第9話

文字数 6,698文字

 鵠沼綾乃の仕事の合間に事務所で会う約束を取り付けた神座と水無瀬は彼女の個人事務所に向かった。鵠沼弁護士事務所は西宮北口駅北側のテナントビル四階で周辺は飲食店が多く立ち並び、賑やかな場所にあった。

 事務員の女性に案内されて相談室に通される。ガラスの壁で仕切られた一室で彼女が現れるのを待つ。五分ほどしてから白いジャケットに白いタイトなスカート姿の女性が現れる。プロフィールでは年齢が四十だったはずだが目の前に現れた鵠沼綾乃は どう見ても自分と同年代のように神座には見えた。
 「鵠沼です。」
 手短に挨拶を済ませた鵠沼綾乃は神座たちに着席を勧めた。

 「県警捜査一課の水無瀬です。」
 水無瀬は警察手帳を見せて身分を明かす。神座も彼に倣って手帳を見せた後で同じく神座です、とだけ挨拶をした。
 「お忙しいので早速本題に入りたいと思います。」
 水無瀬が口火を切った。
 「彼女のことですよね?」
 鵠沼は察し良く答える。表情にはどこか余裕めいたものが見えた。
 「そうです。鵠沼先生は佐竹摩央の動画配信チャンネルの管理人だと佐竹本人から伺いましたが 本当ですか?」
 「ええ、本当です。ただ一つ訂正をするのなら動画配信チャンネルではなく、オンラインサロンです。配信サイトの方はやはり彼女の立場上、アカウント作成でNGを受けましてね。ただ有料会員サイトの方が何かと好き勝手話すことが出来るので便利と言えば便利なんです。」
 「そこで何をされるつもりですか?」
 「もちろん佐竹摩央の名前を冠したサロンですからね。彼女の言葉を発信していこうとは思っています。事前に撮影したどこにも出していない動画配信なども考えていますよ。」
 「佐竹本人からビジネスをすると聞きました。」
 「そうですね。けして安くはない会費ですし、今日の時点で二万人弱の登録者を獲得しているのでビジネスとしては悪くはないと思います。」
 「それ以外のビジネスのことです。」
 水無瀬は言った。超能力を使ったビジネスと彼が口にしないのはその力を認めていないからなのだろう、神座は思う。
 「あぁ。」
 鵠沼はふふふと笑った。

 「随分と手を焼かされているみたいですね、刑事さん。」
 「ええ。まさかやってもいない犯行を自供するとは誰も思いませんからね。」
 「やってもいない………、ですか………。」
 鵠沼が溜息を吐くように言った。
 「刑事さんたちは佐竹の言う超能力を信じておられないのですね?」
 「ええ、そんなものはない、と考えています。」
 水無瀬は愛想もなく言った。

 「お立場的にそう言わざるを得ないのはわかります。彼女の言うことを信じてしまえば警察はまず超能力の存在を明らかにしないといけなくなる。膨大な時間を消費することになるし、どうやって立証するかその手段すらなくゼロベースでの捜査。面倒極まりない。それならばいっその事、いもしない犯人を仕立て上げて事件の幕引きを図った方がよほど効率は良い。おっと最後は弁護士にあるまじき失言でしたね。訂正してお詫び申し上げます。」
 「鵠沼先生はどう思われているのですか?」
 神座は口を挟んだ。
 「佐竹摩央に超能力はあるのか? ないのか?」

 「彼女、佐竹から自分には超能力がある、という話を聞いたのは彼女の裁判が結審し、服役した彼女と最初に面会をした時です。もちろん最初、私は彼女お得意の法螺話だと信じていませんでした。私には理解できませんが 動画配信者にとって大事なのは視聴者にクリックしてもらう事です。そしてそのためには視聴者が興味を引くようなサムネイルをいかにして作るか、ということになるわけです。そしてそのサムネイルは誇大広告のような人目を惹きつける文字も編集していれておく。それだけで魅力が一しかない動画だって十まで引き上げることが出来るというわけですよ。そしてそのテクニックは動画編集のみならず 日常の会話にだって有効的に使えるというわけです。自身の失敗談を面白おかしく誇張して話した経験は誰にだってあるでしょう? あれと同じです、自分には超能力がある、と彼女が言い出した時、彼女は自分相手に何かを試そうとしているのだと思いました。しかし実際にはそうではなかった。私の前で彼女はその超能力を披露してみせたのです。」

 水無瀬は天を仰ぐように見た。
 「信じられない気持ちは痛いほどわかりますよ、水無瀬刑事。」
 鵠沼は何度か頷いて言った。
 「私だって信じられなかった。」
 「じゃあ今は信じている、ということですか?」
 神座は尋ねる。
 「人知を超えた力は存在しているのだな、ということを痛感しました。佐竹摩央は本物ですよ………、いえ、彼女の言葉を借りるのならば 魔王です。」
 「信じるに足る根拠は?」
 水無瀬が聞く。
 「その力を使って まったく見ず知らずの他人を殺してみせたのです。もちろん公にはなっていません。そのケースは警察の捜査で自殺と判断されましたから。」
 「それは本当に自殺だったのでは?」
 水無瀬が言った。

 「私もそう思いました。やってもいない犯罪を自白しても佐竹にはメリットもありませんからね。でも、違った。彼女は知り過ぎていたのです。亡くなった人物の特徴も、部屋の様子も、もちろん死に方さえも。壁の内側にいたのにも関わらず、です。事件の存在は懇意にしている警察関係者に尋ねて知りました。あまりにも彼女の証言と一致し過ぎている。震えました、人間にはまだ解明出来ていない力があるということに。」
 「出来過ぎているとは思いませんでしたか?」
 「もちろんです。私は性善説者ではありません。仕事上、人間の汚い側面を見ることが多い。人間は嘘をつく生き物です。私もその感想は当然、持ちましたよ。あまりにも出来過ぎている。佐竹の手によって殺害された人と佐竹との関係性もきちんと調べました。関係性があれば部屋を訪れたこともあるでしょうし、その被害者の性格なども知ることが出来たでしょう。しかし結果として 佐竹と彼には何の接点も無かった。」

 「男性ですか? その殺されたかもしれない人は。」
 神座は聞く。今回、佐竹が殺したと主張する春日井も男性だった。何かしらの共通点があるのだろうか、と考える。
 「ええ。都築賢太郎という二十代の男性でした。さきほど佐竹と関係性が無いと言いましたが 都築は佐竹の動画チャンネルの登録者ではありました。コメントも幾つか残していましたが 他の視聴者に埋もれるような内容のものだということを付け足しておきます。」
 神座は鵠沼の話をメモしておく。佐竹の自称超能力のカラクリを暴くのに都築のことは調べてみる必要がありそうだと思った。
 「都築の死因は?」
 水無瀬が聞く。
 「飛び降りです。住んでいたマンションの屋上から下の駐車場に向かって。酷い有様だったと聞いています。」
 鵠沼はその時のことを想像したのか目を細めた。

 「佐竹はその都築の躰に憑依した上でマンション屋上から飛び降りた、と話したわけです。」
 「自殺者はたくさんいます。」
 水無瀬が言った。
 「ええ、そうですね。」
 「たまたまその一件が佐竹の話していた内容と合致していただけではありませんか?」
 「そう思われるのも当然です。しかし決定的なのは 現場である都築の自宅から発見された犯行証明書なる佐竹の自筆サインの入った紙が出てきたことです。そこには当日の日付と本人のものと認められるサインがしっかりとありました。佐竹本人にも確認したら自らの手による犯行と証明するために置いたものだと認めました。」
 春日井の時と同じだ………、神座は唾を飲み込む。

 「以上の点を持って私は佐竹摩央の主張する超能力の存在を認めたというわけです。もちろんそれを証明する科学的な証拠は何一つありません。犯行証明書という物的証拠と犯人にしか知りえない状況証拠だけですが 私にはそれだけで充分です。」
 「佐竹摩央の弁護士である貴女が彼女の犯行を認めてしまう、というわけですか?」
 「そうですね、本来ならばそれはあり得ない話です。私にとってメリットなど一つもない。弁護士は裁判で勝ってなんぼの仕事です。犯行を認めるなんてことは私の歴に瑕がつくだけ。もちろん認めた上で減刑を勝ち取るのが仕事でもありますけれど 彼女はそれを良しとはしない。本当に困った依頼人です。知っていますか? 彼女が何になりたいのかを。」
 「考えたこともありませんね。」 
 水無瀬は考える素振りも見せないで言った。
 「誰も自分の名前を知らない、なんて言わせない事らしいですよ。伝説になりたいらしいですよ、彼女。」
 「特別死刑囚ですか?」
 神座は口を挟んだ。昨日、佐竹摩央自身が話していた話を思い出す。死刑判決を受けながら人知れず刑務所の地下深くに幽閉されている死刑囚。何が特別なのかは口にした今でも分かっていないが佐竹摩央はそれを意識していた。

 「お聞きになったわけですね。」
 鵠沼はにこりと笑った。
 「法曹界にまことしやかに囁かれる都市伝説みたいなものですよ。拘置所の地下深くにある誰も知らない特殊房の中に存在している死刑囚の話を 私が彼女の興味を引くためだけに話してしまったのがきっかけです。」
 「彼女は刑務所だと言っていました。」
 神座は言う。
 「刑務所と拘置所の違いを彼女は分かっていないのですよ。区別のつく人間はなかなかいないでしょうけれど。」
 「馬鹿らしい………。」
 水無瀬が言った。
 「水無瀬刑事はお聞きになったことはないのですか?」
 「絵空事ですね、まだ虹の根本を探した方が有意義です。」
 「見た目とは違って案外とロマンチックな考え方をする人ですね。意外でした。」
 「鵠沼先生は佐竹の超能力を認めた上で彼女のしようとしていることを手伝おうとしているのですか?」
 神座は聞く。信じてなお、佐竹の犯罪を手伝おうという神経が神座には理解出来なかった。
 「軽蔑しますか?」
 鵠沼はそれがどうしたと言うように少し頭を右に倒した。
 「はい。」
 神座は頷く。
 「つまり神座さんは佐竹の超能力を信じている、私たちと同じ立場ということですね?」
 「それは………。」
 神座は答えあぐねた。心から信じているわけではない、けれどもしかしたら本当にそういうことが出来るのかもという完全に否定出来ない自分がいるのは確かだった。

 「水無瀬刑事とは違って柔軟な考えの持ち主のようですね。人は自分の理解に追いつかない出来事に遭遇したとき、まずは否定から入ります。馬鹿な、そんなことは絶対にあり得ない、何かトリックがあるに違いない、とね。そして理解出来ない自分は間違っていない、と思い込みたいのです。私もそうでした。でも、この世の中には 私たちの理解に追いつかない事などたくさんあるんです。それを認めたところから さらに人間は大きく成長をする、と私は思っています。自分の現状に目を背けてはいけません。ダイエットするときだってそうでしょう? まずは体重計に乗って 自分の正確な体重を知ることからスタートするのですもの。その最初の一歩を恐れて 自分を知らなければどれだけ自分が痩せたのかも実感できない。否定するべきは目の前で起きた事象ではなく、それを理解出来ない自分自身。私も自分を否定してやっと素直に彼女の力を信じることが出来た。そして理解した上で彼女がしようとしている事に協力することを決めたわけです。」

 「視聴数に比例する広告収入が目的なのでは?」
 水無瀬は言う。
 「もちろんそれも否定はしませんよ。」
 鵠沼は微笑む。
 「生活をしていく上でお金は必要なものですもの。あればあるだけいい。そこに確実に金脈が見えているのに掘らない人間などどこにもいないでしょう? 佐竹摩央の名前は今でも大金を生む。あの殺人ライブでさらに彼女の名前を知らない人間は少なくなった。その彼女が今度は隠していた自らの超能力を暴露した上で 代行ビジネスを行うという。信じる、信じないは別にして視聴数はぐっと伸びるでしょう。これに乗らない手はありませんよ。」
 「不謹慎だと批判されるだけだと思いますけれどね………。」
 「批判するのは誰ですか? そもそも超能力を否定しているのなら批判する意味もありませんよ、何を馬鹿なと一笑に付すだけで良い。信じた上で自分が殺されるかもしれない可能性のある人間だけが騒ぐだけです。」
 「殺して欲しい相手を募集することが批判される原因になると思います。」
 神座は言う。
 「例えば先生の名前がそこにあげられたらどうですか? 嫌な気持ちになりませんか? 怖いと思ったりしませんか?」
 まるで道徳の時間だな、神座は話していて思った。

 「不特定多数の人間が目にする場所での発言なら問題視されるでしょう。でも私たちが募集を掛けるのは会員制のオンラインサロンです。そういう過激な発言が嫌ならばそもそも見なければいいだけの話です。自分の意志で見ておきながら批判するのはどうかと私は思いますね。それに誰かを殺したい、と思うことはダメなことですか? 誰だって一度や二度、こいつは殺してやりたいと思ったことありませんか? それを大っぴらにサロンの中で発表するだけです。問題など何もありませんよ。内に抱えていた鬱憤をその場で誰かに発表して晴らせるのならこれほど健全なことはない、とも思えます。それと槍玉にあげられた人物が傷つくかもしれない、という点ですけれど 槍玉にあげられる時点でその人物には何かしらの目に余る性格上ないし行動上の問題があるのでしょう。そこでたまたま自分の名前を見つけてしまったらその人物がとるべき行動は自らを省みることです。自分の言葉、行動が他者を傷つけたり不快な思いをさせたりしなかったか、よく思い出して反省するのです。サロン内で名前があがるのはマイナスなことばかりではありません。自らをアップデートする機会にもなるわけです。それともう一つ、懸念されているかもしれませんがサロン内でのコメントは全て匿名不可となっています。発言は必ず本名を晒した上で、です。発言には必ず責任が付きまとう、そのことを理解した上で参加してもらうことになっています。」

 「余計に小競り合いが起きそうな気もします。」
 神座は思った感想を口にした。鵠沼が言うように自分の名前があがった人物がなぜ自分がそこに名前をあげられたのか、思い返すのならば確かに争いは起きないだろう、でもきっとそうはならない。自分の名をそこであげた人物の名を仕返しにあげるだろう。簡単な仕返しだ。あとはもう佐竹の超能力があろうがなかろうが個人同士で罵り合い、憎しみ合いしか起きず 平和とは程遠い世界になる。
 「反省して自らをアップデートしたのにそのまま殺されてはたまりませんね。」
 水無瀬がシニカルに笑った。
 「佐竹だって魔王とは名乗っているものの誰彼と構わずに力を酷使して殺すことはありませんよ。その点はご安心を。きちんと裏取りを行った上で仕事をすると話していますので。」
 彼女の殺人を容認している態度に神座は不快感を覚えた。

 「佐竹はあと二人、殺すと宣言していますね。」
 水無瀬が聞く。
 「ええ。どうにも許せない相手がいるそうです。」
 鵠沼は事も無げに言った。
 「誰と誰ですか? 本人に直接聞こうとしたのですが今夜アップされる動画で発表すると言っただけで話してくれません。」
 水無瀬は肩を竦めた。
 「知っているのなら教えてください。」
 「ネタバレは創作の最大の敵ですけれど?」
 「僕はテレビもですが動画サイトも観ないんです。時間の無駄ですからね。それに………。」
 「それに?」
 「視聴数を稼がせたくないんですよ。」
 水無瀬は口角を片側だけあげた。
 「ますますアップされるのを待ってください、と言いたくなりますね。」
 鵠沼は両肩を竦めた。
 「それに佐竹の能力を貴方たち警察は信じていないのでしょう? だったら警戒する必要はないのではありませんか?」
 「殺害予告が出るのにそれを放っておくと各方面から職務怠慢だとか怒られてしまいますからね………。背に腹は代えられません。」
 水無瀬は涼しい顔で言った。
 二人がじっと見つめあう時間が続いた。
 先に音を上げた鵠沼が一つ大きな息を吐く。
 「わかりました。今回だけ特別に今夜アップする動画をお見せします。くれぐれも関係者以外には他言しないようにお願いしますね。」
 「ご協力感謝します。」
 水無瀬は着座したまま頭を下げる。神座も彼に倣って頭を下げた。
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