第8話

文字数 4,704文字

 刑務所職員に先導されて佐竹摩央が面会室へと現れる。神座の隣にいる水無瀬の姿を認識するなり彼女の表情がひと際明るくなったような気がした。
 「今日はオトコマエの刑事さんも一緒なんだね。」
 水無瀬の正面に座るなり、彼女は両肘をつきながら両手で顔を支えてうっとりするような顔で彼の顔を見つめていた。

 「俺から質問は二つ。一、春日井道雄とあんたの関係。二、鴨川水面とあんたの関係。ここで油を売るつもりはないから手早く答えてくれると助かる。」
 水無瀬は人差し指、中指を順序良く立てて事務的に言った。
 「誰それ?」
 佐竹摩央は上半身を起こすと背もたれに躰を預けた。ただ言葉とは裏腹に何かを知っていそうな表情のように神座には見えた。にやにやとした人を小馬鹿にしたような笑み。自分の優位性を疑わず 相手が自分にへりくだるのを待っているかのような嘲笑。そういうタイプの人間を学生のころ、神座は少なくない人数を見てきた。

 「経営するバーの店内で刺殺体となって見つかった男とそれを発見した従業員だよ。死んでいた男の方があんたの名前の入った犯行証明書なるものを持っていた。」
 「ああ、あの男、春日井道雄って言うんだ?」
 佐竹摩央は音もたてず両手を静かに合わせて微笑んだ。
 「小麦ちゃんがあたしを信じないから死んじゃった可哀そうな人だよね。」
 佐竹は三日月のように目を細めた。
 ちくりとした言葉の棘が神座の胸に刺さる。
 「違うな。死んだのはこいつのせいでもなければ あんたの仕業でもない。」
 「水無瀬さんはあたしのことを信じてくれていないの? がーっかり。」
 佐竹は泣く真似をしてみせた。
 「悪いが、俺はそういう類の話を信じない。」
 「神様とか占いも?」
 「あんたは信じているのかい?」
 「そうだね、好きな方じゃないかな。パワースポット巡りとかも動画でしたことがあるよ。」
 「その恩恵が壁の中で受けられると良いな。」
 「最高の皮肉だね、でも嫌いじゃないよ、そういう人。」
 「それで春日井と、もしくは鴨川との接点は?」
 「だから知らないって、そんな二人。死んじゃったおじさんの方は昨日、憑依させてもらっただけの関係、あ、これも一つの躰だけの関係なのかしら?」
 「薬物鑑定は必要か?」
 「クスリなんてしていないよ、あたし。」
 佐竹は着ている服の袖を両腕ともまくる。色白の肌が陽に当たらない生活のため、さらに青白く見えた。肘関節の内側はアクリルガラスを隔てていても注射痕がないのはわかった。
 「そういうのはしない主義。踝とかも見せようか?」
 「いいや、結構。」
 水無瀬は断る。

 「水無瀬さんは信じてくれないかもしれないけれど あたしには超能力がある。他人の躰を乗っ取ることがね。」
 「言葉で何といわれても信じることは出来ないね。」
 「だからその春日井っておじさんを殺したじゃん。それとも刑事さんは徒にまた誰かを殺せって言っているのかしら?」
 「別に躰を乗っ取ったからってその度に人を殺すことはないだろう? 乗っ取った上でそれを俺に証明してくれればいい。神座はそのために連れてきたんだ。今から神座に憑依してあんたの超能力を証明してみせてくれ。」
 突然の指名に神座は驚く。
 佐竹摩央に憑依させる?
 そのために連れてきた?
 信じられない言葉のオンパレードに神座の顔は強張った。
 「小麦ちゃん、めちゃくちゃ嫌そうだけれど?」
 佐竹が苦笑する。
 「神座は刑事だ。事件解決のためには身を張ることも出来るよ、なあ?」
 「水無瀬さんじゃ駄目なんですか?」
 「それだと客観的に観察出来ないだろう?」
 「乗っ取られた人間にどんな影響が出るかわからないのに?」
 人身御供として自分を差し出そうとした水無瀬に神座は憤る。これは立派なパワハラに相当するのではないか、彼女は握りこぶしを作った。
 「小麦ちゃんじゃ無理だよ。」
 「ほらな、やっぱり憑依出来るなんて嘘だよ。次に出てくる言葉は波長が悪い、とか、そう何度も出来る能力じゃないとか、満月の日だけは制限されるとか、それっぽい理由だろう?」
 水無瀬は挑発するように顔を近づけた。
 確かにそうだ、昨日は被験者となる人間が傍にいなかったから確かめられなかったが、今、この場にいる人間を使えば本当に佐竹摩央が他人に憑依出来るかどうかわかる。どうして思いつかなかったのだろう………、神座は自身の甘さに下唇を噛んだ。

 「良いですよ、佐竹さん。私に憑依してみてください。」
 神座は言った。
 「そして出来れば憑依した後で先輩を殴ってください。人を勝手に実験台に使おうとした罰にそれくらいは受けても当然だと思うんです。」
 水無瀬は口をへの字に曲げて一度だけ頷いた。
 佐竹摩央が項垂れた。前髪が顔にかかりその表情は窺うことが出来ない。肩が小刻みに揺れて泣いているかと思ったが 顔を上げたときに彼女は笑っていた。
 「あんたらそれであたしを試しているつもりか? 安い挑発だな、良いか、あたしは魔王だ。魔王に出来ないことなんて何一つない。良いだろう、あんたらに飛び切りの後悔をプレゼントしてやる。あたしを疑った罰だ。無関係な人間を一人、殺してやる。自分たちの無能を思い知れ。」
 佐竹はそう言うと目を閉じて上半身をゆらゆらと前後に動かした。前後の運動がゆっくりと円を描くように変わっていくと最後に彼女は椅子から崩れるようにして床の上に落ちて視界から消えた。

 刑務官が異変に気付いて佐竹に近づく。
 あの時と同じだ………、神座は昨日の光景を思い出す。あの時は完全に疑っていた。人間に他人に憑依するというオカルトめいたことが出来るとは思えなかったからだ。どうせ、狸寝入りをしているだけだろうという冷めた目で見ていた。
 でも今は………。
 「佐竹を起こしてください。」
 神座は叫ぶように言った。嘘か本当かわからない。でも止めるべきだと思った。
 扉の前にいた職員が慌てて近づいて佐竹の躰を揺すっているのが分かった。
 カウンタに佐竹の右手が現れる。沼に住む何かが水面にその姿を現すようにゆっくりと彼女が姿を現した。顔色が悪い。色白の肌が青ざめていた。例年よりも気温が高いはずなのに歯を鳴らす彼女の唇は紫色だった。震える指先で佐竹は水無瀬を指差す。にやりと無理矢理微笑んだ。
 「残念………、小麦ちゃんが邪魔をするから………、殺し損ねちゃった………。」
 躰を支えられながら佐竹は椅子に座らされる。
 「助かったね、水無瀬さん。」
 「助かったのはあんたの方だろう?」
 不遜に水無瀬は鼻で笑った。
 「まあいいよ、別に信じてもらえなくてもね………、あたしだって何も罪のない人間を殺して回るほど落ちぶれちゃいないから………。」

 「あと二人は何か罪のある人間なのか?」
 水無瀬が聞く。
 佐竹は不気味にほほ笑んだ。
 「そういうこと。」
 「誰と誰だ?」
 「言っても無駄じゃない? だって水無瀬さん、あたしの超能力に否定的なんでしょう? 話しても信じてくれなきゃ意味がないじゃない。」
 佐竹の言う通りだ、と神座は思った。超能力を否定している相手に彼女が殺したい相手の名前を話すとは思えなかったし、聞いたところでそれを元にその相手にどう伝えるべきなのだろう、獄中にいる佐竹摩央が恨みのある貴方を超能力で殺そうとしています、と話せばその時点で警察は頭がおかしくなったのかと思われることは簡単に想像が出来た。
 「あたしさ、また動画配信を始めようと思っているんだよね。」
 「そこまでの自由は認められていません。」
 神座は言う。
 「そうそう不自由だよね、ここ。」
 佐竹は笑った。

 「シャバにいて動画を配信しているときはさ、どうやったらウケるだろう、とか夜も寝ないで考えたりして それでも全然アイデアなんか出てこなかったりして苦労していたんだけれど 今、撮りたいものって滅茶苦茶アイデアが湧き上がってくるわけ おかしな話だよね、自由な時よりも不自由な時の方がやりたいこと一杯出てくるなんてね。だからあたしは思ったわけ人間は適度な不自由さがある方が自由を楽しめるんだなって。バネとかと一緒だよ、ぴょんって飛ぶために一度、縮むでしょ、あれなのよ、あれ。そりゃあ刑務所内とかで動画配信ライブとかしたら絶対にバズるだろうけれどさ、それは絶対に認められない。」
 「不自由さを与えることが刑罰ですからね。」
 神座は言った。服役囚がネット配信を行うことを認めたらそれはもはや刑罰の意味がなくなる。
 「そう。だから考えたわけ。意見を外に伝えることは別に制限を掛けられているわけじゃないでしょ? だったら言葉で発信すれば良いんじゃないかって。」
 「同じですよ、動画配信だろうが、別のSNSだろうが刑務所内ではそれを認められてはいませんから。」
 「あたしには鵠沼がいるもん。鵠沼に預ければよくね?」

 鵠沼………、聞きなれない名前を佐竹から聞いて神座は首を捻った。それを察してか水無瀬が補足を入れてくれる。
 「鵠沼綾乃、佐竹摩央の顧問弁護士。」
 「今さ、鵠沼に新しいチームを立ち上げてもらっているところなんだよ。」
 「新しいチーム?」
 「そ、あたしの動画配信チャンネルは事件後に閉鎖されちゃったじゃん? だから鵠沼が中心になって 別アカで作っているってわけ。まあまだ予告映像しかアップしていないんだけれどさ。よかったらチャンネル登録しておいてよ。チャンネル名は魔王再降臨の間だよ。」
 「何をするつもりですか?」
 神座は自分の顔が強張っているのがわかった。反省の色など微塵もみせない目の前の自分と同年代の女性に不快感しか覚えなかった。
 「ビジネス………かなぁ?」
 佐竹は小首を傾げる。
 「ビジネス?」
 「そう、ほらあたし鵠沼に顧問弁護料とか払っていかないといけないじゃん? でも刑務所に入っていたら収入は無いし、貯金だって枯渇していくわけ。知ってる?顧問弁護料って滅茶苦茶高いんだよ? それを払うためには働かないといけなくて、このアイデアを鵠沼に話したら お金になるなら協力をしますって。あの女、がめついよねぇ。」
 佐竹は苦笑する。

 「具体的に何をするつもりですか?」
 「そんなの決まっているでしょ。刑務所にいるあたしが出来ることなんて一つしかないんだから。この自分の超能力を使って殺し屋稼業をするに決まっているじゃない。視聴者にコメント欄で殺してほしい人間を言ってもらって それをあたしが殺していく。もちろん誰彼構わずというわけではないよ。きちんとどういった理由で死んでほしいのか、をきちんと聞いて あたしが生きている価値が無い奴だな、って判断したら殺すから。まあ、いわゆる正義の始末屋だよね。」
 「寝言は寝ている時に言うから寝言なんだ。」
 水無瀬が言う。
 「どうせ出来やしないと思っているから止めることもしないんだ?」
 佐竹が愉快そうに言った。
 「何人が犠牲になれば水無瀬さんはあたしの言ったことを信じてくれるかなぁ………、それが超楽しみ。」
 「俺があんたを信じることはないよ。」
 水無瀬は椅子から立ち上がった。
 「あれあれ、もう帰っちゃう?」
 「あんたの妄想話に付き合ってやれるほど暇じゃないんでね………。」
 「今晩二十四時。チャンネル更新するから期待していて。」
 立ち去る背中に佐竹が言った。
 「そこで重大発表し・ちゃ・う・か・も。」
 アクリルガラスが彼女の吐息で曇っていた。そこに指で彼女はハートマークを描き、そして高笑いをした。
 サウナに着衣のまま入っているような不快で意味のない時間だと神座は思った。
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