第19話

文字数 7,103文字

 鵠沼綾乃とのアポイントは彼女の秘書を通じて取ることが出来た。本職が弁護士である彼女は依頼主との接見中で府内の警察署にいるらしい。迎えがてら話を聞きたい旨を伝えるとやんわりと断られ、市内北区のカフェで取材が入っているのでその後でなら時間を取ることが出来ると言われた、神座と水無瀬はJR大阪駅前にある商業ビルの八階のカフェでコーヒーを飲みながら 少し離れた席の鵠沼綾乃の取材の様子を窺っていた。インタビュアの質問は聞こえなかったが 終始和やかな様子でインタビュは進んでいた。一時間ほどして鵠沼とインタビュアが同時に席を立つ。一度、店外へと出てインタビュアを見送ってから 先ほどのにこやかな顔からは想像もつかないような冷めた表情で彼女は神座たちのテーブルへと座った。

 「お待たせしました。」
 彼女が再び着座したタイミングで店員が近づいてくる。
 「大丈夫、すぐに帰るので注文は結構。」
 鵠沼は女性店員に事務的に言った。水の入ったグラスだけがテーブルの上に置かれる。
 「一応、副業とはいえこれも立派な仕事なんですよ。女性の社会進出をさらに促進させるフラッグ的な立場なんですって。」
 「それは何よりです。」
 水無瀬はコーヒーカップをソーサーの上に置いた。
 「それで大事なお話って?」
 鵠沼は頭を二十度、右へと傾ける。
 「佐竹が関与を仄めかしている事件の被害者についてです。」
 神座が説明する。
 「ああ、はいはい。確かバーの経営者でしたね。」
 鵠沼弁護士は頬に右手を当てて記憶を引き出すように言った。
 「春日井道雄、ご存じだったらしいですね?」
 神座は春日井道雄の運転免許証の写真を引き伸ばしたものを鵠沼に見せた。
 「ええ、知り合いでしたよ。行きつけの店のバーテンダーでした。」
 「なぜお知り合いだということを隠されていたのですか?」
 神座は問う。
 「別に隠していたつもりはありませんよ?」
 鵠沼は悪びれずに言った。長い睫毛が瞬きをするたびに動く。赤いタイトなスカートから伸びる脚を組んだ。
 「聞かれませんでしたもの。お聞きになりました? 私と彼との関係性。」
 「聞いて………いませんね。」
 水無瀬が澄ました顔で言った。
 「先日、お二人に質問されたのは動画配信についてです。それには誠意をもって返答させていただきましたし、協力もさせていただいたと記憶しています。」
 「その節はありがとうございます。おかげでミキアへの身辺警護は認めてもらうことが出来ました。」
 水無瀬は言う。
 「それは何よりです。」
 鵠沼はニコリともしないで言った。

 「改めて春日井さんとの関係をお聞きしても良いですか?」
 「もちろんです。なんでも包み隠さずにお話をしますよ。でも、この後にまだ予定があるので端的にお願いしたいものですけれどね。」
 「いつ頃からのお知り合いですか?」
 水無瀬が質問をする。
 「そうね、あれはいつだったかしら………。半年? もっと前だったかな。春日井さんのお店の近くで食事をしていて 二軒目に行く流れで入ったのが彼のお店だったと記憶しています。隠れ家的とは本人も言っていましたけど お店が隠れるような場所にいちゃ駄目よね。おっといけない。これは悪口になるかしら?」
 鵠沼は口元に手を当てる。
 「保険の紹介をしたこともあると聞いていますよ。」
 「ええ、村瀬くんね。彼、オトコマエだと思わない?」
 急に話を振られた神座は返答に窮する。人の外見に対する尺度は人それぞれであるが確かに営業職に就いているだけあって村瀬は清潔感のある男だと思った。外見も悪くはないだろう。否定する要素はなかった。
 「うちに飛び込みで来たときはまだ怖いもの知らずの新人でね。でも、まあそのガッツは悪くないから彼には何人か紹介したこともあるんですよ。今、結構、羽振り良いらしいのよ。」
 鵠沼は囁くように言った。

 「でも、それがいけない事? 私ね、自分で言うのもなんですけれど 基本的には良い人なんですよ。出来ることなら自分に関わる人、全員が幸せになって欲しい、と思っている。この場合の幸せはもちろんお金を稼ぐことね。契約を成立させるのは村瀬くんの手腕に掛かっているけれど その取っ掛かりを作ってあげること 私には簡単ですもの。もちろん彼だけじゃありませんよ、私が裁判に勝つことでうちの事務所には仕事が舞い込むし、そのおかげでスタッフの懐が潤う。もちろん仕事があれば新人も場数を踏むことが出来る。みんなに幸せを届けてあげたいの。」
 「そのみんなの中に春日井さんは入っていましたか?」
 水無瀬は問う。
 「もちろんよ。」
 鵠沼は大きく頷いた。
 「だから月に何度かは彼のお店で飲むこともあったんですから。顔に似合わずオリジナルカクテルとか上手だったのよ、彼。ロマンチストな一面がありましたね。まあ私が飲むのはハイボールだけですけど。」
 「亡くなったことはいつお知りになりました?」
 「あなた達が帰った後すぐです。驚きました、まさか彼が佐竹の犠牲者になるなんて。もしかして私が佐竹に彼を殺させた、と思っているとか?」
 「檻に入っている人間に人は殺せませんよ。」
 水無瀬が言う。

 「まだあの子の力を信じていないのですね………。」
 「簡単になんでもかんでも信じ込むほうが大問題だと思いますけれどね。」
 水無瀬はにこりともしないで言った。
 「確か春日井さんは自分のお店で殺されていたんでしたね?」
 「よくご存じですね。」
 「昔から地獄耳って言われているんですよ。」
 鵠沼は右耳を触って言った。
 「現場は密室だったことも知っていますし、佐竹からの犯行声明文も見つかったのでしょう?」
 彼女は得意げに言った。
 「警察に知り合いでもいるんですか?」
 水無瀬は苦笑する。
 「こう見えてお友達は多い方なの。」
 「犯行声明文、筆跡鑑定はされました?」
 「ええ、直筆の文面やサインは間違いなく佐竹摩央本人のものであると鑑定されました。」
 「物的、状況、重要視される証拠は揃っていて まだ佐竹を疑わないと?」
 水無瀬は困った表情を浮かべた。
 「否定をしたい気持ちは痛いほどよくわかります。そこを簡単に認めてしまうと敗北を認めるとの同じですものね。自分たちは所詮、普通の人間しか相手に出来ない、と。でも、悲観することはないと私は思いますよ。停滞して進歩を拒んできた概念を取り払うチャンスです。超能力の存在を認めた上で法整備を行う。そうすれば今後、同様の事件が起きた際に警察も超能力犯罪を処罰することが出来るでしょう。もちろん、その時が来ても佐竹を罪に問うことは不可能でしょうけれど。」
 鵠沼は優しく微笑んだ。
 「現行法で充分です、先生。」
 「これから先はより柔軟な発想が必要となってくる時代です。水無瀬刑事のように凝り固まった考えだと取り残されますよ。」
 「その時は潔く引退しますよ。」
 彼女の嫌味を水無瀬はひらりと躱した。

 「先生もご存じかもしれませんが 上は春日井道雄の死は自殺ではないかという前提で動いています。」
 「自分たちの理解に及ばないものを遠ざけて 都合の良い決着を図ろうとする。落第生の常套手段ね、呆れて言葉もありません………、でも上は、と言われたけれど まるで自分はそうは考えてはいない、とも取れる発言には少し驚きです。」
 「犯罪者が自分で名乗り出てくれているわけですからね、一応、考慮はするべきだと考えているだけですよ………。」
 「お話の軌道修正を図りたいのですが。」
 神座は一つだけ咳払いをした。
 「どうぞ、発言を認めます。」
 鵠沼は手のひらを上に向けて神座に向けた。
 「彼に借金があったこともご存じでしたか?」
 「そういう相談があったことはありましたね。経営がなかなか軌道に乗らなくて返済で困っていると。」
 鵠沼は斜め上に視線を向けた。
 「具体的に私にお金を貸して欲しい、という内容でした。」
 「断られたんですか?」
 神座は聞く。
 「ええ。もちろん。」
 鵠沼は意識的に何度か瞬きをしてみせた。
 「先日もお話した通り、私、お金が大好きなんです。片思いしているんですよ。」
 「片思い………ですか?」
 「ええ、だってそうじゃないですか、相思相愛ならお金はひとりでに勝手に増えていってくれますよ。でも、私の期待に反してお金は勝手に増えていってはくれない。これはもう永遠の片思いです。そんな私だからこそ 無駄なお金は使いたくない。確かに春日井さんは行きつけの店のマスターでした。でも、それとこれとは別の話です。店の経営が上手くいかないのは彼の経営努力が足りないせい。そんなところにお金を貸したところでお金が死ぬと思いません? それって無駄金でしょう? ビジネスとロマンチシズムは切り離して考えるべきなんです。そういうところを彼は分かっていなかった。日常生活に疲れた大人がお店にいるときだけは全てを忘れることが出来る隠れ家がコンセプトなんて言っていましたが 立地が良くない。隠れ家は精神的な場所であって 実際に店が分かりにくいところなんていたらダメ、全然ダメ。」
 鵠沼は両手の人差し指でバツを作った。

 「春日井さんに生命保険を勧めた理由は?」
 「もちろん彼が加入をしたがったからです。それ以外に何があります? ああ、私がお気に入りの村瀬君の営業成績を上げてあげようと思ったから、っていうのも一つではありますけどね。」
 「保険金が目的とか。」
 水無瀬が呟くように言う。
 「ああ、なるほど世間ではよくある話ね。でもああいうのって掛けた自分にお金が入るから行なわれる犯罪でしょう? 春日井さん本人が亡くなったら保険金詐欺なんて成立しないじゃない。自分が死んで大金を得たところで無意味よね。ああ、そうか、もしかしたら水無瀬刑事は私に保険金が入るとか思っているのかしら? それだったら村瀬君に聞いてみなさいよ。すぐに私の無実は証明できると思うから。」
 鵠沼は吹き出すように言った。
 村瀬に確認するまでもなかった。受取人は春日井の別れた妻になっている、と彼は言っていた。春日井の保険金が鵠沼に入ることはない。
 「彼を殺したのは佐竹摩央。それは絶対に間違いない。」
 鵠沼は言い切った後に大きく頷いた。
 「ただ私の知り合いの彼が彼女にターゲットとして選ばれたのは偶然。それも間違いのない事実です。」
 彼女の話を聞いて神座は不思議に思う。刑事裁判において弁護士の役目は被告人の罪を軽くすることだ。しかし鵠沼の発言はクライアントである佐竹摩央に不利になることばかり発言している。普通ならば 佐竹には絶対に出来ない、というべきなのだ。立場が自分たちとあべこべのような気がして仕方がない。

 「どうして私が依頼人である佐竹の罪を主張するのか納得できない、って顔。」
 鵠沼は神座を指差した。
 「はい。そう思います。」
 「それはとても簡単な話です。私は魔王に不可能が無いことを知っているからです。もちろん弁護士である私の仕事は彼女の量刑を少しでも軽くすることですが それと同時に彼女のビジネスパートナでもあるわけです。彼女の圧倒的なパワーを世間に知らしめる必要がある。もちろん世間からバッシングを受けることもあるでしょう。しかしよく考えてみて、未だにこの世の中から犯罪が無くならないのはなぜ? あなた方、警察組織や司法という裁きの場があることが公に知られているのに。」
 「個人が感情や欲に勝てないからでしょうか。」
 神座は答える。刑事になってまだたいした時間は経っていないが それでも犯罪者を間近で見てきた。一概に分類できるわけではないけれど、誰もが感情の爆発を抑えられなかったり、欲望の赴くままに一線を越えたりするケースが多い。
 「それも理由の一つでしょうが 犯罪が無くならないのはね、簡単に言うと警察や刑法が舐められているからなの。捕まっても ああなんだ、こんなものか、この程度の不自由さの許容で許されるのか、という考えがまかり通っているからなのよ。今の時代、あなた達警察や司法は抑止力にさえなっていない。もちろん想像力逞しい怖がりの人間は法に抵触することを極端に恐れているけれど 一度、一線を越えたものはあちらとこちらの行き来など大したことないと知ってしまう、だから高を括る。人が人を裁くには限界がある。だからこそ佐竹摩央という人間を超越した存在は必要となってくるの。今までだったら見逃されてきた軽犯罪すらも それを許さない当事者が佐竹に依頼することで命を奪うことだって出来る。それが世間に広まればどう?次は自分が憑依されて殺されてしまうかもしれない、と恐れおののくでしょう? 魔王はね、警察や司法に代わる新たな抑止力となるのです。信号無視すらなくなる平和な国になるの。それはいけないことなのかしら?」
 「それは恐怖による支配だと思います。」
 「いけないこと? 昔の人は理解の及ばないもの 天変地異などを神様の逆鱗に触れたとして恐れていたのよ? もっと恐れおののくべきなのよ。」
 「痛いところを突かれました。」
 水無瀬は両手を軽く挙げた。

 「確かにこの仕事をしているとたまに自分の無力さが嫌になるときがあります。ドラマのように拳銃一発撃って解決が出来れば良いな、と思うこともしばしばありますよ。でも、ペテン師はお呼びじゃない。」
 「水無瀬刑事はまだ彼女の力の片鱗にすら触れていないからです。知ればきっと頑固な態度もとっていられなくなる。」
 鵠沼は気を悪くすることもなく余裕の態度だった。
 「美樹本と対談をするそうですね。」
 「お耳が早いのね。水無瀬刑事も地獄耳をお持ちみたい。」
 「私たちもその場には同席させてもらうことになりました。」
 「へえ。口では信じない、と言いながら やっぱり気にはなるのね?」
 「はい。超能力が使えなくても人は人を殺すことは可能ですから。」
 水無瀬は言う。
 「私が美樹本アトムをその場で殺すと考えているのね? 物騒なお話。」
 鵠沼は自分の身を抱くように両腕を回して大げさに怖がってみせた。薄ら笑いを浮かべた後で表情が瞬時に戻る。

 「そんな疑われるような状況下で馬鹿なことはしません。美樹本を殺すメリットが私にはないもの。言ったでしょう? 私が好きなのはお金。捕まってしまったらお金を生み出せる今の立場をふいにすることになる。美樹本アトムを殺すのはあくまでも佐竹の意思、そして魔王の力です。そこだけは絶対に忘れちゃ駄目。」
 彼女は水無瀬の鼻先を触れるか触れないかの距離まで手を伸ばして挑発をした。
 「わかりません。」
 神座は手を上げた。
 不意に神座が発言したことに呆気に取られたのか鵠沼は意外そうな顔で神座を見た。
 「わからない、とは何がかしら神座刑事。」
 「先生のお話では 犯罪に対する抑止力になる、との話でした。それが本当なら確かに犯罪は減少していくかもしれません。でも、その思想と美樹本アトムや樹里さんを殺害するという意図は反しているんじゃありませんか? 犯罪の無い社会を作ると言っておきながら自分たちがその力を誇示するために罪もない一般人を殺害する理由が私には理解できません。」
 「本当にそうかしら?」
 鵠沼は尋ね返してくる。
 「罪を犯さない人間などこの世にはいないのよ。いるとするのならば無垢な赤ん坊くらい。その赤ん坊ですら時が経ち成長して何かしらの罪は犯す。この世の中は罪だらけなの。貴女だってそう。その横にいる仏頂面の先輩もそう。もちろん私自身も。」
 鵠沼は順番に指をさした。
 「私たちが罪を犯している?」
 「人間なんてね、生きているだけで罪作りなんですよ。ただ法に触れるか、触れないかだけ。お金の貸し借りもそう、人間関係だってそう。ドラマなんかでよく見る自転車の二人乗りだって違反なんですよ。でもね、そんな事を警察がいちいち取り締まっていったら世の中から人間はいなくなってしまうの。そうなれば社会は回らなくなる。だから民事不介入なんて便利な言葉があるの。美樹本アトムも樹里も民事不介入の恩恵を受けてきたのでしょう?そろそろ罪の清算をする時が迫っているだけだと私は思う。もちろん私怨で殺すのはご法度でしょうけれど 彼女も人間ですもの授かった自らの力を自分の為に使いたい、と思うのは当然でしょう。社会に対するPRにもなるでしょうし。ご存じ? 今、開設した新しいホームページには命乞いをする人間が殺到しているんですよ。規範となる生活をただ送っていれば殺されることなどないのに 自分たちにいつその銃口が向けられるかと思って恐れている。実に素直で可愛らしいことです。」

 「素直過ぎるのは愚かですね………。」
 「刑事さんにしては問題発言では?」
 「いえ愚かですよ、さっき銃口と言われましたが それは拳銃の形を現したただの指先です。そんな何の殺傷能力もないものに恐れを抱くなんて俺は馬鹿だと思います。」
 「まあ ここで信じる、信じない、を言っていても水掛け論になるだけです。実際に目の当たりになれば その融通の利かない頑固な頭でも反省は出来るでしょう。」
 鵠沼綾乃は立ち上がる。
 「ここ奢って差し上げましょうか?」
 テーブルの上の伝票に彼女は手を伸ばそうとするのを先回りして水無瀬は伝票を挟んでいるバインダを手に取った。
 「いえ、お気持ちだけで結構。経費で落ちますので。」
 「では明日の撮影でお会いしましょう。」
 そう言い残すと鵠沼綾乃は風を切るように店の外へと歩いていく。
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