第14話

文字数 3,410文字

 「すみません。」
 エレベータを降りたところで後ろから女性の声で呼び止められて神座と水無瀬は振り返る。キャップを目深に被り大きいレンズのサングラスを掛けた若い女性だった。唇の左側、上下に挟むように小さなホクロがあるのが印象的だった。
 「警察の人ですよね?」
 「そうです。」
 神座は反射的に認める。それと同時に水無瀬が壁になるように神座の前に少しだけ躰を割り込んできた。

 「譜久島歩さんですね?」
 水無瀬は相手の名前を言った。
 「え? どうしてうちの名前を知っているんですか?」
 驚く譜久島と同時に神座も驚く。
 「先ほどホームページをチェックしていたばかりですので。あと口元のホクロ。」
 水無瀬は自分の唇を指差して言った。
 「チャームポイントなんです。」
 譜久島は三日月のように目を細めた。
 「自分で言うなって話ですけれど………。昔はコンプレックスだったんですよ。割り算ってあだ名をつけられるし、いい思い出なんて全然なかったけど タレント業初めてから一発で顔は憶えてもらえました。」
 彼女は誇らしげに言った。

 「我々を呼び止めた理由は樹里さんのことですか?」
 水無瀬は単刀直入に聞いた。
 「はい。あの子、狙われているんですよね?」
 「佐竹の動画を君も観たんだね?」
 「やっぱり、って思いました。」
 「やっぱり?」
 神座は何か知っていそうな口ぶりの彼女の言葉に反応した。
 「樹里さんが佐竹に狙われる理由が何かって それを知っているんですか?」
 「ぶっちゃけ魔王との関係はしりません。でも樹里が狙われる理由なら知っています。あの子、中学の時にいじめで同級生を自殺に追い込んでいるんですよ。原因はたぶんそれ。私、動画を観てピンって来ちゃったんですよ。売り出し中で全国的にはまだ無名の樹里が狙われるんだろうって不思議だったんですよね。」
 「それは本当の話なのかい?」
 水無瀬が聞く。
 「わりと有名な話ですよ。あの子がタレントとして出てきた時からネットで散々、言われてきましたから。元同級生辺りが発信元みたいですけど。」
 「ネット………。」
 情報源がネットであることを知って膨らみかけていた風船が萎むように神座の中で急速にこの話の期待度が低くなっていった。

 「そのイジメられていた子が魔王だったりするんですかね?」
 「どうでしょうね、調べてみないことにはわかりませんけど おかげでわからなかった佐竹が樹里さんを狙う動機が少し見えてきた気がします。」
 水無瀬が言う。
 「でも本当に超能力ってあるんですか?」
 譜久島が言った。
 「実際に見たことはありませんので ある、とも ない、とも答えられません。」
 「めっちゃビビっているらしいですよ、樹里。」
 どこか嬉しそうに譜久島が言った。
 「良い気味。」 
 「同じ事務所のタレントが狙われているのに、ですか?」
 「最近、あの子、あからさまに天狗になっていますから。」
 譜久島は天狗の鼻を表すように拳を鼻の前で握った。

 「知っていると思いますけどよっぽどのことが無いかぎり新人タレントって売れないんですよ。大手事務所ならまだしも うちのところみたいに小さな事務所はね。推せるタレントも一度に一人くらい。うちらはまあ乾電池みたいに替えの効く存在だし、上が消耗してきた時にやっとチャンスが巡ってくるわけです。それが今なんだと、うちは、ううん、うちだけじゃないな、くすぶっている下の子ら全員は考えているわけですよ。変な奴に目をつけられて樹里は可哀そうだな、とは思うけれど うちはチャンスだと思っていますから。なかなか動きのない椅子取りゲームみたいなもんですからこの業界。」
 譜久島は悪びれずに言った。
 「そのイジメていた相手の名前ってわかるんですか?」
 神座は聞く。
 「知っていますよ。うち、たまたま樹里の地元の後輩とバイトが一緒になったことがあって聞いたことありますから。」
 「できればその情報をくれた友達のことも教えてもらえますか?」
 「いいですけど うちが喋ったってことだけは言わないでくれますか? 警察に情報を売ったって知られたら後々、トラブル原因なるんで。」
 譜久島は言う。
 「配慮しますよ。」
 水無瀬が表情を変えずに言った。
 「自殺した子は明日香って子です。」
 「明日香、苗字は?」
 「そこまでは知りませんよ。その子からは名前までしか聞いていませんから。何明日香なのかはその子から聞いてください。」
 「わかりました。」
 水無瀬は人差し指でこめかみの辺りを掻いた。
 「君に情報をくれた子の名前は?」
 「宮國伊勢って子です。」
 「宮國さんの連絡先知っているのかい?」
 水無瀬が聞く。
 「教えてください。」
 神座はダメ押しで言った。
 「くれぐれもうちから教えてもらって、って言わないでくださいよ?」
 「わかりました。」
 くどいくらいに念を押して譜久島は宮國伊勢のトークアプリのIDを教えてくれた。
 「ちなみに宮國さんと明日香さんの関係は?」
 「友達のお姉ちゃんだって聞きました。」
 「自殺したのはいつの話?」
 「中学三年生の夏だったって聞いています。」
 「どういった方法で?」
 水無瀬が聞く。おそらく他殺の線を疑っているのだろう、と神座は思った。
 「自分の部屋で首を吊ったって。知っていました? 首吊りってドアノブでも出来るそうなんですよ。うち、全然知らなくて話を聞いてびっくりしました。」
 「そうですね、太い梁なんかなくても首吊りは出来ます。」
 水無瀬は何の感情も込めずに言った。
 「ハリ? ハリってなんですか?」
 「後ほど検索してください。」
 水無瀬は愛想なく言う。
 助けを求めようと譜久島がこちらを見てきたので神座も大きく首肯した。
 「そういえばさっき宮國さんとバイトが一緒だったと話していましたね?」
 「ええ、そうですけど。」
 譜久島は不満げに返事をした。
 「どういったバイトですか?」
 「エキストラですよ。ドラマのモブ。野球場に野球を観戦しに来ている観客役で知り合ったんです。」
 「じゃあ宮國さんもタレントですか?」
 「いいえ、違います。伊勢ちゃんはそういうのじゃなくて草野球チームの関係者として参加したんですよ。彼氏が有名人なんですよ、彼女。」
 「へえ。」
 水無瀬は明らかに興味を失っていた。
 「誰なんですか?」
 「聞いたら驚きますよ、絶対。」
 自分のことのように得意げに譜久島は言った。普通はその手の話は内緒にしておくのが礼儀なのではないだろうか、神座は彼女の口の軽さが心配になった。
 「ミキアなんです、伊勢ちゃんの彼氏。」

 水無瀬の右眉がぴくりと動いた。
 「あ、でもこれも内緒にしておいてくださいね。」
 譜久島歩は人差し指を唇に近づけて悪戯にほほ笑んだ。内緒にしておけ、というくらいなら最初から話さなければいいのに、と神座は思う。こうやって秘密というのは知らない内に広まっていくのだろう。
 「ところで刑事さん、この話って週刊誌は高く買ってくれると思いますか? もっと樹里が全国区になったら売ろうかなって考えていたんですけど。」
 「鵜久森さんに怒られませんか?」
 「あ、ばれたらヤバいかも………。」
 譜久島は両手で口元を隠す。毒々しい色の派手でやたらと長いネイルに神座は目を引かれた。自分の指先を見る。裸の爪がそこにはあった。
 「佐竹の動画が公開されたことによって ミキアと樹里さんが狙われる理由を週刊誌は血眼で探しているはずです。今なら情報提供料は高いんじゃないですかね。」
 水無瀬が他人事のように言う。
 「やっぱりそうですよね………。どうしよう? どうしたらいいと思いますか?」
 「譜久島さんの好きなようにすればいいと思いますよ。」
 水無瀬はにべもなく答えた。
 「えぇ、刑事さん冷たいよぅ。」
 不満を漏らす彼女の傍で水無瀬はスマホを操作して電話をかけ始める。ミキアと宮國の関係を本人に聞く為だろう。ミキアの警護に当たっている小野がすぐに美樹本に確認を取る、とミキアはすぐにその関係を認めたらしい。芸能人と違って動画配信者は基本的に恋愛が自由のようだ。言葉を濁すことなくあっさりとしたものだったらしい。宮國に会って話が聞きたいことを美樹本に伝えると彼は二つ返事で了解してくれた。都合の良いことにこれから自宅に来る予定だったという。神座たちは美樹本アトムの自宅マンションに戻った。
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