信だな。長八、おまえが、わからなくなったよ」
安治は、わざとらしく、大きな溜息をついた。
「旦那様に、恥はかけさせません」
長八が強張った表情で答えた。
安治が中に戻ると、桔梗之間の前に、人だかりが出来ているのが見えた。
「何の騒ぎだね? 」
安治はちょうど、通りかかった軽子のおまさを呼び止めた。
「それが、桔梗之間のお客様が、急に、苦しみ出しまして、
今夜、お越しになられたお客様の中に、
お医者はいないかと捜しておる次第です」
おまさが恐縮して答えた。
「何故、もっと、早く知らせないのだ? 」
安治は、席を外していた事をすっかり忘れて、報告が遅れた事をとがめた。
「申し訳御座いません」
おまさは、半泣き気味に平謝りした。
「良いか。まずは、あの人だかりを、何とかせねばならぬ」
安治は、桔梗之間の入口付近に群がる人だかりを遠巻きに見つめた。
「皆様方。あとは、手前どもに任せて、お部屋に、お戻り下され。
お騒がせしたお詫びと言ってはなんですが、
店から、皆様に、地酒一升と酒の肴を贈らせて頂きます」
そこで、安治は、餌を撒いて、野次馬を退散させる作戦に出た。
その作戦は、上手く行き、野次馬は、各座敷へ解散し、
桔梗之間は、ようやく落ち着きを取り戻した。
「御加減は、いかがで御座いますか? 」
安治は、野次馬を体よく追い払った後、
座敷の奥で、うずくまっているお客に駆け寄った。
驚いた事に、体調不良を訴えているのは、
年老いた両親のいずれかではなく、
大柄で肉付きの良い背格好をした娘の方だった。
「娘が、急に、苦しみ出したのですよ」
年老いた母親が、青白い顔で、
ぜ―ぜ―言っている娘の背中をさすりながら答えた。
「失礼致します。お医者をお連れしました」
安治が、返す言葉に詰まっているところへ、
おまさが、坊主頭の若者を連れて来た。外見で、医者だと一目で分かった。
「よろしく頼みますよ」
安治は、坊主頭の若者に頭を下げた。
坊主頭の若者は、真顔で、呼吸が乱れ、苦しそうな娘の顔を覗き込んだ。
「なあ、先生。こちらは、何処が、お悪いんだい? 」
安治が身を乗り出して聞いた。
「紙袋はあるか? 」
坊主頭の若者は、安治の傍らにいたおまさに向かって言った。
「はい、ただいま、お持ちします」
おまさは、急いで、座敷を出ると、すぐまた、紙袋を手に戻って来た。
「そんなもので、治るのかい? 」
安治が半信半疑だった。
「この袋を、しっかり、口にあてがって、
そのまま、息を吸ったり吐いたりしなさい」
坊主頭の若者が、てきぱきと指示を出した。
お客は、坊主頭の若者の言う通りにした。
「袋を口にあてがったら、余計、苦しいのではないか? 」
安治が言うと、坊主頭の若者は、安治をギロリと睨んだ。
「まあ、黙ってみておれ」
坊主頭の若者が、自信がある素振りで言った。
「ありがとう存じます。おかげ様で、娘の発作が治まりました」
母親が、歓喜の声をあげた。
さっきまで、顔面蒼白で、肩を揺らしながら苦しそうに
息をしていた娘の動きが落ち着いた。
「摩訶不思議な事があるものだ。
紙袋一つで、息絶え絶えに悶え苦しんでいた者が、治っちまうとはねえ」
安治が感心した様につぶやいた。
板長の代わりとなる者がおりません。せっかくですが、お断り致します」
安治がきっぱりと断った。
「そこを何とかなりませんか? 板長を半日、借りるわけですから、
手間賃は、そちらの希望の額でけっこうだ」
金右衛門が更に押した。
「よわりましたな」
安治が苦笑いした。
「板長、あんたは、どうなんだい? 山城屋の旦那が直々に、
あんたに、頼んでいるわけだ。わりい気はしねぇと思うがね」
月方が話を長八にふった。
「手前は、旦那様のお許しを得る事が出来れば、
お引き受けしたいと存じます」
長八の思わぬ返事に、安治は、長八をちらりと見やった。
「判りました。板長も、やる気の様ですし、お引き受け致します」
安治は渋々承諾した。
「そんならば、そちらの御都合がよろしい時分に、
一度、お越し頂けませんでしょうか?
料理の打ち合せも兼ねまして、宴を開かせて頂きたいと存じます」
金右衛門がにこやかに告げた。
「あの、打ち合せに、旦那様をお連れしてもかまいませんか? 」
長八が上目遣いで聞いた。
「歓迎致します。是非とも、お二人でお越し下さい」
金右衛門は、安治の方を見ながら言った。
安治は、平七郎と金右衛門を門の前まで、見送った後、
一足先に、板場に戻っていた長八を、裏庭に呼びつけた。
「何故、妓楼なんぞの宴に、うちの店の料理を出さねばならんのだ? 」
安治はいつになく苛立っていた。
「出過ぎたマネをしてしまい、すいません」
長八が平謝りした。
「長八。山城屋のお客の中には、とんだくわせものだっているわけさ。
せっかく、ここまで、評判を得たていうのに、
酒宴でしくじったりしたら、深川で、店をやってゆけなくなるぞ」
安治が一応、承諾したものの、まだ、断る理由を捜していた。
「山城屋に出入りする遊客といえば、
そんじゃそこらのお客とはわけが違います。
手前は、まことの味が判るお方に、料理を食わして、
美味いと唸らせてみてえんです」
長八がいつになく力説した。
「大した自信だな。長八、おまえが、わからなくなったよ」
安治は、わざとらしく、大きな溜息をついた。
「旦那様に、恥はかけさせません」
長八が強張った表情で答えた。
安治が中に戻ると、桔梗之間の前に、人だかりが出来ているのが見えた。
「何の騒ぎだね? 」
安治はちょうど、通りかかった軽子のおまさを呼び止めた。
「それが、桔梗之間のお客様が、急に、苦しみ出しまして、
今夜、お越しになられたお客様の中に、
お医者はいないかと捜しておる次第です」
おまさが恐縮して答えた。
「何故、もっと、早く知らせないのだ? 」
安治は、席を外していた事をすっかり忘れて、報告が遅れた事をとがめた。
「申し訳御座いません」
おまさは、半泣き気味に平謝りした。
「良いか。まずは、あの人だかりを、何とかせねばならぬ」
安治は、桔梗之間の入口付近に群がる人だかりを遠巻きに見つめた。
「皆様方。あとは、手前どもに任せて、お部屋に、お戻り下され。
お騒がせしたお詫びと言ってはなんですが、
店から、皆様に、地酒一升と酒の肴を贈らせて頂きます」
そこで、安治は、餌を撒いて、野次馬を退散させる作戦に出た。
その作戦は、上手く行き、野次馬は、各座敷へ解散し、
桔梗之間は、ようやく落ち着きを取り戻した。
「御加減は、いかがで御座いますか? 」
安治は、野次馬を体よく追い払った後、
座敷の奥で、うずくまっているお客に駆け寄った。
驚いた事に、体調不良を訴えているのは、
年老いた両親のいずれかではなく、
大柄で肉付きの良い背格好をした娘の方だった。
「娘が、急に、苦しみ出したのですよ」
年老いた母親が、青白い顔で、
ぜ―ぜ―言っている娘の背中をさすりながら答えた。
「失礼致します。お医者をお連れしました」
安治が、返す言葉に詰まっているところへ、
おまさが、坊主頭の若者を連れて来た。外見で、医者だと一目で分かった。
「よろしく頼みますよ」
安治は、坊主頭の若者に頭を下げた。
坊主頭の若者は、真顔で、呼吸が乱れ、苦しそうな娘の顔を覗き込んだ。
「なあ、先生。こちらは、何処が、お悪いんだい? 」
安治が身を乗り出して聞いた。
「紙袋はあるか? 」
坊主頭の若者は、安治の傍らにいたおまさに向かって言った。
「はい、ただいま、お持ちします」
おまさは、急いで、座敷を出ると、すぐまた、紙袋を手に戻って来た。
「そんなもので、治るのかい? 」
安治が半信半疑だった。
「この袋を、しっかり、口にあてがって、
そのまま、息を吸ったり吐いたりしなさい」
坊主頭の若者が、てきぱきと指示を出した。
お客は、坊主頭の若者の言う通りにした。
「袋を口にあてがったら、余計、苦しいのではないか? 」
安治が言うと、坊主頭の若者は、安治をギロリと睨んだ。
「まあ、黙ってみておれ」
坊主頭の若者が、自信がある素振りで言った。
「ありがとう存じます。おかげ様で、娘の発作が治まりました」
母親が、歓喜の声をあげた。
さっきまで、顔面蒼白で、肩を揺らしながら苦しそうに
息をしていた娘の動きが落ち着いた。
「摩訶不思議な事があるものだ。
紙袋一つで、息絶え絶えに悶え苦しんでいた者が、治っちまうとはねえ」
安治が感心した様につぶやいた。
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