第16話

文字数 6,128文字

 その後、宮國伊勢は機嫌を損ねてしまったのか、神座たちの質問に対し、必要最低限の返答しかしないようになった。収穫といえば彼女が樹里に対して今でも憎しみに近い感情を持っているのがわかったくらいで 手掛かりはそこで潰えてしまった印象さえあった。
 手詰まり、神座の脳裏に嫌な言葉が浮かぶ。今のところ、佐竹摩央の動画チャンネルで殺害予告は行っただけでそれ以降の動きはなく これ以上の動きは出来ない。すでに佐竹の動画は閲覧に制限が掛かっている為、出来ることは何もなく。ただ無為に時が過ごすのを待ち、一週間後を迎えるしかない。

 ドアがノックされる。神座が代表して返事をするとペットボトル飲料を三本、手にした美樹本アトムが入ってきた。
 「喉が渇いたかな、って思いまして。」
 「ありがとうございます。」
 受け取った飲み物はお茶だった。パッケージに美樹本アトムの画像が使われている。
 「少し前にここの会社とコラボをしてお茶を出したんすよ。」
 美樹本は照れくさそうに言った。
 「おかげさまで売れ行き好調で一年分贈呈されちゃいました。好きだから有難いっちゃ有難いんですけど 消費するのに大変で。」
 「飲んだことありますよ。」
 差し出されたペットボトルを受け取りながら水無瀬は言った。お世辞を言う人間ではないのできっと本当のことなのだろう、神座は思った。

 「水滴、酷いですね。そこにティッシュあります。」
 美樹本は苦笑いを浮かべながら言う。彼の言う通りペットボトルの表面には結露が浮かんできていた。冷蔵庫から出して暫く時間が経過していたのだろう、おそらく部屋の外で彼は入るタイミングをうかがっていたのではないか、と思った。それを裏付けるかのように美樹本は差し入れをした後も部屋からは出ていかずに宮國の隣に腰を下ろした。好きなのだろうな、神座は微笑ましく思う。
 「草野球でお二人は知り合ったと聞きました。」
 お茶を一口飲んで水無瀬が言った。
 「誰から聞いたんです?」
 美樹本は驚き、隣の宮國を見た。彼女はそれを否定するように首を振った。
 「凄いな、警察の情報網は。暴露系配信者もびっくりですよ。」
 「誉め言葉として素直に受け取っておきます。」
 水無瀬はにこりともしないで言った。

 「うちのスタッフや配信者仲間と草野球チームを立ち上げて 対戦相手を募集したんですよ、そのチームの応援にいーちゃんがいた、というわけです。スタンドでこの子の魅力は一段と輝いていました。普段、カメラの前で不特定多数の人間相手に話している時なんかはすらすらと出てくる言葉も 彼女の前では全く役に立ちませんね。その時の気持ちを表現するには今、存在する言葉では足りなさすぎる。試合が終わってから向こうの関係者の方にお願いしてなんとか連絡先を交換してもらいました。肝心の試合ですか? ああ、ダメダメ。試合後にどうやっていーちゃんとお近づきになろうかと考えていたし、彼女に見られていると思うと全然ダメ。成績は最悪でしたよ、俺が立ち上げたチームなのに途中でベンチに下げられましたから。」
 美樹本は饒舌に語る。

 「初めのころは全然、相手にもしてもらえませんでした。驚くほどの塩対応。こっちからメッセージを送っても返ってくるのは数時間後ってのが ざらだったし、返ってこない時もありました。ショックでしたよ、一応、これでも有名動画配信者なのに。まあ理由はなんとなく察してはいたんですよ。ちょっと前に週刊誌の暴露、喰らっちゃいましたからね。ああいう女性に対してだらしない側面があるってのが世の中には浸透していましたから。でも、俺は心を入れ替えたんです。そこを分かってもらいたくて スマホも破壊して今まで手に入れた女の子の連絡先は全て消去しました。頭も丸めましたしね。」
 「坊主頭を反省の道具として使われるのは些か心外ですね。」
 水無瀬は言う。彼の頭は野球部を引退した三年生の夏の終わりの長さしかない。散髪後はスポーツ刈りが常だった。

 「それに髪をそっても煩悩は削ぎ落すことは出来ませんよ。」
 「彼女の前でやめてくださいよ。」
 美樹本は困り笑いをする。
 「それでも俺は俺のいーちゃんに対する本気を見せたかったんです。公私混同と思われるかもしれませんけれど 俺たち配信者の強みは動画を作れるってことなんで。スマホ破壊と坊主頭にした動画を撮影して そのURLを彼女に送りました。それでやっと心を開いてもらったというわけです。」
 「綺麗な爪ですね。」
 神座は宮國の指先を見て言った。お世辞ではなく心からの言葉だった。指先のケアはするけれど 職業柄、ネイルなど出来ずラインストーンが散りばめられた派手な彼女の指先に多少の羨ましさがあった。
 「ありがとうございます。」
 心を閉ざし気味だった宮國は隣で馴れ初めを誇らしげに語るミキアを少しでも黙らせようとしたのか雑談に応じた。

 「私も興味はあるんですけど こういう仕事ですから出来なくて。」
 神座は自嘲気味に言う。
 「困ることあるんじゃないですか? お仕事は何を?」
 水無瀬が口を挟んだ。
 「食品会社の事務職です。」
 宮國が答えた。。
 「その長さだと不便なことが多そうだ。」
 わかっていないな、水無瀬さん………、神座は思う。ファッションは効率を優先するものではなく不便さを許容して楽しむものなのだ。長い爪でペットボトルの蓋が開け難かろうが、落ちしてしまった小銭を拾い難かろうが、そういうのは些末な問題なのだ。

 宮國も水無瀬の無神経な言葉に苦笑いを浮かべるだけだった。きっと心の中では罵詈雑言の嵐なのだろう、神座は思う。
 「そういうのって気づいていれば俺ら男が率先してするべきだと思うんですよ。俺は良いと思いますよ。やっぱりおしゃれって大事ですからね。それでもし会社からダメ出しが出るのなら まあ他の方法もあると思いますし………。」
 ミキアは宮國を意識した上で歯切れ悪く言った。
 「なるほど私の感覚が不寛容でしたね。」
 水無瀬は自分よりも若い美樹本に指摘されて首を竦めた。

 「昔ね、俺、コンビニでバイトをしていたんですよ。トイレ掃除をしていたら常連の爺ちゃんがやってきてね、トイレ掃除なんて女にやらせれば良い、なんて言うから逆に説教しましたよ。今の時代にそぐわないってね。ああいう感覚が俺には全く理解できないんですよね。確かに俺のおかあちゃんは家事全般をなんでもしてくれていました。一緒に住んでいる時はそれが当たり前のように思っていたけれど 家を出て一人暮らしをするようになってからその有難みってめっちゃわかったんですよ、ああ、おかあちゃんがしてくれていた事って当たり前じゃなかったんだなって。だから昔よりおかあちゃんに優しくなりましたもん。たぶん関係性で言ったら昔より、今の方がずっと仲が良いと思いますよ。もちろんおかあちゃんに孝行するのが一番でしょうけれど離れていてそれもあんまりできない。だから傍にいる彼女に俺は尽くそうと思うわけです。」
 美樹本は頭を右に倒して宮國の肩に寄り掛かった。
 神座は彼の主張に惜しみない拍手を静かに送った。

 「まあ、俺といーちゃんの馴れ初めの話はここまでにしておいてですね。ちょっと面白いことを考えたんですけど 聞いてもらってもいいですか?」
 ミキアは両手を打って前傾姿勢で言った。顔つきが美樹本アトムから動画配信者のミキアへと変貌したように神座には見えた。
 「動画配信者である貴方の面白いことっていうのは 我々には厄介ごとのような気がして仕方がありませんね。」
 水無瀬は言うが頭ごなしには否定もせずに聞く耳を傾ける。

 「今の状況って魔王からのアクション待ちでしょう? それって攻撃的な俺の性格にはちょっと合わないような気がするわけです。ミキアって打って出てなんぼでしょうって、視聴者もそう思っているわけで 実際にコメントなんかにも今こそ魔王と直接対決ってきているわけですよ。理想としては魔王と直接対談なのですけど それは絶対に無理なことはわかっているんです。だから魔王の側近? 鵠沼さん? その人と対談して間接的に魔王と対決出来ないかな、って考えたんですけど どう思いますか?」

 水無瀬はまるで静止画のように動きを止めて聞いていたが やがてゆっくりと指先で頭を掻く。刑務所の中の魔王と対談したい、とはまた大きく出たものだと神座は思う。もちろん面会という手段をとればそれは実現可能なのだろうけれど きっと撮影も出来ない状況をミキアは望んでいない。彼が希望しているのはあくまでもエンタテイメントとしての対談だ。許可など下りるはずがない。しかし無駄だろうと思うことでも考えて提案してみる、という行為がきっと美樹本アトムがミキアをクリエイタと至らしめている理由だろう。

 「面白いとは思います。」
 水無瀬が言った。
 「けれど実現は不可能でしょうね。貴方がやりたいのは動画撮影ですよね、でもこの国のルールでは動画はもちろん静止画すら認められない。」
 「でしょうね。じゃあ鵠沼さんとの対談なら?」
 「そちらの方は可能だと思います。ただこの提案を受け入れるか、否かは向こうが決めることであって私の一存ではありません。」
 「じゃあ鵠沼弁護士の許可があれば良いってことですね?」
 ミキアは指をぱちんと鳴らした。
 「はい。」
 水無瀬は言う。
 神座は不安を憶えて水無瀬を見た。ミキアの命を狙うと言っている佐竹摩央の顧問弁護士である鵠沼を近づけて平気なのだろうか、万が一、鵠沼がミキアを襲うという可能性もなくはない。その対談をミキアがいつにするのかはわからないが せめて一週間後にした方が良いだろう、神座は思う。

 「ただこちらからも条件があります。」
 水無瀬は人差し指を立て、ミキアをじっと見ながら言った。
 「その対談の席には私たちも同席させてもらいます。もちろんカメラには映らない場所にいるだけで良い。それが条件です。」
 「わかりました。」
 ミキアは満足そうに頷いた。
 「誰か連絡先って知っていますか? 鵠沼さんの事務所って調べたら出てくるんですかね? 知っている人がいるなら話が早いんだけれど。」
 ミキアは呟きながらスマホを操作し始める。この積極性とフットワークの軽さが彼らの武器なのだろう。配信者の多くは一人で企画を立ち上げ、一人で撮影し、編集をする。スポンサーの意見など気にすることもなくテレビ番組よりも遥かに身軽。もちろん一本の動画をたった一人で仕上げるのは簡単なことではないだろうが いわゆる撮って出しは遥かに早い。爆発的にコンテンツが広がった理由がここにある。だからといってやろうとは けして思わないけれど、神座は思う。
 「知っていますよ。」
 水無瀬が手を上げる。

 「あ、こっちも出てきました。ちょっと電話してきます。」
 ミキアはそう言うと部屋から出て行った。きっとその電話の様子ですら動画を回してライブにするのだろう。命を狙われている人間とは思えない積極性に辟易する。
 「美樹本さん、何か言っていましたか?」
 水無瀬は宮國に尋ねる。
 「何か、というのは?」
 「怖い、とかその種の感想を貴女に漏らしたことはありませんか?」
 「いいえ。根っからのクリエイタなのだと思います。自分の命が危険に晒されていようが上げた動画が面白いと評価されればそれで良い、と考えているのだと思います。」
 宮國は冷静に言った。
 「嫌ではありませんか?」
 「それが彼の仕事ですし、それをすることで生活をしているのだから仕方がないと思います。今から始める、と言われたら流石に考え直すようには言いますけど。それに………。」
 宮國は言葉をそこで一度飲んだ。
 「私が言ったところで彼が動画配信を止めることはないと思います。」
 「私もそう思います。しかし、厄介なことを考えるものです。自分の命を狙っている人間の仲間と対談をしようなんて。」
 「鵠沼弁護士は受けるでしょうか?」
 神座が口を挟んだ。
 「条件にもよるだろう。例えば動画の収益を折半とか、もしくはどちらのカメラも回すということが前提条件になる、と思う。」
 「確かに世間から注目を浴びていますからね、再生回数はかなり稼げるんでしょうね。」
 「最悪の場合、対談中に何かを仕掛けてくる可能性もある。」
 「何かというのは?」
 「美樹本アトム殺し。そっちの方がショッキングだし、話題性も充分。あの二人ならやりかねないだろうな。」
 「刑事さんも超能力を信じているんですね?」
 宮國に尋ねられる。
 「その質問をこの数日で何回も受けていますが 信じてはいません。」
 流石に水無瀬も飽き飽きして答えていた。

 「でも今、そのタイミングでミキアの命を狙ってくる、と言っていましたよね?」 
 「はい。確かに言いました。しかし佐竹がミキアを殺すとは言っていません。殺人なんて佐竹だけの専売特許ではありませんからね。今まで殺人犯になった奴はごまんといます。確かに佐竹はミキアを殺すとは言ったけれど それは他人に代行させても成立することです。」
 「誰にですか?」
 「有力候補は 鵠沼でしょうね。」
 「弁護士先生ですか?」
 「それは流石に無いんじゃないでしょうか?」
 神座は言う。
 「どうしてそう思う?」
 「だって鵠沼弁護士はあくまでもお金が目的で佐竹と組んでいるわけでしょう? 佐竹の代わりに殺人なんて行ってしまったら 身の破滅じゃないですか。そんな危険をあの人が犯すとは思いません。ミキアが殺されたその場にいたら第一容疑者として真っ先に疑われるのは鵠沼本人です。私はそんな危険な賭けに出るとは思えません。」
 「毒物を使用するというあの動画の話を信じるのなら 差し入れや、ここにある食べ物に紛れ込ませて 毒入りの食材を置いておくことは可能だろう? ただ俺も神座の考えと同じだ。鵠沼が自らリスク承知で殺人を犯すとは心の底では思っていない。彼女は自分の利益不利益でしか物事を考えていないからな。佐竹の代わりに殺人を犯すなんて彼女にとっては割に合わない仕事なんだ。」
 水無瀬が言う。
 「それでも万全を期すために 入室前に持ち物検査は行うべきですね。」
 神座は提案をする。
 「うん、俺もそう思う。」
 「以前、テレビで見たことがあるんですけれど 化粧ポーチの中に毒物を隠し持っていた犯人がいたそうです。」
 宮國が言った。
 「それなら私も観ました。女スパイの話でしょう?」
 神座は言う。某国の女性スパイが身分を偽って政府高官に近づき毒による暗殺を行った話をテレビ番組で取り上げていた。その女スパイもまた逮捕後、拘留中に不審死を遂げて事件の真相は闇に葬られたままらしい。

 ドアがノックされて美樹本アトムが楽しそうに戻ってくる。結果は聞かなくても察することが出来た。きっと鵠沼綾乃から承諾を得たのだろう。
 「明後日、こちらに来てくれるそうです。」
 美樹本は子供のように無邪気にブイサインを向けて言った。
 予想は出来たことだ、予想は出来たことだが出来ることなら外れていて欲しかった、と神座は思う。

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