第31話

文字数 3,422文字

 サンライズフロムウエストの鵜久森が抑えた会議室は広さが充分にあったものの それでも美樹本アトムが魔王の予告通り襲われたこともあって 世間の樹里への注目度は一気に跳ね上がったらしい。予想をはるかに上回るメディアや個人動画配信者たちが集まってきていて会場内に入りきれない者もたくさんいた。事務所側も混乱は予想していたのか警備員の姿も数名あった。会議室後方の出入り口は岩崎や小野が扉を挟むように立ち。水無瀬は会議室の前方左側、鵜久森や樹里が入室してくる非常扉の前に立って人の動きを目で追っていた。ワイドショウで観たことがあるベテラン芸能リポータが前方左手に設置されたマイクの前に立つ。この謝罪会見の司会進行を任していると鵜久森から事前に説明を受けていた。背後の扉が開く音がして まず事務所のタレントが一列で壁際に並んだ。全員が黒のスーツを着用していて ある種、異様な光景だと水無瀬は思う。どうやらナナシが提案したことらしいが集まったメディアに対しての顔見せを兼ねているとのことだったが意図はわからない。おそらく口から出まかせで鵜久森に謝罪会見を開かせるための口実に過ぎない、というのが彼の見解だった。

 やや遅れるようにして後方の出入り口から会議室に入室してきたベージュのキャップを目深に被った人物に目がいく。顔を隠すようにして俯き、その口元は大きめのマスクをしている。女性であるということはわかるが 人相はわからなかった。ゆっくりと距離を詰めていこうと動き出す。女がマスクをすらして持っていた飲み物を口にする。
 違う………、水無瀬は元の立ち位置へと戻った。
「それでは只今よりサンライズフロムウエスト所属タレント、樹里の謝罪会見を行いたいと思います。」
 司会を務めるリポータが淀みなく言う。
 水無瀬の近くの扉がゆっくりと開くとカメラマン席から一斉にシャッタ音が鳴り響いた。
 神妙な面持ちの樹里と鵜久森チーフマネージャが登壇して 座席の前で深々と頭を下げた。フラッシュとシャッタ音に二人の女性は暫くの間、包まれる。
 「この度はお忙しい中、この謝罪会見にお集まりいただきありがとうございます。」
 顔を上げた樹里の目は少し腫れているのが分かった。
 「この度は弊社所属のタレント、樹里のかつて起こした不祥事に対して関係者の皆様や事件を知り不快に思われた皆さまに謝罪をする機会を頂きありがとうございます。」
鵜久森はそう言うともう一度、深々と頭を下げる。
 樹里も隣の彼女に倣ってもう一度、頭を下げた。
 三十秒、長くも短くもない教科書通りの時間、頭を下げた後で鵜久森が着席し、促されるように樹里も席についた。
 「それでは樹里の方から皆様に今回、週刊誌に告発されたイジメ事件について謝罪とご説明をさせて頂きたいと思います。その後、各社からの質疑にお答えする時間を設けておりますのでよろしくお願いします。」
 司会進行が原稿を見ることもなく報道陣に伝える。

 テーブルの上に置かれたマイクに樹里が手を伸ばす。マイクのオンオフを確認した後で彼女は立ち上がらずに口を開いた。
 隣の鵜久森が小さく首を振るのが見えた。
 「週刊誌の記事に出たように 私、樹里は学生のころある同級生に対してイジメを行っていました。そしてその結果、その同級生が自殺をしてしまったことは事実です。しかし当時、私にはイジメという感覚はなくて どちらかといえば友達同士のじゃれ合いとしか思っていませんでした。でもそれは相手の方にとっては とても辛かったようで結果として その子を死においやった原因を作ったのはわたしたちであるのは間違いないと思っています。」
 樹里は時折、言葉を詰まらせながら話すとマイクをオンにしたままテーブルの上において立ち上がる。
 「本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい………。」
 頭を下げた彼女から光る滴が落ちるのが水無瀬の立ち位置から見えた。
 シャッタ音とフラッシュが三度、樹里を包み込む。
 「それでは質疑の方へ移りたいと思います。会場使用に時間は限られておりますので勝手ながら質疑に関しては一社につき一つまでとさせていただきます。」
 司会者の発言に会場内からブーイングが起きる。立ち上がって直接、文句をぶつける者もいた。手にはスマホを固定した自撮り棒を握っている。嘘くさい七三分けにフレームの太い黒縁眼鏡を掛け着慣れていないスーツに身を包んだ若い男だった。
 「落ち着いて下さい。こうしている間にも貴重な時間は失われていきます。」
 司会者が冷めた口調で彼を諫めた。
 「そんなこと一方的に言われても納得できないっすよ。知る権利は軽視ですか、ねえ皆さん、そう思うでしょう?」
 周りを味方につけようと若者がインタビュア席とカメラ席に向かって言うと怒号にも似た声がカメラ席から彼に向かって飛んでくる。

 「ルール無視すんな、馬鹿。」
 「とっとと座れ、素人。」
 「時間が無くなりますよ。」
 司会者のダメ押しが効いたのか一度は反論しかけた配信者も黙って着席する。
 「それでは挙手にて質問を受け付けます。」
 インタビュア席で一斉に手が上がった。

 直後に破裂音が鳴る。
 二度、三度と音が続き 白い煙が立ち昇るのが見えた。
 会場内に悲鳴にも似た声が上がる。カメラマンも音の正体を確かめようとレンズをそちらに向ける。
 「慌てないでください。落ち着いて、みなさん、落ち着いて。」
 司会者が騒然となる会場内を落ち着かせようと声を掛ける。
 また破裂音、今度は大きかった。
 水無瀬は音の方向へと駆け出した。
 悲鳴。
 会場内は混乱を極めた。司会者の声も届かない。

 警備員の一人が反対側の壁沿いに会議室前方に移動するのが横目で見えた。人波に逆らった動きだ。マスクをしているので顔ははっきり見えない。樹里と鵜久森の方を見た。二人ともこの騒ぎに反応できずに動かずにいたままだった。

 嫌な予感がする………、水無瀬は自分も人波に逆らって動き出す。ただ向こうのほうは動き出しが早かった為、彼女たちの場所に到達するのは早い。
 樹里に近づいた警備員が帽子を取った。
 譜久島歩だった。彼女の手には鈍く光る刃物が握られていた。
 樹里の悲鳴があがる。
 「歩、何を考えているの?」
 鵜久森が叫ぶように言う。樹里に身代わりにされるように背中を押されていた。
 譜久島はゆらゆらと操られているようにその距離を詰めていく。
 じりじりと後退していく二人。
 「アユミ? 何か勘違いしていない? あたしは魔王。」
 魔王を名乗る女は不敵に微笑んだ。
 「佐竹………摩央? 本当にそんなことが………。」
 「私が何をしたって言うのよ!」
 泣き声で樹里が叫んだ。
 「謝ろうとしたじゃない。これで許してくれるんじゃないの?」
 「は?」
 魔王は嘲笑した。

 「世の中には謝って済むことと済まないことの二種類あることをあんたは知らないの? あんたがしたことは許されざる事なんだよ。それにここで死んでくれないとあたしのチカラを示せなくなるじゃない?」
 「そんな………。聞いていた話と違う………。」
 「誰と約束したんだよ、そんな話。」
 右手のナイフを小刻みに振った。
 「標的はお前だけだ。鵜久森はどっか消えろ。」
 魔王の言葉に短く悲鳴をあげてから鵜久森が樹里を差し出すように腕を引っ張って前へと出した。バランスを崩した樹里が床の上に倒れる。鵜久森は這うように彼女を見捨てて離れる。
 水無瀬がやっと会議室前方へと躍り出た。彼の登場に焦った魔王はナイフを振り上げて樹里に襲い掛かる。躰を捻ってナイフの突きを一度目は避けたが左腕に赤い筋が走った。

 「逃げんじゃないよ。」
 もう一度、突きを繰り出したその手を水無瀬が間一髪で掴んだ。
 怒りと怯えが混じったような彼女の瞳と目が合った。
 「殺人未遂で現行犯逮捕。」
 水無瀬は掴んだ腕をそのまま捻り上げると痛みで握っていたナイフを彼女が手放す。床に落ちたナイフを靴で踏みつける。
 遅れて駆け付けた岩崎刑事に譜久島の身柄を引き渡した瞬間に脱力したように彼女が床へと膝から崩れ落ちた。
 まるで今まで眠っていたかのように眉間や閉じた瞼を動かすと譜久島が自分の置かれている状況に驚いた。
 「なんで………? どうして私が………?」
 「もういいよ。」
 水無瀬はそんな彼女に冷たく言い放った。
 「カーテンの幕は下りたんだ、芝居はもうおしまいだよ。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み