第13話

文字数 7,296文字

 佐竹摩央の宣言通り日付を超えてアップされた彼女の最新の動画はそのネームバリュから瞬く間に再生回数を稼いで朝を迎える頃には 三十万再生に達していた。朝のニュース番組でも取り上げられた事で配信動画に興味が無かった世代にもそれは広く知れ渡ったことが一因でもあるのと 美樹本アトムがそれを受けて動画で殺害予告を受けた件で動画をアップしたことも要因だった。流石に事態を重く見た運営側が考慮してすでに元の動画は閲覧することが不可能になったが すでにあちらこちらで殺害予告を受けた美樹本アトムと樹里の名前は拡散されていて沈静化を図るのは不可能な状態になった。春日井道雄事件の捜査本部に残っていた宮岡からの情報によると是枝は朝早くから刑事部長に呼び出しをくらったそうだ。その場にいなくて本当に良かった、と神座は心から思った。

 「観てくれましたか?」
 朝一番からの訪問でも機嫌を悪くすることなく 自宅の革張りのソファに座りながら美樹本アトムが無邪気な顔で言う。自分が殺害予告など受けているとは微塵も感じさせない明るさで 開口一番の尋ねることが動画の感想とは動画配信者の感覚はずれているのかもしれない、と神座は思った。
 「煽りとしては最高だった、と思います。」
 誉め言葉なのかわからない感想を水無瀬が伝える。

 美樹本アトムは動画の中でかなり過激な言葉で佐竹摩央を挑発していた。もちろんそれが佐竹自身に届きはしないのだろうけれど 感情をあまり剥き出しにしない美樹本の珍しい姿に視聴者は驚いたらしい。コメント欄には多くの声が寄せられている、と彼は自慢げに語った。
 「本当に観てくれているファンには感謝しかないっすよ。まあ中にはアンチからのコメントも数パーセントはありますけれどね。」
 美樹本は苦笑しながら言った。
 「それで刑事さんたちが二十四時間、俺を警護してくれるってことですか?」
 美樹本は両手で自分の肩口を叩いた。
 「もちろん美樹本さんの許可が頂ければ、というのが前提ではありますけどね。」
 水無瀬が答える。
 「うーん………。」
 美樹本が低く唸る。俯いたり、天井を見上げたり、首を捻ったりしながら何かしらの考え事を巡らしているようだった。何を渋ることがあるのだろう、神座は思う。

 「何か不都合なことでもありますか?」
 小野が聞く。美樹本の部屋に足を踏み入れた時、ミーハー感を丸出しにして室内を案内してもらっていた彼と今の彼とのギャップに神座は苦笑した。
 「ほら、動画でも言ったように 俺は魔王の言っていることは百でハッタリだと思っているんですよ。それなのに刑事さんが警護にあたるなんてファンはがっかりするんじゃないかなぁって思って。結局、ミキア、めちゃビビってる、って思われるでしょう? 言っていることとやっている事が全然違うわけだから。」
 「そうなりますね。」
 水無瀬は首肯した。
 「しかし画面に映らなければ問題がないのではありませんか?」
 「でも今回は定点だけじゃなくてカメラを持って移動する生活をしようとしているわけですから やっぱりどこかで見切れると思うんですよね。」
 美樹本は難色を示した。
 「それに刑事さんたちは魔王の言うことを信じているんですか? 超能力を本当に持っているって。」
 「超能力など使わなくても人は人を殺せる、ということは知っています。」
 「でも相手は刑務所の中ですよ?」
 「別の場所にいながら人を殺害する方法はいくらでもあります。」
 神座が口を挟んだ。
 「時限爆弾や毒物などはその最たる例ですよ、ミキア。」
 小野がさらに補足する。

 ミネラルウォーターを飲もうとしていた美樹本の動きが止まった。
 「私たちが来る前から飲んでいたものですから それについては大丈夫だと思います。」
 神座は言ったが美樹本はペットボトルを飲もうとせずにキャップを閉めた。
 「我々は佐竹が殺人を実行した後の動画もすでに観ました。おそらくよほどの自信があるのでしょう。この一週間は絶対に外部から手に入れた食べ物、飲み物は控えるようにしてください。」
 水無瀬が言う。
 「ご飯、どうすりゃいいんですか? 配達を頼めないじゃないですか………。」
 「その為に我々がいると思っていただければ良いですよ。食事なら私たちも取りますし、買い出しを兼ねて美樹本さんの分も買うことは可能です。それだけでも我々を傍に置く理由にはなりますね。」
 水無瀬は相手の弱みに付け込んだ自分たちの必要性を語った。まるで詐欺師まがいのセールスマンのようだと神座は思う。

 「確かに言われてみればそうかもしれないっすね………。」
 美樹本は納得しているようだった。
 「でも仕事はどうしますか? 企業案件とか今はないけれど 同業者とのコラボ配信動画の撮影がある。それは流石にキャンセル出来ないっすよ。」
 「延期するという選択肢は?」
 「ダメです。相手の都合などもありますし、自由気ままに見えて結構、俺らってタイトなスケジュールをこなしているから一度、キャンセルしてしまったら次の予定を組むのが難しくなる。それに予告している動画もあるからファンに対する裏切りにもなる。」
 そう語る美樹本の顔が真剣だった。きっと根が真面目なのだろう、と神座は思った。
 「死ぬ可能性があってもですか?」
 神座は尋ねる。
 「もし刑事さんの言うように こっから一週間、誰とも会わず引き籠っていたらおそらく美樹本アトムは死なないで済むんでしょうね。でもミキアとしては死んだも同然ですよ、そんな自分可愛いさに守りに入った俺を誰が支持してくれるんでしょうね。殺害予告が出てもそんなの気にしないで今まで通り生き方を変えないで進んでいくのが格好良いんじゃないっすか? 守りに入った時点で犯罪者に屈することになるじゃないですか、それって向こうの思うツボだと思うんですよね………。」
 「どこかの先生と呼ばれるような人たちに聞かせてやりたい言葉ですね。」
 水無瀬が言う。

 「同業者との撮影はここで行われるんですね?」
 「そのつもりです。ライブ配信と並行して動画の撮影を行ってその舞台裏まで今回は見せようかなって考えています。あとで本編映像は編集してアップすることになるとは思いますけどね。」
 「わかりました。我々の誰かが常に立ち会うことだけは相手にも許可を貰っておいてください。あと顔出しは基本的にNGです。」
 水無瀬が両手の人差し指でバツを作った。
 「ミキアの生きざまを特等席で見せてやりますよ。」

 流石に年収が優に億を超えるという配信者だけあって美樹本アトムの部屋は広かった。警護に当たる神座たちにはゲストルームが与えられて そこをベースとして美樹本と寝食を共にすることになった。初日の警護を小野と岩崎に任せて 神座と水無瀬はもう一人の殺害予告を出されている樹里の事務所へと向かうことにした。
 読者モデルとして雑誌、ファッションイベントなどを中心に活動をしていた樹里はゲスト出演をしたバラエティ番組でその明け透けな性格が評価を受けて関西地区から瞬く間に全国区に名前を知られるようになったギャルモデルである、と彼女の所属しているプロダクションに向かう車中に神座は水無瀬に説明をした。スマホで樹里の画像を見ながら 水無瀬は黙ったまま神座の説明に耳を傾けていた。

 「結局、読者モデルとはなんなんだ?」
 渋滞に巻き込まれている最中に水無瀬が真顔で呟くように言った。
 「その雑誌の読者から募集して採用された人たちのことですよ。そこから有名になってタレントとかになったりする人もいるんです。樹里もギャル雑誌の読者モデル出身で今、タレント業がメインですけど 今でもその雑誌に読モとして活動しているみたいです。」
 「なるほど わかった。」
 水無瀬は感情を一ミリも込めずに言った。おそらく彼にとっては読者モデルだろうが、モデルだろうが違いはどうでも良いと判断したのだろう。
 樹里の所属する芸能プロダクション【サンライズフロムウエスト】は梅田の一等地にあるビルの七階にあった。一、二階は商業フロアとなっていてハイブランドの店がテナントとして入っており、よほどの覚悟が無ければ自分では近づきもしないエリアだ、と神座は思う。

 開放された状態のドアを申し訳程度にノックしてから水無瀬は遠慮もせずに事務所内に足を踏み入れる。すぐに新入社員らしき女性スタッフが近づいてきた。彼女に警察手帳を見せて用件を伝えると上司らしき女性が奥から現れた。
 「鵜久森です。」
 鵜久森と名乗る女性は名刺を水無瀬に手渡すと一度、神座の方を一瞥した。粘着性のありそうな視線だった。それに気づかないふりをして神座はぎこちない笑顔を浮かべる。
 通されたのはパーティションで区切られた一画で内密な商談には不適切だろうと思ったが、奥には別の会議室もあるようで おそらく警察程度の連中にはこの場所で良いだろう、という鵜久森は考えたのかもしれない。
 「警察の方って本当にいきなり現れるんですね。だいたい察しはついていますけれど 例の殺害予告についてでしょう?」
 「話が早くて助かります。」
 水無瀬が答える。
 「それで犯人は捕まったのですか?」
 「犯人はすでに捕まっています。別の事件で裁判を受けて今、服役をしています。」
 「だったら事件はもう解決したも同然ですね?」
 鵜久森が両手を顔の前で合わせて喜ぶ。
 「いえ。それが少し厄介な話なんですよ。」
 「厄介な話?」
 鵜久森が怪訝そうな顔をする。犯人が捕まっている、と報告を受けたのにまだ何か懸念する事があるのだろうか、という顔だった。

 「殺害予告動画を上げた佐竹摩央という名前に聞き覚えはありますか?」
 「佐竹………摩央?」
 右手を右頬に添えながら鵜久森は顔を少し倒して考え込む。
 「例の動画なら私も確認をしたんですけれどね。どこかで見た気もするんですけれど 個性の無い良くある顔立ちからか全く思い出せないんですよね。何者ですか?」
 「動画配信者です。去年のクリスマスに殺人罪ですでに逮捕されています。」
 「まさか、その女性が樹里を殺す、と言っているのですか? すでに逮捕されていて刑務所の中にいるのでしょう? まさか脱走でもしたのですか?」
 「いえ、已然として佐竹は刑務所の中ですし、脱走もしていません。」
 「なぁんだ。」
 数秒呆気に取られた後で鵜久森が高笑いをした。よほど状況が可笑しかったのか、それとも彼女がゲラなのかはわからないが滲んだ涙を最後は指ですっと拭った。
 「すでに捕まっている人間が樹里を殺す、と言っているからわざわざ心配して来てくださったのですか? それはどうもありがとうございます。でも大丈夫です。弊社はタレントを仕事場まで必ず送迎しますし、SNS等で自宅が特定されるような使い方はさせておりません。犯人に狙われることはまず無いかと思います。もちろんこの業界、過去には行き過ぎたファンにタレントが襲撃されるというようなこともありましたが イベント時には警備会社に依頼もしているのでまずは大丈夫かと。」
 「そうですか。」
 水無瀬はにこりともしない。きっと愛想という技術を生まれてくる前に置き忘れてきたのかもしれない、神座は傍から見ていてドキドキしていた。

 「ちなみに今、樹里さんはどちらに?」
 「雑誌の撮影で海外に出ています。帰国は………。」
 鵜久森は立ち上がってパーティション越しに別のスタッフに樹里のスケジュールを尋ねた。
 「明日の昼です。」
 紙コップにお茶を三人分入れて運んできたボブヘアの女性スタッフが返事をした。首からぶら下げたパスケースには布施愛未と書かれていた。タレント事務所は働いている事務員も美人なのだな、神座は思った。
 「空港までは誰が迎えに行くの?」
 「わたしです。」
 別の女性スタッフの声で返事があった。
 「そういうことになっています。」
 鵜久森はどこか誇らしげに答えた。
 「樹里さんが佐竹に恨まれるような理由に心当たりはありますか?」
 「さあ………、全く見当もつきませんね。一応、樹里にもマネージャ経由で聞きましたけれど 本人も接点が全く無いと言っていましたよ。」
 「樹里さんはプロフィールでは二十三歳となっていますね?」
 「ええ。そうです。」
 「これに嘘偽りはありませんか?」
 水無瀬は自分のスマホで検索したサンライズフロムウエストの所属モデルプロフィールから樹里のページを開いて指差した。
 「もちろんこの業界、一、二歳のサバを読むことはありますけれど樹里に至っては生年月日もサイズも間違いありません。うちは信用第一をモットーにしていますから。」
 「そうですか。」
 「年齢が何か関係あるのですか?」
 鵜久森が逆に質問をした。

 「同い年なら卒業した学校が同じだったという可能性もありますからね。」
 「刑事さんのその反応だと当てが外れたということかしら?」
 「はい。佐竹の方が五つほど年上でした。」
 「表舞台に立つ人間に対するやっかみが原因なのでは?」
 「そういう可能性もありますね。」
 水無瀬は鵜久森の説も素直に認めた。
 「一つ気になるんですけれど その佐竹という犯人はどうやって樹里の命を狙うつもりなのかしら? 超能力なんて実際にあるわけないでしょう?」
 「昔、テレビには超能力者を名乗る人物がたくさん出ていましたね。」
 「ただのTVショーです。夢を壊すようですけれど………、ありません。超能力なんて。あったらすでにハウツー本の一冊くらい出ているでしょう?」
 「そうですね。その辺りは承知しています。」
 「通知表に ひねくれた性格って書かれていませんでした?」
 鵜久森が微笑みを崩さずに言った。
 「いえ、嘘は許さない性格だと言われていました。」
 水無瀬は嫌味を意に介さずに答える。
 反応に困ったのか鵜久森が咳払いをした。
 「とにかくなぜうちの樹里が命を狙わなければならないのか、その佐竹摩央という女に聞いてくださいね。逆恨みは非常に迷惑だとも伝えてください。」
 「わかりました。」
 水無瀬は頷く。

 「ところで帰国してから樹里さん本人に話を伺いたいのですが今後のスケジュールを教えてもらっても良いですか? 都合の良い時間で構いません。」
 タイミングを見計らって神座は言う。
 「どうして樹里に話を?」
 「あくまでも形式です。」
 水無瀬が答える。
 「殺害予告を受けている人間に直接、話を聞くことをしておかないと職務怠慢だと怒られていましますからね。」
 「わかりました。後ほど連絡をします。」
 鵜久森は神座から名刺を受け取る。そこには携帯の番号とメールアドレスが記載されてある。
 「ここに所属しているのは読モだけですか?」
 水無瀬がパーティションの向こう側を見るように顔を横に向けた。視界が遮られているので見えるのはベージュ色をした薄い壁だけだが彼には何が見えているのだろう、神座は同じようにパーティションを見ながら思った。
 「いえモデルだけではありません。現役を退いたアスリートも数名、マネジメントしています。プロ野球選手の如月弦太、ご存じでしょう?」
 鵜久森は言う。
 「知っています。レッドトリケラトプスの如月選手ですよね?」
 神座は自分の声が少し上擦っているのを自覚した。レッドトリケラトプスは父親がファンだったチームで彼女も子供のころ球場に父と行って応援していた。如月はそのチームの不動の四番バッターでゴールデングラブ賞も十年連続受賞し、引退する年には最年長で打率打点ホームラン数の三冠を打ち立てて惜しまれつつもチームを去ったレジェンドだった。最近は朝の情報番組のスポーツコーナー担当としてテレビ出演をしているのは知っていたが まさか樹里と同じ事務所だったとは意外だと思った。

 「もしかして今、こちらに?」
 如月弦太と同じ空気を吸っているかと思うと神座は緊張してきた。鏡を見て身だしなみを整えたい気分だった。
 「いいえ、勘違いをされる方が多いのですけどタレントは滅多に事務所には来ませんよ。打ち合わせとか、契約更改の時くらいです。会社員ではありませんから。」
 「そうですか………。」
 肩透かしを食らった気分でいる神座を横目に水無瀬はスマホで何かを検索し続けていた。
 「少し知った人から全く知らない人まで様々な人が所属しているのですね。」
 水無瀬は人差し指で画面をスクロールさせながら言った。どうやら彼は事務所の所属タレント画面を見ていたらしい。
 「タレント、モデル、声優………、動画配信者は一人もいませんね。」
 「そうですね。扱いが難しいんですよ、彼らは。」
 鵜久森が首を左右にゆっくりと振った。
 「マネジメントの旨味が無い、というのが主な理由です。うちに動画配信者がいないことが何か問題でも?」
 「佐竹摩央が以前、こちらに所属していたのでは、と思っただけです。」
 「なるほど うちを契約解除されたことを恨んで看板タレントの樹里を狙った、とお考えなわけですね。」
 鵜久森が水無瀬の言わんとしていることを理解して頷いた。
 「調べておきます。お話は以上でしょうか?」
 「そうですね。出来れば樹里さん、本人からお話を伺いたいところですがいないのなら仕方がありません、出直すとします。」
 水無瀬が椅子から立ち上がったタイミングで神座も同じように席を立つ。
 「あなた、芸能活動に興味はない?」
 鵜久森は神座を見上げて言った。
 「警察にしておくには勿体ないよ? 興味があるのなら連絡を下さる?」
 彼女は半ば押し付けるように神座に名刺を手渡した。それは少し前に渡された名刺とは別の名刺だった。スカウト用とビジネス用に分けているのだろうか、記載されている内容に違いがあるわけではなさそうだ。ただ裏面には樹里の宣伝材料写真とそのプロフィールが載っていた。
 まさか自分が芸能プロダクションに勧誘されるとは………、悪い気はしなかったが水無瀬の冷めた視線が気になって神座は襟を正した。

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