第3話

文字数 2,034文字

 長い潜水を終えて海面にやっとたどり着いたダイバーのような呼吸をして佐竹が覚醒した。荒い呼吸をしながら佐竹は神座を指差した。
 「大丈夫だってば。」
 無理やり躰を起こそうとする職員の手を佐竹は払う。
 「四十代の男、刺し殺してきちゃった。」
 彼女は舌をみせて子供のように笑った。気怠そうに頭をぐるっと回す。
 「ウソ。」
 はったりだ、神座は言う。
 「小麦ちゃんが信じようと信じまいとどっちでもいいけれどね。まあ楽しみにしておいてよ。」
 「証拠は?」
 何を言っているんだ、自分は。神座は飲まれそうになっている自分を戒める。

 「雑居ビル、開店準備中のバーの中、店の名前はちょっとわかんない。今頃、なんで自分がこんな事をしてしまったのかわからなくて混乱しているかもね。ああ、そうだ。一応、その場所に証拠としてサインは残しておいたよ。」
 「絶対に信じない。」
 神座は言う。
 「明日になっても同じことが言えるのか楽しみだよね。でも、これはあくまでもデモンストレーションってやつ。あたしが殺したいのは二人。でも、まだ殺さない。明日、また会いに来た時に教えてあげる。」
 「来ませんよ。」
 「ううん、絶対に小麦ちゃんは来るよ。」
 佐竹は肩を竦めた。

 「あたしね、伝説になりたいんだ。」
 「今、私の中では貴女は伝説級のペテン師ですよ。」
 「そういうんじゃない。大衆に語り継いでもらいたいの。佐竹摩央は本当の魔王だったってね。格好良くない? 偉人みたいに教科書には載らないかもしれないけれど ネットの中では永遠に語り継がれること間違いない。小麦ちゃんは聞いたことがない? まことしやかに囁かれている特別死刑囚の話。」
 「特別死刑囚?」
 神座は眉根を寄せた。死刑囚に特別も平凡もない、何が特別だというのだろう死刑方法か?それとも法務大臣がその存在を忘れて長年、刑が執行されない存在か?
 「刑事をしているのに知らないの? どこかの刑務所の地下深くに隠されるように収監されている死刑囚のことだよ。」
 「それが特別死刑囚ですか?」
 「そう。あたしも表にいる時にネットの噂を見ただけだから詳しくはしらないけれど国とある取引をして死刑を延期してもらっているんだって。本当だったら大スキャンダルでしょ。マスコミが滅茶苦茶食いつきそうなネタだし、バズること間違いないでしょ。会えるのなら会ってみたいし、あたしもそれになってみたいわけよ。」

 「馬鹿らしい………。」
 作り話もいいところだ、神座は思った。第一、死刑囚は刑務所には入らない。刑務所に入るのはあくまでも懲役刑の人間だけだ。死刑囚はあくまでも死刑が刑罰なのでそれが執行されるまでの間はその身を拘置所に置かれる。刑務所に死刑囚が収監されるわけがないし、それに刑務所に誰も知らない地下室なんかがあったら大問題だろう。
 「ははは、絶対に言うと思った。」
 佐竹は指差して笑った。
 「でもさ、前代未聞じゃない? 刑務所の中にいながら殺人事件を起こせる人間がいるなんて絶対にみんなビビるよね。良い?小麦ちゃん、あたしはあと二人絶対に殺す。それだけは忘れないで。そしてあんたたち警察は刑務所の中のあたしを逮捕することになる、絶対に。」
 両脇を抱えられるようにして佐竹摩央は面会室から強制的に退場させられた。甲高い彼女の高笑いだけが耳にこびりついて離れなかった。

 一人、その場に取り残された神座小麦は自分の目の前で起きたことが一体、何だったのか考えさせられる。狂気に取りつかれた人間の芝居か、それとも佐竹摩央は本当に他人の躰に憑依することが出来るのか………、はっきり言えることは今日、自分を代わりにここへ用立てた先輩の水無瀬が原因だということだけだ。もしかしたら彼はこうなることを知って、自分を身代わりに来させたのだろうか、精神的に疲れた躰が冷たいビールを欲していたが まだ職務中であることを思い出して神座は刑務所を出た。
 車に乗り込んでスマホで時間を確認する。十七時を少し回ったところだった。
 佐竹摩央との接見をどう報告するべきか、頭の中でまとめながら神座は車を走らせた。
 スマホが鳴る。画面には水無瀬の名前。
 嫌な予感がした。
 佐竹摩央の言葉が嫌でも頭の中で再生された。
 「はい、神座です。」
 「雑居ビル内で男性が血を流して倒れていると通報が入った。俺も現場に向かうからお前もすぐに来い。」
 「噓でしょう………。」
 思わず心の声が言葉になって漏れた。
 「エイプリルフールは も少し先だな。」
 「あ、違います。すみません、いえ違うってわけではないのですけど………。」
 神座はしどろもどろで言う。一言では説明するのは難しい。
 「場所、言うぞ。」
 「はい、お願いします。」
 神座は車を路肩に止めてスマホに集中した。水無瀬から聞いた住所をカーナビに打ち込む。渋滞に巻き込まれなければ三十分くらいで着くくらいの距離だった。
 「まさかだよな………。」
 車を発進させて神座は呟く。
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