第22話

文字数 3,749文字

 神座たちは捜査会議のために一旦、本部へと戻った。沈黙で迎えられたのが余計に気まずかった。警護を担当しておきながら美樹本が救急搬送されたことははっきり言って失態だと思った。
 是枝課長は開口一番に「どうなっている?」と曖昧な質問を投げてくる。
 「報告をした通りです。美樹本アトムが何かしらの中毒症状で病院へ搬送されました。何か動きがあれば岩崎から連絡が入るようになっています。」
 「鵠沼の仕業か?」
 「わかりません。」
 神座は首を振った。
 「その場にいたのは確かですが彼女は一切、怪しい素振りを見せていませんでした。」
 「しいてあげるのならばゲームを提案したのが鵠沼から、という点ですね。」
 水無瀬は追加で報告を上げた。

 「カメラで映像の記録は残してあります。別の部屋からモニタを持ってきて再生させます。課長の意見もお聞きしたいんですよ。」
 水無瀬は言う。
 小野が一人で当直室にあった薄型テレビを運んできて映像を流す。一通り見終えた後で是枝は低く苦悶にも似た声で唸った。
 「鵠沼とは別のあの女は誰だ?」
 土江刑事が聞く。
 「美樹本アトムの恋人です。宮國伊勢。」
 「仕事は何をしているんだ?」
 是枝が質問した。
 「事務職だと聞いています。」
 「事務職ねぇ………。」
 何かを言いたそうな土江の口ぶりが気になった。おそらく映像でもはっきりとわかる彼女のネイルの長さに何かを言いたいのだろう。どちらかと言えば土江は古風な考え方で偏見めいたものが露骨だった。事務職なのにあの爪で満足に仕事が出来るのかね、と言いたいのだと神座は思った。休日にファッションとして楽しむ分なら構わないのではないだろうか、それともネイルはモデルや富裕層だけにしか許されないとでも言うのだろうか。

 「で、動画配信者の彼氏の家で悠々自適な生活をしているのか?」
 「いえ、同棲をしているわけではなさそうですよ。」
 半分やっかみともとれる土江に水無瀬は答える。
 「偶然、居合わせたってことか………。それで彼氏のあんなところを目撃したらさぞショックだろうな。」
 是枝が感想を漏らす。
 「お前たちから見てあれはどう映った? 本当に佐竹が憑依したと思うか?」
 「正直、わかりません。」
 水無瀬は本当に両手を挙げて降参のポーズをとった。
 「実際に他人の人格が乗り移った人間を見たことがありませんからね。あれがそうなのかは判断がつきません。」
 自分は誰かに憑依した後の佐竹しか見ていない、乗っ取られた誰かを見るのは初めてのことでその点では自分の意見も参考にはならないだろうな、と神座は思った。
 「しかしこれが本当に他人に憑依した佐竹の犯行によるものだとしたら春日井道雄の件もややこしいことになるな。」
 是枝は右手でジャケットの内側をまさぐるとミントタブレットを取り出して口へと何粒かまとめて放り込んだ。舐めて溶かすのではなくすぐに嚙み砕いたことで上司の焦りが手に取るように分かった。
 「そんなもん なんでもありになりますよ。」
 土江が叫ぶように言う。
 「確かに土江の言う通りだな。超能力による殺人が本物だとしたら前代未聞だ。法治国家の根幹が揺らぐどころか大きな音を立てて崩れるだろう。なんとしてもこの事件に佐竹が関与していないということを突き止めろ。」
 「何としてもって………。」
 無理難題に神座は思わず口をついた。ミキアに乗り移ったあれを実際に目の当たりにした後で超能力の存在を否定しろ、と言われても 溶けた氷を冷凍庫などあらゆる道具を使わずにその場で元通りにしろ、というくらい無茶苦茶な注文だ。

 「そんなもの簡単ですよ。おそらく鵠沼辺りが毒物を盛ったに決まっている。」
 土江が言う。
 「佐竹の顧問弁護士で怪しいネットサロンの管理者なんだろう? 手を貸すことくらいはするだろう? ボディチェックや所持品検査はきちんとしたんだろうな?」
 「勿論ですよ、その点においては完璧に行いました。」
 水無瀬は答える。
 「完璧ねぇ………、完璧じゃないからこうやって被害者が出ているんじゃないの?」
 土江はあからさまな嫌味を言う。しかし彼の指摘は身に詰まらされるものがあった。
 「ペットボトルとか未開封のヨーグルト飲料は紙パックだし、注射器を使えば簡単に毒物を混入することは可能だろ。」
 「櫻井さんがその点も注意して鑑定してくれています。」
 その可能性については現場でも水無瀬が櫻井に提案していたのを神座は聞いている。
 「鑑定結果待ちか………。」
 是枝が苦い表情で言った。
 「仮に注射器で毒物を仕込んだとしても肝心の注射器が見つかっていません。鵠沼綾乃は美樹本アトムの自宅を訪れるのは今日が初めてのようですし、前もって仕込んでおくというのも無理があると思います。」
 神座は言う。
 「じゃあ何か、お前らは本当に佐竹が憑依して美樹本の躰を操って毒を飲ませた、という話を信じているのか?」
 「他に方法がないのなら もはやその考えも必要だと私は思いました。」
 神座は言い切った。呆れ交じりのため息がそこかしこから聞こえてくる。小学生ならまだしも大の大人が超能力による殺人を認める発言をしたのだ。当然といえば当然だろう。しかし………。
 神座の脳内に佐竹摩央の言葉が再生される。

 たった二十七年間しか生きていないあんたが見てきたことってそんなに多くないよね?それとも この世の隅から隅まで全部、知っているわけ?

 そうだ、自分にはまだまだ知らないこともある。知らないことは自らの理解を超えたことを否定していいわけがない。認めよう、この世の中に超能力はある。それが公になっていないのは言ったところできっと誰も信じないからだ。賢い人間、力を持っている人間は羊の皮を被りながら生きている。目立つことの危険性を知っているからその他大勢を演じているのだ。

 是枝から深い溜息が聞こえた。呆れているとか怒っているとかそういう感情ではない。どちらかというと哀れみにも似た視線で上司はこちらを見ていた。
 「疲れているんだよ、お前は。」
 是枝が言う。
 「休暇をやるから少し休め。」
 「いえ、自分は疲れてなんていません。」
 「だったら超能力があるなんて口にしないよ。」
 是枝は呆れを通り越して苛立っていた。
 「でも………。」
 反論しかけたところで左肩に水無瀬の手が触れた。
「課長、念のために知人を捜査に加えたいと思っています。」
 水無瀬が言う。彼の言う知人という言葉が気になった。
 「そこまでのことか?」
 是枝はその意味が分かっているのか難色を示す。
 「ここで超能力の有無を論じるよりは効果的だと思います。」
 「知人って誰ですか?」
 神座は思った疑問を素直に口に出した。
 土江が忌々しそうに顔をしかめる。彼もその知人の正体を知っているらしい。
 「犯罪捜査のコンサルタントなんだとよ。」
 「民間ですか?」
 警察組織が民間の会社に捜査協力を求めていることに神座は驚く。どちらかといえば閉鎖的な考え方が浸透している組織において外部の人間を招き入れることはプライドが許さないはずなのに。それを水無瀬が提案すること自体、稀有に思える。

 「お偉方の血縁か何か知らないけれどたまに出張ってくるんだよ。とは言っても姿は誰も見たことがないけれどな。生意気に捜査方針に指示だけはしてきやがるんだ。」
 土江は不快感を露わにしながら説明してくれた。
 「水無瀬が窓口なんだとさ。」
 「先輩が。」
 「むこうのお気に入りらしい。情けない話だと思わないか? 素人を捜査に参加させた上に好き勝手させるなんて。」
 土江は普段からの鬱憤を爆発させるように聞こえよがしに言った。確実に水無瀬の耳にも届いているはずで 神座は内心はらはらとして気が気でなく生きた心地がしなかった。
 「しかしなぁ………。」
 是枝課長も抵抗があるようで水無瀬の提案をすぐには受け入れない。天井を仰ぎ見て渋る様子を見せた。
 「解決出来るならそれに越したことはないですし、解決出来ないなら今後、知人を捜査に加えることを拒否することも出来ると思います。」
 水無瀬は言う。
 「どちらに転んでもうちの損は無しか………。」
 水無瀬の悪魔の囁きにも似た言葉を噛みしめるように是枝は熟考してからデスクの中から真っ黒い用紙を取り出した。そこに白いインクのペンでサインをすると水無瀬に手渡した。

 「ありがとうございます。」
 水無瀬は受け取ると二つ折りにしてジャケットの内側へと仕舞い込む。
 「神座、出るぞ。」
 「あ、はい。」
 指名を受けて神座は鞄を掴むと先へと歩いていく水無瀬を追った。
 「あの………。」
 廊下を進みながら水無瀬の背中に話しかける。
 「出る、ってどこへ?」
 「パンドラ。」
 「パンドラ? お店の名前ですか?」
 水無瀬は質問には答えてくれず、駐車場に出て車両に乗り込んだ時に言った。
 「違う。パンドラは特別拘置所の名称だ。」
 「特別………拘置所?」
 その言葉の響きの恐ろしさに神座は唾を飲み込んだ。警察組織の一員になって生まれて初めて聞く言葉だった。それ以上、質問はするな、と言う雰囲気が水無瀬から発せられていてオレンジ色のランプが通り過ぎてはまた車内を照らすだけだった。
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