第21話

文字数 4,197文字

 救急搬送には岩崎刑事が付き添うことになった。主のいなくなった部屋では通報を受けた鑑識班が作業を始めていた。鵠沼と宮國の指紋を採取した後で作業の邪魔にならないように神座たちは別室で関係者の聴取を行うことにした。二人をリビングにある物と同じくらい高価そうなソファに並んで座らせる。右側に鵠沼、左側に宮國が座った。

 「アトム君は………?」
 ソファに座った宮國伊勢が震える声で言う。
 「何かあれば連絡はあると思いますが 今はまだ。」
 水無瀬は首を振る。
 「とりあえず一度、撮影した映像をみんなで確認しませんか?」
 鵠沼綾乃が提案する。
 「おぼろげな人間の記憶を辿るよりも残された映像を確認した方が時間の節約にもなります。こういうのってコードがあればそこのモニタでも確認できるのでしょう?」
 彼女が顎で示した先には薄型のディスプレイがあった。
 「そうですね、全体の動きは映像を確認しましょう。」
 小野刑事が撮影していたカメラをモニタに繋げる。鵠沼綾乃が登場したシーンから録画は開始されていた。

 テーブルを挟んで座る二人。ミキアが質問をして鵠沼が一人饒舌に話した後で彼女が例のゲームを提案した。この時にグラスを二つとタバスコをキッチンから用意したのはミキア本人であることは映像ではっきりと確認がとれた。グラスにミネラルウォーターを注ぐミキア。その水は対談用に事前に彼が用意していた物で未開封であったことはキャップを捻った時に生じた音からも分かった。タバスコを今度はグラスに振って注いでいく。こちらはミキアが以前、何か料理に使ったものなので開封済みの物を使用していた。二つのグラスが用意されて あの場面が画面に映し出される。腕を伸ばしたまま一瞬、停止したミキアは次の瞬間にはカメラ目線を送って微笑むと迷うことなくタバスコの入ったグラスを煽った。躊躇することない動作だった。自分の身に起きた出来事が理解できずに口腔内を襲った刺激物に慌てるミキア。水を飲んだだけでは辛味を抑えることは出来ずにカメラ横に立っていた宮國伊勢に対して水を要求する。それよりも牛乳か飲むヨーグルト飲料の方が良いと提案した神座自身の声がはっきりと聞こえた。宮國がキッチンへと行く、神座も同じようにキッチンへ行く様子がカメラには収まっていた。冷蔵庫を開ける宮國、飲むヨーグルトを取り出して開けようとしたが長いネイルが邪魔で上手く開けられないところまでばっちりと映っていた。それを見かねた神座がパックを開ける。グラスに注いで運ぶ宮國の背中を見送るショットが撮影されていた。鵠沼が手を叩いて笑う声が聞こえた。カメラが意識的にそちらを向く。不快な笑い声だった。「ほらね、魔王に不可能はないのですよ。」という勝ち誇った声が聞こえた。

 問題はここからだ。宮國がグラスをミキアに手渡す。受け取ったミキアがそれを二回に分けて飲んだ。 空になったグラスを宮國に返す。再び席に戻ろうと彼が歩き出した直後に苦しみ始めて やがてその場に崩れるように倒れた。
 画面の中で水無瀬の救急車という声が飛ぶ。
 カメラはそこでダイニングテーブルの上に放り出されて あとは救急隊員が来るまでの間、定点カメラとして別方向を映し出していた。

 「まだ詳しい原因は明らかになってはいませんが 美樹本アトムが毒物による中毒症状に陥ったと仮定して考えると 対談が始まってから彼が口にしたものは全部で三つだけです。ミネラルウォーター、タバスコ、そしてヨーグルト飲料。」
 「私もそのように認識しています。」
 鵠沼綾乃は頷く。
 「自己弁護をするわけではありませんがはっきりしていることがありますね。」
 「なんでしょうか?」
 水無瀬が尋ねた。
 「私はその飲み物のどれにも触れていない、という事。」
 彼女は言いきった。
 「触れていないのであればミキアに毒を飲ませることなど不可能です。」
 「お水を飲まれましたよね?」
 宮國伊勢が口を挟んだ。彼女の問いに対して鵠沼は面倒くさそうに溜息をつく。

 「はい。一口頂きましたよ。ただし自分の分を、です。仮にもしミネラルウォーターに毒物が混入していたとするとしても それを用意したのはミキア本人であることは明白ですし、そのどちらにも入っていたのなら 飲んだ私にも中毒症状が出ているのではありませんか?その点をきちんと考慮されてからお話をされている?」
 鵠沼綾乃は涼しい顔をして言っていたが宮國を睨むその目には糾弾する冷たさがあった。
 彼女の迫力に気圧されたのか、宮國は小さな声で すみません、と言い首を竦めた。亀ならば甲羅の中に頭を引っ込められるだろうけれど 彼女はただ逃げ場がなく気まずそうにするだけだった。

 「そうですね、対談の際に用意されたミネラルウォーターは美樹本本人が用意していました。それは私たちも確認しています。」
 水無瀬が頷く。
 「じゃあタバスコか、ヨーグルト飲料のどちらかになりますね。でも、その点においても確認していただいた通り、私は一切手を触れていません。タバスコもミキア本人がキッチンから自らの手で運んできたもの。ヨーグルトの方は神座刑事とこちらの宮國さんがグラスに注いできたものだったはずです。」
 「はい。それも確認しています。」
 「事前に用意出来たかどうかという点も考察しておきましょうか。例えばこの対談を行う前に私が毒入りタバスコを用意してミキアの自宅の物とすり替えることが出来たかどうか、という可能性についてです。」
 「こちらにお越しになられた際にボディチェックはさせていただきました。タバスコはもちろんの事、それ以外の不審物も確認出来ていません。」
 神座は答える。
 「前日にすり替え工作が出来たかどうか、という点ですがそれも不可能でしょうね。」
 水無瀬は悔しさを滲ませることなく言った。
 「先生との対談が決まったのは一昨日のことです。そしてそれから今日までの間、私たちは交代でこちらに張り込んでいたので先生がこちらにお見えになられていないことは我々が証明できます。」
 「最強の不在証明ですね。」
 鵠沼綾乃は満足げに頷いた。
 「ではヨーグルト飲料はどうでしょうか?」
 調子に乗った彼女はさらに自分のアリバイが不動であることを主張しようとしているらしい、わざわざ確認しなくてもわかっている。あのヨーグルト飲料はミキアの代わりに買い物をした神座が午前中に買ってきたものだ。レシートもきちんと残っているし、その際に受けた通話記録も確認できる。流石に会話自体は録音されていないが ミキアの生活を撮り続けているカメラにその会話が残っているだろう。

 「そちらも私が今日、美樹本さんに頼まれて購入したものです。」
 「では私はこの件に関して無実であることがここに証明出来ましたね。」
 鵠沼綾乃は拍手をする。
 「私、あまりサービスで誰かを助けたりすることはありませんし、そんな心優しい人間でもありませんけれどね。この宮國さんだって私と同じで彼に毒を飲ませることなどできませんよ。だって最後にミキアが飲んだ飲み物だって あれをグラスに注いだのは神座刑事ですもの。そうでしょう?」
 「はい。私が代わりにいれました。それは間違いありません。」
 「神座さんにはミキアを殺害する動機がありますか?」
 「いえ、ありません。」
 「でしょう?」
 鵠沼は神座に勝ち誇った顔で頷いて見せた。
 「でもね、これが魔王ならば話は違ってくるんです。あなた方だって実際に見られたでしょう? ミキアが一瞬だけ魔王に憑依されてタバスコを飲んでしまった場面を。あれと同じように魔王は一時的にミキアの躰を乗っ取って毒を飲んだのだとしたら? こういう不思議なことが起きるのではない?」
 「あくまでも魔王が関与していると鵠沼先生は主張されるのですね?」
 「もちろんです、だって私は魔王の信者ですもの。」
 「それは問題発言になりませんか?」
 水無瀬は苦笑する。
 「どこがでしょう? どの点が問題になりますか? 昔から力を持つ者に人が皆、魅かれるのは当然ではないですか? エースパイロットと呼ばれる人は何も操縦テクニックが上手いからそう呼ばれているわけではありませんよ? 戦果を挙げているからです。その戦果とは敵機を撃墜することです。魔王のしている事と何が違うでしょう? 立場ですか? 立場さえ違えば殺人は肯定出来る? 私は出来ると思っています。ただ魔王がまだそこまで名と力を世間に浸透させていないから殺人者と蔑まされているだけです。いずれ社会が彼女の存在を認めることになるでしょう。そうなれば魔王が殺人者だと言われることは無い。時間の問題です。」
 「先生が熱心に魔王を信じている気持ちだけは伝わりましたよ。」
 水無瀬は言った。
 「そして、先生に倣って一つだけ訂正させてください。まだ毒物と決まったわけでもありませんし、美樹本は亡くなってもいません。」
 「確かに先走り過ぎましたね。私も人の死には慣れていないものですから ああやって倒れられると気が動転してしまいますね。そうです、ミキアはまだ亡くなっていません。もし奇跡的に一命をとりとめることが出来たら彼から真相が語られることでしょう。」
 「今はそう願いたいものですね。」
 水無瀬は嘆息する。

 「ところで私たちはいつまでここに引き留められるのでしょう。この事件に何ら関与していないことは証明されているのに身柄を拘束され続けるのは人権問題になりますよ? それにそちらの宮國さんはどうか知りませんけれど 私に逃亡の恐れはないと思います。今日は失礼しても構いませんよね?」
 「そうですね、また何かわかりましたら協力をお願いすることもあると思いますが本日はお引き取り頂いても大丈夫です。」
 水無瀬は言う。
 確かに鵠沼綾乃を引き留めておく理由がこれ以上はなく、口が達者な彼女をさらに拘束してクレームが入るのは好ましい状況ではなかった。
 「それでは失礼いたします。」
 鵠沼はすっと立ち上がると自分の鞄を肩に掛けて小野刑事に見送られるようにして美樹本宅をあとにした。
 嵐が過ぎ去ったような感覚があった。いや、まだ嵐の方が幾分かマシかもしれないな、と神座は思う。窓ガラスの向こうには一雨降りそうな黒い雲が広がっていた。
本当の嵐がそこまで近づいてきていた。
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