第34話

文字数 2,601文字

 鍵穴に音を立てないようにゆっくりと鍵を差す。そのまま手首に力を込めたまま左に捻る。僅かな音を立てながらロックは解除されて鍵を抜く。幸いにも周囲に人の気配は無かった。居住者の多くは一人暮らしの女性で 昼間は仕事か大学に行っている事が多く、撮影をするには申し分のない環境だとあいつが話していた事を思い出した。

 ドアを開けて滑り込ませるように室内へと侵入する。家人が帰ってくる可能性などゼロだが不測の事態が起きないとも限らない。内側から鍵を掛けて玄関を上がる。1Kのさして広くもない部屋だ。居住スペースである部屋は唯一の窓にカーテンが引かれており昼間だというのに薄暗い。ベッドの上には種類もばらばらの統一感の無いぬいぐるみが山のように置かれていた。持ち主の性格が大雑把なだけだろうけれど どこか宗教的な神聖さも感じられる。照明をつけるのは流石にまずいだろう、とスマホの明かりを頼りに探し物を始めた。録音データと話していた、スマホやパソコンはすでに警察に押収されているので たぶんメモリカードのようなものだろう。自分ならばどこに隠すだろうか、無造作に置くことは多分無い。ベッドの上のぬいぐるみに視線を向けた。山のように積み上げられたぬいぐるみの頂上に その猫のぬいぐるみは鎮座していた。首輪にペンダントトップがぶら下がっているのが見えた。四角い形の半透明のケースだった。中にSDカードが入っているのが見えた。間違いなくこれだろう、ぬいぐるみを手元に引き寄せる。山が崩れてペンギンのぬいぐるみがベッドの下に転がった。しかし回収することが優先だ。ぬいぐるみは後で山に戻せばいい。ペンダントトップ代わりのケースを開く。SDカードを摘まみ上げてポケットへと仕舞い込む。あとはぬいぐるみを元に戻しておくだけだ。猫のぬいぐるみを山の頂点に戻して ペンギンを拾い上げようと探した。

 「無い………。どうして?」
 転がったとしてもボールではないのだ、床の上から消えるはずはない。フローリングにスマホのライトを当てて探しても落ちたはずのペンギンのぬいぐるみがどこにも見当たらなかった。視線を上げる。すぐ目の前にそれが差し出されているのが見えた。
 「え?」
 鵠沼が顔を上げた瞬間に佐竹摩央の自宅の照明が点いた。
 「意外なところでお会いしましたね。」
 意地悪気な笑みを見せる少女の顔に見覚えがあった。銀色の綺麗な髪、瞳は碧く、自分よりも遥かに若い女性が挑発的に微笑んでいた。
 「ベル・プランタン………。どうしてここに?」
 確かそんな名前だったはずだ、鵠沼は思う。しかしどこか偽名のような気もしていた。

 「それはこちらの台詞ですよぉ。ところで探し物は見つかったみたいだね?」
 彼女はそう言うと鵠沼のジャケットの左ポケットに許可なく手を差し込み、回収したばかりのSDカードを奪い取った。
 「ダメですよぉ、他人の家に勝手に入り込んで盗みなんかしたら。まあ、そういう風に仕向けたのはわたしですけれどねぇ。まあまずは住居不法侵入の現行犯で逮捕ってことになりますね。どうして元ビジネスパートナの自宅に忍び込んだのか、その点についてもゆっくりと話を聞かせてもらうことになると思いますけど。」
 鵠沼はじっとベル・プランタンの顔を睨みつけた。
 「変だと思ったのよ………。どういう方法を使ったわけ? まさか本当にライブ配信をさせたわけじゃないんでしょう?」
 「あれは間違いなくライブ配信でしたよ。」
 照明スイッチ前で神座刑事が言った。
 「なんで服役している人間がそんなこと出来るのよ?」
 「刑務所からのライブ配信なんて史上初の試みでさらに事件の真相を語れば話題性は抜群だよ、って言ったらとてもノリノリで前向きに協力してくれましたよ。」
 「認められるわけがないでしょう。」
 「普通ならそうですねぇ。でも、認めさせることは出来るんですよねぇ、これが不思議ですけど。」
 ベル・プランタンは肩を竦めた。権力者の後ろ盾がなければ出来ない事だ。警察組織にはまず無理だろうから 彼女にそういうパイプラインがあるということだろう、鵠沼は思う。

 「佐竹が貴女の関与を匂わせる証言をした動画を公開した直後に ここへやってきた、ということは自らそれを認めている、ということですよねぇ。これ充分な証拠になるんじゃありませんか? 証拠を持ってきなさいって言っていたけれど 自ら証拠を持参してくれたんですねぇ。思っていたよりも良い人じゃないですか。しかも余罪のオマケまで付けて。弁護士って気前が良いんですねぇ。」
 鵠沼はベル・プランタンを睨みつけた。
 「貴女には最初から勝ち目なんてなかったんだよ、鵠沼綾乃。」
 彼女は耳元で囁くように言う。
 「証拠なんてね、無ければ作れば良いの。素敵なところよ、刑務所は。遠慮しないで寛いでいってね。今度、お薦めのスイーツを差し入れするよ。あなたのお口に合えばいいのだけれど。」
 ベル・プランタンが鵠沼の肩に手を置いた。
 「鵠沼綾乃、住居不法侵入の現行犯で逮捕します。」
 神座刑事が右手首を掴んで手錠を掛けた。

 特別………、ベル・プランタンの言葉が脳裏に過る。もしかして彼女が噂の特別死刑囚なのではないか、そんな考えが鵠沼綾乃の脳裏に過る。しかし死刑囚が白昼堂々と手錠も無しに外を歩けないだろう、とすぐに考えを消し去った。
 さて、と………、神座刑事に促され歩き出す鵠沼綾乃はこの後の事を考える。しばらく不自由な立場に置かれるがまだ完全に敗北したわけではない。返り咲くチャンスはまだある。弁護士としてはもうダメかもしれないが 元々、金を手に入れる手段として選んだだけの仕事だ。失っても痛くも痒くもない。これまでに稼いできた資金で何か別の事業を始めるのも良いだろう。ただ世の中、暇な奴がいて 犯罪者のその後を監視しているような奴がいる。そいつらの監視を潜り抜けるためにも自分は完全に裏方に徹した方が良い。佐竹摩央は看板としては絶大だったが 今後は目立たない看板が必要だな、と思った。
 とりあえず金儲けだ、それさえ出来て自分の欲求を満たせるのならそれだけでいい。目立つのは馬鹿のすることだ。馬鹿と煙は高いところが好き、とはよく出来た言葉だな、と鵠沼は先人の残した言葉を思い出しながら車の後部座席へと乗り込んだ。
 タバコの残り香のする最低な送迎車だった。
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