第27話

文字数 4,558文字

 病院に救急搬送された宮國伊勢は監視下に置かれることになった。佐竹摩央に憑依されていたとはいえ、ナッツアレルギーの彼に故意にその食材を食べさせたことによる傷害致死罪が適用されると判断したためだった。ネットではすでにミキアが倒れたことが話題になっているようだった。ライブカメラでの映像を何百万人という人間が視聴していたからだ。今後のことを考えると頭が痛くなる。駆け寄った神座や水無瀬が画角に入り込んだため、すでに人物の特定まで始めている視聴者もいるようだ。コメント欄には見るに堪えない罵詈雑言で溢れかえっている、と土江が気持ちを逆撫でるように報告してきた。これでさらにミキアが死亡したという続報が入れば火に油、いや油よりもガソリンを注ぐくらい情報は爆発的に広がり、さらに警察に対するバッシングは加熱するだろうことは簡単に想像がつく。

 「無能な警察だって。」
 ミキアの配信チャンネルに寄せられたコメントを確認しながらナナシはどこか楽しそうだった。彼女にしてみれば捜査協力はしているものの どちらかといえば対極に位置している存在なので対岸の火事を堪能しているのだろう。
 「楽しそうですね………。」
 今後の事を思うと胃が痛くなってきた。神座はため息交じりに皮肉を込めて言う。

 水無瀬が運転する車は樹里が身を隠しているホテルの駐車場へと入る。車を空いているスペースに停めて フロントによらずにそのままエレベータで彼女の部屋まで直行する。ドアをノックすると現れたのは鵜久森ではなく、事務所スタッフの布施愛未だった。不安そうな表情を浮かべた彼女は新顔のナナシを含めた神座たちを招き入れる。
 「樹里さんの様子は?」
 神座は尋ねた。
 布施は首を左右に振った。
 「ミキアのライブ配信を見て余計に魔王を恐れるようになりました………。誰とも会いたくない、と。」
 「ウケる。」
 ナナシが手を叩いて笑った。
 布施の表情に不快感が浮かんだ。
 神座はナナシに代わって失言に頭を黙って下げた。
 「こちらの方は?」
 「捜査に協力を頂いている犯罪コンサルタントのベル=プランタンです。」
 「警察の捜査に?」
 布施は驚いた後で改めてナナシに視線を向ける。犯罪コンサルタントの軽装が疑わしく思えたのだろう。
 「こう見えても意外と優秀なんだよ、わたし。」
 ナナシは軽く言った。
 「で、問題児は奥にいるの?」
 「はい。」
 布施の返事を聞くとナナシは室内を奥へと進んだ。ツインルーム、手前のベッドにシーツに包まるようにして樹里はいた。窓はブラインドが下げられており室内の照明が仄かに照らしているだけだった。
 「やあ、有名人。」
 シーツの隙間から顔を覗かせる樹里にナナシは話しかける。
 「あんた誰?」
 攻撃的な口調で樹里は聞く。
 「一応、あんたの味方。」
 「警察ってこと?」
 「まあ、そんな感じ。」
 「帰って。誰とも会いたくないんだけど。」
 「わたしも別に会いたくはないんだけれどさぁ。ほらミキアが死んじゃったじゃん?で、まだやることがあるって魔王が言うものだからさ、ここに連れてこられて いい迷惑なわけよ。」
 「待って。ミキア、死んじゃったの?」
 「あ、これ内緒だった。」
 ナナシはわざとらしく右手で自分の口を塞いでこちらを見た。
 「先ほど搬送された病院で亡くなったそうです。ただ混乱を防ぐためにまだ誰にも公表しないと約束してもらえますか。」
 説明する自分が腹立たしく思えた。混乱などと言ってはいるが結局、一部のファンからのバッシングを回避するために言い訳に過ぎない。

 「公表しないというのは他人に話すだけではなくてSNSもダメって事だからね。」
 ナナシは馬鹿にしたように樹里に説明を追加した。
 「そんなの知ってるし、何あんた? 警察の関係者ってこんなやつばかりなの?」
 「他人に憑依出来るって言っている奴を相手にあんたはいつまでここに立て籠っているつもり?」
 「マスコミにも追われているんだから仕方ねえだろ。」
 「わたしが助かる方法を教えてあげようか?」
 ベッドの上に膝で立ってナナシは樹里からシーツを乱暴に取り払った。
 「助けられるの………かよ………?」
 彼女の言葉に一縷の望みを見た樹里は縋るように言った。
 「芸能界にはいられないだろうけれど 命までは奪われやしないと思うよ。」
 ナナシがきっと実在したら悪魔はこんな風に微笑むのだろうな、と思わせるような笑みを浮かべて言った。

 「あたしはどうすれば良い?」 
 「謝罪会見を開く。」
 「謝罪会見………?」
「そう、それだけで命は助かるだろうね。逃げてばかりいるから弱い者イジメをしたい奴は徹底的に追い回す。逃げなければ追う必要もないからマスコミがあんたの周りをうろちょろすることはない。」
 「謝れば魔王もあたしを殺さない?」
 「殺さないよ。誠心誠意謝罪した人間を殺してしまったら今度は魔王自身が皆に責められる番だからね。」
 「そうかもしれない………。」
 樹里の表情に少しだけ明るさが戻った。きっとナナシの言葉に希望を見出したのだろう、神座は思う。数日前に会ったときは悪びれる様子も無かった彼女だったが今は謝罪会見に前向きになっている。それは前進だと神座には思えた。
 「でもさぁ、やってもいない事をあんたは謝れるの?」
 ナナシは心配するように言った。

 樹里は首を振る。
 「戸崎が死んだのはあたしのせいだったような気もするかも。」
 「そんな曖昧な認め方では謝罪会見は失敗するだろうね。良い? 謝るときは大げさ過ぎるくらいが丁度、良いんだよ。変に畏まる必要はない。慣れない丁寧語を使う必要もない。ただ聞かれたことに対してははっきりとした声で そして飾らない自分の声で伝える。それがもっとも効果的。それだけで随分と見ている人間の印象は変わる。もちろん全員が全員、それに騙されはしないけれど 少なくとも許してやろうと思う人間は出てくる。そうすればあんたの勝ちだよ。あと腹の立つことを言われても表情には出すな。言われた時は悲しい顔をすればいい。仰る通りです、謝って済む話だとは思ってもいませんってね。」

 「謝罪会見をしたいんだけれど。」
 樹里は布施に伝える。
 「鵜久森チーフに相談しないと私では………。」
 自分では判断できないと悟った彼女は弱気だった。
 「すぐに鵜久森さんに言って。」
 指示された布施はスマホを片手に出入口へと向かった。
 「するのなら早い方が良いと思うよ。あんたクラスのタレントのスキャンダルなんて大物の熱愛発覚とかで誰も注目しなくなるからね。」
 ナナシは辛辣に言った。
 「さ、帰ろうか、小麦。」
 言いたいことを言うとナナシは回れ右をして出入口へと向かう。
 「ああ、そうだ。会見する場所が決まったら教えてくれる。コンサルタントとして立ち合いたいからさ。」
 角から顔だけを出してナナシはベッドの上の樹里に言った。
 「はい。よろしくお願いします。」
 まるで業界の権力者に返事をするように丁寧な言葉で樹里は言う。
 鵜久森と電話でやり取りをしている布施の脇を抜けて部屋を出た。
 「態度が百八十度変わりましたね、彼女。」
 動き出したエレベータの中で神座は水無瀬に感想を漏らす。悪態をついていた彼女からは想像もつかない生まれ変わった態度を信用していいものか、まだ半信半疑ではあった。

 「ああいうタイプの人間はね、ちょっと味方のふりをして それっぽいアドバイスをするだけですぐに信用しちゃうんだよ。弱っている今のあの子なら尚更ね。扱いやすい性格をしていてよかった、よかった。」
 「でも謝罪したところで本当に魔王は殺害計画を止めるんですか?」
 「さあ、わかんない。」
 ナナシは無責任さを露わにして言った。
 「わかんないって………。」
 神座は絶句する。
 「餌っていうのは与えて初めて餌になるからね。」
 ナナシは ふふふ、と笑った。
 「餌というのは?」
 「文字通り生贄のことだよ。」
 「まさか彼女を囮に使うためにあんな事を言ったんですか?」
 神座は詰問するように言った。
 「そ。」
 「どうしてそんな事を? 彼女は狙われているんですよ?」
 「知っているよ、そんなことは。」
 ナナシは涼しい顔で言った。

 「魔王にとって困ることって何だと思う?」
 「魔王にとって困ること?」
 質問と同じ言葉を神座は口にする。自分の頭が回っていない証拠だ。
 「あの子に引き籠られる事だよ。」
 「どうしてですか?」
 「だって公の場で殺さないと自らの力をアピール出来ないじゃん? ホテルに立て籠られた状態で標的を殺しても何の意味もない。もちろん殺しましたって言えばいいけれど何の説得力もなくなるからね。魔王にとって最も大事なのはライブ感なわけよ。」
 「ライブ感って………。事件を起こす事はエンタテイメントと違います。」
 「一般的な感覚でいえばそうなんだろうけれどさ、たぶん魔王はその辺の思考回路がバグってるんじゃない? だって彼女自身、殺人ライブ中継でバズったわけでしょう? 承認欲求の塊である彼女はそこでどうすれば目立てるか、というのを学習してしまった。だからこそひっそりと行われる殺人劇なんて魔王は一番困るんだよ、注目されないから。自分の能力を信用させられないから。その点ではミキアは扱いやすかった。超能力を使って命を狙う、と言えばすぐに検証動画を撮るだろうことは容易に想像できた。でも、樹里の場合は彼女の過去のスキャンダルまで飛び出てきて マスコミに追われることにもなったからね。魔王にとっては誤算だったのじゃないかな。だからわたしはお節介にも自分の部屋に閉じこもって動こうとしない彼女を焚きつけたってわけ。」
 「それで樹里さんが危険な目に遭ったらどうするんですか?」
 「どうもしないよ? だって彼女、同級生を一人自殺に追い込んでいる人間でしょ? 自分でもそう言っていたじゃん? これで危険な目に遭ったとしても因果応報だよ。可哀そうとは誰も思わないんじゃない? 少なくともわたしは思わない。わたしは正義の味方じゃないからね。一人の人間として小麦はそんなあの子でも助けたいって思う?」

 「私は………。」
 確かに樹里がかつて戸崎明日香に対して行ったことは許されるものではないし、悪びれない彼女の態度に怒っていたのも事実だ。しかしだからといって騙すようにして魔王が望む舞台に引き上げるのは間違っていないだろうか………。
 「真面目ちゃんの小麦にはこういう正攻法ではないやり方は嫌いかもしれないけれどね。」
 ナナシは言う。
 「わたしが貴女の傍にいる時点でもう正攻法では無くなっているってことを思い出した方が良いよ。結果は二の次で過程が大事っていう理解力のある大人がいるでしょ? でも、あれって単にその発言者が自分を良くみせようとして言っているだけなんだよね。自分はここまでお前たち若手のことを考えているぞって。でも、本当に大事なのは結果なの。どんな手を使ってでも自分にとってプラスになる結果だけ。わたしが貴女たち組織に求められているのはそれだけ。ルールなんて知ったことじゃない。こうみえて無法者なんで。」
 エレベータのドアが開いてナナシは颯爽と先に箱から出た。
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