第26話 辻斬り

文字数 1,999文字

翌朝、報せを受けて、医院に駆けつけた、

小者二人が、安治を大八車に乗せて、八丁堀の組屋敷まで運んだ。

「かっちけねえ。しばらく、ご厄介になります」

 安治が恐縮して頭を下げた。

「おめえを独りにしておけば、無茶をするに決まっている。

まことに、そんなからだで、山城屋に行くつもりかい? 」

 賢三郎は、安治が辻斬りに遭ったと聞いて、さすがに心配した。

「へい」

 安治が小さく頷いた。

「安治。おめえを狙った刺客に、心当たりはねぇのか? 」

 賢三郎が事件との関連を疑った。

「これでも、他人様から、怨まれる様なマネはしてねえつもりです」

 安治がきっぱりと告げた。

「とどめを刺さなかったという事は、

はなっから、おめえを殺めるつもりはなかったのだろ」

 賢三郎が腕を組んで思案した。

「そうさね」

 安治はいつになく、言葉が少なかった。

「襲われたのが、クソしている時っていうのが、おめぇらしいな」

 賢三郎が冗談を言った。

「そうさね」

 安治はようやく、笑みを見せた。

「これも、悪運が強いおかげだな。助けに来た長八に、感謝しろ」

 賢三郎が穏やかに告げた。

「ずっと、気になっていたのだが、長八とは、いってえ、何者なんだい? 」

 太兵衛が思い出した様に聞いた。

「言われてみれば、あいつが、亀弥の板長になる以前の話は、聞いてねえ」

 忠蔵も興味を示した。

「辻売りだ」

 安治がぼそっと答えた。

「辻売りを料理屋の板長にするとは、思い切った事をしたものだな」

 賢三郎は言った。

賢三郎は、作事奉行の赤井忠好の事で、頭が一杯だった。

御鳥見役の五十川伊三郎は、

深川にある材木問屋「宝来屋」の手代たちが、

「たてもの」が入っていたと思われる長持を

作事奉行の屋敷に運び込んだ現場を見た後、

御鷹が怪死体で発見された。鷹匠の九里翫之介は、

御鷹の死の責めを受けて自害した。

一方、御鳥見組頭の佐野鷹介は、吟味を受けた直後、辻斬りに遭い死亡。

「たてもの」の受け渡し現場を目撃した張本人であり、

怪死した御鷹に、最後に、餌を与えた張本人でもある

五十川伊三郎は、出奔したまま、

三年もの間、その行方をくらました。

田沼意次が老中に就いて以来、官位昇進を実現する為、

幕臣の中で、老中、御側御用取次、家老そして、

大奥老女等に、多額の金品を贈り、更には、

将軍や幕閣の御機嫌取りの為、手伝普請を積極的に引き受け、

藩の財政を悪化させる者が現れた。

更に、一部の材木問屋と作事方の普請を担当する役人との間には、

「まいない」が横行している。作事奉行の赤井忠好は、

「まいない」の疑惑の中にいる重要人物なのだ。

「近頃、作事奉行の赤井忠好様は、一部の材木問屋から、

まいないを受け取り、私腹を肥やしているという

風聞が、城内に広まっております」

 太兵衛は、賢三郎が、作事奉行に、

目星をつけている事に気づく事なく、知り得た情報を伝えた。

「やはり、そうか」

 賢三郎が相槌を打った。

「風聞もまんざら、嘘ではなかろう。

近頃、作事奉行様は、夜な夜な、深川界隈の料理屋や

吉原周辺に出没しております」

 太兵衛が声を潜めた。

「その作事奉行様だが、昨夜、与力の日高五郎様とお会いになっていたぜ」

 安治が神妙な面持ちで告げた。

「それはまことであるか? 」

 賢三郎が身を乗り出して聞いた。

「まことの話です。それよりも、ちっと、気になる事がある。

作事奉行様が、板長の長八に、関心をお示しになったのだ」

 安治は、作事奉行の小姓の佐平次の事が気になっていた。

「おめえを襲った刺客と、何か、つながりがあんのかい? 」

 賢三郎が、安治を見やった。

「いやなに、家来を板場にやってまで、

板長の素性を知ろうとなさったわけさ。怪しいと思いませんか? 」

 安治が上目遣いで言った。

「よっぽど、料理が、お気に召したのではないか」

 賢三郎が聞き流した。

「そいつがまた、一癖も二癖もありそうな奴なんだ」

 安治はいかに、重要であるかを強調した。

「板長に関心を示しただけで、

おめえを殺めたと結びつけるのは難しい」

 賢三郎が慎重に告げた。

「親分。実は、まだ、気になる事があんだ」

 安治が尚も続けた。

「今度は何だ? 」

 賢三郎が苛々しながら聞いた。

「店を出た後、誰かに、あとをつけられていると感じて、

逃げ込んだ屋台で、元亀弥の主と出くわしたわけさ。

その後に、襲われた事もあり、何だか、気になってさ」

 安治が珍しく弱気な台詞を吐いた。

「おめえは、元亀弥の主の借金を肩代わりしてやったのだろ? 

御礼を言われるならまだ、わかるが、

命を取ろうとするというのは、おかしいじゃないか」

 賢三郎がたしなめる様に言った。

「逆恨みという事もある。何せ、えれえ剣幕で追い出されたわけさ」

 安治が興奮気味に言った。

「そんならば、ここから、一歩も、動かねぇ事だ。

あとの事は、わしらに任せろ。わかったな? 」

 賢三郎は、安治が勝手に動き回らない様に、

監視役として、忠蔵を安治につかせた。
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