第19話 問答

文字数 2,195文字

「へえ、料理屋の主だとは、たいしたものだねえ」

 その男が人懐っこい笑顔で言った。

「おいらは、安治と申す。おまえの名は、何と申す? 」

 安治は、その男を見定めた。身なりから、判断すると、百姓か漁師だろう。

「おらは、幸吉だ。国許は、この木下宿だが、

十の時に、行徳の塩問屋へ奉公に出た後、

家人を相次いで、病で亡くしちまって、

今は、無宿者同然だ。布団部屋に泊まらせてもらいながら、

日雇いの仕事で、何とか、食いつないでおるわけさ」

 幸吉が、辛い境遇を笑顔で語った。

「おまえがいるという事は、おいらがいるのは、布団部屋というわけかい? 

あの野郎、安く泊まらせてやるなんぞ、

調子の良い事、抜かしやがって。

お客を、布団部屋に泊まらせるとは、無礼にも程がある。

文句を言ってやらなきゃ気が済まねえ」

 安治は、宿の主人に一杯喰わされたといきり立った。

「やめておいた方がいいぜ。宿主は、熊を素手で倒した怪力だ。

あんたが敵う相手ではねぇぜ」

 幸吉があわてて、安治を引き留めた。

しかし、安治は、止めるのも聞かず、肩をいからせながら、階段を下った。

中程に差しかかった時だった。何気なく、階下を見下ろすと、

宿の主人が、ちょうど、板場から出て来るのが見えた。

宿の主人の右手には、出刃庖丁が、しっかりと握られていた。

その出刃庖丁に、こびりついた真っ赤な血が生々しく映り、

いかにも、たった今、獣をさばいたばかりな臨場感があったため、

安治は、回れ右をすると、そそくさと、布団部屋へ引き返した。

「何だ。もう、戻って来たのかい? 」

 幸吉は、布団によりかかりくつろいでいた。

「宿主に、文句をたれるより、大事な事を思い出したわけさ」

安治が決り悪そうに腰を降ろした。

「大事な事って、何だい? 」

 幸吉が身を乗り出して聞いた。

「三年前まで御鳥見役を務めていた

五十川伊三郎という者を知っているかい? 」

 安治が慎重に訊いた。

「五十川伊三郎さんは、おらのダチだが、あの人が、何かやらかしたのかい? 」

 伊三郎の名を出した途端、幸吉は、身を固くした。

「三年前、おまえが、五十川伊三郎に売った雀の事で、聞きてぇ事があんだ」

 安治が冷静に話を切り出した。

「雀を売っただって、いってえ、何の話だい? 」

 幸吉は、驚いた顔で安治を見た。

「三年前、伊三郎は、御鷹に、おまえが売った雀を与えたそうな。

翌朝、御鷹は、変わり果てた姿で見つかったのだ。

何か、身に覚えはないかね? 」

 安治が慎重に訊いた。

「あるわけねぇだろ。だいたい、おらは、伊三郎さんに、雀を売った覚えはねぇぜ」

 幸吉が興奮気味に否定した。

「おいらは、御鳥見組頭の佐野鷹介様の家人に頼まれて、

ある二つの事件を再吟味する為に、事情を知る者に、聞き込みをしておる。

伊三郎が出奔したおかげで、おまえも、うまいこと、逃れたわけだな」

 安治がわざと怒らせて、幸吉の反応を見た。

「おい、雀を売った覚えはねぇと申したのが、聞こえなかったかい? 」 

 幸吉が声を荒げた。

「おまえが、御鷹部屋まで押しかけ来て、

雀を売りつけたと聞いたが違うのかい? 」

 安治が強い口調で問いただした。

「おらは、御鷹部屋には行ったが、雀を売る為ではねえ。

葛西の百姓の家に行った折、家主が、巣から落ちた雀が、

庭に落ちているのを見つけたてんで、

おらが、家主の代わりに、御鷹部屋に届けてやっただけさ」

 幸吉がぶっきらぼうに答えた。

「いってえ、どういうわけだい? 

伊三郎は、おまえから、雀を買ったと自白したが、

おまえは、雀を拾って届けたと言い張る。

何故、赤ん坊の小便みてぇな事をしたのだい? 

巣から落ちた雀なんぞ、放っておけば良かろう」

 安治が忌々し気に言った。

「巣から落ちた雀をそのままにしておけば、いずれ、弱って死んじまう。

死なせた事が、代官所に知れたら、

家主は、鷹場にいた雀を殺生したとして罰を受ける事になる。

幸い、落ちたばかりで、まだ、息があった故、

おらが、その雀を御鷹部屋に届けたのだ。それの何が悪い? 」

 幸吉が涙ながらに反論した。

「念の為、聞くが、おまえは、雀に、毒を仕込んでいないよな? 」

 安治が意地悪い質問をした。

「冗談はよしてくんないか」

 幸吉が驚いた顔で言った。

「どっちにしろ、御鷹は、その雀を食った後、

死んじまったわけさ。雀が怪しいだろ」

 安治が、幸吉を見据えた。

「御鷹を殺めても、おらには、何の得にもならねえ」

 幸吉が打ち嘆いた。

「脅されてやったとか、金に、目がくらんでやったとか、

理由をあげればキリがねえ」

 安治が、幸吉を追い詰めた。

「兄さんは、何が何でも、おらを悪人にさせてえみてぇだな」

 幸吉が沈んだ声で告げた。

「おまえが、度々、御鷹部屋の外で、

伊三郎に、雀を売っていた事はわかっている」

 安治が厳しい口調で言った。

「売ったも何も、葛西は御挙場だぜ。

御挙場に於いて、百姓が、鳥や獣の捕獲や殺生を行う事は、

厳しく禁じられている事ぐれえ、おらでも知っとるわい」

 幸吉がしきりに瞬きをした。

「そんならば、何故、伊三郎は、おまえから、雀を買ったと言いなしたのだろ」

 安治が身を乗り出して言った。

「おらが知るかよ。さるにても、さっきから、あんたは、

八丁堀の旦那みてぇな事ばかり聞くが、まことに、商人なのかい? 」

 幸吉が真顔で聞いた。

「いんにゃ、商人は、仮の姿で、おいらの本分は、御用聞きだ」

 安治がえへん面で言った。
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