第11話

文字数 6,851文字

 助手席でスマホを横に向けながら水無瀬はずっと美樹本アトムの動画を観ていた。信号待ちになったと同時に彼が溜息をついて視線を画面から外す。
 「どうですか? 面白いですか?」
 前方に注意を払いながら神座は尋ねる。
 水無瀬はジャケットの内ポケットからキャンディを取り出して無言で舐め始める。返事をしない、ということはあまり面白くなかったのだろう、と神座は勝手に思う。
 「動画配信者って儲かるんだよな。」
 「一部の成功者だけだと思いますけど。まさか始めようと思っていますか?」
 神座は茶化すように言う。彼らは自分の配信を盛り上げようと喋りもテレビタレント顔負けのように話す。日頃、無口な水無瀬が動画配信を始めた途端、口数が多くなったりするのだろうか、そんなありもしない想像を五秒だけした。
 水無瀬の冷めた視線がぶつかる。
 神座は苦笑してアクセルをゆっくりと踏んだ。

 「パチンコだけは面白かった。」
 彼が面白い、と言ったことが新鮮過ぎて神座は少しだけ嬉しくなる。感情のないロボットが初めて人間の心を理解した瞬間に立ち会えた、と表現すれば言い過ぎだろうか。
 「パチンコですか?」
 水無瀬からパチンコという言葉を聞くのさえ驚きだった。お酒もギャンブルも女性の匂いだってしないストイックな修行僧のような彼がギャンブル配信に興味を持つのはどういう心境の変化なのだろう。
 「負けていたから。」
 喋り難かったのか、キャンディを口から一旦、離して彼は言う。
 「きっとその動画の評価が高いのは 櫻井さんが言っていたように人は人の痛い目に遭うのを見たいから、という理由とギャンブルは身を滅ぼすという警鐘の意味が込められているからなのだろうな、と思った。」
 「警鐘という高尚な意味があるか、どうかはわかりませんけれど やっぱり動画配信で成功している一部のクリエイタの印象が強くて動画配信者はお金を稼いでいるってイメージがあるんだと思うんです。そのなかには楽をして稼いでいる、と思っている人もいるわけで そういう楽をして自分よりもお金を稼いでいる人が痛い目に遭うっていうのは見ている人間にしてみたら痛快なんですよね、きっと。」
 「見ている側は溜飲を下げているつもりでも そんな心情になるところも配信者にとっては折り込み済みなんだろう、と思う。孫悟空が出てくる話にそんなものがあったよな。」
 「ありました? ドラゴンボールにそんな話。」
 神座が答えると水無瀬は一瞬、驚いた顔をして彼には珍しく微笑んだ。しかしその微笑みはどこか哀れまれているようで自分が何か間違っているのか、と神座は戸惑う。

 「そこですね。」
 進行方向左手側に聳え立つマンションを見上げて神座は言った。来客用駐車スペースと表記された案内板に従って車を駐車場に入れる。美樹本アトムは一部側に振り分けられる配信者のようだ、と彼の住むマンションに足を踏み入れて神座は思った。
 鵠沼事務所を出てすぐに美樹本アトムのSNSアカウントにダイレクトメッセージを送ってコンタクトをとるとすぐに彼から返信があり、数回のやり取りを経て直接会うことになった。有名になってから過激なファンや、詐欺まがいの連絡が多いこともあって 警察だと名乗っても信用はしてもらえず 彼に県警本部に連絡をしてもらい所属が確認してもらった後にやっと電話で話すことが出来た。美樹本が事務所に所属している配信者ならこんな苦労はしなかったのだろうけれど まさか警察と名乗っても信用してもらえなくなっている現状に神座は辟易する。
 内壁がゴールドに輝くエレベータで美樹本の部屋がある最上階に向かう。賃貸だとしたら家賃はどれくらいなのだろう、神座はそんなことばかり考えていた。多分、この仕事をしていなかったらきっと自分とは無縁の場所だっただろう。
 エレベータを降りると正面にドアが一枚だけあった。最上階ワンフロアが美樹本の部屋らしい。眩暈がした。
 チャイムを鳴らすと上下黒のスウェットを着た眼鏡の男性が姿を現す。長い前髪をエメラルドグリーンのヘアバンドで上げていた。どこにでもいそうな普通の二十代後半の男性という印象だ。ただ着ているスウェットは名前だけなら誰もが一度は聞いたことがあるハイブランドの物でそれだけでも神座の部屋の一か月分の家賃より高いはずだ。

 「はじめまして。先ほどご連絡をした県警の神座と水無瀬です。」
 二人は美樹本アトムに警察手帳を見せる。
 「うお、マジだったんですね。」
 掠れた声で美樹本は嬉しそうに言った。
 「よかったら中へどうぞ。」
 「お仕事中にすみません。」
 恐縮しながらも神座たちは美樹本の部屋に足を踏み入れる。まず目を引いたのは等身大のアニメキャラのフィギュアだった。
 「すごいでしょう? 値が張ったんですよ、これ。」
 神座の視線に気づいて美樹本が自慢するように言った。
 「百二十万でしたね。」
 水無瀬が言った。
 「確か、動画でそんなことを話していましたね。」
 「え、もしかして刑事さん、俺の配信観てくれているんですか?」
 美樹本は両手を水無瀬へと差し出す。遅れるようにして水無瀬が右手を出すと包み込むように彼の手を握った。
 「ありがとうございます。グッドボタンも押していただけるとさらに有難いです。」
 まるで選挙期間中の候補者のようだな、神座は思う。
 清潔感のある廊下を奥まで進み、突き当りのドアを抜けると広いリビングに出る。正面の壁は一面ガラス、そこを隔てて人工芝を張った広いルーフバルコニーが見える。プールサイドでよく見るパラソルが閉じた状態で立っていて デッキチェアが二脚、パラソルを挟むように配置されていた。その傍に大きな円形のジャグジーまで置かれているのが見えた。
 「適当に座ってくださいよ。」
 美樹本は神座たちにリビングのほぼ中央辺りに位置するソファを勧めると自分は背もたれのない円柱形のソファに向かい合うようにして腰を掛けた。
 ガラステーブルの上の三脚に固定されたスマホのレンズが自分たちを捉えているのが神座には気になった。

 「もしかして撮影していますか?」
 水無瀬がスマホを指差すと美樹本が悪戯の見つかった子供のようにバツが悪そうに笑った。
 「俺ら動画配信者は常に誰よりも斬新なネタを探していますから 刑事さんとのこういうやり取りをアップしたら視聴数稼げるかな、って思ったんで。やっぱりダメっすか? あ、でも一応、まだ録画はしていませんよ。許可取りは絶対なんで。」
 「撮影には協力出来ません。」
 神座は呆れながら言った。
 「じゃあ刑事さんと話をする俺だけ撮影して声だけ出演してもらうっていうのは?」
 「事件捜査を公には出来ませんので。」
 「そうですか………。」
 困り顔で美樹本が言った。
 「わかりました、今回の撮影に関しては諦めます。最高だと思ったんだけれどなぁ………、自分の命が狙われているのを警察から聞くっていう動画は。」
 「怖くないんですか?」
 神座は尋ねる。
 「全然。俺が怖いのは飽きられることですよ。誰からも見向きもされないでチャンネルが過疎化することです。まあそういうのって俺だけじゃないと思いますけどね。」
 美樹本は力なく笑った。
 「それで誰が俺の命を狙っているんですか? チョップ? チャリンコ? あ、もしかして元カノの誰か?」
 美樹本は指折り数える。
 チョップとチャリンコというのが誰の事かはわからないが思い当たる節があるんだな、と神座は半ば感心していた。
 「佐竹摩央。ご存じですか?」
 水無瀬が聞く。
 「佐竹………、ああ魔王?」
 美樹本は指を鳴らした。
 「確か、捕まりましたよね? 殺人ライブ配信でしたっけ? あれちょっとやられましたよね………、一気に世の中の脚光を浴びることになった。正直言うと嫉妬しましたもん。え、でもちょっと待って。もう出てきたんですか? 殺人ってそんなに軽い刑罰でしたっけ?」
 「十二年服役する予定ですよ。」
 水無瀬が答えた。
 「オリンピック三回見逃すのか………。」
 美樹本が言った。
 別に見逃しても良いのでは、神座は思ったが口にはしない。

 「じゃあ十二年後に俺は佐竹に殺されるのですか? 十二年後って幾つになってる? 今、二十五だから三十七。結婚もしているだろうし、子どももいるだろうから幸せの絶頂期だよなぁ。そんな時に殺されるのは嫌だな………。刑事さんたちは十二年後に俺を守ってくれるんですか? 憶えていられます?」
 「はっきり言って自信はありませんね。」
 水無瀬は言う。
 「警察をクビになっている可能性もあります。」
 「素行不良なんですか?」
 「上司受けはよくありません。」
 「ちょっと親近感湧きました。クビになったら一緒に配信しましょうよ。」
 「遠慮しておきます。」
 「まあまあそう言わずに前向きに検討してみてくださいよ。しかし刑事さんはわざわざ十二年後にお前は殺されるぞ、って忠告しにきてくれたんですか? 佐竹が出所してからでも遅くないっすよね?」
 「それでは手遅れです。佐竹は近日中に貴方を殺害すると言っている。」
 「念のために確認しますけれど佐竹って今、間違いなく刑務所ですよね?」
 「はい。」
 「日本の刑務所って自由に出入り出来ないですよね?」
 「はい。おそらく日本だけではなくどの国の刑務所もそうだと認識しています。」
 「だったら無理ですよ。」
 美樹本は吹き出すように笑った。笑いは徐々にエスカレートしていき ついには両手をたたき出した。
 「おもしれー、どうやって殺すっていうんですか?」
 「佐竹は超能力が使えるそうですよ。」
 「超能力? 超能力って………、子どもかよぉ。」
 美樹本アトムはまた笑った。まるで自分の発言が馬鹿にされたかのような気分にさえなる。
 「どういう超能力ですか?」
 「他人に憑依して思うまま操れるそうです。」
 水無瀬が言う。
 「それを警察は信じているわけですか?」
 美樹本が笑いを堪えているのが分かった。肩が小刻みに揺れている。
 「実際に目の当たりにはしていないのでわかりません。」
 水無瀬は正直に自身の見解を述べた。
 「ただ先日起きた事件で佐竹摩央が関与を仄めかしています。」
 神座が言った。
 「へえ………。」
 美樹本は薄ら笑いを浮かべた。

 誰だってそうだ、こんな話を聞かされてまともに取り合うほうがどうかしている、神座は思う。
「じゃあ実際に憑依して人を殺したってこと? それで次はその超能力を使って俺を殺すって?」
「彼女はそう話しているそうです。どうしても許せない奴がいる、と。その一人が美樹本アトムさんだと名指しで。佐竹に恨まれるような心当たりがありますか?」
水無瀬が尋ねる。
「魔王と直で会ったのって多分、一回くらいしかないんですよねぇ………。ああ、でも一度、コラボ企画がダメになった事はありましたね。それで喧嘩に発展しました。とは言っても配信者同士の喧嘩なんて動画を介しての口論ですけどね。あんまりこういう事言いたくないんですけど 大抵の場合、やらせなんですよ、配信者同士の喧嘩なんて。している事って世間から割と注目を集めている人間同士でしょう? 再生回数を増やすには割と良い企画なんですよ。喧嘩を吹っ掛ける、相手が反応する、さらにそれに対して反論する、でなんだかんだで最終的に共演して仲直りってね。どちらも損をしない。観ている各々のファンはやきもきしてまるでドラマを観ているかのような気分になるしね。まあでもこんな企画だって小物同士では成立しないんですよ。名前の知らない者同士が喧嘩しても誰が注目するんだって話でしょう? 割と名前が浸透していないと成立しないし、まずビッグネームはそんな事をしない。そんな事をしたら好感度は下がりますからね。俺もかつてトップに嚙みついた事あったけれど相手にもされませんでした。金持ち喧嘩せず、ってまさにそういう事なんでしょうね。
 ああ、そうそうそれで魔王が一度、名指しで噛みついてきたわけです。でもその時、魔王と喧嘩しても俺には旨味は無かったんで無視したってわけです。じゃあ案の定というか魔王だけが炎上して ちょっとした事故になったわけです。恨まれるとしたらそれくらいじゃないですかね。」
「その事故というのは?」
神座が尋ねる。
「まあだから俺のファンにコメント欄を荒らされたみたいです。本当に事故を起こしたとかじゃなくて言葉の綾ですよ。刑事さんって真面目って言われませんか?」
美樹本が遠慮気味に指差した。
「かつて交際していた、ということはないんですか?」
水無瀬は聞く。
「俺と魔王がですか?」
 美樹本は上擦った声で言った直後に咽る。おそらく気管に唾が入ったのだろう。良い気味だと神座は思った。

「ないないない。どこからそんな発想出てくるんですか?」
まだ咳き込みながら美樹本は右手を顔の前で振った。
「恨んでいる相手の候補の中に元カノという表現をしていたものですから。」
水無瀬は表情を変えずに言った。
「悪いですけど 俺、面食いなんですよ。」
「佐竹摩央も美人ですよ。」
神座は言う。
「ああ………、まあ顔は悪くないですよ。でも病的でしょう? ライブで殺人を実況するなんて怖い女は嫌ですよ。浮気したら殺されそうじゃないですか。」
 美樹本は右手を首の辺りで水平に動かした。
 浮気しなくても今、現在、その魔王から殺害予告が出ていることは全く気にしていないのだな、と神座は思った。
「では美樹本さんには佐竹に恨まれる理由は その口喧嘩を無視したくらいに思い当たることはないんですね?」
 水無瀬が確認する。
「神様に誓ってもいいです。」
 真面目ともふざけているともとれるような表情で美樹本が言う。
「わかりました。」
 水無瀬は一度頷いた。
「今晩、佐竹は殺害予告動画を流すようです。そこで美樹本さんともう一人が名指しされます。くれぐれも身辺には気を付けてください。」
「もし本当に魔王にそんな力があった場合はどう気を付ければいいんですか?」
 美樹本は言う。
「さあ、そんな力をお目にかかったことがないのでさっぱりわかりません。」
 水無瀬は首を振った。
「魔王が今夜アップする動画では いつ殺す、とか言っているんですかね?」
「いえ、そこまで明確には言っていなかったと思います。ただ今夜から一週間以内とだけ。」
「そうですかぁ、一週間以内ですかぁ。」
 悪だくみするかのように美樹本が両手を擦り合わせて言った。
 「昼とか夜とか時間まではっきりしてくれていたら最高なんだけれど、そういうのって魔王本人に聞くことって出来ますか?」
 「何を考えているんですか?」
 神座は聞く。

 「自分の殺害予告が出ていて しかも方法が超能力を使って、ですよ? こんなに面白いネタはないですよ。おそらくは はったりでしょうけれど 魔王の知名度はあの時よりは格段に上がっていますからね。ここはプロレスだとしても乗る方が視聴数は稼げるはずです。それでさらに魔王の超能力がただの嘘だと判明したら最高じゃないですか。決めた、今晩から一週間、俺はいつ魔王に襲われても良いように七日間連続生配信を行いますよ。本人に電話でも使って出演してもらうのが演出的には最高なんだけれど 絶対に無理ですよね?」
 「無理ですね。」
 神座は美樹本の逞しさに呆れるよりも先に感心していた。転んでもただでは起きない、という言葉は彼の為にあるのかもしれない。
 「あ、そうだ。よかったらこれお土産と言ってはなんですけど持って帰ってくださいよ。」
 美樹本の自宅を出る際に美樹本自身から手提げ紙袋にたくさん詰まったチョコバーを手渡される。
 「いや………、頂くわけにはいきません。」
 神座は返却しようとしたが満面の笑みを浮かべたまま彼はさっさと玄関ドアを閉じてそれも出来なかった。
 水無瀬が紙袋の中身を覗き込む。
 「ああ、あれか………。」
 「あれって何ですか?」
 一人だけわかって説明しようとしない水無瀬に神座は少しだけムッとして尋ねた。
 「好感度配信者、美樹本アトムの唯一の汚点だよ。」
 「ようするにあの人にとって要らないものを渡されただけじゃないですか。」
 きっとドア越しに彼が覗いているはずだと信じて閉め切られたドアを強く睨んでからエレベータに乗る。溜息をつくと同時にエレベータは降下し始める。
 「美樹本は本気でしょうか?」
 神座は尋ねる。
 「今夜アップされる佐竹の動画を観た上で企画の立ち上げ動画を配信するだろうな。殺害予告もあって話題性は充分。視聴数はかなり稼げるはずだよ、承認欲求の塊である配信者がこんなネタをみすみす見逃すはずがない。損はまったくしないからな。」
 このエレベータの中の会話ですら撮影されているのではないか、という居心地の悪さを感じる、神座はエレベータ内の防犯カメラを見上げながらそう思った。
 
                      
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