第25話
文字数 5,469文字
春日井道雄の店である【シエル】に向かう道中、車内で事件の補足説明として春日井の人物像などの説明を話始めようと神座が手帳を取り出すとナナシから手を抑えられた。
「人物像が密室とか超能力に影響を及ぼす?」
ナナシは言う。
「いや、でも全体像を把握するのには必要ではないですか?」
「そういうのは小麦たちが把握していれば良いだけじゃない? わたしには今はいらない。カバンって作られた時からその容量って決まっているでしょ? あれと同じで余計な情報は極力頭には入れたくないんだよね。必要と思ったときに誰かが取り出してくれればいい。」
「そうですか………。」
言いたいことだけ言ったナナシはスマホを取り出すと動画チャンネルを見始める。音は出さずに映像だけを見ているようだった。気になって盗み見をすると見ているのは魔王のチャンネルらしい。見たことのある人物が画面の中で大盛りの料理を食べているのが見えた。暫くの間、動画に集中させておく。
「やっぱりあの動画自体は削除されているんだね。まあ当然といえば当然だよねぇ。」
「殺人ライブのですか?」
神座は聞く。
「個人チャンネルは事件後すぐに閉鎖されて 今、上がっているのは代わりに運営を任せられている人物が再アップしたものです。それにくわえて有料のネットサロンを開設しようとしています。」
「獄中から配信でもするの?斬新な企画。」
ナナシは素直に手を叩いて褒めた。
「流石に配信は無理です。」
貴女なら出来そうですけれど、と言いかけて神座は止める。タワマンやブランド物を与えられ、外出も許可されているのだ、おそらくネット配信なども彼女ならきっと許可されるのだろう。
「じゃあ何が目的? 宗教でも開く?」
「いえ、殺して欲しい人間を募集するそうです。」
「へえ。で、依頼された人間を片っ端から殺していくわけだね。でもさ、それってつまらなくない?」
「つまらないって?」
「この国で殺人って法律では禁止されている行為なわけでしょ?」
「どの国もそうですよ、殺人が合法なんて国はありません。」
「つまり罰を受けるかもしれないスペシャリティな行為じゃん。人生でそう何度も経験出来るかどうかわからない特別な事を他人任せで良いと思っているのかなぁ? わたしだったら自分でやっちゃうけど。ひとおもいに殺してやろうとか、じわじわと死が迫ってくる恐怖を与えた上で殺してやろうとか、殺害方法だって色々あるわけだし、どうせ捕まるのなら衝撃的でショウ劇的な演出を施してやろうとか、どうやって殺してやろうって考えただけでわくわくしない? この間、映画館に行ったんだけれど 映画って本編よりも その前に流れる予告編の方がわくわくするよね。どんなストーリだろう、とかこの後、どうなるの、とか想像するだけで楽しみが待つ、あれと同じだよ。」
「大半の人間はお前とは逆だ。自分の手を汚さずに片づけられるのならそれで良しと思っているやつがほとんどだよ。」
運転席の水無瀬が言う。
「便所だってそうだろう? 自分では掃除はしたくないけれど綺麗なトイレで用は足したいっていうのと同じことだよ。自分勝手なんだ。名前を書き込むだけなら罪ではないと思いましたっていう言い訳まで簡単に想像できるよ。だからこそ腹が立つ。まだお前の考え方の方が幾分かマシだ。」
「殺人犯を誉めてどうするんですか………。」
神座は呆れて言った。
「でもそのサロンの運営は上手くいかないだろうね。」
ナナシが言う。
「私もそう思います。」
誰かの名前が槍玉にあがる、その仕返しに名前を挙げた人物の名前があがる、そこで出来上がるのは彼女らが思い描く犯罪抑止の世界ではなく、ただの負の連鎖だ。上手くいくはずがない。
「小麦の想像している理由とわたしの理由は違うと思うけれどね。」
ナナシは歯を見せて笑った。
春日井道雄の店の近くのパーキングに車を止めて五分ほど歩く。逃走を警戒して前後を水無瀬と挟むような形で歩くように意識していたのに いつの間にかナナシは隣に並んで楽しそうに歩くので神座は警戒している自分だけが馬鹿みたいに思えて仕方がなかった。
雑居ビルの二階にエレベータを使わずに上がる。【シエル】のドアにはもう規制線は貼られていなかった。
「あ………。」
うっかり失念していたことを神座は思い出して声をあげた。
「鍵、持っていません。」
「これの事か?」
水無瀬がプラスティックのタグが付いた鍵をポケットから取り出す。鍵穴に差し込み右に捻ると開錠する音が聞こえた。
「遺体発見当時、ここは今と同じように施錠されていた。」
ついでのように当時の状況を彼はナナシに説明する。
「ふんふん。」
彼女はバーの店内に興味があるのか、見るものすべてに興味を示していく。未成年の死刑囚にとっては初めて足を踏み入れる場所なのだから当然といえば当然なのかもしれない。カウンタの上に並べられたボトルに手を伸ばしてキャップを回す。瓶の口に鼻を近づけて匂いを確かめる。嗅ぎなれないアルコール臭に彼女は顔をしかめた。
「アルコールを摂取することで得られる効果はほとんどマイナスしかないのに どうして皆が積極的に飲むのか、わたしには理解できない。」
彼女の子どもっぽい一面を垣間見て神座は気が緩みそうになった。
「ドライバのようにプラスとかマイナスを気にするような存在じゃないんだよ、酒は。」
水無瀬は言う。
「死体はどこにあったわけ?」
ナナシは店内を見まわす。
「カウンタの中で倒れていた。」
カウンタ越しに中の様子をナナシは覗き込む。彼女の小さな肩がボトルに触れて倒れそうになったのを神座は手で制した。
「死因は?」
「腹部に数カ所の傷、そのうちの一つが致命傷になった。凶器は店内にあった果物ナイフ。」
「ふんふん。」
「被害者のポケットには魔王の犯行証明書がありました。ご丁寧に手書きの上に 直筆サイン入りです。筆跡鑑定も本人のものと認められていますし、指紋も検出されています。」
「施錠されていたんだよね? 鍵は?」
「鍵は全部で三本。その内の一本は被害者である春日井道雄が所持しており、二本目は店内にある手提げ金庫の中にありました。そして三本目は被害者の元交際相手が遺体発見時まで所持していたことが確認されています。」
「元交際相手は従業員だったわけ?」
「はい。よくわかりましたね。」
神座は素直に驚く。
「自宅の合鍵なら渡すこともあるだろうけれど 交際相手に職場の合鍵はなかなか渡さないと思うよ、共同で経営しているとか、雇用関係にあった事は想像可能でしょ。」
「言われてみればそうですね………。」
「店の唯一の出入り口である扉が施錠されていたこともあって第一発見者で、鍵を所有していた元交際相手を重要参考人として聴取したが彼女には被害者の死亡推定時刻にアリバイがあった。防犯カメラの映像にもばっちりとその姿が映っているし、その場所で人命救助も行っていて 主張通り救急の通報の録音も残っていた。」
「じゃあその子をこれ以上、疑うのは無駄でしょ。」
ナナシはカウンタの椅子に腰を掛けてくるくると回った。
「あれ、やってみたい。」
「あれ?」
「カウンタの上で滑らすやつ。あちらのお客様からです、みたいなやつ。」
そう言うと彼女はカウンタの上のボトルを手に取って右手から左手と短い距離を滑らせた。
「ああいうのはボトルではなくてグラスでするものです。」
神座は冷静に言った。
「酔い潰す気満々で断られるのがオチだ。」
水無瀬は苦笑する。
「元交際相手が容疑から外れるとなると扉が施錠されていたことの謎が残ります。残った鍵は二本で その内の一本は春日井本人がポケットに入れていて 残り一本は先ほど説明した通り手提げ金庫の中でした。犯人が春日井を刺して 店の出入り口を施錠し、鍵を何らかの方法で店内の春日井のポケットか、手提げ金庫に戻した、という事になります。」
「ジップラインのように鍵を滑らせるって案も出たが扉は防音関係で密閉出来るようになっているから糸のように細いものは挟めるかもしれないが鍵自体は無理だという事が分かった。」
「百歩、否、二千歩譲ってそういう方法が出来たとして ポケットに戻すのは不可能じゃない? しかも一発で仕留めないといけないわけでしょ? どんなに器用な人間でも無理、不可能。余程、神様に愛されていないと奇跡は起きない。」
「捜査陣は 四本目の鍵の存在を視野に入れているところだ。」
「ま、そっちの方が現実的だよね。」
ナナシは両手で頬杖をついて天井に視線を向けていた。天井には空調を攪拌するためのファンが取り付けられていた。
遺体発見時、あのファンは回っていたのだろうか、回っていたとしたら もしかするとあれを使えば………。
「小麦が今、考えていることを当ててあげようか?」
頬杖をついたままナナシはいやらしい笑みを浮かべていた。
「結構です。」
どちらにせよ、ファンを使っても鍵を隙間の無いドアに通すのは不可能なのだ。ジップラインに使用した糸くらいしか回収できない。
「死んだ春日井って人は誰かに恨まれていたわけ?」
「いえ、別に特定の人物とトラブルになっていた、という話は出てきていません。ただバーなので酔っ払いと言い争うような事はあったみたいですけど。」
「その理由なら世の中の居酒屋店員はほとんど殺される運命だね。」
「離婚歴はある。元交際相手との別れ方も円満には程遠かったらしい。」
水無瀬が言う。
「死んだのは佐竹の有料サロン開設の前? それとも後?」
「前です。話があると呼び出されて私が面会に行きました。」
神座は言う。
「それが何か?」
「なんで小麦は呼び出されたの? 指名?」
「いえ、本当は水無瀬さんに話をしたかったみたいです。」
「水無瀬は犯罪者から人気があるからね。刑期を終えてから会いたい刑事、男女ともにナンバーワン。」
「それって所謂、お礼参りというやつでは?」
神座は頬を引きつらせて言った。
ナナシはけらけらと笑う。
「小麦をわざわざ面会に呼びつけた理由は?」
「自分には超能力があるという告白が目的のようでした。そしてそれを信じない私の前で彼女は春日井道雄の殺害を実行したと仄めかしたんです。正しくは男性をバーの店内で殺害して来た、という言い回しでしたけれど。」
「で、実際に春日井というバーの店長が死んでいた?」
「はい。」
「佐竹が使える超能力って何種類あるわけ?」
「他人に憑依する力だけだと話していました。」
「それってどういうメカニズムなのかな? 乗っ取られる側は躰という器の中に異なる二つの人格を所有するってことになるの? それとも佐竹が入ってきている時は追い出されるの?」
「私にはわかりません。」
神座は首を振った。しかしナナシの言う通り確かに興味深い質問だと思った。それを佐竹摩央にぶつけてみて答えてくれるのだろうか。
「わたしがもし他人に憑依できる力を持っていたとしたら 殺す相手には憑依しないよね。」
「どうしてですか?」
「それだと殺害方法は自殺だけになってしまうでしょ? わざわざ他人の躰を乗っ取れるのだったら 殺す相手の身近な人物に憑依して他人の躰を使って殺人をした方が危険ではないと思うんだよね。」
「その危険というのは?」
「乗っ取った状態で死んだら 憑依している自分の命を危険に晒すことになるでしょ? 自分とは別の躰で死んだら 元に戻れなくなるんじゃないの? だったら別の人間の躰を乗っ取って ターゲットを殺害した方がそういうリスクは抑えられるはず。罪に問われるのは乗っ取られた人間だけで 魔王は一切リスクが無いのだからやりたい放題だよね。」
「言われてみれば確かに………。」
神座は唸った。他者の躰を乗っ取った上で魔王が死んでしまったら彼女の魂ごと亡くなってしまうのではないか、というかそもそも魂がふらふらと抜け出て相手の躰に飛び込むシステムなのか? こんなことを真剣に考えていても答えは出そうになかった。
「効率的ではないよね。」
ナナシが言う。
「念じただけで相手を殺せる能力の方が圧倒的に使いやすいのに。」
「希望すればなんでも得られるというわけではないと思います。」
「あと どうしてそのおじさんは選ばれたんだろうね。」
「無差別だとは言っていたと思います。」
「ここから魔王が入っている刑務所って近い?」
「いえ、一時間ほどは掛かると思います。」
「もっと近くの人でも良かったんじゃない? 無差別の割には選び過ぎていると思うのはわたしだけ?」
「計画的だったということですか?」
「うん。まあ想像の域は越えないけれどね。証拠集めは小麦たちの仕事だし、わたしはただ思ったことを無責任に述べるだけだから。」
「佐竹と春日井は繋がっていた………?」
神座は呟きながら水無瀬を見た。
「しかし繋がっていたからといって 佐竹には春日井の死亡推定時刻に刑務所内にいた、という鉄壁のアリバイがある。本当の超能力者で無い限り佐竹には犯行は不可能だ。あると思うか?」
「実際に見ることが出来たら信じるけれどね。今はなんとも言えないなぁ。」
「憑依されたと思われる瞬間の動画ならあります。」
神座は言う。
「へえ、初耳。予期せぬプレゼントを貰ったくらいの感動を覚えたよ。」
ナナシは口笛を鳴らした。
「人物像が密室とか超能力に影響を及ぼす?」
ナナシは言う。
「いや、でも全体像を把握するのには必要ではないですか?」
「そういうのは小麦たちが把握していれば良いだけじゃない? わたしには今はいらない。カバンって作られた時からその容量って決まっているでしょ? あれと同じで余計な情報は極力頭には入れたくないんだよね。必要と思ったときに誰かが取り出してくれればいい。」
「そうですか………。」
言いたいことだけ言ったナナシはスマホを取り出すと動画チャンネルを見始める。音は出さずに映像だけを見ているようだった。気になって盗み見をすると見ているのは魔王のチャンネルらしい。見たことのある人物が画面の中で大盛りの料理を食べているのが見えた。暫くの間、動画に集中させておく。
「やっぱりあの動画自体は削除されているんだね。まあ当然といえば当然だよねぇ。」
「殺人ライブのですか?」
神座は聞く。
「個人チャンネルは事件後すぐに閉鎖されて 今、上がっているのは代わりに運営を任せられている人物が再アップしたものです。それにくわえて有料のネットサロンを開設しようとしています。」
「獄中から配信でもするの?斬新な企画。」
ナナシは素直に手を叩いて褒めた。
「流石に配信は無理です。」
貴女なら出来そうですけれど、と言いかけて神座は止める。タワマンやブランド物を与えられ、外出も許可されているのだ、おそらくネット配信なども彼女ならきっと許可されるのだろう。
「じゃあ何が目的? 宗教でも開く?」
「いえ、殺して欲しい人間を募集するそうです。」
「へえ。で、依頼された人間を片っ端から殺していくわけだね。でもさ、それってつまらなくない?」
「つまらないって?」
「この国で殺人って法律では禁止されている行為なわけでしょ?」
「どの国もそうですよ、殺人が合法なんて国はありません。」
「つまり罰を受けるかもしれないスペシャリティな行為じゃん。人生でそう何度も経験出来るかどうかわからない特別な事を他人任せで良いと思っているのかなぁ? わたしだったら自分でやっちゃうけど。ひとおもいに殺してやろうとか、じわじわと死が迫ってくる恐怖を与えた上で殺してやろうとか、殺害方法だって色々あるわけだし、どうせ捕まるのなら衝撃的でショウ劇的な演出を施してやろうとか、どうやって殺してやろうって考えただけでわくわくしない? この間、映画館に行ったんだけれど 映画って本編よりも その前に流れる予告編の方がわくわくするよね。どんなストーリだろう、とかこの後、どうなるの、とか想像するだけで楽しみが待つ、あれと同じだよ。」
「大半の人間はお前とは逆だ。自分の手を汚さずに片づけられるのならそれで良しと思っているやつがほとんどだよ。」
運転席の水無瀬が言う。
「便所だってそうだろう? 自分では掃除はしたくないけれど綺麗なトイレで用は足したいっていうのと同じことだよ。自分勝手なんだ。名前を書き込むだけなら罪ではないと思いましたっていう言い訳まで簡単に想像できるよ。だからこそ腹が立つ。まだお前の考え方の方が幾分かマシだ。」
「殺人犯を誉めてどうするんですか………。」
神座は呆れて言った。
「でもそのサロンの運営は上手くいかないだろうね。」
ナナシが言う。
「私もそう思います。」
誰かの名前が槍玉にあがる、その仕返しに名前を挙げた人物の名前があがる、そこで出来上がるのは彼女らが思い描く犯罪抑止の世界ではなく、ただの負の連鎖だ。上手くいくはずがない。
「小麦の想像している理由とわたしの理由は違うと思うけれどね。」
ナナシは歯を見せて笑った。
春日井道雄の店の近くのパーキングに車を止めて五分ほど歩く。逃走を警戒して前後を水無瀬と挟むような形で歩くように意識していたのに いつの間にかナナシは隣に並んで楽しそうに歩くので神座は警戒している自分だけが馬鹿みたいに思えて仕方がなかった。
雑居ビルの二階にエレベータを使わずに上がる。【シエル】のドアにはもう規制線は貼られていなかった。
「あ………。」
うっかり失念していたことを神座は思い出して声をあげた。
「鍵、持っていません。」
「これの事か?」
水無瀬がプラスティックのタグが付いた鍵をポケットから取り出す。鍵穴に差し込み右に捻ると開錠する音が聞こえた。
「遺体発見当時、ここは今と同じように施錠されていた。」
ついでのように当時の状況を彼はナナシに説明する。
「ふんふん。」
彼女はバーの店内に興味があるのか、見るものすべてに興味を示していく。未成年の死刑囚にとっては初めて足を踏み入れる場所なのだから当然といえば当然なのかもしれない。カウンタの上に並べられたボトルに手を伸ばしてキャップを回す。瓶の口に鼻を近づけて匂いを確かめる。嗅ぎなれないアルコール臭に彼女は顔をしかめた。
「アルコールを摂取することで得られる効果はほとんどマイナスしかないのに どうして皆が積極的に飲むのか、わたしには理解できない。」
彼女の子どもっぽい一面を垣間見て神座は気が緩みそうになった。
「ドライバのようにプラスとかマイナスを気にするような存在じゃないんだよ、酒は。」
水無瀬は言う。
「死体はどこにあったわけ?」
ナナシは店内を見まわす。
「カウンタの中で倒れていた。」
カウンタ越しに中の様子をナナシは覗き込む。彼女の小さな肩がボトルに触れて倒れそうになったのを神座は手で制した。
「死因は?」
「腹部に数カ所の傷、そのうちの一つが致命傷になった。凶器は店内にあった果物ナイフ。」
「ふんふん。」
「被害者のポケットには魔王の犯行証明書がありました。ご丁寧に手書きの上に 直筆サイン入りです。筆跡鑑定も本人のものと認められていますし、指紋も検出されています。」
「施錠されていたんだよね? 鍵は?」
「鍵は全部で三本。その内の一本は被害者である春日井道雄が所持しており、二本目は店内にある手提げ金庫の中にありました。そして三本目は被害者の元交際相手が遺体発見時まで所持していたことが確認されています。」
「元交際相手は従業員だったわけ?」
「はい。よくわかりましたね。」
神座は素直に驚く。
「自宅の合鍵なら渡すこともあるだろうけれど 交際相手に職場の合鍵はなかなか渡さないと思うよ、共同で経営しているとか、雇用関係にあった事は想像可能でしょ。」
「言われてみればそうですね………。」
「店の唯一の出入り口である扉が施錠されていたこともあって第一発見者で、鍵を所有していた元交際相手を重要参考人として聴取したが彼女には被害者の死亡推定時刻にアリバイがあった。防犯カメラの映像にもばっちりとその姿が映っているし、その場所で人命救助も行っていて 主張通り救急の通報の録音も残っていた。」
「じゃあその子をこれ以上、疑うのは無駄でしょ。」
ナナシはカウンタの椅子に腰を掛けてくるくると回った。
「あれ、やってみたい。」
「あれ?」
「カウンタの上で滑らすやつ。あちらのお客様からです、みたいなやつ。」
そう言うと彼女はカウンタの上のボトルを手に取って右手から左手と短い距離を滑らせた。
「ああいうのはボトルではなくてグラスでするものです。」
神座は冷静に言った。
「酔い潰す気満々で断られるのがオチだ。」
水無瀬は苦笑する。
「元交際相手が容疑から外れるとなると扉が施錠されていたことの謎が残ります。残った鍵は二本で その内の一本は春日井本人がポケットに入れていて 残り一本は先ほど説明した通り手提げ金庫の中でした。犯人が春日井を刺して 店の出入り口を施錠し、鍵を何らかの方法で店内の春日井のポケットか、手提げ金庫に戻した、という事になります。」
「ジップラインのように鍵を滑らせるって案も出たが扉は防音関係で密閉出来るようになっているから糸のように細いものは挟めるかもしれないが鍵自体は無理だという事が分かった。」
「百歩、否、二千歩譲ってそういう方法が出来たとして ポケットに戻すのは不可能じゃない? しかも一発で仕留めないといけないわけでしょ? どんなに器用な人間でも無理、不可能。余程、神様に愛されていないと奇跡は起きない。」
「捜査陣は 四本目の鍵の存在を視野に入れているところだ。」
「ま、そっちの方が現実的だよね。」
ナナシは両手で頬杖をついて天井に視線を向けていた。天井には空調を攪拌するためのファンが取り付けられていた。
遺体発見時、あのファンは回っていたのだろうか、回っていたとしたら もしかするとあれを使えば………。
「小麦が今、考えていることを当ててあげようか?」
頬杖をついたままナナシはいやらしい笑みを浮かべていた。
「結構です。」
どちらにせよ、ファンを使っても鍵を隙間の無いドアに通すのは不可能なのだ。ジップラインに使用した糸くらいしか回収できない。
「死んだ春日井って人は誰かに恨まれていたわけ?」
「いえ、別に特定の人物とトラブルになっていた、という話は出てきていません。ただバーなので酔っ払いと言い争うような事はあったみたいですけど。」
「その理由なら世の中の居酒屋店員はほとんど殺される運命だね。」
「離婚歴はある。元交際相手との別れ方も円満には程遠かったらしい。」
水無瀬が言う。
「死んだのは佐竹の有料サロン開設の前? それとも後?」
「前です。話があると呼び出されて私が面会に行きました。」
神座は言う。
「それが何か?」
「なんで小麦は呼び出されたの? 指名?」
「いえ、本当は水無瀬さんに話をしたかったみたいです。」
「水無瀬は犯罪者から人気があるからね。刑期を終えてから会いたい刑事、男女ともにナンバーワン。」
「それって所謂、お礼参りというやつでは?」
神座は頬を引きつらせて言った。
ナナシはけらけらと笑う。
「小麦をわざわざ面会に呼びつけた理由は?」
「自分には超能力があるという告白が目的のようでした。そしてそれを信じない私の前で彼女は春日井道雄の殺害を実行したと仄めかしたんです。正しくは男性をバーの店内で殺害して来た、という言い回しでしたけれど。」
「で、実際に春日井というバーの店長が死んでいた?」
「はい。」
「佐竹が使える超能力って何種類あるわけ?」
「他人に憑依する力だけだと話していました。」
「それってどういうメカニズムなのかな? 乗っ取られる側は躰という器の中に異なる二つの人格を所有するってことになるの? それとも佐竹が入ってきている時は追い出されるの?」
「私にはわかりません。」
神座は首を振った。しかしナナシの言う通り確かに興味深い質問だと思った。それを佐竹摩央にぶつけてみて答えてくれるのだろうか。
「わたしがもし他人に憑依できる力を持っていたとしたら 殺す相手には憑依しないよね。」
「どうしてですか?」
「それだと殺害方法は自殺だけになってしまうでしょ? わざわざ他人の躰を乗っ取れるのだったら 殺す相手の身近な人物に憑依して他人の躰を使って殺人をした方が危険ではないと思うんだよね。」
「その危険というのは?」
「乗っ取った状態で死んだら 憑依している自分の命を危険に晒すことになるでしょ? 自分とは別の躰で死んだら 元に戻れなくなるんじゃないの? だったら別の人間の躰を乗っ取って ターゲットを殺害した方がそういうリスクは抑えられるはず。罪に問われるのは乗っ取られた人間だけで 魔王は一切リスクが無いのだからやりたい放題だよね。」
「言われてみれば確かに………。」
神座は唸った。他者の躰を乗っ取った上で魔王が死んでしまったら彼女の魂ごと亡くなってしまうのではないか、というかそもそも魂がふらふらと抜け出て相手の躰に飛び込むシステムなのか? こんなことを真剣に考えていても答えは出そうになかった。
「効率的ではないよね。」
ナナシが言う。
「念じただけで相手を殺せる能力の方が圧倒的に使いやすいのに。」
「希望すればなんでも得られるというわけではないと思います。」
「あと どうしてそのおじさんは選ばれたんだろうね。」
「無差別だとは言っていたと思います。」
「ここから魔王が入っている刑務所って近い?」
「いえ、一時間ほどは掛かると思います。」
「もっと近くの人でも良かったんじゃない? 無差別の割には選び過ぎていると思うのはわたしだけ?」
「計画的だったということですか?」
「うん。まあ想像の域は越えないけれどね。証拠集めは小麦たちの仕事だし、わたしはただ思ったことを無責任に述べるだけだから。」
「佐竹と春日井は繋がっていた………?」
神座は呟きながら水無瀬を見た。
「しかし繋がっていたからといって 佐竹には春日井の死亡推定時刻に刑務所内にいた、という鉄壁のアリバイがある。本当の超能力者で無い限り佐竹には犯行は不可能だ。あると思うか?」
「実際に見ることが出来たら信じるけれどね。今はなんとも言えないなぁ。」
「憑依されたと思われる瞬間の動画ならあります。」
神座は言う。
「へえ、初耳。予期せぬプレゼントを貰ったくらいの感動を覚えたよ。」
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