第4話

文字数 5,315文字

 現場となった場所は駅前の広場から少し離れた場所にあった。大きな駅ビルの裏手、最近、整備された広い車道沿いには飲食店も多い。利用客が好奇の目で立ち止まっては入り口が封鎖されているビルを見上げた。
 すでに何台かの警察車両が現場付近には停車していた。規制線を張って野次馬を整理する制服警官に挨拶をしてから 神座は雑居ビルの中へと駆け込んだ。エントランスを入ってすぐに二つ下の後輩、小野刑事の姿を見つける。

 「ごめん、遅れた。」
 「大丈夫ですよ、今、鑑識班が作業しているところなのでまだ自分たちも入れませんから。」
 小野がエレベータを無視して奥の階段へと向かう。
 「使わないの?」
 扉が開いたエレベータを指差した。
 「狭いんですよ、それにメンテナンスしているのかわからないくらいぎしぎしと言うし。閉じ込められるのは勘弁なので。」
 「そうなんだ………。」
 そう聞いて神座も箱の中を覗いてから階段を選択した。確かに大人が四人も乗れば窮屈に感じるくらいの広さしかない。現場の誰も使っていないということは皆がそう思っているのかもしれないな、と神座は思った。
 
 「現場は四階です。地味にしんどいんですよね。」
 小野が階段をのぼりながら愚痴をこぼす。
 「被害者はその店のオーナーで発見された時にはもう亡くなっていたみたいです。」
 「血を流していたって聞いたけれど?」
 階段を上がりながら神座は水無瀬から聞いていたことを確認する。
 「はい。お腹に深々と果物ナイフが刺さっていました。傷口も数カ所。」
 「怨恨って可能性もあるわけね?」
 「それがそうとも言えないみたいですよ。」
 小野は困った顔で言った。
 「どういうこと?」
 「第一発見者はその店の元従業員女性なんですけれどね。店の鍵は掛けられていたそうなんですよ。いわゆる密室ってやつです。」
 「犯人がカギを掛けて出て行っただけじゃないの?」
 「先輩の言う通りだとしたら事件は即解決ですね。宮岡さんたちも喜びますよ。」

 四階に到着すると鑑識課の作業終了を待っていた水無瀬の姿を見つけた。彼の口から細く白い棒が出ているのが見えた。いつものキャンディを舐めているらしいことがすぐにわかる。禁煙を始めてから水無瀬はスティック付きのキャンディをよく舐めている。おかげで三キロほど太ったと彼は言うが元々がスリムなためにその違いがよくわからない。ファミレスのメニュ表にある間違い探しより難しいかもしれない、と神座は思っている。
 「すみません、遅れました。」
 「うん。」
 事情を知っている水無瀬は短く答えただけだった。
 「殺しですか?」
 通路の奥、鑑識課が出入りをしている店の方を見て神座は聞く。紫色の店頭看板にシエルというカタカナ文字と黒いシルエットのカクテルグラスがデザインされていた。

 「まだわからん。」
 「店は施錠されていたって小野くんから聞きました。」
 「うん。」
 「発見を遅らせるために施錠して去った、という可能性がありますね。」
 小野に言った自分の考えを改めて神座は水無瀬に言う。しかし水無瀬はちらりと神座を見ただけで何も言わなかった。
 「第一発見者は元従業員なんですか?」
 「うん。先週の土曜日が最後の出勤日だったらしい。今、宮岡たちが話を聞いている。」
 「亡くなっていたのは店のオーナー?」
 「うん。名前は春日井道雄。四十六歳。住まいはここから少し離れた場所にあるアパート。」
 「そちらに向かいますか?」
 神座は聞く。事件現場はまず鑑識課が動くために捜査員である神座たちはそれが終わるまで動けない。待つよりは何かしら動いていた方が仕事をしているという気持ちになれる。
 「そっちも今、近藤さんたちが行っているよ。」
 水無瀬は口の中でキャンディを転がした。

 「とりあえずそっちの報告を聞こうか。佐竹の用件ってなんだった?」
 「あと二人殺すって言っていました。」
 神座の簡潔な報告に水無瀬の眉がぴくりと動いた。
 「ふーん………。」
 まるで自分が話した渾身の面白い話がすべったみたいだと神座は思った。こちらに向かう車内で想定していた反応を全く同じだ。わざわざ呼び出しておいて強がりを聞かされただけ、と報告するよりも センセーショナルかな、と考えて印象に残った佐竹の言葉を引用してみたが水無瀬には響かなかったらしい。

 「二人殺す………ね。」
 水無瀬は鼻息を漏らす。
 「具体的には? 誰と誰?」
 「いえ、そこまでは聞いていません。」
 佐竹のその発言を聞いた時、寝言は寝て言えばいいのに、と端から聞く耳を持たなかったため、そういう具体的な話はしなかった。
 「すみません、職務怠慢でした。」
 神座は素直に謝る。
 「別に謝ることはないよ………。刑務所に入っている奴が何言っているんだ、って誰でも思う。十人いたら九人はそうだろうな。」
 「残りの一人になるべきでした。」
 神座は言う。きっと水無瀬ならそれが妄言だとしても頭ごなしに否定はせずに とことん佐竹と会話をしていたはずだ。
 「佐竹って何年入るんだっけ?」
 「懲役十二年の実刑だったはずです。」

 佐竹摩央が人を殺したのは去年のクリスマスイブだった。動画配信者である彼女は自分の動画配信チャンネルで人を一人殺害するという実況を行った。視聴者から通報を受けて水無瀬たちが現場である廃ビルに踏み込んだ時、頭に紙袋を被せられ 手足を拘束されて椅子に括り付けられていた被害者が自ら流した血だまりの中ですでに絶命しており、その中でも彼女は淡々とスマホに向かって一人語りをしているという異常な光景に その場にいた神座は戦慄したことをはっきりと憶えている。当然、彼女の動画配信チャンネルは取り消されることになったためにその動画は閲覧することも出来なくなったはずなのに削除されては誰かが投稿するというイタチごっこが今でも繰り返されている。裁判は佐竹摩央が自らの罪を全面的に認め、求刑よりも少し短い懲役十二年の判決が下され 佐竹は控訴することもなく結審となった。

 「十二年あとの犯行宣言とはずいぶんと気が長い話だな………。」
 「本人はそういうつもりではないみたいです。」
 神座が言うと水無瀬は片方の眉を器用に上げた。
 「どういう意味だ? まさか刑務所の中で誰かを殺そうとしているんじゃないだろうな?」
 「超能力を使うって言っていました。」
 「チョーノーリョク?」
 水無瀬は首を傾げる。
 「はい。自分は他人に憑依出来るのだと。」
 「憑依っていうのは誰かの躰を乗っ取るってことか?」
 「そのようです。」
 神座は頷いた。あからさまに水無瀬が胡散臭いものを見るような目で自分を見ているのが分かった。

 「馬鹿らしい………。やっぱりわざわざ出向かなくて正解だったな。」
 「私もそう思いました。馬鹿なことを言っている、と。」
 神座は続ける。
 「でも、目の前で佐竹は倒れてみせたんです。突然、気を失ったように見えました。」
 「誰かに憑依してみせたってことか?」
 「はい。自分の話を信じない私に罰を与える、と言って。」
 「誰かに憑依することが罰になるのか?」
 「憑依して誰かを殺す、と。」
 「それで実際に憑依して誰かを殺してきたって?」
 「はい。四十代男性で雑居ビルのバーの店内と言っていました。」
 「四十代男性………、バーの………、店内………?」
 水無瀬はあわただしく鑑識課が作業をするバー【シエル】の方を見て呟いた。
 「亡くなっていたのは四十六歳の男性でしたよね………、それで場所が雑居ビルのバーの店内………、一致しているのがちょっとだけ私は怖いです。」
 神座は唾を飲み込んだ。佐竹が言っていたことが嘘だとはわかっている、そんなことはあり得ないと思っているのに 彼女と会った矢先に 彼女が言うような事件が起きている。それは偶然という便利な言葉で片づけるには難しいくらいの一致だった。

 「何? 信じているわけ? あのペテン師が言うことを。」
 水無瀬は強張っている神座の表情を読み取って言う。
 「大きい小さいはあるけれど どこにだって犯罪なんて転がっているよ。飲み屋で死体が発見されることなんて珍しいことじゃない。佐竹程度の発言なんて俺にだって言える。明日、誰かが死ぬってくらいな。もちろんそれは事故かもしれないし、事件かもしれない、病死という可能性もあるし、寿命って場合だってある。でも、俺は具体的には述べていない。でも、誰かが死ぬって言う俺の予言はその場合だって当たったことになるだろう? その程度だよ、佐竹がお前に言ったことは。」
 「そうだと良いのですけれど。」
 水無瀬と同じように一笑に付したいとは思っているが心のどこかに佐竹の言葉がずっと引っ掛かる。

 鑑識課の班長、櫻井がシエルの中から姿を現した。口許を覆っていたマスクを外すと不機嫌そうな顔の班長は 水無瀬たちに近づくと証拠品袋に入った三つ折りの紙をすっと持ち上げる。
 「お疲れ様です。」
 水無瀬はそれを受け取ると深々と頭を下げる。
 「うん、早くニコチンを摂取したい。」
 櫻井が右手の人差し指と中指を口元へと持っていく。
 「ご遺体の着ていた服のポケットに入っていた。ズボンの右前のポケット。」
 「遺書ですか?」
 水無瀬は手袋をした手で証拠品袋を開けると皺の入った三つ折りの紙を摘まんだ。A4サイズのどこにでもある紙のようだ。
 「いや、どちらかというと犯行声明に近いな。」
 「じゃあ殺しですか?」
 「さあなぁ、開けてみたらもっと詳しくはわかるだろうけれど。」
 神座の質問に櫻井は自分の首元からお腹まで縦に指を動かした。
 「まえに殺人を配信した女がいただろう?」
 「佐竹………ですか?」
 神座は唾を飲み込んだ。どうして櫻井が今、佐竹のことを話題に持ち出したのだろう。黒い風船のような嫌な予感が急速に膨らんでいく。
 「そうそう、そんな名前だったな。魔王って名乗っていたよな?」
 「はい。本名が摩央だから魔王という名前で動画配信をしていました。」
 「そうそう、そうだった、そうだった。あの殺人動画だけは再生数を稼いでいたけれど他のはさっぱりだったな。」
 「櫻井さん、佐竹の動画観たんですか?」
 神座は聞いた。自分も操作の一環として佐竹の動画を視聴したがアップされている動画の本数は多いものの内容は首尾一貫しておらず様々なジャンルに手を出すもののどれも中途半端という感想ばかりのものだった。二時間休まず視聴したら動画配信中毒から抜け出せそうな気がした。それくらいつまらないものが多い。

 「まあそれも仕事だからな。」
 櫻井も同じ感想を持っていたのか深いため息をつく。
 「俺はそういうのを普段あまり観ないし、自分からやろうとも思わんが視聴数を稼ぐとするのなら視聴者側が優越感に浸れる内容にするだろうな。世の中、奇麗な言葉で溢れているけれど 人の不幸ほど蜜の味がするもんだ。」
 「でも どうして佐竹のことを?」
 神座は尋ねる。
 「神座、これを見てみろ。」
 水無瀬はそう言うと遺体が持っていた紙を差し出した。手に取って紙面に書かれていた文字を目で追う。
 「警察関係者の皆様へ、狭い檻の中へ入れても あたしは自由自在に人を殺せる。あなたたちはあたしを止めることはできない。罪もない人間の死体を一つ献上する。これはその犯行証明書である………、魔王より。」
 神座は文面を何度も読み返す。犯行証明書なる文章はパソコンで書かれたものではなく独特の丸味を帯びた手書きの文字であり、やや右に傾いていた。人を小馬鹿にしたような魔王というサインは佐竹摩央の動画配信で最後に現れる彼女のサインそのものだった。
 「まさか、本当に………?」
 神座は佐竹の言葉を思い出す。彼女は確かに言った。犯行現場にサインを残してきた、と。本当に彼女は他人に憑依することが出来るのではないか、そうだとするのならこの男性を間接的に殺したのは自分ということになるのではないだろうか、神座はあの時、佐竹に耳を貸さず適当にあしらった自分を呪う。

 「佐竹って、のは 今でも刑務所なんだろう?」
 櫻井が聞く。
 「はい。ここに来る前に神座が呼び出されて面会に行っていました。」
 水無瀬が代わりに答えた。
 「じゃあ佐竹の仕業じゃないよ。壁の向こうにいる奴が人は殺せない。超能力者でもなけりゃな………。」
 櫻井が首を振った。
 「俺もそう思います。」
 水無瀬が頷く。
 「あの………、死亡推定時刻っていつですか?」
 「一時間から四時間前ってところだろうな。もう少し発見が早かったら助かっていたかも………、いや、終わってしまったことに対して仮定の話をするのはダメだな。」
 一時間前………、神座は絶句する。丁度、そのころに佐竹は他人に憑依することが出来ると言って目の前でそれをやってみせた。時間の符合が佐竹犯行説の現実味を加速させていく。
 「その犯行証明書なる声明文は筆跡と指紋の二つを掛けておくけれど まあ犯人が佐竹である可能性は低いだろうな。」
 櫻井は神座から犯行証明書を受け取るとまた証拠品袋の中へと折り畳んで入れた。

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