第24話
文字数 5,581文字
「死刑囚………?」
神座は彼女と今、自分のいる場所の風景をゆっくりと見まわしながら呟くように復唱していた。耳から入ってきた情報と目で見ている情報のギャップに考えが追い付かなくなっている。きっと現在もまだ自分に対するどっきりが進行中で この数秒後に戸惑う自分の反応を見て彼女たちが吹き出すに違いない、とさえ思った。
「特別死刑囚の話、佐竹から聞いたことがあったって言っていたよな?」
水無瀬は言う。
「はい。でも、先輩もその存在を否定していましたよね?」
「ああ、否定した。確かに記憶している。けれどあれは嘘だ。特別死刑囚は存在する。正直に言わなかったのはその存在が秘密だからだ。」
彼は悪びれずに言った。
「小麦。刑事だって人間だから、ウソをつくことはあるんだよ。」
ナナシに肩を叩かれて慰められる。
「いや、貴女のことで揉めているんですよ?」
「まあそうだね。」
ナナシは屈託のない笑顔を見せた。
「でも、こうやってわたしは小麦の目の前に存在するわけだし、水無瀬も証明してくれているのだから特別死刑囚は存在する、という方向で考えられない?」
「そもそも特別死刑囚って何なんですか? 何が特別なんです?」
「とても良い質問だよ。」
ナナシは指をぱちんと鳴らす。
「わたしはね、死刑囚なんだけれど社会貢献することによって刑の執行を延期してもらっているんだよ。だから特別なの。」
「そんな馬鹿な話、聞いたことがありませんよ。」
「うん、だから特別なんだよ。」
「死刑囚なのに、拘置所じゃなくてタワマンに住んでいる死刑囚なんて聞いたことありませんよ。こういう特別待遇もそうなのですか?」
「ああ、そうだ。」
水無瀬があっさりと答えた。
「ただこいつの場合は事情が事情でな、こいつに目を掛けている奴が俺たちなんか顔も見ることも適わない権力者なんだよ。で、そいつに甘やかされているってわけさ。」
「文字通り箱入り娘でごめんね。」
ナナシは両手を合わせた。
「特別扱いされている理由はわかりました。でも社会貢献って一体何をしているんですか?まさか外でゴミ拾いをしているってわけじゃないですよね?」
「肉体労働はわたしの範疇じゃないんだなぁ。日に焼けちゃうしね。」
「こいつの仕事は俺たちのお堅い頭じゃ解くのに時間が掛かっちまう事件を解決することだよ………。」
「捜査に参加するんですか?」
「ああ、表向きは犯罪コンサルタントとしてな。」
「やっぱり就くなら横文字の仕事だよね。」
ナナシは小麦に向かってウィンクをする。
「でも囚人なのですよね?」
囚人でしかも死刑囚が警察の捜査に参加するというのは聞いたことがない。そんな事がまかり通っていいのだろうか、神座は困惑する。
「そうだよ、しかも飛び切りの死刑囚。」
自らの立場を理解しているのか、理解に苦しむ明るい反応だった。
「何のために?」
「二つめの良い質問だよ、小麦。」
ナナシはまた指をぱちんと鳴らした。
「わたしだって暇じゃないから警察の捜査に参加するなんてごめんなんだけれどね。ほらわたし一応、こんな自由にやらせてもらっているけれど死刑囚なわけじゃん? このままだといつ法務大臣のハンコ一つで死刑が執行されるかわからないわけ。もうびくびくものだよ、毎日が。うう、ブルブル。」
「明らかにふざけていますよね?」
小麦は眉根を寄せた。
「すぐ怒る。学級委員とかしていたタイプ?」
ナナシは両手の人差し指で神座を茶化すように指差した。
「悪いですか?」
もし自分の不機嫌メーターが可視化出来るのなら今、限界値ぎりぎりまで上昇してきているだろう、神座は思った。
「ううん、馬鹿にはしていないよ。わたし、学校とか行ったことがないからさ。ちょっと憧れではあるんだよね。小麦が学級委員なら絶対に良いクラスだっただろうな、って。」
不意に誉められて神座は動揺した。不機嫌メーターが急速に下降していく。そんな風に思われたことがなかったので正直、どう反応していいかわからなかった。
「話が逸れています。」
自分が今、言葉巧みに丸め込まれていることに気づいて神座は言った。
「道草は人生において大事だよ?」
ナナシは言う。
「貴女が警察の捜査に参加するのは何かメリットがあるわけですね?」
「そうそうご褒美が無いと人間は働かない生き物だよ。お給料が出るから小麦だって働いているわけでしょう? わたしだってそう。メリット無しじゃ働かない。」
「死刑の執行猶予期間が与えられる。」
逸れがちな話に水無瀬が横から口を挟んだ。
「それがこいつの捜査に参加する主な理由だ。」
「主? 他にもあるんですか?」
「まあいろいろと希望は聞いてもらえるよ。美味しいスイーツの定期的な差し入れを希望したこともあるし、モンサンミシェルを見たい、という希望も叶ったし、この間の時はタワマンに住みたいって言ったら叶った。まあ地下とは思わなかったけれど………。普通、タワマンって言ったら高層階だと思わない? ほとんど詐欺に近いよね、これ。」
ここも希望して与えられたものなのか、神座は驚く。おそらく元々あったタワーマンションの地下を増設して作られたスペースではないはずだ。彼女の希望を叶えるために一からこの建物を建造したというのだろうか。ナナシとは何者だ………、自らを死刑囚と言うがただの死刑囚がここまで優遇されることは絶対にない。
ナナシは何者だ、という疑問を強く思っていたために自然に言葉を発していた。
「貴女は何をしたのですか………?」
死刑囚でありながら我儘な令嬢のように振舞える彼女は一体、どんな罪を犯して死刑になったのだろう。
「それは話せない決まりになっている。」
水無瀬が言う。
「どうしてですか?」
「世の中には知らなくても良い事がある。」
「殺人。」
ナナシがさも当たり前のように言った。
「わたしはね、たくさんの仲間の命を奪ったんだよ。だからここにいる。」
「お前に関する秘密の曝露は与えられた猶予の一部が没収になる。」
「いいじゃん、別に友達になるんだし。やっぱ情報共有って最低限必要でしょ? 修学旅行とか夜、眠る前に好きな子の名前、言い合ったりするんでしょう? ああいうのって憧れるんだよねぇ。」
彼女はうっとりして言った。
「小麦は好きな人、誰かいるの?」
「え?」
「いいじゃん誰も聞いていないんだからさ。こういうのって教え合うものでしょう?わたしだって殺人のことを話したのだから。」
「誰もって先輩がいますから………。」
神座は水無瀬を横目で見た。
「それにここでの会話は基本的に録音されている。流石に映像は玄関部分しか記録されていないけれどな。」
「筒抜けも良いところじゃないですか………。」
本当に音だけなのだろうか、神座は部屋全体を見まわした。カメラのようなものは確かに見えなかった。しかし見える場所にはあからさまには設置しないだろう。ああいうものは手を変え 品を変え上手く誤魔化されるものだ。螺子頭に見せかけたピンホールカメラが盗撮に使われることもあるらしい。水無瀬を疑うわけではないけれど 仮にも死刑囚に与えた部屋のセキュリティが甘いとは思えなかった。
「大丈夫。小麦の好きな人なんて第三者には何の興味もない内容だから。好きな食べ物とか好きなタレントとか好きな殺害方法とかと同じような感覚で答えれば良いんだよ。」
「最後が物騒過ぎます。好きな殺害方法なんてありませんから。」
神座は言う。初対面で凶悪犯であるはずなのにどうも彼女の前ではどこか調子が狂うような気がした。
「え? そう? 小麦だって刑事なんだからそういう現場は多く見てきたはずでしょ?だったら 現場を見て ちょっとわくわくしたりとかしない?」
「ありませんよ、そんな現場なんて………。」
刑事になって初日に神座は自分と同じ人間の死体を見た。水を張ったバスタブに沈んでいた遺体は発見が遅かった為、腐敗ガスが溜まり、巨人様化して 膨れあがっていた。死因は心臓麻痺によるもので事件性はなかったが それでもあの時の光景をたまに思い出すときがあった。
「顔合わせはこの辺りで終わりにして ぼちぼち出掛けようか。」
水無瀬は言う。
「お出掛け?」
ナナシが声を弾ませた。
「ああ、お前の大好きな事件現場だ。」
「やっぱりねぇ、ちょっとだけ期待した自分が馬鹿だった。」
彼女はふくれっ面を見せたかと思うとすぐに笑顔に戻った。
「ちょっと待ってください。彼女を連れていくんですか?」
神座は驚く。流石に驚きすぎて疲れてきていた。
「ああ、そのために外出許可証も貰ってきたんだ。さっき見せただろう?」
確かに是枝のサインが入った真っ黒い用紙を水無瀬は所持していた。あれはここへの入室許可証だと思っていたが まさか外出許可証とは思わなかった。
「逃亡の畏れがあるのでは?」
神座は耳打ちするような小声で水無瀬に言う。万が一、彼女に逃亡されでもしたらそれこそ自分たちの立場が危ういのではないか、という考えがあった。
「首輪をつけているから大丈夫。」
「首輪?」
「といっても実際はブレスレットだけれどな。」
「手錠ですか?」
皮肉を込めてそう呼んでいるのかと思ったがナナシが自慢するように右手首に装着している銀色の太いリングを見せてくれた。プラチナ製だろうか、シルバーとは違った輝きがあった。手首の内側の位置に黄色い石が埋め込まれている。
「良からぬことを考えたらあのブレスレットに仕込まれている毒液が手首から注入されて即時、刑が執行されるようになっている。」
「こんなのなくても別に逃げないのにさ、信用ないよね。」
ナナシは軽く肩を竦めて言った。
「犯罪者の言葉は信用しない。刑事としての基本だ。」
水無瀬は言った。
「そういう情に流されないところが素敵。」
ナナシの言葉に神座は どこが? と思った。
移動の際に何かしらの拘束具を使用すると神座は思っていたが お出掛けと言われて着替えをして現れた彼女は上下黒のジャージ姿で まるで近所のコンビニにでも買い物に行くような服装だった。シンプルな黒のキャップを玄関のシューズクローゼットから取り出し そのまま手錠も何もつけずに ハイブランドのスニーカを履いて神座たちと一緒に玄関から外へと出た。
「ここに住む一番のメリットは鍵を掛けなくてもセキュリティは万全ってことだよね。」
けたたましいブザーと重々しい扉が閉まっていく作動音を背中で聞きながらエレベータへと向かう。
「縞々の囚人服とか着ると思った?」
ナナシは悪戯っぽく微笑む。
「それもハイブランドですよね?」
神座はナナシの着ている物を指差して言った。目立つようなロゴは入っていないが左袖口にブランドのタグが自然に縫い付けられている。生地の見た目も自分が自宅で部屋着として着ているジャージとは明らかに違うのはわかった。
「そういうのも報酬で手に入れるんですか?」
「うん。だいたいそうだよ。」
「今までどれくらい事件を解決してきたんですか?」
「うーん………、どれくらいだろう。そういうのってあんまり憶えていないから。まあ、でも法務大臣が八回くらい変わっても死刑執行はされないくらいの猶予は手に入れているよ。」
「知らないんですか? この国のリーダーってひっきりなしに変わるんですよ?」
「知ってる。なんかフォトスポットの順番待ちみたいだよね。頭が変わって生きていられる生物なんていないけれど 国は生きていられるから不思議だよね。」
ナナシは陽気に笑った。
「それでわたしはどんな事件の捜査に加わるの?」
水無瀬が操作して動き始めたエレベータの中でナナシは聞く。
「佐竹摩央という動画配信者を知っていますか?」
「知っているよ、魔王でしょ? クリスマスの時に殺人ライブして捕まったんじゃなかったっけ?」
「そうです。その佐竹が超能力で人を殺すことが出来ると言ってきたんです。」
「へえ。」
ポケットからいつの間にかチョコバーを取り出してナナシは食べ始めた。
「刑務所にいながら?」
「はい。実際に関与を疑わせるような事件が三つ起きています。」
「なるへそ。」
ふざけた調子で相槌を打ちながらナナシはチョコバーを食べ続ける。
「小麦たちが佐竹の関与を疑う根拠は何?」
「現場に残された証明書と不可解な現場の状況からです。」
「不可解な状況って? もしかして密室とか?」
「そう考えてもらっても構わないと思います。」
そう答えるとナナシは零すように笑みを浮かべた。
「何が可笑しいんですか?」
「ううん、何も。ただ。」
「ただ?」
「わたし好みの事件だなって思った。それに超能力者ってお目に掛ったことがまだ無いからそれも楽しみ。」
四口ほどでチョコバーを食べきって最後の一口を咀嚼しながら彼女は言う。
「超能力はあると思いますか?」
「うーん、どうだろう………。前にいた施設にはカードに描かれた絵柄とかかなりの確率で当てる子もいたから ずば抜けた才能の持ち主というのはいると思うけれど それ以外でその子が際立った何かの力を持っていたわけではなかったからなぁ………微妙はところだよね。その子とは違う子が片手で器用に折り鶴を作るのは凄いと思った、超・能力と言っても過言ではないだろうけれど 超器用ってだけで超能力とは違うか。」
ナナシはあっけらかんと笑った。
「ホンモノであることを祈るのみだよ。」
エレベータが地上階に着いて扉が開く。
「どもども、留守番よろしくね。」
二人の警備員に愛想よくナナシは言いながら前を通り過ぎる。彼らは返事もしないでただ苦笑いを浮かべるだけだった。
神座は彼女と今、自分のいる場所の風景をゆっくりと見まわしながら呟くように復唱していた。耳から入ってきた情報と目で見ている情報のギャップに考えが追い付かなくなっている。きっと現在もまだ自分に対するどっきりが進行中で この数秒後に戸惑う自分の反応を見て彼女たちが吹き出すに違いない、とさえ思った。
「特別死刑囚の話、佐竹から聞いたことがあったって言っていたよな?」
水無瀬は言う。
「はい。でも、先輩もその存在を否定していましたよね?」
「ああ、否定した。確かに記憶している。けれどあれは嘘だ。特別死刑囚は存在する。正直に言わなかったのはその存在が秘密だからだ。」
彼は悪びれずに言った。
「小麦。刑事だって人間だから、ウソをつくことはあるんだよ。」
ナナシに肩を叩かれて慰められる。
「いや、貴女のことで揉めているんですよ?」
「まあそうだね。」
ナナシは屈託のない笑顔を見せた。
「でも、こうやってわたしは小麦の目の前に存在するわけだし、水無瀬も証明してくれているのだから特別死刑囚は存在する、という方向で考えられない?」
「そもそも特別死刑囚って何なんですか? 何が特別なんです?」
「とても良い質問だよ。」
ナナシは指をぱちんと鳴らす。
「わたしはね、死刑囚なんだけれど社会貢献することによって刑の執行を延期してもらっているんだよ。だから特別なの。」
「そんな馬鹿な話、聞いたことがありませんよ。」
「うん、だから特別なんだよ。」
「死刑囚なのに、拘置所じゃなくてタワマンに住んでいる死刑囚なんて聞いたことありませんよ。こういう特別待遇もそうなのですか?」
「ああ、そうだ。」
水無瀬があっさりと答えた。
「ただこいつの場合は事情が事情でな、こいつに目を掛けている奴が俺たちなんか顔も見ることも適わない権力者なんだよ。で、そいつに甘やかされているってわけさ。」
「文字通り箱入り娘でごめんね。」
ナナシは両手を合わせた。
「特別扱いされている理由はわかりました。でも社会貢献って一体何をしているんですか?まさか外でゴミ拾いをしているってわけじゃないですよね?」
「肉体労働はわたしの範疇じゃないんだなぁ。日に焼けちゃうしね。」
「こいつの仕事は俺たちのお堅い頭じゃ解くのに時間が掛かっちまう事件を解決することだよ………。」
「捜査に参加するんですか?」
「ああ、表向きは犯罪コンサルタントとしてな。」
「やっぱり就くなら横文字の仕事だよね。」
ナナシは小麦に向かってウィンクをする。
「でも囚人なのですよね?」
囚人でしかも死刑囚が警察の捜査に参加するというのは聞いたことがない。そんな事がまかり通っていいのだろうか、神座は困惑する。
「そうだよ、しかも飛び切りの死刑囚。」
自らの立場を理解しているのか、理解に苦しむ明るい反応だった。
「何のために?」
「二つめの良い質問だよ、小麦。」
ナナシはまた指をぱちんと鳴らした。
「わたしだって暇じゃないから警察の捜査に参加するなんてごめんなんだけれどね。ほらわたし一応、こんな自由にやらせてもらっているけれど死刑囚なわけじゃん? このままだといつ法務大臣のハンコ一つで死刑が執行されるかわからないわけ。もうびくびくものだよ、毎日が。うう、ブルブル。」
「明らかにふざけていますよね?」
小麦は眉根を寄せた。
「すぐ怒る。学級委員とかしていたタイプ?」
ナナシは両手の人差し指で神座を茶化すように指差した。
「悪いですか?」
もし自分の不機嫌メーターが可視化出来るのなら今、限界値ぎりぎりまで上昇してきているだろう、神座は思った。
「ううん、馬鹿にはしていないよ。わたし、学校とか行ったことがないからさ。ちょっと憧れではあるんだよね。小麦が学級委員なら絶対に良いクラスだっただろうな、って。」
不意に誉められて神座は動揺した。不機嫌メーターが急速に下降していく。そんな風に思われたことがなかったので正直、どう反応していいかわからなかった。
「話が逸れています。」
自分が今、言葉巧みに丸め込まれていることに気づいて神座は言った。
「道草は人生において大事だよ?」
ナナシは言う。
「貴女が警察の捜査に参加するのは何かメリットがあるわけですね?」
「そうそうご褒美が無いと人間は働かない生き物だよ。お給料が出るから小麦だって働いているわけでしょう? わたしだってそう。メリット無しじゃ働かない。」
「死刑の執行猶予期間が与えられる。」
逸れがちな話に水無瀬が横から口を挟んだ。
「それがこいつの捜査に参加する主な理由だ。」
「主? 他にもあるんですか?」
「まあいろいろと希望は聞いてもらえるよ。美味しいスイーツの定期的な差し入れを希望したこともあるし、モンサンミシェルを見たい、という希望も叶ったし、この間の時はタワマンに住みたいって言ったら叶った。まあ地下とは思わなかったけれど………。普通、タワマンって言ったら高層階だと思わない? ほとんど詐欺に近いよね、これ。」
ここも希望して与えられたものなのか、神座は驚く。おそらく元々あったタワーマンションの地下を増設して作られたスペースではないはずだ。彼女の希望を叶えるために一からこの建物を建造したというのだろうか。ナナシとは何者だ………、自らを死刑囚と言うがただの死刑囚がここまで優遇されることは絶対にない。
ナナシは何者だ、という疑問を強く思っていたために自然に言葉を発していた。
「貴女は何をしたのですか………?」
死刑囚でありながら我儘な令嬢のように振舞える彼女は一体、どんな罪を犯して死刑になったのだろう。
「それは話せない決まりになっている。」
水無瀬が言う。
「どうしてですか?」
「世の中には知らなくても良い事がある。」
「殺人。」
ナナシがさも当たり前のように言った。
「わたしはね、たくさんの仲間の命を奪ったんだよ。だからここにいる。」
「お前に関する秘密の曝露は与えられた猶予の一部が没収になる。」
「いいじゃん、別に友達になるんだし。やっぱ情報共有って最低限必要でしょ? 修学旅行とか夜、眠る前に好きな子の名前、言い合ったりするんでしょう? ああいうのって憧れるんだよねぇ。」
彼女はうっとりして言った。
「小麦は好きな人、誰かいるの?」
「え?」
「いいじゃん誰も聞いていないんだからさ。こういうのって教え合うものでしょう?わたしだって殺人のことを話したのだから。」
「誰もって先輩がいますから………。」
神座は水無瀬を横目で見た。
「それにここでの会話は基本的に録音されている。流石に映像は玄関部分しか記録されていないけれどな。」
「筒抜けも良いところじゃないですか………。」
本当に音だけなのだろうか、神座は部屋全体を見まわした。カメラのようなものは確かに見えなかった。しかし見える場所にはあからさまには設置しないだろう。ああいうものは手を変え 品を変え上手く誤魔化されるものだ。螺子頭に見せかけたピンホールカメラが盗撮に使われることもあるらしい。水無瀬を疑うわけではないけれど 仮にも死刑囚に与えた部屋のセキュリティが甘いとは思えなかった。
「大丈夫。小麦の好きな人なんて第三者には何の興味もない内容だから。好きな食べ物とか好きなタレントとか好きな殺害方法とかと同じような感覚で答えれば良いんだよ。」
「最後が物騒過ぎます。好きな殺害方法なんてありませんから。」
神座は言う。初対面で凶悪犯であるはずなのにどうも彼女の前ではどこか調子が狂うような気がした。
「え? そう? 小麦だって刑事なんだからそういう現場は多く見てきたはずでしょ?だったら 現場を見て ちょっとわくわくしたりとかしない?」
「ありませんよ、そんな現場なんて………。」
刑事になって初日に神座は自分と同じ人間の死体を見た。水を張ったバスタブに沈んでいた遺体は発見が遅かった為、腐敗ガスが溜まり、巨人様化して 膨れあがっていた。死因は心臓麻痺によるもので事件性はなかったが それでもあの時の光景をたまに思い出すときがあった。
「顔合わせはこの辺りで終わりにして ぼちぼち出掛けようか。」
水無瀬は言う。
「お出掛け?」
ナナシが声を弾ませた。
「ああ、お前の大好きな事件現場だ。」
「やっぱりねぇ、ちょっとだけ期待した自分が馬鹿だった。」
彼女はふくれっ面を見せたかと思うとすぐに笑顔に戻った。
「ちょっと待ってください。彼女を連れていくんですか?」
神座は驚く。流石に驚きすぎて疲れてきていた。
「ああ、そのために外出許可証も貰ってきたんだ。さっき見せただろう?」
確かに是枝のサインが入った真っ黒い用紙を水無瀬は所持していた。あれはここへの入室許可証だと思っていたが まさか外出許可証とは思わなかった。
「逃亡の畏れがあるのでは?」
神座は耳打ちするような小声で水無瀬に言う。万が一、彼女に逃亡されでもしたらそれこそ自分たちの立場が危ういのではないか、という考えがあった。
「首輪をつけているから大丈夫。」
「首輪?」
「といっても実際はブレスレットだけれどな。」
「手錠ですか?」
皮肉を込めてそう呼んでいるのかと思ったがナナシが自慢するように右手首に装着している銀色の太いリングを見せてくれた。プラチナ製だろうか、シルバーとは違った輝きがあった。手首の内側の位置に黄色い石が埋め込まれている。
「良からぬことを考えたらあのブレスレットに仕込まれている毒液が手首から注入されて即時、刑が執行されるようになっている。」
「こんなのなくても別に逃げないのにさ、信用ないよね。」
ナナシは軽く肩を竦めて言った。
「犯罪者の言葉は信用しない。刑事としての基本だ。」
水無瀬は言った。
「そういう情に流されないところが素敵。」
ナナシの言葉に神座は どこが? と思った。
移動の際に何かしらの拘束具を使用すると神座は思っていたが お出掛けと言われて着替えをして現れた彼女は上下黒のジャージ姿で まるで近所のコンビニにでも買い物に行くような服装だった。シンプルな黒のキャップを玄関のシューズクローゼットから取り出し そのまま手錠も何もつけずに ハイブランドのスニーカを履いて神座たちと一緒に玄関から外へと出た。
「ここに住む一番のメリットは鍵を掛けなくてもセキュリティは万全ってことだよね。」
けたたましいブザーと重々しい扉が閉まっていく作動音を背中で聞きながらエレベータへと向かう。
「縞々の囚人服とか着ると思った?」
ナナシは悪戯っぽく微笑む。
「それもハイブランドですよね?」
神座はナナシの着ている物を指差して言った。目立つようなロゴは入っていないが左袖口にブランドのタグが自然に縫い付けられている。生地の見た目も自分が自宅で部屋着として着ているジャージとは明らかに違うのはわかった。
「そういうのも報酬で手に入れるんですか?」
「うん。だいたいそうだよ。」
「今までどれくらい事件を解決してきたんですか?」
「うーん………、どれくらいだろう。そういうのってあんまり憶えていないから。まあ、でも法務大臣が八回くらい変わっても死刑執行はされないくらいの猶予は手に入れているよ。」
「知らないんですか? この国のリーダーってひっきりなしに変わるんですよ?」
「知ってる。なんかフォトスポットの順番待ちみたいだよね。頭が変わって生きていられる生物なんていないけれど 国は生きていられるから不思議だよね。」
ナナシは陽気に笑った。
「それでわたしはどんな事件の捜査に加わるの?」
水無瀬が操作して動き始めたエレベータの中でナナシは聞く。
「佐竹摩央という動画配信者を知っていますか?」
「知っているよ、魔王でしょ? クリスマスの時に殺人ライブして捕まったんじゃなかったっけ?」
「そうです。その佐竹が超能力で人を殺すことが出来ると言ってきたんです。」
「へえ。」
ポケットからいつの間にかチョコバーを取り出してナナシは食べ始めた。
「刑務所にいながら?」
「はい。実際に関与を疑わせるような事件が三つ起きています。」
「なるへそ。」
ふざけた調子で相槌を打ちながらナナシはチョコバーを食べ続ける。
「小麦たちが佐竹の関与を疑う根拠は何?」
「現場に残された証明書と不可解な現場の状況からです。」
「不可解な状況って? もしかして密室とか?」
「そう考えてもらっても構わないと思います。」
そう答えるとナナシは零すように笑みを浮かべた。
「何が可笑しいんですか?」
「ううん、何も。ただ。」
「ただ?」
「わたし好みの事件だなって思った。それに超能力者ってお目に掛ったことがまだ無いからそれも楽しみ。」
四口ほどでチョコバーを食べきって最後の一口を咀嚼しながら彼女は言う。
「超能力はあると思いますか?」
「うーん、どうだろう………。前にいた施設にはカードに描かれた絵柄とかかなりの確率で当てる子もいたから ずば抜けた才能の持ち主というのはいると思うけれど それ以外でその子が際立った何かの力を持っていたわけではなかったからなぁ………微妙はところだよね。その子とは違う子が片手で器用に折り鶴を作るのは凄いと思った、超・能力と言っても過言ではないだろうけれど 超器用ってだけで超能力とは違うか。」
ナナシはあっけらかんと笑った。
「ホンモノであることを祈るのみだよ。」
エレベータが地上階に着いて扉が開く。
「どもども、留守番よろしくね。」
二人の警備員に愛想よくナナシは言いながら前を通り過ぎる。彼らは返事もしないでただ苦笑いを浮かべるだけだった。
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