第23話

文字数 4,056文字

 湾岸線を十分ほど走り、着いた先は埋立地にある真新しい高級タワーマンションだった。周囲には寂れた雰囲気はあるものの商業施設やイベント会場などもあり集合住宅も多く立ち並ぶ立地。拘置所という言葉から想像していた場所とは真逆に位置する建物に神座は呆気にとられていた。犯罪捜査のコンサルタントというのはよほど儲かる仕事なのだろうか、自分の住んでいるアパートの家賃の何十倍なのだろうか、黒光りする足元の床、白い内壁、静かに流れるBGMはピアノだけで奏でられるクラッシック曲。エントランスを奥へと進むとエレベータホールの前に制服を着た警備員が二人立っていた。現れた水無瀬と神座を警戒しているのか目深に被った帽子の奥から鋭い目つきは値踏みしているようだった。

水無瀬が二人に敬礼をする。二人の警備員も敬礼を返す。
ハンドタイプの金属探知機を使って警備員がチェックをする。
水無瀬が是枝のサインが入った黒い書類を一人に手渡した。書かれてある内容にざっと目を通すとエレベータのボタンを押して扉を開く。
「新ルールはご存じですか?」
 警備員の一人が尋ねてくる。
「いや、まだ聞いていない。」
水無瀬は答えた。
「差し入れは洋菓子がNGになりました。」
「大丈夫。今日は手ぶらだ。」
彼は両手を広げた。
「なければないで機嫌が悪くなりますよ………。」
二人の警備員はほぼシンクロするように首を振った。
「その時はその時だよ。」
「どうぞ。お進みください。」
小さく頷いて水無瀬が先にエレベータに乗り込んだ。神座も続く。エレベータの扉が完全にしまったのを確認してから水無瀬は操作ボタンの閉を三回押した後で10を一度だけ押して最後に閉を三回押した。エレベータに乗っている時、ボタンを意味もなくせっかちに連打をする人間を見たことはあった。まさか水無瀬もそのタイプだとは思いもしなかったが扉が閉まっている状況で閉ボタンを押す意味があるのだろうか、と思う。

二人を乗せた箱が動き出す。感覚でエレベータは上昇ではなく下降している気がした。
「何かのお呪いですか?」
沈黙が嫌で神座は茶化すように言った。
「あん?」
水無瀬は気怠そうに反応する。
「いや、さっきのボタン連打ですよ。私の周りにもエレベータに乗った時にボタンを連打する子がいるんです。あれって意味はないですよね?」
「気分の問題だろうな。」
「まあ押したくなる気持ちはわからないではないですよね。」
子供のころエスカレータの停止ボタンを押して母親に怒られた思い出が蘇った。
乗って僅か十数秒で目的階に到着する。十階を目指していたにはあまりにも早い到着だと思った。高速エレベータでももう少し時間は掛かるだろう。
扉が開いた先はエントランスの雰囲気からは想像もつかないような薄暗いフロアだった。閉店後のデパートか、夜の病院のような不気味な静けさが広がっている。物陰に青白い肌の幽霊でも立っていそうな怪しい感じだ。外気よりもひんやりと感じるのは照明による余分な熱が無いからだろうか。箱から出るのも躊躇われた。
「なんかやけに怖い感じですよね………。」
神座は思ったままの言葉を口にする。
「エントランスは豪華なのに ここだけ別世界のような………。」
あの外観とエントランスの雰囲気で肝心のフロアがこれではまるで外箱のデザインが一軒家を彷彿とさせ油断をさせる効果があるのかどうかわからない害虫用の粘着トラップと同じではないか、と思う。ただマンションの場合はトラップと違って内見が出来るので引っ掛かる人間はいないだろう。

「別世界のような、ではなくて 本当に別世界なんだよ、ここは。」
水無瀬は肩を軽く竦めた後、躊躇することなく薄暗がりの中へと足を踏み込んだ。足音が不気味に響く。背後のエレベータの扉が閉まって完全に暗闇になる。前方に青白い小さな光が浮かんで見えた。それを頼りにしているのか、水無瀬は足を止めない。やがて青白い光はタブレット端末のバックライトだとわかった。水無瀬は端末に手をかざす。電子音が小さくなって赤い光の線が彼の右掌を上から下にスキャニングしていく。ブザーが三秒鳴り、赤色灯が斜め上で回った。ゆっくりと光の縦筋が見えてそれが広がっていく。どうやら目の前に扉があったらしい。完全に開ききってから水無瀬は光の中へと入った。
暗闇の状況から眩しさに目をやられて感覚が追い付いていない。ゆっくりと目を開けて視界を慣らしていくと現れたのは広い玄関だった。靴箱なども置かれていない為、広さが充分にあった。しかし靴の一足も置かれていないのは不思議だった。収納スペースがあるのだろうか、そんなことを考えていると目の前の部屋から円柱形をしたロボットがゆっくりと現れた。上部にはカメラが取り付けられている。レンズに向かって小さくお辞儀をした。

「どんな人が住んでいるんですか?」
神座は小声で聞く。余程の変わり者じゃないだろうか、と少し不安になった。
何も言わないロボットは反転して来た方向へと進んでいく。それに付き従うように水無瀬と神座は靴を脱いで室内にあがった。ロボットはリビングダイニングに入ると部屋の隅へと移動して動きを停止した。ロボット掃除機のようにそこがステーションになっているようだ。
 「人様の部屋にお土産一つも持たずに行くな、ってママから教えてもらっていない?」
 急に背後から女性の声がして神座は振り返る。
 真っ白い髪の少女がそこに立っていた。幽霊はこの世に本当に存在した、と思わせるくらいに気配が全くなかった。白い眉に白い睫毛、美しい白髪に負けないくらいに透き通るような白い肌。機嫌が悪いのか二人を見上げる瞳は鳶色でガラスケースの西洋人形に命が宿ったらきっとこんな感じなのではないだろうか、と神座は思う。話す言葉は流暢で発音に苦しむ外国人らしさは全くない。

 「え………。」
 予想外の人物が現れて神座は絶句する。この部屋の住人の子ども? いや、特別拘置所と水無瀬は言っていたような気がする。拘置所に子ども? そんなわけがないだろう、脳内でまくし立てるように自分が浮かんだ想像を否定していく。そして、ああそうか、自分は水無瀬に騙されたのだと思った。特別拘置所というのは水無瀬特有の揶揄なのだろう。そして目の前の少女はきっとその犯罪コンサルタントの娘か何かなのだ。驚くほどセキュリティが厳重そうなのは きっとお偉方が過保護なのだからではないか、そんな結論に達してこの場所の雰囲気に飲み込まれつつあった神座は余裕を取り戻した。

 「こんにちは。」
 「水無瀬、この子は誰?」
 神座の挨拶を無視して少女は水無瀬に尋ねた。
 「神座小麦。本日付けでお前のお友達になる可哀そうな人だ。」
 水無瀬はダイニングの椅子を引くと背もたれを持って回転させてどっしりと座る。
 「お友達………?」
 神座は二人のやり取りを聞きながら混乱していた。誰かが強く頬を叩いてくれたら自分は正気に戻るのだろうか、やり慣れたRPGの混乱時における対処法を思い出す。
 「説明してください。」
 神座は自分でも大きな声で言った。
 「わたし、小麦、今日から友達。OK?」
 きょとんとした表情で少女は自分と神座を交互に指差して求めている説明とは程遠い事を改めて言う。もっと他にあるだろう、神座は胸の内で叫ぶ。
 「意味がわかりません。」
 「友達の定義のこと?」
 少女は小首を傾げる。
 「確かにそれは難しい………。」
 水無瀬も同意する。
 「そもそも友達というのはどういう立ち位置にいるものなのだろうな。連絡先を知っている? 一緒に遊びにいく? 困ったときに自分を投げ棄てでも助けてくれる? でもそれを全部満たしている関係なんて世の中にはほとんど無いか………。他人ではあるけれど一定の距離感にいる上辺だけの存在が友達じゃないか?」
 「そういうことを聞きたいんじゃないんです。まず目の前にいるこの子が誰なのか、ここはどこなのか? 先輩とこの子の関係性とか、どうして私がここにいるのか、そういう説明を求めているんです、私は。」
 「小麦は真面目なんだ。」
 少女が目を丸くしながら言った。
 「真面目でいけませんか?」
 距離感もわからずに目の前にいる相手に大きな声でむきになって言ってしまう。どうやら自分は真面目と言われるのが苦手、否、嫌いらしい。面白くない奴とレッテルを貼られているような被害妄想に陥っている。

 「いけない事ではないよ。」
 どちらが年上なのかわからないくらい諭すように少女は言った。
 「でも良すぎる、という事でもない。」
 結局、誉められたわけではないのだと神座は思う。真面目だけれど融通の利かない面白味のない奴と言われてきた思い出したくもない過去を思い出した。
 「友達と言うのなら必要最低限の情報は与え合うものじゃないんですか?」
 半ば投げやりに神座は言う。知りたいわけではないけれど今、自分だけが疎外感を受けているこの状況が耐えられなかった。
 「こいつに名前は無いよ。」
 水無瀬は言った。
 「え?」
 「ロットナンバ774が私の仮初の名前。そこから有難く頂戴しまして水無瀬が一応、ナナシとは呼んでくれているけれどね。」
 憂いの表情で自らをナナシと呼ぶ少女は言った。
 「酷いと思わない? 普通、年頃の女の子にナナシなんて名前は付けないでしょう?」
 「ええ、まあそうですよね………。」
 嘘か真実かわからない話を聞かされて混乱しながら神座は適当に返事をしていた。ますますこの少女の正体がわからくなる。まだ深い霧に包まれた道を歩いている方がましだと思うくらいだった。

 「本当の話ですか?」
 神座の問いに二人は表情を崩さない。水無瀬に至ってはゆっくりと首肯するだけだった。
 「小麦。」
 少女は神座の右手を両手で包むようにして持ちながらじっと見つめてくる。
 「はい。」
 鳶色の双眸は空から見た海のように鮮やかでそのまま吸い込まれそうな気がしてくる。
 「驚かないで聞いて欲しいのだけれど わたしはね、死刑囚なの。」
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